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論語詳解431季氏篇第十六(14)善を見て*

論語季氏篇(14)要約:善事を求め悪事からは手を引く。そんな人は世にありうる善人で、珍しいと言うほどではない。しかし世を捨てて自分の道を追い求め、筋を通して生き方を貫いた人は噂にしか聞かない、とニセ孔子先生の世間観。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

孔子曰、「見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣、吾聞其語矣。隱居以求其志、行義以達其道。吾聞其語矣、未見其人也。」

校訂

定州竹簡論語

子曰:「見善如弗及,見不善如探湯。[吾見其人矣],490……其語矣。隱居以[求其志,行義以通a其道。[吾聞其]491……其人也。」492

  1. 通、今本作”達”。

→孔子曰、「見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣、吾聞其語矣。隱居以求其志、行義以通其道。吾聞其語矣、未見其人也。」

復元白文(論語時代での表記)

孔 金文子 金文曰 金文 見 金文善 金文如 金文不 金文及 金文 見 金文不 金文善 金文如 金文湯 金文 吾 金文見 金文其 金文人 金文矣 金文 吾 金文聞 金文其 金文語 金文矣 金文 居 挙 舉 金文㠯 以 金文求 金文其 金文 行 金文義 金文㠯 以 金文速 金文其 金文道 金文 吾 金文聞 金文其 金文語 金文矣 金文 未 金文見 金文其 金文人 金文也 金文

※隱→陰。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。「以」「行」「也」の用法に疑問がある。本章は漢帝国の儒者による創作である。

書き下し

孔子こうしいはく、ぜんてはおよばざるがごとくし、不善ふぜんてはさぐるがごとくす。われひとわれことのはかくこころざしもとめ、おこなひてみちとほす。われことのはも、いまひとざるなり

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 肖像
孔子が言った。「よい行為を見て、及ばないように思い、よくない行為を見て、湯の中のものを探るように急いで手を引く。私はそのような人を見たことがあるし、そのような話を聞いたことがある。隠れ住んで自分の望ましい人生を求め、筋の通った行為でその生き方を達成する。私はそのような話を聞いたことがあるが、そのような人にまだ会ったことがない。」

意訳

論語 孔子 人形
善事をまねようと急ぎ、悪事も煮え湯から手を引くように急ぐ。そんな人に会ったことがあるし、噂を聞いたこともある。だが世を捨てて自分の生き方を追い求め、筋を通してそれを貫いた人は、噂には聞くが会ったことがない。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。
「善を見ては、取りにがすのを恐れるようにそれを追求し、悪を見ては、熱湯に手を入れるのを恐れるようにそれを避ける。――そういう言葉を私はきいたことがあるし、また現にそういう人物を見たこともある。しかし、世に用いられないでも初一念を貫き、正義の実現に精進して、道の徹底を期する、というようなことは、言葉ではきいたことがあるが、まだ実際にそういう人を見たことがない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「見到善良,要象趕不上似的;見到不善,要象被水燙了似的。我見到過這樣的人,我聽到過這樣的話。隱居起來尋求自己的志向、維護正義實現自己的理想,我聽到過這樣的話,沒見到過這樣的人。」

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孔子が言った。「善良な人を見たら、到底及ばないように振る舞え。不全の人を見たら、熱湯をかぶったように振る舞え。私はそのような人を見たことがあるし、そのような話を聞いたことがある。世から隠れ住んで自分の道を追い求め、正義を護持して自分の理想を実現する、私はそんな話を聞いたことがあるが、そのような人に出会ったことはない。」

論語:語釈

見 金文 バードウォッチング 見
(金文)

論語の本章では”見る”。初出は甲骨文。同じ”みる”でも、「見」は自発的・自然に現れたものを他者としてみること。また、”現れる”語義の方が先行し、”見る”の語義は派生義。詳細は論語語釈「見」を参照。

善 金文 善 字解
(金文)

論語の本章では”よい(こと・人)”。初出は西周末期の金文。周はもと羊飼いの部族だったことから、羊にまつわってよい意味を表す漢字が「美」などほかにもある。詳細は論語語釈「善」を参照。

『字通』によれば「善」はもと羊を用いた神判を指し、神に愛でられることを言った。「のち神意にかなうことをすべて善といい、また徳の究極をいう語となった」とあり、徳とは身につけた人間の機能を言う。論語における「徳」を参照。

しかしここ論語季氏篇は成立が戦国時代まで下るので、単に”よい”と解釈した。

如 古文 如 字解
(古文)

論語の本章では”~のようにする”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「口+〔音符〕女」の会意兼形声文字で、もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもない物をさす指示詞に当てる、という。詳細は論語語釈「如」を参照。

及 金文 及 解字
(金文)

論語の本章では”同列に並ぶ・同様になる”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると原義は逃げる人の背に手が追いつくこと。詳細は論語語釈「及」を参照。

探 古文 洞窟 探
(古文)

論語の本章では”探る”。初出は定州竹簡論語。確実な初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は無い。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、右側はもと「穴(あな)+又(て)+火」からなり、穴の奥の火を手でさぐり出すさまをあらわす。探はそれを音符とし、手を加えた字で、手をふかく入れてさぐること、という。

『字通』も同様に、声符の罙(シン)に穴の中に火をかざしてものを照らし探す意があり、さぐる、さがす、たずねるの意。また幽冥の理を考える事も指す、という。詳細は論語語釈「探」を参照。

湯 金文 間欠泉 湯
(金文)

論語の本章では”煮えたぎった湯”。初出は西周中期の金文

『学研漢和大字典』によると会意兼形声。昜(ヨウ)は「日+T印(上へとあがる)」の会意文字で、太陽が勢いよくあがること。陽や揚(あがる)の原字。湯は「水+(音符)昜」で、ゆが勢いよく蒸気をあげてわきたつことを示す、という。詳細は論語語釈「湯」を参照。

『学研漢和大字典』では「探湯」について本章を引いて、「人がわきたった湯に手を入れればすぐにその手をひっこめるように、悪事から離れることの早いこと」という。

また日本語での特殊な意味として、「昔の、正邪をきめる方法の一つ。神にちかってから熱湯の中に手を入れさせ、その手に傷がつくかつかないかによって、正邪を判断した」とあるが、いわゆる「盟神探湯くがたち」は、論語の時代の中国もおそらく同様の神判が行われたのだろう。

吾(ゴ)

吾 甲骨文 吾 字解
(甲骨文)

論語の本章では”わたし”。初出は甲骨文。字形は「五」+「口」で、原義は『学研漢和大字典』によると「語の原字」というがはっきりしない。一人称代名詞に使うのは音を借りた仮借だとされる。詳細は論語語釈「吾」を参照。

春秋時代までは中国語にも格変化があり、一人称では「吾」を主格と所有格に用い、「我」を所有格と目的格に用いた。しかし論語でその文法が崩れ、「我」と「吾」が区別されなくなっている章があるのは、後世の創作が多数含まれているため。

なお『論語之研究』によると、斉に伝わった原・論語の一部分である先進篇~衛霊公篇、および子張篇・堯曰篇では格にかかわらず一人称に「予」が使われることを指摘している。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それ”という指示詞。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。かごに盛った、それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”…し終えた”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。

聞 金文 ラジオ 聞
(金文)

論語の本章では”聞く”。初出は甲骨文。同じ「きく」でも、間接的に聞くことを表す。現代中国語でニュースを「新聞」というのはその一例。詳細は論語語釈「聞」を参照。

語 金文
(金文)

論語の本章では”話・伝聞”。初出は春秋末期の金文。論語の時代にギリギリ存在しなかった可能性がある。『学研漢和大字典』によると吾(ゴ)は、「口+音符五(交差する)」からなり、AとBが交差して話し合うこと。のち、吾が我(われ)とともに一人称をあらわす代名詞に転用されたので、語がその原義をあらわすこととなった。語は「言+音符吾」の会意兼形声文字、という。詳細は論語語釈「語」を参照。

隱/隠(イン)

隠 金文大篆 隠
(金文大篆)

論語の本章では”隠れる”。土壁に籠もって隠れることを言う。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はʔi̯ən(ʔは空咳の音に近い)で、同音に殷”さかん”・慇”ねんごろ”と、隱を部品とした漢字群。論語時代の置換候補は陰ʔi̯əm(平)。詳細は論語語釈「隠」を参照。

居 金文 居
(金文)

論語の本章では”住まう”。初出は春秋時代の金文。『学研漢和大字典』によると原義は腰を下ろして落ち着くこと。詳細は論語語釈「居」を参照。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

通常は下に目的語を持つが、この場合はそれ以前の文意全体となる。

求 金文 虎の敷物 求
(金文)

論語の本章では”求める”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は身にまとう動物の毛皮。ズレ落ちないようにキュウと引き締めること。詳細は論語語釈「求」を参照。

志(シ)

志 金文 志 字解
(金文)

論語の本章では”こころざし”。『大漢和辞典』の第一義も”こころざし”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は”知る”→「識」を除き存在しない。字形は「止」”ゆく”+「心」で、原義は”心の向かう先”。詳細は論語語釈「志」を参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”行う”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。

義 金文 レール 義
(金文)

論語の本章では”筋の通った行為”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は、角の立ったノコギリと、よいものの象徴として羊を加えた言葉で、角目の立ったよいこと。詳細は論語語釈「義」を参照。

青銅 我

「我」全長24.3cm・幅10.3cm・重量300g 陝西省扶風県法門郷荘白村出土 扶風県博物館蔵

達→通

達 金文 達成
(金文)

論語の本章では”達成する・成し遂げる”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は辶=道+羊で、羊は安産の象徴、すらすらと事が通ること。詳細は論語語釈「達」を参照。

定州竹簡論語の「通」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると用(ヨウ)は「卜(棒)+長方形の板」の会意文字で、棒を板にとおしたことを示す。それに人を加えた甬(ヨウ)の字は、人が足でとんと地板をふみとおすこと。通は「辶(足の動作)+(音符)甬」の会意兼形声文字で、途中でつかえてとまらず、とんとつきとおること、という。詳細は論語語釈「通」を参照。

道(トウ)

道 甲骨文 道 字解
「道」(甲骨文・金文)

論語の本章では”生き方”。動詞で用いる場合は”みち”から発展して”導く=治める・従う”の意が戦国時代からある。”言う”の意味もあるが俗語。初出は甲骨文。字形に「首」が含まれるようになったのは金文からで、甲骨文の字形は十字路に立った人の姿。「ドウ」は呉音。詳細は論語語釈「道」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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論語の本章について武内本は、「見善如不及、見不善如探湯、及び隱居以求其志、行義以達其道の二語は蓋し古語」という。

訳者としては本章に特に付け足すことはないが、「探湯」という言葉は先秦両漢時代の文献にはほとんど見られず、あっても論語を引いている事例がほとんど。そうではない事例として、孔子のウンチク語りとその役立たずをからかった話が『列子』湯問篇にある。

孔子東游,見兩小兒辯鬭。問其故,一兒曰:「我以日始出時去人近,而日中時遠也。」一兒以日初出遠,而日中時近也。一兒曰:「日初出大如車蓋,及日中,則如盤盂,此不為遠者小而近者大乎?」一兒曰:「日初出滄滄涼涼,及其日中,如探湯,此不為近者熱而遠者涼乎?」孔子不能決也。兩小兒笑曰:「孰為汝多知乎?」

孔子が東方を旅していると、道ばたで子供が二人言い争いをしている。

孔子 微笑み
孔子:どうしたのじゃな?

子供1:お天道様は日の出の時に近く、昼は遠いと思うんです。
子供2:違うよ。日の出の時に遠く、昼は近いんだよ。

子供1:だって日の出の時には車の傘のように大きいけど、昼はお盆ぐらいにしか見えないじゃないか。
子供2:ウソだい。日の出には涼しいのに、昼は湯を探るように暑いじゃないか。暑い方が近いに決まっているよ。

孔子は争いをさばけなかった。
孔子 とぼけ

子供1・2:おじさん、それでもモノ知りなの?

なおもう一例、針灸の医学書『黄帝内経』九鍼十二原篇にこうある。

刺諸熱者,如以手探湯;刺寒清者,如人不欲行。

熱を出した患者は、湯を探るように扱い、体の冷え切った患者は、手を出したがらない人のつもりで扱う。

論語の本章も、”腫れ物に手を触るように”と訳せないこともないが、やはり急いで手を引っ込める、と解した方がいいだろう。

『論語』季氏篇:現代語訳・書き下し・原文
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