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論語詳解433季氏篇第十六(16)陳亢伯魚に*

論語季氏篇(16)要約:論語の名言、「庭訓ていきん」の語源になった一節。孔子先生が自分の息子に教えたのは、詩と礼を学ぶことでした。それを聞き出した子貢の門人・子禽は大喜び。しかし本章が本当の話かどうかは、実に怪しいのです。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

陳亢問於伯魚曰、「子亦有異聞乎。」對曰、「未也。嘗獨立、鯉趨而過庭。曰、『學詩乎。』對曰、『未也。』*『不學詩、無以言*。』鯉退而學詩。他日又獨立、鯉趨而過庭。曰、『學禮乎。』對曰、『未也。』『不學禮、無以立*。』鯉退而學禮。聞斯二者*。」陳亢退而*喜曰、「問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也。」

校訂

武内本

清家本により、不の前に曰の字を補う。言・立の下にそれぞれ也の字を補う。矣、唐石経矣を者に作り、陳亢退の下而の字あり。

定州竹簡論語

……亢問於伯魚曰:「子亦有a聞乎?」對曰:495……趨而過庭。曰:『學詩乎?』對曰:『未也。』『不b學詩,無以言也c。』鯉496退而學詩也d。日e,有f獨立,鯉趨而過庭。曰:『學禮乎?』497……不學禮,無以立也d。鯉[退而學禮。聞斯二者g]。」498……退,喜h曰:「問一得三,[聞詩,聞禮,又聞君子之遠其子也。]」

  1. 今本”有”字下為”異”字、此簡”有”下為一空格。
  2. 皇本、高麗本”不”字上有”曰”字。
  3. 也、阮本無、皇本、高麗本有。
  4. 也、今本無。
  5. 今本”日”前有”他”字。
  6. 有、今本作”又”。古有又同。
  7. 者、高麗本作”矣”、皇本”者”下有”矣”字。
  8. 今本”喜”字上有”而”字。

有gi̯ŭɡ(上)又gi̯ŭɡ(去)


→陳亢問於伯魚曰、「子亦有聞乎。」對曰、「未也。嘗獨立、鯉趨而過庭。曰、『學詩乎。』對曰、『未也。』『不學詩、無以言也。』鯉退而學詩也。日有獨立、鯉趨而過庭。曰、『學禮乎。』對曰、『未也。』『不學禮、無以立也。』鯉退而學禮。聞斯二者。」陳亢退喜曰、「問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也。」

復元白文(論語時代での表記)

陳 金文亢 金文問 金文於 金文伯 金文魚 金文曰 金文 子 金文亦 金文有 金文聞 金文乎 金文 対 金文曰 金文 未 金文也 金文 嘗 金文立 金文 里 金文趨 金文而 金文過 金文庭 金文 曰 金文 学 學 金文辞 金文乎 金文 対 金文曰 金文 未 金文也 金文 不 金文学 學 金文辞 金文 無 金文㠯 以 金文言 金文也 金文 里 金文退 金文而 金文学 學 金文辞 金文也 金文 日 金文有 金文立 金文 里 金文趨 金文而 金文過 金文庭 金文 曰 金文 学 學 金文礼 金文乎 金文 対 金文曰 金文 未 金文也 金文 不 金文学 學 金文礼 金文 無 金文㠯 以 金文立 金文也 金文 里 金文退 金文而 金文学 學 金文礼 金文也 金文 聞 金文斯 金文二 金文者 金文 陳 金文亢 金文退 金文喜 金文曰 金文 問 金文一 金文得 金文三 金文 聞 金文辞 金文 聞 金文礼 金文 又 金文聞 金文君 金文子 金文之 金文遠 金文其 金文子 金文也 金文

※鯉→里・詩→辞。論語の本章は、「獨」の字が論語の時代に存在しない。「聞」「也」「乎」の用法に疑問がある。本章は戦国時代以降の儒者による捏造の可能性が高い。

書き下し

陳亢ちんかう伯魚はくぎよふていはく、またこたへていはく、いまだしなりかつひとてり、はしにはぐ。いはく、まなびたると。こたへていはく、いまだなりと。まなばざらばなりと。退しりぞまなたりひるひとてり。はしにはぐ。いはく、ゐやまなびたると。こたへていはく、いまだなりと。ゐやまなばざらばなりと。退しりぞゐやまなべり。の二しやけりと。陳亢ちんかう退しりぞいてよろこいはく、一をうて三をたり、ゐやき、また君子もののふとほざくるをけるなりと。

論語:現代日本語訳

逐語訳

子禽 孔鯉
陳亢が伯魚に質問して言った。「あなただけが知っている珍しい話はありますか。」答えて言った。「まだありません。しかし以前父が一人で立っていたとき、私・鯉は小走りして庭を通り過ぎようとしました。父が言いました。”詩経を学んだか”と。答えて言いました”まだです””詩経を知らなければ言う言葉がないぞ”。私・鯉は父の前を退いて詩経を学びました。他の日、父が一人で立っていました。私・鯉は小走りして庭を通り過ぎようとしました。父が言いました。”礼法を学んだか”と。答えて言いました”まだです””礼法を知らなければ一人で行動できないぞ”。私・鯉は父の前を退いて礼法を学びました。この二つを聞きました。」

陳亢が伯魚の前を退いて、喜んで言った。「一つを質問して三つを得たぞ。詩と礼の話を聞き、また君子は自分の子を遠ざけると知ったぞ。」

意訳

子貢の門人・子禽が、孔子の息子・孔鯉にたずねた。

子禽「あなたは先生から、何か特別の教えを受けましたか?」
孔鯉「いいえ。ただこういうことがありました。ある日私が庭を通り過ぎると、父が立っていて”詩経を学んだか”といいましたので、”まだです”と答えると、”詩経を知らないと、一人前の口を利くことはできないぞ”。そこで私は詩経を自習しました。」
子禽「ほほう。」
孔鯉「またある日、同じように庭を通り過ぎると、”礼法を学んだか”。”まだです”。”礼法を知らないと、人前でどう振る舞えばいいかわからないぞ”。そこで私は礼法を自習しました。この二つぐらいですかね。」
子禽「そうでしたか。それはどうも。」

子禽は自室に戻って大喜びした。
「一石三鳥だ! 詩を聞き礼を聞き、そして君子は子に冷たいと知ったぞ!」

従来訳

下村湖人

陳亢が伯魚にたずねた。――
「先生もあなたにだけは、何か私共に対するとはちがった特別のご教訓をなさることでしょう。」
伯魚がこたえた。――
「これまでには、まだこれといって特別の教えをうけたことはありません。ただ、いつでしたか、父が独りで立っていましたおり、私がいそいで庭先を通り過ぎようとしますと、私を呼びとめて、詩を学んだか、とたずねました。私が、まだとこたえますと、詩を学ばない人間は話相手にならぬ、と叱りました。それ以来私も詩を学ぶことにしています。またある日、父が一人で立っていました時、私がいそいで庭先を通り過ぎようとしますと、私をよびとめて、礼を学んだか、とたずねました。私が、まだとこたえますと、礼を学ばない人間は世に立つ資格がない、と叱りました。それ以来、私も礼を学ぶことにしています。私が父に特別に何かいわれたことがあるとすると、まずこの二つぐらいのことでしょう。」
陳亢は、伯魚とわかれたあとで、よろこんでいった。――
「今日は一つのことをたずねて、三つのことをきくことが出来た。詩を学ぶことの大切さをきき、礼を学ぶことの大切さをきき、そして、君子は自分の子をあまやかすことがないということをきいたのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

陳亢問伯魚:「你學到了密傳嗎?」伯魚答:「沒有。有一次他一個人站在那,我快步過庭。他問:『學詩了嗎?』我說:『沒有。』『不學詩,就不能掌握說話的技巧。』我回去學詩。又一次他又一個人站在那,我快步過庭。他問:『學禮了嗎?』我說:『沒有。』『不學禮,就不能立足於社會。』我回去學禮,就聽過這兩次。」陳亢回去高興地說:「問一件事,得到三方面收穫:知道詩的作用,禮的作用,又知道了君子並不偏愛自己的兒子。」

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陳亢が伯魚に問うた。「あなたは秘伝を受けたことがあるか。」伯魚が答えた。「ありません。ある時彼が一人であそこに立っていたとき、私は庭を走り過ぎた。彼は問うた。”詩を学んだか。”私は言った。”まだです。””詩を学ばないと、上手な話し方を必ず理解できない。”私は戻って詩を学んだ。またある時彼がまた一人であそこに立っていたとき、私は庭を走り過ぎた。彼は問うた。”礼を学んだか。”私は言った。”まだです。””礼を学ばないと、社会での独り立ちが必ず理解できない。”私は戻って詩を学んだ。つまり聞いたのはこの二度だけです。」陳亢が戻って喜んで言った。「一つのことを問うて、三方面の収穫があった。詩の効用を知り、礼の効用を知り、また君子は実のところ自分の子供だけを愛する事が無いと知った。」

論語:語釈

、「  () 。」 、「 、『 。』 、『 。』『 。』 退 。() () 、『 。』 、『 。』『 。』 退 。」 退 、「 。」


陳亢(チンコウ)

子禽
古来、子貢の門人、子キンのこととされる。藤堂本では「孔子の知人、あざ名は子禽」という。『史記』仲尼弟子列伝には「陳亢」の名がなく、「陳子禽」として子貢との問答を載せる。孔子の直弟子ではない可能性が高い。ここからも、この論語季氏篇の成立が遅いと知れる。

「陳」は連ねること。「亢」は論語では本章のみに登場。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「大(人の姿)の字の略形(亠。人の首にあたるところ)+∥印(まっすぐな首の線)」で、直立するの意味を含む。頏(コウ)・抗(たってふせぐ)・杭(コウ)(まっすぐにたったくい)に含まれる、と言う。

しかし上掲の金文を見ると、語源は違うのではないかと思う。『字通』もまた人ののど首で、動脈を含んだ形であり、首を抗直=こわばらせる姿というが、篆書までしか載せていない。

論語語釈「陳」論語語釈「亢」を参照。

伯魚

伯 金文 魚 金文
(金文)

孔子の一人息子、孔鯉のあざ名。伯の字の初出は甲骨文だが、論語の時代「白」と書き分けられたいない。魚の初出も甲骨文。文字的には論語語釈「伯」論語語釈「魚」を参照。

亦(エキ)

亦 金文 学而 亦 エキ
(金文)

論語の本章では「また」と読んで”(あなた)だけが”。限定の意を示す。論語では”おおいに”の意で用いることがほとんど。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、人間が大の字にたった全形を描き、その両わきの下をヽ印で示した指事文字。わきの下は左に一つ、右にもう一つある。同じ物事がもう一つあるの意を含む、という。詳細は論語語釈「亦」を参照。

異聞→聞

異 金文 聞 金文
(金文)

論語の本章では、”異なった教え”。「聞」はもと間接的に聞くことで、孔子在世当時は直接聞く「聴」と区別されたと考えられるが、ここでは直接聞いたとしないと文意が通じない。従って、やはり時代が下って成立した話と考えられる。初出は共に甲骨文。論語語釈「異」論語語釈「聞」も参照。

乎(コ)

乎 甲骨文 乎 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”…か”と訳し、疑問の意を示す。文末・句末におかれる。初出は甲骨文。甲骨文の字形は持ち手を取り付けた呼び鐘の象形で、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞として用いられたのは、戦国時代以降になる。ただし「烏乎」で”ああ”の意は、西周早期の金文に見え、句末でも詠嘆の意ならば論語の時代に存在した可能性がある。詳細は論語語釈「乎」を参照。

對(対)

対 金文 対
(金文)

論語の本章では”答える”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると文字の右側は楽器を架ける柱で、それに左側の手を加えて二つを組にすること。詳細は論語語釈「対」を参照。

嘗(ショウ)

嘗 金文 味見 嘗
(金文)

論語の本章では”かつて”。初出は西周末期の金文。『学研漢和大字典』によると原義は”味見する”ことだが、やってみることから経験を意味するようになり、”かつて”の意が生まれたという。詳細は論語語釈「嘗」を参照。

獨(トク)

独 金文大篆 独
(金文大篆)

論語の本章では”一人で”。「ドク」は呉音。新字体は「独」。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。部品の蜀に”ひほつ・ひとり”の語釈を大漢和辞典が載せ、初出は甲骨文。ただし”ひとり”の用法は、戦国の竹簡以降にしか物証がない。

『学研漢和大字典』によると蜀は桑の葉に巣食う虫で、それに犬を加えた形。虫が巣食い犬が一匹で番をするように、ある場所からくっついて離れず、他の影響を受けないこと、という。詳細は論語語釈「独」を参照。

鯉(リ)

鯉 古文 鯉
(古文)

孔子の一人息子、孔鯉のこと。文字の初出は後漢の『説文解字』。論語の時代に存在しない。論語の時代、「里」と書き分けられていなかったと想像される。詳細は論語語釈「鯉」を参照。

趨(シュ)

趨 金文 走る 趨
(金文)

論語の本章では”小走りすること”。初出は西周早期の金文。「スウ」は慣用音。漢音は「シュ」、呉音はス(平)、ソク(入)。『学研漢和大字典』によると芻(スウ)は、牧草をぐっとちぢめて束ねたもの。趨は「走(はしる)+(音符)芻」の会意兼形声文字で、間をちぢめてさっさといくこと、という。詳細は論語語釈「趨」を参照。

詩 金文 詩 字解
(金文大篆)

論語では『詩経』のこと。それまでの古歌を孔子が約三百にまとめたとされる歌集だが、孔子の編纂は疑わしい。

初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は「辭」(辞)。『学研漢和大字典』によると、之(シ)(いく)は、止(とまる)と同じく、人の足を描いた象形文字で、直線状に進む、直下に停止する、の意を含む。寺は「寸(手)+〔音符〕之」からなり、手でおし進める、手をじっととめる(持)の両方の意を含む。詩は「言+〔音符〕寺」の会意兼形声文字で、心の進むままをことばであらわしたもの(叙情詩)、心の中にとまった記憶をことばにしてとどめたもの(叙事詩)の両方の意を含む、という。詳細は論語語釈「詩」を参照。

不學詩

直前に「曰く」などがついていないので、孔鯉の発言ともとれるが、それでは文意が通じないので、「不學禮」とともに古来孔子の発言と解する。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”用いる”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

以言

以 金文 言 金文
(金文)

論語の本章では”ものをいう手段”。論語の時代、貴族の会話にはふんだんに古歌が引用され、教養ある会話に詩の素養は不可欠だった。

例えばオックスブリッジ出身者と語るのに、キケロも聖書もシェークスピアも知らなければ、こんにちでも語る相手にされないような事情を指す。別の言い方をすれば、Cはおろかhtmlのタグも打てないようでは、IT業界では人間扱いされない状況を指す。

「以」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「手または人+(音符)耜(シ)(すき)の略体」の会意兼形声文字で、手で道具を用いて仕事をするの意を示す。何かを用いて工作をやるの意を含む、…を、…で、…でもってなどの意を示す前置詞となった、という。詳細は論語語釈「以」を参照。

論語語釈「言」も参照。

退

退 金文 退
(金文)

論語の本章では、”孔子の前を退く”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によるともと「日+夂(とまりがちの足)+辵(足の動作)」の会意文字で、足がとまって進まないことを示す、という。詳細は論語語釈「退」を参照。

礼 金文 揖 拝礼
(金文)

論語の本章では”礼儀作法”。新字体は「礼」。初出は甲骨文。へんのない豊の字で記された。『学研漢和大字典』によると、豊(レイ)(豐(ホウ)ではない)は、たかつき(豆)に形よくお供え物を盛ったさま。禮は「示(祭壇)+(音符)豊」の会意兼形声文字で、形よく整えた祭礼を示す、という。詳細は論語語釈「礼」を参照。

論語の当時、礼法の教科書があったわけではなく、孔子の日常生活そのものが教科書だったから、孔子が息子にこの問いをすること自体が疑わしい。礼を教えたならその自覚があるはずだからだ。「礼法を学んでいないな?」という軽い叱責としても、孔鯉が「退きて礼を学ぶ」にも孔子に教わるしかなく、「退く」のが理屈に合わない。

立(リュウ)

立 甲骨文 立 字解
(甲骨文)

論語の本章では、孔子については”立つ”、孔鯉については”自立する”。初出は甲骨文。「リツ」は慣用音。字形は「大」”人の正面形”+「一」”地面”で、地面に人が立ったさま。原義は”たつ”。甲骨文の段階で”立てる”・”場に臨む”の語義があり、また地名人名に用いた。金文では”立場”・”地位”の語義があった。詳細は論語語釈「立」を参照。

礼法を知らないと人前での所作が分からず、立ち居振る舞いに困ることを言っている。

斯(シ)

斯 金文 ナタ 斯
(金文)

論語の本章では”この”。原義は”切ること”。初出は西周末期の金文。『学研漢和大字典』によると「其(=箕。穀物のごみなどをよりわける四角いあみかご)+斤(おの)」の会意文字で、刃物で箕(ミ)をばらばらにさくことを示す、という。詳細は論語語釈「斯」を参照。

君子

孟子

論語の本章では孔子を指す。極めて異例の用法で、『春秋左氏伝』などにはその例があるが、論語ではここだけ。孔子生前は”貴族”一般を指す普通名詞に過ぎなかったが、孔子より一世紀後の孟子はゆえあって、”道徳的で教養のある人”という面倒くさい語義をなすりつけた。詳細は論語における「君子」を参照。

遠(エン)

遠 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では、”遠ざける”。初出は甲骨文。原義は手に衣を持つ姿で、それがなぜ”遠い”を意味したかは分からない。ただし”遠い”の用例は甲骨文からある。詳細は論語語釈「遠」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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論語の本章は、故事成語「庭訓」の出典となった有名な話ではあっても、とても実話とは思えない。まず上記のように語法が乱れていること、次に同じ言葉や句形の繰り返しがあり、論語の時代の筆記事情に合わないこと、そして子禽が孔子の直弟子ではないと思われるからだ。

孔子の直弟子でないとなると、孔子没後に子貢に付いたのだろうが、孔鯉は孔子に先立っており、時系列が合わない。論語の時代の筆記事情に関わらず載せたにしても、言葉の定型化・回りくどさは孔子の肉声のような、直裁に心に響くものを持っていない。

従って論語の本章は、戦国時代、あるいは漢代の儒者が創作した作文と考えていい。あるいは子禽を悪役に仕立てることで、遠回しに子貢を批判しているのかも知れないが、可能性の域を出ないし、現代の論語読者にとってはどうでもいいことだ。

論語と原始仏典を比較すると、仏典は本章のような定型化と繰り返しが多い。これは仏典が筆写されたものではなく、詠唱するものだったからで、繰り返しにも意味がある。しかし論語は筆写されたもので、そこでの定型化と繰り返しは、もったい付けと格好付けに過ぎない。

文書行政にまみれた帝国の儒者が好みそうなことで、それだけ孔子の言葉や、論語時代の風景からは遠ざかっている。この論語季氏篇は、篇名から現伝論語の中で最も古い部分と考えられるが、それは最も古く成立したことを意味しない。古くから知られた、という事でしかない。

つまり戦国時代の戦乱や始皇帝の焚書や、楚漢戦争の地獄の中で、儒者が後生大事に持っていたのは、こうしたでっち上げ部分だということだ。儒学がメシの種に成り下がったのだ。だからこそ前漢武帝の時代に古論語が発掘された時、疑われずに大歓迎されたのも当然だろう。

この論語季氏篇のように、それまでの伝承が、あまりにつまらなかったからである。

『論語』季氏篇:現代語訳・書き下し・原文
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