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論語詳解430季氏篇第十六(13)君子に九の思*

論語季氏篇(13)要約:君子が行動を起こす際には、必ず考えが伴っていなければならない、とニセ孔子先生。見る際には…聞く際には…とお説教が続きます。まとまっていて分かりはいいのですが、孔子塾のライブと比べるとうんざり感が。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

孔子曰、「君子有九思、視思明、聽思聰、色思溫、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義。」

校訂

定州竹簡論語

子曰:「君子有九思:視思[明,聽思聰,色思溫,貌]488……思忠,事思敬,[疑思問,忿]思難,見得思。」489

復元白文(論語時代での表記)

孔 金文子 金文曰 金文 君 金文子 金文有 金文九 金文思 金文 視 金文思 金文明 金文 聴 金文思 金文 色 金文思 金文温 甲骨文 貌 金文思 金文兢 金文 言 金文思 金文 事 金文思 金文敬 金文 疑 金文思 金文問 金文 奮 金文思 金文難 金文 見 金文得 金文思 金文義 金文

※溫→(甲骨文)・恭→兢・忿→奮。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。

書き下し

孔子こうしいはく、君子もののふきうおもり。るにあきらかなるをおもひ、くにさときをおもひ、いろあたたかなるをおもひ、かたちゐやおもひ、ことのはただしきをおもひ、ことつつしみをおもひ、うたがはしきはひをおもひ、忿いかりうれひおもひ、るをてはただしきをおもふ。

論語:現代日本語訳

逐語訳

論語 孔子 人形
孔子が言った。「君子には九つの思うべき事がある。観察は明瞭であることを思い、聞く際には明瞭であることを思い、表情は温和であることを思い、動作は慎み深いことを思い、発言は偽りのないことを思い、仕事は丁寧であることを思い、疑問は問いただすことを思い、発作的な怒りには後難を思い、利益を得る機会には筋が通っているかを思う。」

意訳

同上

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「君子には九つの思いがある。見ることは明らかでありたいと思い、聴くことはさとくありたいと思い、顔色は温和でありたいと思い、態度は恭しくありたいと思い、言語は誠実でありたいと思い、仕事は慎重でありたいと思い、疑いは問いただしたいと思い、怒れば後難のおそれあるを思い、利得を見ては正義を思うのである。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「君子有九種事情要考慮:看要考慮是否看清楚了、聽要考慮是否聽清楚了、臉色要考慮是否溫和、表情要考慮是否謙恭、言談時要考慮是否忠誠、工作時要考慮是否敬業、疑問時要考慮請教、憤怒時要考慮後患、見到好處時要考慮道義。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「君子には九種類の考慮すべき事情がある。見て是非を判断するには明瞭に見るべきで、聞いて是非を判断するには明瞭に聞くべきで、容貌の是非は温和を正しいとし、表情の是非はへりくだりを正しいとし、語るときの是非は忠実を正しいとし、仕事の是非は丁寧を正しいとし、疑問のある時は教わろうと願い、怒ったときには後難を考え、利益に出会ったら道義を考える。」

論語:語釈

君子

孟子

論語の本章では、後世の創作が確定していることから、”教養人を兼ねる為政者およびそれを志す者”。この語義は孔子から一世紀のちの孟子による創作で、孔子在世当時は”貴族”を意味したか、弟子に対する”諸君”との呼びかけ。詳細は論語における「君子」を参照。

思 金文大篆 猫 悩み
(金文大篆)

論語の本章では”~に際して思うべき事”。初出は春秋末期の金文。同音に「司」があり、”うかがう”の語釈を『大漢和辞典』は載せ、甲骨文から存在する。『学研漢和大字典』によると、㐫(シン)は、幼児の頭に泉門(㐫門)のある姿。俗にいうおどりこのこと。思は「㐫(あたま)+心(心臓)」の会意文字で、おもうという働きが頭脳と心臓を中心として行われることを示す。小さいすきまを通して、ひくひくとこまかく動く意を含む、という。詳細は論語語釈「思」を参照。

視 金文 防犯カメラ 視
(金文)

論語の本章では”観察する”。真っ直ぐに見ること。初出は甲骨文。つくりの「見」は”目立つ・現れる”が原義で、対象を”みる”の意になったのはむしろ派生義。『学研漢和大字典』によると「見+(音符)示(シ)」の形声文字で、まっすぐみること、という。詳細は論語語釈「視」を参照。

明 金文 子張6 明
(金文)

論語の本章では”白日の下にさらしたようにあきらかであること”。語源的には窓+月光であり、闇夜に月光が差したように見えること。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「日+月」ではなくて、もと「冏(ケイ)(まど)+月」の会意文字で、あかり取りの窓から、月光が差しこんで物が見えることを示す。あかるいこと。また、人に見えないものを見分ける力を明という、という。詳細は論語語釈「明」を参照。

聽(聴)

聴 金文 耳を澄ます 聴
(金文)

論語の本章では”真っ直ぐに聴くこと”。「聞」は間接的に聞くことで、「聴」は直接聞き取ること。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると𢛳(トク)は直(チョク)と同系で、まっすぐなこと。壬(テイ)は、人がまっすぐにたったさま。聽は「耳+𢛳(まっすぐ)+(音符)壬」の会意兼形声文字で、まっすぐに耳を向けてききとること、という。詳細は論語語釈「聴」を参照。

聰(聡)

聡 金文大篆 ヒアリング 聴
(金文大篆)

論語の本章では”耳がよく通り、分かりが早いこと”。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は無い。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、囱(ソウ)や窗(ソウ)は、空気がさっとぬけるまど。徐(ソウ)は、それに心を加え、さっと通るわかりのよい心を示す。聰は「耳+(音符)徐」で、耳がさっと通って聞こえること、という。詳細は論語語釈「聡」を参照。

色(ソク)

色 金文 色 字解
(金文)

論語の本章では”表情”。初出は西周早期の金文。「ショク」は慣用音。呉音は「シキ」。金文の字形の由来は不詳。原義は”外見”または”音色”。詳細は論語語釈「色」を参照。

溫(温)

温 金文大篆 受付 温和
(金文大篆)

論語の本章では”温かい・温和”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、𥁕(オン)は、ふたをうつぶせて皿の中に物を入れたさまを描いた象形文字。熱が発散せぬよう、中に熱気をこもらせること。溫は「水+〔音符〕掬」で、水気が中にこもって、むっとあたたかいこと、というが、これは甲骨文が参照できなかった時代の誤解。

温 甲骨文 溫 温 字解
実際には甲骨文の形は水+人+皿で、温泉など温かい湯で湯浴みすること。詳細は論語語釈「温」を参照。

貌 金文大篆 テーブルマナー 貌
(金文大篆)

論語の本章では”立ち居振る舞い・所作”。行動によって他者に見える姿。初出は殷代末期の金文。『学研漢和大字典』によると「豸(けもの)+(音符)皃(ボウ)(あたまと足のある人の姿)」の会意兼形声文字で、人や動物のあらましの姿をあらわす、という。詳細は論語語釈「貌」を参照。

恭 金文大篆 パソコン教室 恭
(金文大篆)

論語の本章では”丁寧で慎み深い”。この文字は秦帝国期の金文大篆以降にしか見られず、孔子の在世当時には「兢」と書かれていたと考えられる。すなわち「戦戦兢兢」の「兢」であり、”恐れてブルブル震えるような気持ちでいる”という有様を指す。ただし本章は後世の創作の疑いが強く、むしろこの文字は創作の証拠になり得る。詳細は論語語釈「恭」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”発言”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

忠(チュウ)

忠 金文 中 甲骨文
「忠」(金文)/「中」(甲骨文)

論語の本章では”忠実”。初出は戦国末期の金文。ほかに戦国時代の竹簡が見られる。字形は「中」+「心」で、「中」に”旗印”の語義があり、一説に原義は上級者の命令に従うこと=”忠実”。ただし『墨子』・『孟子』など、戦国時代以降の文献で、”自分を偽らない”と解すべき例が複数あり、それらが後世の改竄なのか、当時の語義なのかは判然としない。「忠」が戦国時代になって現れた理由は、諸侯国の戦争が激烈になり、領民に「忠義」をすり込まないと生き残れなくなったため。詳細は論語語釈「忠」を参照。

事(シ)

事 甲骨文
(甲骨文)

論語の本章では”仕事”。動詞としては主君に”仕える”の語義がある。初出は甲骨文。甲骨文の形は「口」+「筆」+「又」”手”で、原義は口に出した言葉を、小刀で刻んで書き記すこと。つまり”事務”。「ジ」は呉音。詳細は論語語釈「事」を参照。

敬(ケイ)

敬 甲骨文 敬 字解
(甲骨文)

論語の本章では”まじめさ”。初出は甲骨文。ただし「攵」を欠いた形。頭にかぶり物をかぶった人が、ひざまずいてかしこまっている姿。現行字体の初出は西周中期の金文。原義は”つつしむ”。論語の時代までに、”警戒する”・”敬う”の語義があった。詳細は論語語釈「敬」を参照。

疑 金文大篆 疑問
(金文)

論語の本章では”疑わしいこと”。甲骨文から確認できる古い言葉。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で「子+止(足をとめる)+(音符)矣」、愛児に心引かれてたちどまり、進みかねるさまをあらわす。思案にくれて進まないこと、という。詳細は論語語釈「疑」を参照。

問 金文 弟子
(金文)

論語の本章では”質問すること”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると門は、二枚のとびらを閉じて中を隠す姿を描いた象形文字。隠してわからないの意や、わからない所を知るために出入りする入り口などの意を含む。問は「口+(音符)門」の会意兼形声文字で、わからないことを口で探り出す意、という。詳細は論語語釈「問」を参照。

忿(フン)

忿 金文大篆 忿 字解
(金文大篆)

論語の本章では”急激にカッとなって怒ること”。ものがパカリと割れるように、急にわき起こる怒りを言う。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。同音の「奮」に”憤る”の語釈を大漢和辞典が立て、初出は西周早期の金文

『学研漢和大字典』によると分は「刀+八印(両方に割れる)」からなり、両がわに割れること。忿は「心+(音符)分」の会意兼形声文字で、かっと破裂するように急におこること、という。詳細は論語語釈「忿」を参照。

難 金文 本能寺の変 難
(金文)

論語の本章では”後難”。あとになってやってくる災難。初出は西周末期の金文。『学研漢和大字典』によると「動物を火でやき、かわかしてこちこちにするさま+隹(とり)」の会意文字。鳥を火であぶることをあらわし、もと燃(ネン)(もやす)と同系のことば。やけただれる火あぶりのようにつらいことの意から転じて、つらい災害ややりづらい事などをあらわす、という。詳細は論語語釈「難」を参照。

見 金文 怪獣 見
(金文)

論語の本章では”出現したものを目に止める”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「目+人」の会意文字で、目だつものを人が目にとめること。また、目だってみえるの意から、あらわれるの意ともなる、という。詳細は論語語釈「見」を参照。

「見得思義」だけ他の句と形が違うのは、「得」る=儲け話にありつく行為が受動的であることを示すとともに、潔癖を見せ物にした、孔子没後の儒者の偽善を示している。

孔子は論語述而篇11で「儲かる儲け話なら、その下働きの御者だってやるよ。儲からない儲け話なら、好き勝手にするさ」と言っており、決して儲け話に鈍感でも潔癖でもなかった。

得 金文 募金詐欺 得
(金文)

論語の本章では”利益を得ること・儲け話”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると箇(トク)は「貝(かい)+寸(て)」の会意文字で、手で貝(財貨)を拾得したさま。得は、さらに彳(いく)を加えた会意兼形声文字で、いって物を手に入れることを示す、という。詳細は論語語釈「得」を参照。

義 金文 レール 義
(金文)

論語の本章では”筋が通っていること”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると我は、ぎざぎざとかどめのたったほこを描いた象形文字。義は「羊+音符我」の会意兼形声文字で、もと、かどめがたってかっこうのよいこと。きちんとしてかっこうがよいと認められるやり方を義(宜)という、という。詳細は論語語釈「義」を参照。

孔子の弟子の子路は論語憲問篇13で「利益を見て筋が通るかを思い」と言い、孔子は論語述而篇15で「悪事を働いて財産と地位を得ても、浮き雲のように、はかないものだ」と言っている。

また論語憲問篇14では衛国の賢臣・公叔文子について、「筋が通った時に利得を取ったので、人はその取ったのを嫌がりませんでした」という評を聞いて弟子がメモしている。孔子在世当時の不文律として、利益には筋が通っていることが必要とされたことが分かる。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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論語の本章の言葉は、論語の他の章に対応する言葉がある。

見るに明、聞くに聡については

先生が言った。「その人のすることをじっと見、その方法を時間を追って見、どこに落ち着くかを見れば、人の中身はどうして隠せよう、隠せよう。」(論語為政篇10)
子張が曇りのない洞察力(明)を問うた。先生が言った。「じわじわとしみ込むような悪口、肌身に感じる苦痛がなければ、明と言えるだろう。じわじわとしみ込むような悪口、肌身に感じる苦痛がなければ、より遠くを見つめることが出来るだろう。」(論語顔淵篇6)

色は温を思い、貌は恭を思うについては

先生は激しさ、厳しさ、を内に隠し持ったまま、温和で柔和で腰が低く、安らいでいた。(論語述而篇37)

言は忠を思い、事は敬を思うについては

子張が政治を問うた。先生が言った。「為政者の立場で怠けることなく、政治を行うのに忠=真心で行うことだ。」(論語顔淵篇14)
先生が言った。戦車千両の国を治めるには、政務を敬=まじめに行って信用があり、出費を抑えて人を愛し、民を使うには時期を選ぶ。(論語学而篇5)

疑いには問うを思い、忿には難を思うについては

子貢「亡くなった衛国の家老、孔ギョどのは、なぜ文という立派な戒名を貰ったんですかね。」孔子「仕事が速くてよく学び、目下であろうと賢者にはものを聞いたからだな。」(論語公冶長篇14)
一時の怒りにその身を忘れて、親に迷惑を掛けるのは、矛盾ではないかね?(論語顔淵篇21)

長々と引用して申し訳ないが、要するに論語の本章は、後世の儒者による捏造で、さまざま伝えられた孔子の言葉を元に、箇条書きにして合成したもの。教科書的な記述で分かりやすくはあるが、脳みそをそのまま通過して何も残らない。

己の欲せざる所、人に施すなかれ。(論語顔淵篇2)

このような迫力が無い。訳すのもだるいが、読者諸賢にも申し訳ない所である。

これは儒教史から言えば、なぜ儒教が生き残れたか、という疑問につながる。論語での孔子の発言は、それぞれ矛盾する場合があるが、それは孔子の息づかいを感じさせもし、それゆえ読み手の心に届きやすい。数学の教科書を感心して読む人が少ない事の裏返し。

帝国を支えるイデオロギーとしての儒教は、相互に矛盾があっては行政が混乱する。従って規格化が必要であり、科挙=官吏登用試験の科目になってからは一層そうだった。唐帝国で『五経正義』がつくられ、朱子の『四書集注』が公式の論語解釈になったのはその一例。

『易経』『書経』『礼記』などの五経が早くに試験の科目になったのと比べ、論語以下の四書(『孟子』『大学』『中庸』)が科目になったのは遅いが、現伝・論語が後漢末から南北朝期に確立されるまで、その規格化が進められたことが本章などこの論語季氏篇から分かる。

もし論語が規格化されず、帝国のイデオロギーにならなければ、おそらく現代人は論語を目にすることが出来なかったはず。論語の古い版本は、中国では摩滅し不完全な唐代の石刻文が最古だが、日本には完本の書籍で残った。これは中国人の物持ちの悪さを示す一例ではある。

しかし中国で正統思想の座を占めていなかったら、日本に論語が伝わることもなかったわけで、論語の一部や儒教そのものが押しつけがましいお説教であったことと、今日まで残ったことには大いに因果関係がある。論語を読む者にとっては痛し痒しの事情だろう。

話をこの論語季氏篇に戻せば、比較的古い時代に成立したことが分かっている。論語八佾篇が「孔子季氏を謂う」で始まっていながら、季氏篇を名乗れなかったのは、すでに季氏篇があったからだ。孔子旧宅から出てきた古論語より前に、八佾篇を含む河間本はあったのだが。

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二篇本 学而 郷党
河間本 為政 八佾 里仁 公冶長 雍也 述而 泰伯
斉伝論語 先進 顔淵 子路 憲問 衛霊公 子張 堯曰
現伝論語 学而 為政 八佾 里仁 公冶長 雍也 述而 泰伯 子罕 郷党 先進 顔淵 子路 憲問 衛霊公 季氏 陽貨 微子 子張 堯曰

武内義雄『論語之研究』による。「斉伝論語」と漢武帝以降の「斉論語」は別。

「河間本は尤も古く」とあることなどから、八佾篇の方が古いことになり、訳者は必ずしも武内説に賛同しないし、ここに挙げた篇がそのまま現伝の論語と一致するわけでもない。ただ言えるのは、孔子の言葉の規格化が、没後意外に速やかに行われた事実を察しうることのみ。

おそらくは荀子あたりの仕事だろうが、論語をつまらなくした原因は、かくも根が深い。

『論語』季氏篇:現代語訳・書き下し・原文
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