論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
邦君之妻、君稱之曰「夫人」。夫人自稱曰「小童」。邦人稱之曰「君夫人」。稱諸異邦曰「寡小君」。異邦人稱之、亦曰「君夫人」*。
校訂
武内本
清家本により、文末に也の字を補う。
定州竹簡論語
國君之妻,君稱之曰夫[人,自]500……君夫人,稱諸異[國曰寡小]君;異國人稱之亦曰君501夫人a。502
- 皇本、高麗本”人”字下有”也”字。
※「國」は漢高祖劉邦の避諱。
→邦君之妻、君稱之曰「夫人」。自稱曰「小童」。邦人稱之曰「君夫人」。稱諸異邦曰「寡小君」。異邦人稱之、亦曰「君夫人」。
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
邦つ君之妻は、君之を稱びて夫人と曰ふ。自ら稱びて小童と曰ふ。邦つ人之を稱びて君夫人と曰ふ。諸ろの異つ邦に稱びて寡小君と曰ふ。異つ邦の人之を稱びて、亦た君夫人と曰ふ。
論語:現代日本語訳
逐語訳
国公の妻は、国公がこれを呼んで夫人と言う。自分を呼んで小童と言う。国の人はこれを呼んで君夫人と言う。諸外国に対して寡小君と言う。外国の人がこれを呼んで、同様に君夫人と言う。
意訳
殿様の奥方を、殿様は夫人と呼ぶ。夫人は自分を小童と呼ぶ。領民は奥方を君夫人と呼ぶ。外交上の儀礼として、中華諸侯国に対しては奥方を、へり下って寡小君と言い表す。反対に外国の人は奥方を、領民と同じく尊んで君夫人と呼ぶ。
従来訳
国君の妻は、国君が呼ぶ時には「夫人」といい、夫人自ら呼ぶ時には「小童」といい、国内の人が呼ぶ時には「君夫人」といい、外国に対しては「寡小君」といい、外国の人が呼ぶ時にはやはり「君夫人」という。
下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
國君的妻子,國君稱她為夫人,夫人自稱為小童,國人稱她為君夫人,國人在外國人面前稱她為寡小君,外國人也稱她為君夫人。
国君の妻を、国君は「夫人」と呼び、夫人は「小童」と自称し、領民は彼女を「君夫人」と呼び、領民は外国人に対しては彼女を「寡小君」と呼び、外国人も彼女を「君夫人」と呼ぶ。
論語:語釈
邦君
論語の本章では”春秋諸国の殿様”。「邦」は春秋諸国のこと。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、左側の字(音ホウ)は、△型の穂の形。邦は、それを音符とし、邑(領地)を加えた会意兼形声文字で、盛り土をした壇上で領有を宣言したその領地。また、国境に盛り土をして封じこめた領地のこと、という。詳細は論語語釈「邦」を参照。
「君」は君主。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると尹は、手と亅印の会意文字。上下を調和する働きを示す。もと、神と人の間をとりもっておさめる聖職のこと。君は「口+(音符)尹(イン)」の会意兼形声文字で、尹に口を加えて号令する意を添えたもの。人々に号令して円満周到におさめまとめる人をいう、という。詳細は論語語釈「君」を参照。
なお論語の時代の諸侯は概してバカ殿だが、君主というのはバカがデフォルトなのであり、「甘やかされて育った者が常識を備えるのは奇跡に近い」と清朝の時代に北京の宮廷を見たイエズス会の宣教師(ガブリエル・デ・マガリャンイス)が書いている。
妻
論語の本章では”(国公の)配偶者・夫人”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると又(て)は、家事を処理することを示す。妻は「又(て)+かんざしをつけた女」の会意文字で、家事を扱う成人女性を示すが、サイ・セイということばは、夫と肩をそろえるあいてをあらわす、という。
(甲骨文)
一方『字通』ではこれを否定し、髪に三本の簪(かんざし)を加えて盛装した姿で、婚儀のときの儀容をいう、とする。最古の甲骨文を参照すると、女性に冠のようなものをかぶせる姿を示しており、婚儀の盛装と言うより身分ある貴婦人を成人させるさま、もしくは貴婦人の婚儀のさまだろう。詳細は論語語釈「妻」を参照。
稱(称)
(金文)
論語の本章では”~と呼ぶ”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は作物をぶら下げて重さを量ること。詳細は論語語釈「称」を参照。
夫人
(金文)
論語の本章では”夫人”。国君の正妻を言う。原義からみると「夫の人」であり、遠回しに言う敬称の一種。文字的には論語語釈「夫」・論語語釈「人」を参照。
小童
(金文)
論語の本章では”わらわ”。国君夫人の自称。「小」は卑下した謙譲語で、「童」はもと視力を奪われた奴隷。「わらわ」と読み下す「妾」も、もとは入れ墨された女奴隷を指す。文字的には論語語釈「小」・論語語釈「童」を参照。
邦人
(金文)
論語の本章では、春秋諸国の住民。自由民=城郭都市内に住む市民だけを指すのか、城外の野人や奴隷も含めるのかは判然としない。ここでは漠然と”領民・その国の住人”と考えてよい。
諸
(金文)
論語の本章では”さまざまの”。初出は西周末期の金文。『学研漢和大字典』による原義は一カ所に大勢の人が集まったさま。音が「之於」(シヲ)に通じるので”これ”の意に転用された。仮に論語の本章が史実とすると、派生義である”これ”よりも原義である”もろもろの”の方に理がある。詳細は論語語釈「諸」を参照。
異邦
「異」(金文)
論語の本章では”他の春秋諸国”。「異」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「大きなざる、または頭+両手を出したからだ」の会意文字で、一本の手のほか、もう一本の別の手を添えて物を持つさま。同一ではなく、別にもう一つとの意、という。詳細は論語語釈「異」を参照。
寡小君
「寡」(金文)
論語の本章では”我が奥方様”。外国に対して謙遜して言う呼称。『学研漢和大字典』による「寡」の原義は独りぼっちの子供。初出は西周早期の金文。詳細は論語語釈「寡」を参照。
国君は自称して「寡人」と言い、臣下は外国に対して国君を「寡君」と言う。いずれも謙遜した言い方。
論語:付記
論語の本章は発言者が誰かも示されず、内容としても他の章とのつながりがない。ここ論語季氏篇は成立は遅いが伝承は古かったと考えられるが、その一章としても体裁が整っていない。おそらく漢代に入ってから現伝の論語が成立する過程で、付け足しに入れられたのだろう。
季氏篇は章の数が14と少なく、体裁を整えるためにどこにも入らなかった話を入れたと思われる。ばっさり切り捨ててしまってもよさそうに思うが、漢代の学界の風潮として、偽作でさえも古記録として尊重された事情があるから、捨てるに捨てられなかったのだろう。
儒者が何と言っているか見てみよう。
孔安國曰…當此之時諸侯嫡妾不正稱號不審故孔子正言其禮也
孔安国曰く、当時国君の正妻とその他の夫人の、秩序や称号が滅茶苦茶になっていたので、孔子が礼に従った言葉で正したのだ。
見てきたようなことを書いている。『春秋左氏伝』によると、正妻とそれ以外の秩序が無茶苦茶だったことは確かなようだが、称号まで乱れていたかどうか。
吳氏曰:「凡語中所載如此類者,不知何謂。或古有之,或夫子嘗言之,不可考也。」
呉棫氏曰く、論語の中にこのような話が入っているのは、何のためだかわからない。あるいは昔からこういう言葉があったのか、それとも孔子先生がかつてこう仰ったのか。考えたくても手がかりがない。
日本の学者では吉川本では朱子が錯簡(他のメモ札が混じること)と言うから錯簡だといい、藤堂本・加地本は何も言わず、宮崎本も錯簡とし、「強いて孔子の言葉としてそこから教訓を引き出そうと努めるにも及ぶまい」という。宇野本は新古の注を素直にコピペしている。
『論語』季氏篇おわり
お疲れ様でした。
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