論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
孔子曰、「生而知之者、上也。學而知之者、次也。困而學之、又其次也。困而不學、民斯爲下矣。」
校訂
宮崎本
「民」→「於」。
定州竹簡論語
孔子曰:「生而知[之a上也,學而知之a其次b];486……又其次也;困而不學,民也c為下d。」487
- 今本”之”下”者”字。
- 其次、今本作”次也”。
- 也、今本作”斯”。
- 今本”下”字下有”矣”字。
→孔子曰、「生而知之、上也。學而知之、其次。困而學之、又其次也。困而不學民也、爲下。」
復元白文(論語時代での表記)
※困→(甲骨文)。論語の本章は也の字を断定で用いているなら、戦国時代以降の儒者による捏造の可能性がある。
書き下し
孔子曰く、生れ而之知るは、上き也/也。學び而之知るは、其の次なり。困み而之學ぶは、又其の次也/也。困み而學ばさるの民也、下しき爲り。
論語:現代日本語訳
逐語訳
孔子が言った。「生まれつき確かに知っている者は、最高だな。学んでようやく知る者は、その次だ。困難に行き当たってやっと学ぶ者は、さらにその次だな。困難に行き当たっても学ばない民は、最低だ。」
意訳
生まれつき賢い者は文句なしに上等だが、普通は学んで知識を得る。それはまあ、悪くない。必要に迫られて学ぶ者も、劣りはするがまだよろしい。だがこの期に及んで学ばない民は、全くもって最低だ。
従来訳
先師がいわれた。
「生れながらにして自然に知るものは上の人である。学んで容易に知るものはその次である。才足らず苦しんで学ぶものは、またその次である。才足らざるに苦しんで学ぶことさえしないもの、これが下の人で、いかんともしがたい。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「生來就知道的,是上等人;學習後才知道的,是二等人;遇到困難才學習的,是三等人;遇到困難也不學習的,這就是下等人了。」
孔子が言った。「生まれつきもう道を知っている者は、これは上等の人だ。学んだ後でやっと道を知る者は、これは第二等の人だ、困難に遭遇してやっと学ぶ者は、これは第三等の人だ。困難に遭遇しても学ばないのは、これこそ下等の人になり果てている。」
論語:語釈
生(セイ)
(甲骨文)
論語の本章では”生まれる”。初出は甲骨文。字形は「屮」”植物の芽”+「一」”地面”で、原義は”生える”。甲骨文で、”育つ”・”生き生きしている”・”人々”・”姓名”の意があり、金文では”月齢の一つ”、”生命”の意がある。詳細は論語語釈「生」を参照。
伝統的論語解釈では「生まれながらにして」と読み下す場合があるが、回りくどいので簡潔な読みを採用した。
而(ジ)
(甲骨文)
論語の本章では”…て、そのときに”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では「知」「学」の目的語ではなく、直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持っていない。強いて意味を取れば強意で、”まさに…だ”。初出は甲骨文。字形は”足を止めたところ”で、原義は”これ”。”これ”という指示代名詞に用いるのは、音を借りた仮借文字だが、甲骨文から用例がある。”…の”の語義は、春秋早期の金文に用例がある。詳細は論語語釈「之」を参照。
者/者
(金文)
現伝の論語の本章では、「~(もの)は」「~とは」とよみ、「~は」「~とは」と訳す。主語を明示して強調する意を示す。原義はたき木がコンロの上で燃えているさま。詳細は論語語釈「者」を参照。
困
(楚系戦国文字)
論語の本章では”苦しむ”。何らかの必要に迫られたり困難に行き当たること。初出は甲骨文。原義は「梱包」と同じく、狭いわくにとらわれること。『学研漢和大字典』によると「囗(かこむ)+木」の会意文字で、木をかこいの中に押しこんで動かないように縛ったさまを示す。縛られて動きがとれないでこまること、という。詳細は論語語釈「困」を参照。
民(ビン)
(甲骨文)
論語の本章では”たみ”。初出は甲骨文。「ミン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は〔目〕+〔十〕”針”で、視力を奪うさま。甲骨文では”奴隷”を意味し、金文以降になって”たみ”の意となった。唐の太宗李世民のいみ名であることから、避諱して「人」などに書き換えられることがある。唐開成石経の論語では、「叚」字のへんで記すことで避諱している。詳細は論語語釈「民」を参照。
民斯爲下矣→民也為下
現伝論語の原文は「民斯爲下矣」。「民斯を下と為す矣」と訓み下し、”民はそのような者=行き詰まっても学ばない者を下だとする”、の意とされる。表面上の翻訳に困難はないが、これよりも前の内容と合わない。ゆえに宮崎本は以下のように言い、民を於に改めている。
民は斯れを下と為す、とはいったい何を言おうとしているのか、その主眼が理解できないのである。そういう者は民の中でも下等だ、民というものはそういう下等な者だ、民間でもそういう者を下等だと思う、など色々に工夫してもどうも落ち着かない。
文章として上から読み下してみると、民という字の出現が抑も唐突である。ここに何かの誤があるのではないか。そこで論語の中でこれに煮た語気の文句を探してみると、泰伯第八に
舜有臣五人而天下治。武王曰、予有亂臣十人。孔子曰、才難。不其然乎。唐虞之際、於斯爲盛。
舜に臣五人あり、而して天下治まる。武王曰く、「予に乱臣十人あり」と。孔子曰く、「才難し、とは其れ然らずや。唐虞の際、斯に於いて盛んと為す。」
とあって、周は武王の時に、唐虞の時代が再現して、全盛を極めたことを、於斯爲盛という四字の常套句で表現したと考えられる。
果たして然らば、民斯爲下、の民は誤であって、これを於に改めると、於斯爲下、これが最低である、となって文勢も意味もよく疎通する。上から次、次から又其次、又其次から最低へと下って行くのである。(宮崎市定『論語の新研究』)
この混乱の原因は、後漢儒がもったいぶって「斯」だの「矣」だのをくっつけたことで、定州竹簡論語では上掲の通り、「(困而不學)民也爲下」=”(困っても学ばないような)民は最低だ”となっており、従来の読点が間違っていたと判明する。宮崎博士のバクチは外れだった。
後漢儒のデタラメは毎度のことで今に始まったわけではないが、ただし少なくとも南北朝の頃までの儒者は、文意は正確に読み取っていた。
困而不學民斯為下矣者謂下愚也既不好學而困又不學此是下愚之民也故云民斯為下也
「困而不學民斯為下矣」とは、最低のバカを言った。もともと勉強嫌いの上に、困っても学ばないようなやからは、最低のバカな民と言ったのだ。だから「民の中でも最低のやから」と言ったのだ。(『論語集解義疏』)
ついでに新注も記しておこう。
困,謂有所不通。言人之氣質不同,大約有此四等。楊氏曰:「生知學知以至困學,雖其質不同,然及其知之一也。故君子惟學之為貴。困而不學,然後為下。」
困とは、上手く行かないことを言う。本章のこころは、人の気質はそれぞれだが、だいたい四等に分けられる、ということだ。楊時曰く、「生得の知、学んでの知から、困ってから学んで得た知まで、その質は異なっているが、それでも知の一部には違いない。だから君子はただ学ぶことのみを貴いとみなす。困っても学ばないのなら、そう判明した後で下等と見下げる。」(『論語集注』)
矣(イ)
(金文)
論語の本章では、”(きっと)…である”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。
論語:付記
論語の本章は、孔子が言ってもおかしくない話で、問題点は「也」の用法のみ。隋による中国統一(589)ごろ成立の『顔氏家訓』では、也の字が落ちている。
且又聞之生而知之者上學而知之者次所以學者欲其多智明達耳
また次のようにも聞いている。生まれながらに智恵のある者は上等で、学んで智恵を得る者は次ぐ、と。だから学問をする者はひたすらに、智恵の多さと明らかな判断力を求めるのだ。(『顔氏家訓』巻上17)
言うまでも無いことだが、『顔氏家訓』は定州竹簡論語の成立した前漢宣帝期(BC74-BC49)よりはるか後の本であり、それを理由に論語の本章の也を省けるわけではない。ただしこのような異文もあった、と指摘できるに止まる。
上掲宮崎説「民」→「於」について藤堂本では誤字説を取らず、「民」を「ひと」と読み、”それは人間のくずである”と激しい訳を提示している。この解釈には、漢字の語源の点から見て一理ある。
「民」の原義は藤堂説=『学研漢和大字典』では、目を潰された奴隷であり、無知な人を指し、『字通』もそれを支持するからだ。しかしここでさらに句読の区切りを改めて、”民がそういう人を下等という”ではなく、「民」=”ひと”のまま、被修飾語として扱えばどうなるか。
と読める。”行き詰まっても学ばないような無知な者は、これこそ下等となるのだ”の意。これで宮崎説のように誤字と決めつけなくても、素直に読めるようになった。結局定州竹簡論語もにもそのような文意で書いてあったわけで、原文をいじくり回す必要は無い。
また日中の異本の校訂の精華である武内本は、本章原文の異同について何も記していないので、宮崎説のように誤字とする根拠はやはり乏しい。つまり論語の古い版本、漢石経の残石・唐石経・日本の清家本・足利本系の論語義疏には、「民」と記されているのだろう。
現に訳者の手元にある論語義疏(中華書局版。足利本の流れを引く懐徳堂本)には、きっちり「民」の字が記されている。それをふまえて武内本も、藤堂本同様「民」を「ひと」と読んではいるが、句読は伝統的な読みに従い「民これを下となす」と下している。
さてそこで、漢文読解の有力なツールである対句を考えてみる。文革のスローガン「革命無罪」をはじめとして、中国語は4字句になると調子がよい。ここで論語本章の対句を考えると、「民」はただふらりと入り込んだ余計な字で、省いて読むべきではないかと思えてくる。
生而知之者、上也。(5語-2語)
學而知之者、次也。(5語-2語)
困而學之、又其次也。(4語-4語)
困而不學、(民)斯爲下矣。(4語-もと4語?)
この場合、「困しみて学ばざる、これ下となるなり」と読み、”必要に迫られても学ばない、これこそまさに最低だ”の意となる。論語は、なにせ2,500年も前の本だから、一字や二字、余計な字が混ざり込んでも不思議はない。訳者は案外、これが真相ではないかと思っている。
コメント
井波律子さんの「論語入門」を読んでいて何点か違和感があり、ここに辿り着きました。
井波氏の訳より納得できました。助かりました。