論語127雍也篇第六(10)伯牛やまい有り

論語雍也篇(10)要約:冉伯牛ゼンハクギュウは、人格を孔子先生に評価された最年長の弟子。しかし疫病にとりつかれ、死の床に伏してしまいます。歳が近く、弟子と言うより友人だったであろう冉伯牛が死に行くのを、先生は深く悲しんだのでした。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

伯牛有疾。子問之、自牖執其手。曰、「亡之、命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。」

書き下し

伯牛はくぎうやまひり。これひ、まどる。いはく、これうしなはむ、めいなるかなひとやまひあるひとやまひあると。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳


伯牛が病気になった。先生は見舞いに行き、窓からその手を取った。言った。「これを失うのも運命なのか。よりによってこの人にこの病気とは。よりによってこの人にこの病気とは。」と。

意訳

ゼン伯牛が伝染病にかかった。先生が窓越しに伯牛の手を取って言った。「この人を失うのも運命なのか。これほどの人がこんな病気にかかるなんて。かかるなんて。」

従来訳

 伯牛はくぎゅうらいを病んで危篤に陥った。先師は彼をその家に見舞われ、窓から彼の手をとって永訣された。そして嘆いていわれた。――
「惜しい人がなくなる。これも天命だろう。それにしても、この人にこの業病ごうびょうがあろうとは。この人にこの業病があろうとは。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

伯牛

論語 伯 金文 論語 牛 金文
(金文)

孔子の最も初期の弟子、冉伯牛のこと。徳行を孔子に評価された、孔門十哲の一人。冉雍・冉求はその一族。詳細は論語の人物:冉耕伯牛参照。

牖(ユウ)

論語 牖 金文大篆
(金文)

論語の本章では”窓”。”壁をうがち木を交えて作った窓。連子窓”と『大漢和辞典』の第一義にある。
論語 櫺子窓
そうなるとその隙間から手を取ったことになるが、第二義に”南向きの窓”とある。伝染病を恐れて、壁ごしに手を取ったのだと言われている。

斯人也而有斯疾也

「この人してこのやまい有る」と読む。前の「也」は強調で、”よりによってこの人に”の意。後ろの「也」は詠嘆で、”~であることよ”の意。

論語:解説・付記

実は論語でも難解な章で、この点は訳者と既存の論語本は一致する。

死病にかかった人の目の前で、「もう死ぬよ」と言うのはどういうものだろう、というのが第一点。第二点は「亡之命矣夫」の句読の切り方と、「命」の解釈。「之(こ)の命(いのち)を亡(うしな)う矣夫(かな)」と読んでも問題ない。

論語 吉川幸次郎
既存の論語本では吉川本に、「命の字は、ここではあきらかに運命の不可解さを意味する」と書くが、何で「あきらかに」なのかは書いていない。

ともあれ、上掲のように訳した。以下は想像するしかないが、古代人にとって死はごく身近な出来事で、現代人よりはるかに自分と近しいものと感じていただろう。すると死病の人に対して死に関わる言葉を言うのも、案外当たり前だったかも知れない。

訳者の親の世代は、アメリカ人がはるか高空からばらまく焼夷弾に住まう土地を焼き尽くされ、翌朝、焼け野原のここそこに、黒こげの死体が苦悶の姿で転がっていた光景を見ている。それを思えばこの章の解釈は十分かもしれない。

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