論語詳解195泰伯篇第八(11)もし周公の才の美゚

論語泰伯篇(11)要約:呉国使節の接待から中座中の孔子先生。あまりの田舎者ぶりにうんざりしますが、だからこそ文化的にたらし込み取り込むつもりでした。しかし使節が酔って暴れでもしたのでしょうか。愚痴を言いたくなりました。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「如有周公之才之美、使驕且吝、其餘不足觀也已矣*。」

校訂

武内本:清家本により、文末に也の字を補う。

復元白文

子 金文曰 金文 如 金文有 金文周 金文公 金文之 金文論語 才 金文之 金文美 金文 使 金文喬 金文且 金文吝 金文 其 金文論語 余 金文不 金文足 金文観 金文也 金文已 矣 金文

※驕→喬。

書き下し

いはく、周公しうこうさいりとも、使おごやぶさかならば、あまりはるにらざる也已矣かな

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像
先生が言った。「もし周公のような才能の美点があっても、おごり高ぶり吝嗇なら、それ以外は見るに足らないなあ。」

意訳

論語 孔子 ぼんやり
全く困るなあ。呉王に周公のような才能があっても、威張り散らしてるしケチだからなあ。腕っ節以外は取り柄がない。見込んだはいいが、さてどうするかなあ。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「かりに周公ほどの完璧な才能がそなわっていても、その才能にほこり、他人の長所を認めないような人であるならば、もう見どころのない人物だ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「一個人即使有周公一樣的美好的才能,如果驕傲吝嗇,也就不值一提了。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「たとえ一個人が周公と同様の素晴らしい才能を持っていても、もしおごり高ぶってケチなら、つまり全く価値が無い。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語の本章では、逆接の仮定条件を示し、”たとえ…でも”。

『学研漢和大字典』

「もし~ども」とよみ、「もし~としても」と訳す。逆接の仮定条件の意を示す。「如有周公之才之美、使驕且吝、其余不足観也已=如(も)し周公の才の美有りとも、驕(おご)りかつ吝(やぶさ)かなら使めば、その余は観るに足らざる」〈たとえ周公ほどの立派な才能があったとしても、傲慢で物惜しみするようなら、そのほかは目をとめるねうちもない〉〔論語・泰伯〕

周公

論語 周公旦
周王朝の開祖文王の子で、事実上の初代武王の弟。武王が早くに亡くなり、幼い成王の摂政になった。周の文化や制度を定めた人物と孔子は理解しており、尊敬していた。孔子の国、魯国の開祖でもある。

使

論語の本章では、順接の仮定条件を示し、”もし…なら”。

『学研漢和大字典』

「使~…」は、「~(をして)…せしめば」とよみ、「もし~すれば」と訳す。順接の仮定条件の意を示す。「使人之所悪、莫甚於死者、則凡可以辟患者、何不為也=人の悪(にく)む所をして、死より甚しき者莫(な)から使めば、則(すなは)ち凡そもって患(わずら)ひを辟(さ)く可き者は、なんぞ為さざらん」〈人の嫌うものに死以上のものがないとすると、死に壓がる患難を避けるためなら、しないことがあろうか〉〔孟子・告上〕

「もし~、…すれば」とよんでもよい。「使趙不将括即已=使(も)し趙括を将とせずんば即(すなは)ち已(や)む」〈もし趙が(趙)括を将軍に起用しなければ、それでよい〉〔史記・廉頗藺相如〕

驕(キョウ)

論語 驕 睡虎地秦墓竹簡 論語 驕
(秦系戦国文字)

論語の本章では、”おごり高ぶる”。初出は戦国文字。カールグレン上古音はki̯oɡ。同音部品に喬。詳細は論語語釈「驕」を参照。

論語 吝 睡虎地秦墓竹簡 論語 吝
(秦系戦国文字)

論語の本章では”物惜しみする”。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、「文+口」。文は修飾を意味する。口さきを飾っていいわけし、金品を手放さない意を示す。憐(レン)(思い切りわるく、心を悩ます)ときわめて近い、という。

也已矣(ヤイイ)

論語 也 金文 論語 已 金文 㠯 以 金文
(金文)

伝統的な論語の解説本では、まとめて「のみ」と読む。実直に読んだ場合は「かなとおわりぬ」と読める。”…だなあと感動してしまった”の意。

だがこのもったいぶった言い廻しは、すでに矣・已・以の書き分けがはっきりと行われるようになった、前漢宣帝期の『定州論語』には見られず、後漢から南北朝にかけて儒者が書き換えた結果である。詳細は「談《論語》中的“也已矣”連用現象」を参照。

論語:解説・付記

本章も前章同様、呉の使節を応接して中座した孔子のぼやきと解釈する。

論語 呉王夫差
日の出の勢いの呉王夫差が傲慢であったことは史料にあるところで、軍事力を持てば傲慢になるのは人の性というもの。ケチについては直接の証拠はないが、子貢が呉の敵国・越へ工作に出かけようとするのに、呉王夫差は手土産一つ持たせなかったという間接証拠がある。

対して子貢が越に向かうと、越王は宝物など手土産をどっさり渡したが、子貢は断った、という。さらに呉王だけでなく、宰相格の伯嚭(ハクヒ)はワイロ大好き人間だったことになっており、呉国としてケチとは言えないまでも欲望の亡者の集まりだったことを連想させる。

しかも呉は魯との交渉で、当時破格のご馳走を並べろと強要したことが『左伝』にある。

哀公七年(BC488)のこと、魯と呉の国君の会合で、呉は百牢のもてなしを要求した。牛・羊・豚肉料理を並べるのを一牢といい、それを百揃え出せと言うのである。そんな例はない、礼法では最高でも十二牢だと魯の家老の一人・子服景伯が言うと、宋国は百牢出したと呉の使節が言い張る。続けて、魯は晋国の家老に十牢以上出したではないか、我が呉の王には百牢出してもよかろうとも言う。あれは脅迫されたのだ、仕方なく礼法を破ったのだと抗議しても聞かない。

論語 季康子 論語 子貢 自慢
子服景伯は「呉の田舎者めが。今に滅びるぞ」と聞こえないようにつぶやき、百牢出してやりましたとさ、と言うお話。さらに伯嚭は魯の筆頭家老・季康子を呼び出したが、拉致られるかも、と怖がった季康子が子貢を派遣して…というお話の続きはこちら

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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コメント

  1. 燃えろ大仏 より:

    […] 子し曰いはく、如もし周公しうこうの才さい之の美よき有ありとも、使もし驕おごり且かつ吝やぶさかならば、其その餘あまりは觀みるに足たらざる也已矣かな。(論語泰伯篇11) […]