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論語詳解427季氏篇第十六(10)君子に三つの戒’

論語季氏篇(10)要約:若い頃は情緒不安定だから、色事に注意しなさい。成人する頃は感情が高ぶるので、ケンカに注意しなさい。老いると心細さから物欲に走りがちなので、それも注意しなさい。

    (検証・解説・余話の無い章は未改訂)

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

孔子曰、「君子有三戒、少之時、血氣未定、戒之在色。及其壯也、血氣方剛、戒之在鬭。及其老也、血氣既衰、戒之在得。」

校訂

定州竹簡論語

]子曰:「君子有三戒:481……其狀a也,[血氣方剛,戒之]在鬬;及其老也,血[氣既衰,戒]482在得。」483

  1. 狀、今本作”壯”。同音、狀借為壯。

狀dʐʰi̯aŋ(去)壯tʂi̯aŋ(去)。またもや大陸中国の学者がデタラメを書いていることになる。ただし現代北京語ではともにzhuàng。


→孔子曰、「君子有三戒、少之時、血氣未定、戒之在色。及其狀也、血氣方剛、戒之在鬭。及其老也、血氣既衰、戒之在得。」

復元白文(論語時代での表記)

孔 金文子 金文曰 金文 君 金文子 金文有 金文三 金文戒 金文 少 金文之 金文時 金文 血 金文气 乞 金文未 金文定 金文 戒 金文之 金文在 金文色 金文 及 金文其 金文也 金文 血 金文气 乞 金文方 金文剛 金文 戒 金文之 金文在 金文鬥 甲骨文 及 金文其 金文老 金文也 金文 血 金文气 乞 金文既 金文衰 金文 戒 金文之 金文在 金文得 金文

※鬭→鬥(甲骨文)。論語の本章は狀の字が論語の時代に存在しないが、おそらく「狀」は「壯」の誤字。「之」「方」の用法に疑いがある。本章は戦国時代以降の儒者による捏造の疑いがある。

書き下し

孔子こうしいはく、「君子もののふに三つのいましめ有り。わかときいまさだまらず、これいましむるはいろり。さかんなるにおよまさかたし、これいましむるはあらそひにり。おいおよすでおとろふ、これいましむるはるにり。」

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子
孔子が言った。「諸君には三つの戒めごとがある。若い頃は、感情が落ち着かず、その戒めるべきは色事にある。君子が壮年になると、感情が堅く強いので、その戒めるべきはいさかいにある。君子が老年になると、感情はすでに衰えているので、その戒めるべきは物欲にある。」

意訳

孔子 水面
諸君。若い頃は自我に振り回されて情緒が安定しないから、色事に気を付けなさい。成人したら感情が猛り狂うことが多いので、ケンカをしないように気を付けなさい。老いたら感情は衰えるが、寂しさから物欲に走りがちなので気を付けなさい。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「君子に戒むべきことが三つある。青年時代の血気がまだ定まらないころに戒むべきは性慾である。壮年時代の血気が最も盛んなころに戒むべきは闘争である。老年時代の血気がおとろえるころに戒むべきは利慾である。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「君子有三件事要警戒:年輕時,血氣還不成熟,要戒女色;年壯時,血氣正旺盛,要戒爭斗;年老時,血氣已衰落,要戒貪婪。」

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孔子が言った。「君子には三つの用心すべき事がある。若い頃は、血気盛んな割には成熟していないので、女色を戒める必要がある。壮年の頃は、血気が満ちあふれる頂点なので、闘争を戒める必要がある。老いた頃は、血気がすでに衰えているので、むさぼり取ることを戒める必要がある。」

論語:語釈

君子

君子 諸君 孔子 孟子

論語の本章では”(孔子塾生)諸君”。”情け深い教養人”という偽善的な語義は、孔子から一世紀のちの孟子によるでっち上げ。詳細は論語における「君子」を参照。

戒 金文 戒 解字
(金文)

論語の本章では”戒めるべき事”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「戈(ほこ)+りょうて」の会意文字で、武器を手に持ち、用心して備えることを示す、という。詳細は論語語釈「戒」を参照。

少 金文 少 解字
(金文)

論語の本章では”若い”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「小(ちいさくけずる)+ノ印(そぎとる)」の会意文字で、削って減らすこと。のち、分量や数が満ち足りない意に用い、年齢の満ち足りないのを少年という、という。詳細は論語語釈「少」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では、「少之時」などでは”…の”。修飾する関係を示し、名詞節を作る。「戒之在」では、直前の内容を示す指示代名詞。初出は甲骨文。字形は”足を止めたところ”で、原義は”これ”。”これ”という指示代名詞に用いるのは、音を借りた仮借文字だが、甲骨文から用例がある。”…の”の語義は、春秋早期の金文に用例がある。詳細は論語語釈「之」を参照。

血氣(ケッキ)

血 金文 気 金文
(金文)

論語の本章では、”物事に激しやすい盛んな意気”。はやりごころ、血の気。

「血」は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文

血 解字
『学研漢和大字典』によると象形文字で、深い皿(サラ)に、祭礼にささげる血のかたまりを入れたさまを描いたもので、ぬるぬるとして、なめらかに全身を回る血、という。詳細は論語語釈「血」を参照。論語語釈「気」も参照。

定(テイ)

定 甲骨文 定 字解
(甲骨文)

論語の本章では”落ち着く”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。初出は甲骨文。字形は「宀」”屋根”+「𠙵」”くち”+「之」”あし”で、甲骨文の字形には「𠙵」が「曰」”言う”になっているものがある。神聖空間に出向いて宣誓するさまで、原義は”おきて”・”さだめ”。甲骨文では地名に用い、金文では地名のほか”安定”、戦国の金文では”落ち着く”の意に用いた。詳細は論語語釈「定」を参照。

在 金文
(金文)

論語の本章では”~に存在する・~が要点である”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると才(サイ)の原字は、川の流れをとめるせきを描いた象形文字で、その全形は形を変えて災(成長進行を止める支障)などに含まれる。才は、そのせきの形だけをとって描いた象形文字で、切り止める意を含む。在は「土+(音符)才」の会意兼形声文字で、土でふさいで水流を切り止め進行を止めること。転じて、じっと止まる意となる、という。詳細は論語語釈「在」を参照。

壯/壮→狀/状

壮 金文 壮 解字
(金文)

論語の本章では”体格も精神も充実した年ごろ”。初出は戦国早期の金文。論語の時代に存在しない。不思議なことに同音の莊の初出は春秋中期の金文。これが論語時代の置換候補となる。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、爿(ショウ)は、寝台にする長い板を縦に描いた象形文字。長い意を含む。壯は「士(おとこ)+(音符)爿」で、堂々とした背たけの長い男のこと。また、堂々と体格の伸びた意から、勇ましい意を派生する、という。詳細は論語語釈「壮」を参照。

定州竹簡論語の状は、いくら辞書を引いても”さかん・成人した”の語義が無い。だが論語の本章が、「少之時」「及其老」とあることから、「及其狀」は”壮年になって”と解するほかは無いのだが、語義と整合性が無い。これにつじつまをつけるには、竹簡の筆者が「壯」と間違えたか、発掘した大陸中国の研究者が釈文を「狀」と間違えたと考えるしかない。

「狀」の初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はtʂi̯aŋ(去)。同音は床(平)のみ。『大漢和辞典』で音ジョウ訓かたちに相ɕi̯o(去)があるが、上古音で音通するとはとうてい言えない。辞書的には論語語釈「状」を参照。

要するに、「狀」は「壯」の誤字である。

方 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では、”今にも~しようとする”。この語義は戦国時代以降にしか見られない。初出は甲骨文。原義は諸説あって明らかにしがたい。ただし甲骨文の時代から、”方角(の国)”・”四角”・”面積”の意がある。詳細は論語語釈「方」を参照。

剛 金文
(金文)

論語の本章では”堅く強い”。初出は甲骨文。原義は『学研漢和大字典』によるとはがねの事だが、はがねが武器や道具として普及したのは、漢代まで下がる。春秋戦国時代までは、鉄は主に鋳鉄として使われた。ただし鉄を熱して急冷するとはがねになることは、論語の時代でも知られていた。論語の時代と前後して、西の辺境の秦国から石鼓文が発掘されているのがその証拠で、石は鋼が登場するまで刻めなかった。

辞書的には論語語釈「剛」を参照。

鬭(闘)

闘 篆書
(篆書)

論語の本章では”いさかい”。論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。部品の鬥が語義を共有する。『春秋左氏伝』によると、論語の時代の貴族は古代人らしく、怒ると容易に武器や私兵を持ち出して私闘に及んだ。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、中の部分の字(音ジュ)は、たてる動作を示す。鬪は、それを音符とし、鬥(二人が武器を持ってたち、たたかうさま)を加えた字で、たちはだかって切りあうこと、という。詳細は論語語釈「闘」を参照。

この文字は甲骨文・金文には見られないが、楚の人名として闘穀於菟トウコクオトが知られ、同一人物は論語公冶長篇18で令イン子文として登場する。

既 金文
(金文)

論語の本章では”すでに”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、旡(キ)は、腹いっぱいになって、おくびの出るさま。既はもと「皀(ごちそう)+(音符)旡」で、ごちそうを食べて腹いっぱいになること。限度まで行ってしまう意から、「すでに」という意味を派生する、という。詳細は論語語釈「既」を参照。

衰 金文
(金文)

論語の本章では”衰える”。初出は西周期の金文。『学研漢和大字典』によると「衣+みのの垂れたさま」の会意文字で、みののように、しおたれたの意を含む。力なく小さくしおれること、という。詳細は論語語釈「衰」を参照。

得 金文
(金文)

論語の本章では”得ること”=物欲。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると箇(トク)は「貝(かい)+寸(て)」の会意文字で、手で貝(財貨)を拾得したさま。得は、さらに彳(いく)を加えた会意兼形声文字で、いって物を手に入れることを示す、という。詳細は論語語釈「得」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章では、「之」の用法に目をつぶれば、孔子が言ったとしてもおかしくない話で、後世の儒者が孔子晩年の言葉として伝えられてきた話を、論語の一章として記載したものかもしれない。現代にも通用する普遍的な価値があり、身に覚えのある人も多いはず。

なお論語の本章について、清儒・方観旭は、『論語集釋』に引く『論語偶記』で次のように言う。

皇侃の注釈には、「老とは五十歳以上を言う」とある。これは儒教経典の「衰」の字を根拠にした説で、『礼記』曲礼篇に言う「七十歳になったら老という」のとは歳が足りない。『礼記』王制篇には「五十歳で衰が始まる」とあるが、これは衰え始めるのであって、すでに衰えたことを意味しない。

この五十歳というのは、古人が大夫の職などについて、初めて政治に関わる歳でもあった(『礼記』曲礼12内則80)から、国家がすでに衰えた人をそんな重職につけるわけがない。それに論語の本文で言うような欲ボケの人を、政治家にする理由がどこにある?

孔穎達は『礼記』に注をつけてこう言った。「六十歳というのは老境ではあるが、全くの老人というわけでもない」と。これは五十歳で老人呼ばわりすることの誤りを証している。孟子は「七十歳になったら、柔らかい絹を着、栄養のある肉を食べるべきだ」と言ったし、「老人にこそ衣や肉を与えよ」と言った。これもまた、老人と言えるのは七十歳からであることを証明している。

実に下らない。論拠としている『礼記』のたぐいが、そもそも漢儒が商売のためにでっち上げたニセモノで、ニセモノが言えばそれが「証明」としてまかり通ったわけだ。

儒者
現代日本人が「学者」と聞けば、大方は白衣を着た科学者を想像すると思いたいが、前近代中国ではこういう御託を書き連ねる連中が学者よ大儒よと奉られた。その妄想はアヘン戦争で崩されたはずだが、現代中国も現代日本も、漢文業界は変わらぬまま今に至っている。

余話

(思案中)

『論語』季氏篇:現代語訳・書き下し・原文
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