論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
子曰、「君子貞而不諒。」
書き下し
子曰く、君子は貞りて諒はざれ。
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逐語訳
先生が言った。「諸君は天命を覚って動揺するな。その代わり安請け合いしてはならない。」
意訳
何が正しいかは天が決める。それを知って恐れることなく進んで欲しい。安易に人の言葉に同調してはならない。
従来訳
先師がいわれた。――
「君子は正しいことに心変りがしない。是も非もなく心変りがしないのではない。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
君子
論語の本章では”諸君”。論語では君子は
- 貴族(為政者)
- 教養人
- 諸君
の三通りで用いられるが、3.と解釈して文意が通じれば、”諸君”と理解していい。
貞
(金文)
論語の本章では、”天命を覚って動揺しない”。
『学研漢和大字典』によると形声文字で、もと鼎(テイ)(かなえ)の形を描いた象形文字で、貝ではない。のち、卜(うらなう)を加えて、「卜+(音符)鼎(テイ)」。聴(テイ)・(チョウ)(まっすぐにききあてる)・正(まっすぐ)・定(まっすぐたって動かない)などと同系のことば。語義は以下の通り。
- (テイナリ){形容詞}ただしい(ただし)。まっすぐである。動揺しない。《同義語》⇒禎。
- (テイス){動詞}とう(とふ)。きく。占って神意をきく。
▽殷(イン)代の卜辞(ボクジ)では聴(テイ)・(チョウ)に当てた。 - (テイス){動詞}ただしく神意をききあてる。
▽「周易」の語。卜辞の習慣をひいたことば。「貞吉=貞して吉なり」。
一方『字通』によると鼎を使って占うことで、日本の「盟神探湯」のように煮え湯の中に手を突っ込むか、ゆでられたいけにえの形によって占い、神意を問うことではないか、という。
諒
(金文)
論語の本章では”安請け合いする”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「言+(音符)京(キョウ)・(リョウ)(=亮。あきらか)」。明らかにものをいう。転じて、はっきりわかること。語義は以下の通り。
- {名詞}まこと。明白なこと。偽りのない真実。
- {副詞}まことに。たしかに。
- (リョウス)(リャウス){形容詞・動詞}あきらか(あきらかなり)。あきらかにする(あきらかにす)。はっきりとみきわめた。わかったという。是認する。転じて、あっさりと認める。
- 「諒闇(リョウアン)」「諒陰(リョウアン)」とは、天子が父母の喪に服するときのへや。また、その喪に服している期間のこと。
一方『字通』によると「言+京」で、京は戦死者のなきがらを葬った凱旋門のようなアーチ状の門。そこでさまざまな呪術的儀式が行われた。その結果何らかの答えを得ることを言う、とある。また『学研漢和大字典』の語義に加えて”助ける”の意があるという。
論語:解説・付記
論語の本章は「貞」と「諒」をどう解釈するかにかかっている。現代の言語学・漢字学の結果は上記の通りで、「諒」にも超自然的存在に伺って答えを得る、という語義はあるものの、神意には劣るだろうと判断して上掲のような訳と判断した。
論語の中で孔子が天命を持ち出したのは「五十にして天命を知る」(論語為政篇4)に始まるが、「先生はめったに天命を言わなかった」(論語子罕篇1)とあるように、簡単に口に出してはいけない、畏るべき存在が天だった。一方で斉の晏嬰はこう批判した。
批判者から持ち出されるほど、孔子一門は天命を重んじたことになる。するとやはり凱旋門で亡き者の霊に問うよりは、天命の方を重んじたと考えてよいだろう。論語の本章は孔子の天命観を示すとともに、弟子たちに向けた「天が味方している」という励ましだったに違いない。
孔子が叫んだ復古的政治革命は、復古なだけに当時の既得権益層や社会の風潮に刃向かうものだったから、弟子たちは心細かったに違いない。本章が政治向きの話であることから、あるいは孔子一門の政治派・子貢がかつて孔子から聞いたアジ演説だったのかも知れない。
孔子が天命をどこまで真に受けていたかは知りようがないが、政治工作に出向く弟子たちを励ますには、得体の知れない天を持ち出すほかなかったのだろう。その意味では論語時代の儒学も、紛れもない宗教であり、のちの帝国儒教につながる不合理性を多分に含んでいた。
しかし孔子の生きた時代は古代であり、当時の合理的な支配者である各国の君主や執権たちも、『左伝』によると易などの神意を問う行為に多大の信頼を寄せている。孔子とその一門だけが、天命に頼ったわけではない。人の技術力がか細く、天災を神意として恐れたからだ。