論語詳解190泰伯篇第八(6)以て六尺之孤を託す*

論語泰伯篇(6)要約:史実を秘匿するための曽子ばなしは続きます。こういう者は君子であるか。君子である。はあそうですか、と伺っておくしかない曽子の自問自答。しかし残された儒者たちにとっては、生きるか死ぬかの問題でした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

曾子曰、「可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與。君子人也。」

復元白文

曽 金文子 金文曰 金文 可 金文㠯 以 金文六 金文之 金文孤 金文 可 金文㠯 以 金文百 金文里 金文之 金文命 金文 臨 金文大 金文𠬝 金文而 金文不 金文可 金文論語 奪 金文也 金文 君 金文子 金文人 金文与 金文 君 金文子 金文人 金文也 金文

※節→卪。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。也の字を断定に用いている。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

曾子そうしいはく、りくせきたくすをもちゐるく、百めいするをもちゐるく、大節たいせつのぞうばからざるなるは。君子人くんしじん君子人くんしじんなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 曽子
曽子が言った。「六尺程度の幼子を託せる人物、百里四方の国の命運を任せられる人物、大きな節目に行き当たって職務を奪えない人物。こういう人は君子か。君子である。」

意訳

論語 曽子 ウスノロ
曽子「幼君を補助し、一国を治め、大きな祭典を滞りなく行える人物は、君子だ。」

従来訳

論語 下村湖人

曾先生がいわれた。――
「安んじて幼君の補佐を頼み、国政を任せることが出来、重大事に臨んで断じて節操を曲げない人、かような人を君子人というのであろうか。正にかような人をこそ君子人というべきであろう。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

曾子說:「可以托付孤兒,可以托付江山,生死關頭,臨危不懼的人。是君子嗎?當然是君子。」

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曽子が言った。「故事を預ける事が出来、天下を預けることが出来、生死の瀬戸際や、危険に及んでも恐れない人。これは君子か?当然君子だ。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

曾(曽)子

論語 曽 金文 論語 子 金文
(金文)

孔子の弟子。詳細は論語の人物・曽参子輿を参照。

初出は戦国早期の金文で、論語の時代にぎりぎりあったかどうかというところ。カールグレン上古音はtʰɑkで、同音に橐”ふくろ”、拓、蘀”落ち葉”。

論語 尺 金文大篆 論語 尺
(金文大篆)

初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はȶʰi̯ăkで、同音に赤、斥。

周代では約20cmとwikipediaに言う。「六尺之孤」で”幼くして位を継いだ君主”。この言い廻しは、中国のインテリに好まれたらしい。

唐王朝を一時は奪って女帝に即位した武則天(則天武后)への決起を促した駱賓王ラクヒンノウの檄文に、「一抔之土未乾、六尺之孤安在」(いっぽうのど、いまだかわかざるに、りくせきのこ、いずくにかある)とある。名文だったので則天武后は反乱の拡大を恐れ、おののいたと言われる。

論語 尺 解字『学研漢和大字典』によると象形文字で、人が手幅で長さをはかる。その手の姿を描いたもの。手ひと幅の長さは二二センチメートル余り。指一本の幅を一寸といい、指十本の幅が一尺に当たる。一つ一つと渡っていく意を含み、度(ド)・(タク)(手幅で計る)・渡(一足一足とわたる)などと同系のことば、という。

孤 金文 論語 寡 字解
(金文)

論語の本章では”みなしご”。諸侯や国王が、謙遜した自称として用いることがある。

『学研漢和大字典』によると、「子+音符瓜」の会意兼形声文字。寡(すくない。それだけ)と同系のことば。瓜がまるく一つころがっているようなひとりぼっちの子どものこと。また、幼児の泣き声を呱といい、わわと泣く幼児を孤と称するに至ったとも考えられる、という。

詳細は論語語釈「孤」を参照。

初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はkiaで、同音に奇とそれを部品とする漢字群。奇の初出も戦国文字

百里之命

論語 命 金文 論語 命運
「命」(金文)

論語の本章では、”国の命運”と解した。

立て前上は諸侯の領地は百里四方とされたので、「百里」は”国家”のこと。「命」は政令とも取れるし、そこに住む人の命とも取れる。曽子はおしゃべりな割には、その場にいる人にしか分からないような話し方をするので解釈に苦しむ。

『学研漢和大字典』によると「命」の原義は、神や君主が意向を表明すること。転じて、命令の意となる。『字通』では神のお告げで、神の意向や、人為ではどうにもならない運命や寿命などを言う。

詳細は論語語釈「命」を参照。

臨大節而不可奪也

論語 臨 金文 論語 節 金文 論語 奪 金文
「臨」「節」「奪」(金文)

論語の本章では、”大きな節目に行き当たって職務を奪えない”と解した。これも取りようがさまざまある。新古の注で儒者が何を言おうとも、彼らも想像でものを言っているので、当てにならない。

「大節」の可能性としては”時代の大きな節目”・”大きな祭典”。

『学研漢和大字典』によると「国家の重大事件。また、生死にかかわるような重大な事件。」

「不可奪」は目的語が無く、”心の平静を奪えない”のか、”仕事をうまく進めているので職を奪えない”のかわからない。これはもう、取りたいように取っていいと思う。

「臨」の詳細は論語語釈「臨」を参照。『学研漢和大字典』によると、「節」は会意文字で、即(ソク)は「ごちそう+ひざを折ってひざまずいた人」の会意文字。ここでは「卩」の部分(ひざを折ること)に重点がある。節は「竹+ひざを折った人」で、ひざをふしとして足が区切れるように、一段ずつ区切れる竹のふし。

膝(シツ)(関節で区切れるひざ)・切(小さくくぎる)・屑(セツ)(小さく区切れた物)などと同系のことば、という。

「奪」は会意文字で、「大(ひと)+隹(とり)+寸(て)」で、人がわきにはさんでいる鳥を、手ですっと抜きとるさまを示す。脱(抜ける)・兌(ダ)(ときほぐす)と同系のことば、という。

論語:解説・付記

他人の夢の話を得々と語られても困るしかないように、本章は曽子の独り言であり、彼個人の人物評価なので、別に現代の論語読者をうならせるような教訓は何一つ含まれていない。後世の捏造となればなおさらだ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。

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