論語:原文・書き下し
原文(唐開成石経)
子曰不在其位不謀其政
校訂
東洋文庫蔵清家本
子曰不在其位不謀其政也
後漢熹平石経
(なし)
定州竹簡論語
……在其位,不謀其正。」205
標点文
子曰、「不在其位、不謀其正。」
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
子曰く、其の位に在ら不らば、其の正を謀ら不。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「その地位にないなら、その事務処理には手を出さない。」
意訳
他人の仕事は放っておけ。自分の仕事に集中しろ。
従来訳
先師がいわれた。――
「その地位にいなくて、みだりにその職務のことに口出しすべきではない。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「不在那個位置上,就不要想那個位置上的事。」
孔子が言った。「そのような地位にいなければ、全くそのような地位の事を思ってはならない。」
論語:語釈
子曰(シエツ)(し、いわく)
論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」・論語語釈「曰」を参照。
この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。
不(フウ)
(甲骨文)
漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義。詳細は論語語釈「不」を参照。現代中国語では主に「没」(méi)が使われる。詳細は論語語釈「不」を参照。
在(サイ)
(甲骨文)
論語の本章では、”そこにある”。「ザイ」は呉音。初出は甲骨文。ただし字形は「才」。現行字形の初出は西周早期の金文。ただし「漢語多功能字庫」には、「英国所蔵甲骨文」として現行字体を載せるが、欠損があって字形が明瞭でない。同音に「才」。甲骨文の字形は「才」”棒杭”。金文以降に「士」”まさかり”が加わる。まさかりは武装権の象徴で、つまり権力。詳細は春秋時代の身分制度を参照。従って原義はまさかりと打ち込んだ棒杭で、強く所在を主張すること。詳細は論語語釈「在」を参照。
其(キ)
(甲骨文)
論語の本章では”その”という指示詞。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。
位(イ)
(甲骨文)
論語の本章では”地位”。初出は甲骨文。字形は楚系戦国文字になるまで「立」と同じで、「大」”人の正面形”+「一」大地。原義は”立場”。春秋までの金文で”地位”の意に用いた。詳細は論語語釈「位」を参照。
謀(ボウ)
(金文)
論語の本章では、”はかりごとを考える”。初出は西周早期の金文で、ごんべんが付いていない。「謀反」の「ム」の読みは呉音。原義は”梅の木”。初出の金文は”たくらむ”と解釈されており、論語の時代までには他に人名に用いた。”なにがし”の語義があった可能性がある。詳細は論語語釈「謀」を参照。
「梅」の部品である「每」(毎)は、海(海)”深くて暗いうみ”・晦”くらます”の共通部品となっているように、原義は”暗い”こと。カールグレン上古音ではmwəɡ(上/去)であり、「謀」mi̯ŭɡ(平)と音素が50%共通し、頭と終わりが共通している。
「甘」(甲骨文)/「曰」(甲骨文)
甲骨文の時代、「𠙵」”くち”にものを含んでいる状態を「甘」kɑm(平)と記した。語義は”あまい”ではなかった。現在ではこの語義には「銜」ɡʰam(平)・「含」ɡʰəm(平)などの字がが当てられている。「楳」が”うめ”を意味するのはそのためで、梅mwəɡ(平)の実は酸っぱくて、しゃぶるのに適している。含んだものを表に表すのを「曰」gi̯wăt(入)と記し、”言う”の意で用いた。
対して「甘」は黙ったままでいること。「某」məɡ(上)は自分の名を黙って告げない者。
政(セイ)→正(セイ)
論語の本章では”管掌する業務の運営”。唐石経・清家本では「政」と記し、現存最古の論語本である定州竹簡論語では「正」と記す。論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。
原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→ ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→ →漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓ ・慶大本 └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→ →(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在) →(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)
(甲骨文)
「政」の初出は甲骨文。ただし字形は「足」+「丨」”筋道”+「又」”手”。人の行き来する道を制限するさま。現行字体の初出は西周早期の金文で、目標を定めいきさつを記すさま。原義は”兵站の管理”。論語の時代までに、”征伐”、”政治”の語義が確認できる。詳細は論語語釈「政」を参照。
「正」(甲骨文)
定州竹簡論語では「正」と記す。文字的には論語語釈「正」を参照。理由は恐らく秦の始皇帝のいみ名「政」を避けたため(避諱)。『史記』で項羽を本紀に記し、正式の中華皇帝として扱ったのと理由は同じで、前漢の認識では漢帝国は秦帝国に反乱を起こして取って代わったのではなく、正統な後継者と位置づけていた。
つまり秦帝国を不当に乗っ取った暴君項羽を、倒して創業した正義の味方が漢王朝、というわけである。だから項羽は実情以上に暴君に描かれ、秦の二世皇帝は実情以上のあほたれ君主に描かれると共に、寵臣の趙高は言語道断の卑劣で残忍な宦官として描かれた。
論語:付記
検証
論語の本章は、定州竹簡論語にはあるが、春秋戦国の誰一人引用も再録もしていない。先秦両漢での再出は、前漢初期の陸賈『新語』にやや違う文字列で載る。
無如之何者,吾末如之何也已矣。夫言道因權而立,德因勢而行,不在其位者,則無以齊其政,不操其柄者,則,回也不改其樂。
”どうしよう”と自分で言い出さない者は、私はどうしてやることも出来ない(論語衛霊公篇16)。口先ばかりでは何の力も無く、権力の裏付けがあって初めて意味をもつ。道徳も力があってこそ真似する者が出る。その立場に居ない者は、絶対にその仕事をうまく回そうとしてはならない。どうするかの決定に関わってはならない。こういう知らんぷりが出来たからこそ、顔回は貧民窟で貧乏暮らししながら、鼻歌を歌って過ごせたのだ(論語雍也篇11・偽作)。(『新語』慎微3)
ただし文字史的に全文が論語の時代に遡れる上、史実の孔子の教説と矛盾しないから、論語の本章は史実と判断して構わない。
解説
孔子は、他人など放っておけと強く弟子に戒めた。
いずれも史実と思われる孔子の発言であり、これは庶民から貴族=君子に成り上がる途上で習練中の、孔子塾生にも当てはまっただろうし、卒業後に孔子の手足として、各国政界に乗り込んでいった弟子たちにも当てはまるだろう。
なお論語の本章に注釈を付けた新古の儒者は、特筆すべきほど書き込みが短い。
古注『論語義疏』
子曰不在其位不謀其政也註孔安國曰欲各專一於其職也
本文「子曰不在其位不謀其政也」。
注釈。孔安国「それぞれがそれぞれの職に集中することを求めたのである。」
新注も素っ気ない。朱子は何一つ言っていない。
新注『論語集注』
程子曰:「不在其位,則不任其事也,若君大夫問而告者則有矣。」
程頤「その地位にいないなら、とりもなおさずその仕事を任せられはしない。もし主君や重役が何か相談したなら、それなら意見を言うことが許される。」
すでに何度か書いたが、程頤はまだ科挙(高級官僚採用試験)に受かりもしないのに、皇帝に説教文を送りつけ、気味悪がられて不合格になり、のちに気の毒に思った司馬光の口利きで朝廷に出仕したが、人をつかまえては説教ばかりしたので嫌われ叩き出された。
宋儒は言っていることとやっていることがまるで違う。思っていることとも違う。それで精神に異常を来さないというのだから、常人に理解出来る生き物ではない。論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」を参照。
ついでながら康煕帝の政治ショーで、大清帝国公認の無欲な大学者に祭り上げられた焦袁熹は、皇帝のショーにウマを合わせて、論語の本章にこと寄せてこんな事を書いている。
孔子對哀公只云舉直錯枉不説某某當舉某某當錯三桓當如何對景公只云君君臣臣父父子子不説陳氏當如何公子陽生等當如何此不在其位不謀其政之義
孔子は主君の哀公に対し、「まじめ人間を悪党の長に据えなされ」と説いた(論語為政篇19・偽作)。だが具体的に、誰それがまじめ、誰それが悪党だとは言わなかった。三桓=魯国門閥三家老家が悪党であるのは明白だったのに。
また隣国・斉の景公に、「主君は主君らしく、臣下は臣下らしく、父は父らしく、子は子らしく」と説いたが(論語顔淵篇11)、誰の目にも斉国を乗っ取ろうとしているのが明らかだった、陳(=田)一族のことは何も言わなかったし、国公の位を狙っていた公子陽生についても黙っていた。
それはなぜかと言えば、孔子は哀公でも景公でもないから、他人の仕事に口を出さないつもりだったからだ。(『此木軒四書説』巻四)
余話
美味しいご飯はみんなで食べよう
役人は「お役目大事」と心得、自分の担当に他人が口出しするのを大いに嫌う。政治家と役人の違いはここにあって、政治家は必要とあれば不案内な分野にも口出しする。民主国家ではその権限を国民から与えられているから、役人は上っ面だけでも言うことを聞かねばならない。
だが中国では古代から今に至るまで、政治家と役人の境界線ははなはだ曖昧だから、儲からなければお役目大事とは心得ず、儲かるなら他人の仕事にバンバン口を出す。もちろん地位に伴う責任(岗位)は他人になすりつけようとし、ただし利権は独り占め、は極めて難しい。
なぜか? 安能務の言葉で言えば、「好飯大家吃」(美味しいご飯はみんなで食べよう)が中華文明の鉄則であり、皇帝だろうと国家主席だろうと、独り占めすれば必ず落とし入れられて地位ごとなくし、場合によりリアルに首をちょん切られる。だから中国史はややこしい。
- 論語学而篇4余話「中華文明とは何か」
中国史上三本指に入る超まじめ皇帝だった清の雍正帝は、満57歳で世を去った。18世紀だから当然とも言えるが、父の康煕帝は68歳、子の乾隆帝は88歳まで生きている。超まじめだけに独裁を極めた雍正帝は、利権ももちろん独占した。どうにも自然死とは思えない節がある。
雍正帝は独占を正義と確信したから、消される理由は十分だった(「御製朋党論」現代語訳)。
また中国史上の官職名は、名前と実務が一致しない。武官と文官は制服が違っているだけで、戦場に出る文官もいれば一切出ない武官も居る。だから史書の記述を真に受けて、宰相だと書いてあってもその人物が政権担当者とは限らない。こぞって岗位をずらしにかかるからだ。
訳者が現在のいわゆる中国通が、「誰それは共産党の順位何番目で…」と嬉しそうに言うのを、鼻で笑って真に受けないのは、ひとえに漢文と中国史を学んだからだ。そんなものは時々刻々と変わって当てにならない。せいぜい普通の日本人に対するハッタリにしかならない。
老子先生の教え通り、言うべきは常ならずである。だから例えば武官が戦えるとは限らない。
一武官惧內。或教之曰。尊嫂特未見兄威容耳。乃盔甲仗劍而入。妻見之。喝曰。汝粧此模様做甚。不覺下跪曰。請問奶々今日可要下操。原來武官盔甲仗劍時。愈如沒用了。可嘆可嘆。
ある武官、おかみさんが怖くて仕方が無い。そこで誰かが教えてやった。「奥方さまは、まだあなたの武装した姿を見ていないからですよ。」
そこで甲冑を着て武器を携えて家に入った。
おかみさん「あぁ? なんだいその大げさな格好は。」
武官は土下座して言った。「あのう、奥様。今日はこれから教練に行こうと思いますがよろしいでしょうか。」
もともと武官に甲冑や武器を持たせたところで、ますます役立たずなのは分かりきっている。もうため息をつくしかない。(『笑府』巻八・下操)
『笑府』を編んだ馮夢竜は明末の人で、秀吉が攻め込んでも明軍が役立たずなのを見知っていたし、満洲人が押し込んでくる前にもうおしまいだと自ら命を絶った。このような本を編むほどひとかどの知識人だったが、世間的には栄達しなかったらしい。
対して論語や儒教を真に受けた江戸以降の日本人は、このような中華文明の何たるかに思いが至るはずもなく、中国を理想化して捉えた。従って江戸の武士は儒教経典を可憐なほど真に受けて、論語の本章も「お役目大事」と心得、まじめに仕事をする例が少なくなかったらしい。
もちろん権力を握っている世襲階級が、腐敗しないなどあり得ないことだが、封建社会という制約の中で、まじめに民のために働いた武士の話は多い。幕府も諸藩も家来の数ほどには官職の数が無かったから、まじめでないと無役になり、家格が下がってしまうのを誰もが恐れた。
その恐れの図に乗って、中堅幕臣が下級幕臣をいじめ抜き、キレた下役が通り魔のように斬り回った例もあって、日本人といじめが江戸の昔から相性がよかったことを物語る。歴史は何事につけ、一面しか見ないと見誤る。要するにいじめる馬鹿者もいたし、まじめなお侍もいた。
それをからかった江戸落語がある。
ある藩で宴会の途中、酒の勢いから武芸自慢二人のケンカが始まり、双方刀を抜いて斬り合った、一方が斬り伏せてしまい、そのまま酒の勢いで寝てしまう。翌朝になって血刀を見、何を仕出かしたかを知って切腹してしまう。報告を聞いて殿様は、真っ赤になって怒った。
「なんたるうつけ沙汰じゃ! 酒のせいで、腕の立つ者を二人も失って仕舞うた。今後余の家中では、酒は飲まんことに致せ。その方らばかりでない。余も飲まん。一同の者、禁酒である!」…と聞いて家中の酒飲みがまずびっくりし、次に出入りの酒屋がもっと驚いた。
禁酒令が出た当初は、藩士一同まじめに禁酒していたが、訳者のように酒無しでは生きていけない人間も世の中にはいる。そういう藩士がこっそり飲み始め、やがて大っぴらに飲み出した。藩邸の門を一杯機嫌で通り過ぎる者まで出た。これが殿様に知れたら大変なことになる。
そこで家老連が相談して、門の番屋に人を配置し、出入りの者を検分することにした。ちょうどその頃、もと藩の出入りだった酒屋に、藩きっての大酒飲みが現れる。いやがる酒屋を刀で脅し、無理やり酒を出させてあっという間に三升も飲んだ。さらにその上…。
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