論語詳解228子罕篇第九(24)法語の言よく’

論語子罕篇(24)要約:因習に染まった山奥の寒村。どんな蛮行がはびころうと、村人は改めません。耳障りがいいだけで中身の無くなったことわざ。いくら言い回っても何の教訓にもなりません。孔子先生にもどうしようもないようです。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「法語之言、能無從乎、改之爲貴。巽與之言、能無說乎、繹之爲貴。說*而不繹、從而不改、吾末*如之何也已*矣。」

校訂

武内本

悅を說に作り、未を末に作り、已也を也已に作る。

論語義疏

「悅而不繹…吾末如之何也已矣」

定州竹簡論語

……之為貴。選a與之言,能毋b□237……?擇c之為貴。說而不擇c,從而不改,吾無如之何d。」238

  1. 選、今本作”巽”。
  2. 毋、今本作”無”。
  3. 擇、今本作”繹”。
  4. 無、今本作”末”。

→子曰、「法語之言、能無從乎、改之爲貴。選與之言、能無說乎、擇之爲貴。說而不擇、從而不改、吾無如之何矣。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 法 金文語 金文之 金文言 金文 能 金文無 金文従 金文乎 金文 改 金文之 金文為 金文貴 金文 選 金文与 金文之 金文言 金文 能 金文母 金文兌 金文乎 金文 擇 金文之 金文為 金文貴 金文 兌 金文而 金文不 金文擇 金文 従 金文而 金文不 金文改 金文 吾 金文無 金文如 金文之 金文何 金文矣 金文

※說→兌。

書き下し

いはく、のっとかわことのはしたがからむこれあらたむるをすくなしとす、えらあはすることのはよろこからむこれくをすくなしとす。よろこかず、したがあらためざるは、われこれ如何いかんもするなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

孔子別像
先生が言った。「掟として互いに共有する言葉に、従えないだろうか。その掟を書き換えることはめったにない。選んで共有する言葉は、喜べないことがあるだろうか。その話から抜き出すことはめったにない。喜ぶだけで抜き出さず、従うだけで書き換えないのは、私にはどうしようもなくなりおおせている。」

意訳

論語 孔子 ぼんやり
誰もが当たり前の習わしと思っている掟は、とんでもない因習だろうと、誰もが従って当たり前だと思っている。これはおかしい、と掟を作り替えることはめったにない。経験からより抜いたことわざは、言ったり聞いたりして誰もが嬉しがるが、その話の大事な部分を見抜いて聞き取れる事はめったにない。常識から耳障りのいい部分だけを嬉しがり、何を教えようとしているか理解しない者、因習を疑いもせず改めようともしない者、こういう手合いは、私がいくら口を酸っぱくして説教しても、ぜんぜん理解しようともしない。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「正面切って道理を説かれると、誰でもその場はなるほどとうなずかざるを得ない。だが大事なのは過を改めることだ。やさしく婉曲に注意してもらうと、誰でも気持よくそれに耳を傾けることが出来る。だが、大事なのは、その真意のあるところをよく考えて見ることだ。いい気になって真意を考えて見ようともせず、表面だけ従って過を改めようとしない人は、私には全く手のつけようがない。」

下村湖人先生『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「合情合理的規勸,能不聽從嗎?改正了錯誤才是可貴;恭維贊揚的話語,能不令人高興嗎?分析了原因才是可貴。衹高興而不分析、衹聽從而不改正的人,我是一點辦法也沒有。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「感情にも理屈にも叶った忠告は、聞いて従わないでおれようか?間違いを改めて、やっとまともだと認めることが出来る。へつらって褒めちぎるような言葉は、人を面白がらせないでおれようか?原因を突き止めて、やっとまともだと認めることが出来る。ただ面白がって突き止めようともしない、ただ聞くだけで言葉に従って改めない人は、私にとってただの一つも手の付けようが無い。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

子曰(シエツ)(し、いわく)

君子 諸君 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

法*(ホウ)

法 金文 法 字解
(金文)

論語の本章では、”由緒ある掟”。初出は西周早期の金文。字形は「氵」”みず”+”傷付けられ皮袋に詰められた目”+「矢」+「𠙵」”くち”。矢は宣誓の道具。𠙵は裁判での証言。目は人身の象徴。敗訴した者を斬り、皮袋=カクに詰めて川に流す姿。このような断罪のさまは、例えば『史記』伍子胥伝に見える。ちまきはこれを憐れんだ呉国人の供え物が始まりという。「ハッ」「ホッ」は慣用音。春秋末期までに、”したがう”・”そむく”・”捨て去る”の意に用い、戦国時代には”法律”の意に用いた。詳細は論語語釈「法」を参照。

語(ギョ)

語 字解
(金文)

論語の本章では”(心を)交わす”→”共有する”。初出は春秋末期の金文。「ゴ」は呉音。字形は「言」+「吾」で、初出の字形では「吾」は「五」二つ。「音」または「言」”ことば”を互いに交わし喜ぶさま。春秋末期以前の用例は1つしかなく、「娯」”楽しむ”と解せられている。詳細は論語語釈「語」を参照。また語釈については論語子罕篇20余話「消えて無くならない」も参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…の”・”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義は”これ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”…の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”ことば”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

武内本に「焉と同音、則の字と意同じ」とあるが、「すなわち」と読まなくとも意味を通せるので、採用しなかった。

法語之言

論語の本章では、”従い共有する言葉”。

藤堂本によると、「法語之言」は、法=”原則”に沿った話。理屈、道理で、手本となる正しい話、という。「巽与之言」は、巽=遜(ゆずる、謙遜する)、与=余裕で、”遠慮して、人と調子をあわせることば”という。この解釈の元は古注。

『大漢和辞典』によると、「法語之言」は「正しく言う言葉、正面の忠告、礼法教誨の言葉」という。「巽与之言」は「人にゆずりしたがう言葉。やさしい口ぶり。巽は柔、与は和」という。この解釈の元は新注。

だか上記の通り、「法」とは”則るべき古い言い伝え”で、「語」とは”心を通い合わせる”ことだった。儒者は個人的感想を書き付けただけだから信用する価値が無い。

能(ドウ)

能 甲骨文 能 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…できる”。初出は甲骨文。「ノウ」は呉音。原義は鳥や羊を煮込んだ栄養満点のシチューを囲んだ親睦会で、金文の段階で”親睦”を意味し、また”可能”を意味した。詳細は論語語釈「能」を参照。

無(ブ)→毋(ブ)

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…ない”。初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

毋 金文 毋 字解
(金文)

定州竹簡論語は「毋」と記す。戦国時代以降「無」を意味する言葉として用いられた。初出は西周中期の金文。「母」と書き分けられていない。現伝書体の初出は戦国文字。論語の時代も、「母」と書き分けられていない。同訓に「無」。甲骨文・金文では「母」の字で「毋」を示したとし、西周末期の「善夫山鼎」にもその用例が見られる。詳細は論語語釈「毋」を参照。

從(ショウ)

従 甲骨文 従 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”従う”。初出は甲骨文。新字体は「従」。「ジュウ」は呉音。字形は「彳」”みち”+「从」”大勢の人”で、人が通るべき筋道。原義は筋道に従うこと。甲骨文での解釈は不詳だが、金文では”従ってゆく”、「縦」と記して”好きなようにさせる”の用例があるが、”聞き従う”は戦国時代の「中山王鼎」まで時代が下る。詳細は論語語釈「従」を参照。

乎(コ)

乎 甲骨文 乎 字解
(甲骨文)

論語の本章では、「か」と読んで反語の意。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は持ち手の柄を取り付けた呼び鐘を、上向きに持って振り鳴らし、家臣を呼ぶさまで、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞として用いられたのは、戦国時代以降になるという。詳細は論語語釈「乎」を参照。

改(カイ)

改 甲骨文 改 字解
(甲骨文)

論語の本章では”あらためる”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「巳」”へび”+「ホク」”叩く”。蛇を叩くさまだが、甲骨文から”改める”の意だと解釈されており、なぜそのような語釈になったのか明らかでない。詳細は論語語釈「改」を参照。

改之/擇之

両者ともに「之」は、以前に指し示すべき言葉「法語之言」・「選與之言」があるため、「之」はその代名詞。直前が動詞であることを示す記号”まさに…”とも解せるが、そうせねばならない理が無い。

「法語之言」
”共有するおきての言葉は”
「能無從乎」
”従わないでおられようか”
だが 「改之爲貴」
”それ=法語之言を改める事はめったに無い”
「選與之言」
”選んで共有する言葉は”
「能無說乎」
”喜ばないでおられようか”
だが 「擇之爲貴」
”そこ=選與之言から(教訓を)引き出す事はめったに無い”

爲(イ)

為 甲骨文 為 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…になる”→”…であるとする”。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”…になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。

貴(キ)

貴 金文 貴 晋系戦国文字
(金文)/(晋系戦国文字)

論語の本章では”珍しい”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は西周の金文。現行字体の初出は晋系戦国文字。金文の字形は「貝」を欠いた「𠀐」で、「𦥑キョク」”両手”+中央に●のある縦線。両手で貴重品を扱う様。おそらくひもに通した青銅か、タカラガイのたぐいだろう。”とうとい”の語義は、戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「貴」を参照。

巽*(ソン)→選*(セン)

選 金文
(金文)

論語の本章では”えらぶ”。論語では本章のみに登場。初出は西周中期の金文。ただし「選」と釈文されている。「巽」単独での初出は戦国早期の金文。字形は「㔾」”跪いた人”×2人+「止」”止まる”。大勢の人から望む者を選び抜くさま。春秋末期までに、”選び抜いた”の意に用いた。詳細は論語語釈「巽」を参照。

定州竹簡論語では「選」と記す。事実上「巽」の異体字。論語語釈「選」を参照。

武内本は「巽遜通用」とし、「巽與之言」を「ゆずりもて之をゆるすときは、すなわち」と読むが、あまりに漢字の原義から懸け離れている。また上掲定州論語が出土した今では、全くの的外れである。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では”共有する”。新字体は「与」。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。人が手に手を取ってともに行動するさま。従って原義は”ともに”・”…と”。詳細は論語語釈「与」を参照。

說(エツ)

説 楚系戦国文字
(楚系戦国文字)

論語の本章では”喜ぶ”。新字体は「説」。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。原義は”言葉で解き明かす”こと。戦国時代の用例に、すでに”喜ぶ”がある。論語時代の置換候補は部品の「兌」で、原義は”笑う”。詳細は論語語釈「説」を参照。

悦 楚系戦国文字
「悦」(楚系戦国文字)

古注の「悅」の初出は戦国時代の竹簡。新字体は「悦」。語義は出現当初から”よろこぶ”。論語時代の置換候補は部品の「兌」。詳細は論語語釈「悦」を参照。

繹(エキ)→擇(タク)

繹 玉石文 純 字解
「繹」(玉石文)

論語の本章では”抜き出す”。「繹」の初出は春秋末期の玉石文。カールグレン上古音はdi̯ak(入)。同音に睪(うかがい見る)を部品とする漢字群。『大漢和辞典』には睪に”引く”の語釈を載せる。ただし睪の初出は戦国早期の金文で、論語の時代に存在したとは言いがたい。字形は「糸」+「睪」で、糸巻きから糸を引き出すさま。原義は”糸を引き抜く”。詳細は論語語釈「繹」を参照。

択 金文 択 字解
(金文)

定州竹簡論語では「擇」と記す。初出は西周末期の金文。新字体は「択」。字形は「エキ」+「廾」”両手”で、「睪」の甲骨文は向かってくる矢をじっと見つめる姿。全体で、よく見て吟味し選ぶこと。原義は”選ぶ”。金文では原義で用いた。詳細は論語語釈「択」を参照。

武内本は「繹擇同音、擇は改の意」と言い、「繹之爲貴」を「改之爲貴」と意味が同じだとするが、漢字の原義から懸け離れているし、定州論語によって改訂できたので、採用しなかった。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”そして”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”…と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

吾(ゴ)

吾 甲骨文 吾 字解
(甲骨文)

論語の本章では”わたし”。初出は甲骨文。字形は「五」+「口」で、原義は『学研漢和大字典』によると「語の原字」というがはっきりしない。一人称代名詞に使うのは音を借りた仮借だとされる。詳細は論語語釈「吾」を参照。

春秋時代までは中国語にも格変化があり、一人称では「吾」を主格と所有格に用い、「我」を所有格と目的格に用いた。しかし論語でその文法が崩れ、「我」と「吾」が区別されなくなっている章があるのは、後世の創作が多数含まれているため。

末(バツ)→無(ブ)

末 金文 末 字解
(金文)

論語の本章では”無い”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は春秋末期の金文。字形は「木」の先に一画引いて”すえ”を表したもので、原義は”末端”。「マツ/マチ」は呉音。甲骨文に干支の「未」の誤読ではないかと思われる例が2例ある。春秋末期までに、人名のほか”末の子”・”末席”の意に用いた。論語を含む漢文では、近音「無」の意に用いる事があるが、初出は不詳。詳細は論語語釈「末」を参照。

定州竹簡論語は「無」と記す。意味は変わらない。詳細は上掲語釈を参照。

如之何(これをいかん)

如何 字解 何如 字解

論語の本章では”これをどうしましょう”。この語義は春秋時代では確認できない。「如何」の間に目的語の「之」を挟んだ形。「何」に「如」”したがう”か、の意。対して「何如」は”どうでしょう”。

  • したがうなに」→従うべきは何か→”どうしましょう”・”どうして”。
  • なにしたがう」→何に従っているか→”どうでしょう”

「いかん」と読み下す一連の句形については、漢文読解メモ「いかん」を参照。

何 甲骨文 何 字解
「何」(甲骨文)

「何」は論語の本章では”なに”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「人」+”天秤棒と荷物”または”農具のスキ”で、原義は”になう”。甲骨文から人名に用いられたが、”なに”のような疑問辞での用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「何」を参照。

如 甲骨文 如 字解
「如」(甲骨文)

「如」は論語の本章では”…のような(もの)”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「口」+「女」。甲骨文の字形には、上下や左右に部品の配置が異なるものもあって一定しない。原義は”ゆく”。詳細は論語語釈「如」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”(きっと)…である”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。

也已矣(ヤイイ)

論語の本章の文末を、古注以降では「也已矣」と記す。逐語訳すれば「であるに、なりきって、しまった」。アルツハイマーに脳をやられた大隈重信が、演説で「あるんであるんである」と言ったように、もったいの上にもったいを付けたバカバカしい言葉。断定を示したいなら「也」「已」「矣」のどれか一字だけで済む。

つまり大げさに言って読む者聞く者をびっくりさせ、儒者を信じさせてしまおうという、見え透いた悪辣の表現。

座敷わらし おじゃる公家
漢文業界では「也已」の二字で「のみ」と訓読する座敷わらしだが、確かに「也已」は”であるになりきった”の意だから「のみ」という限定に読めなくはないが、それは正確な漢文の翻訳ではない。意味の分からない字を「置き字」といって無視するのと同じ、平安朝の漢文を読めないおじゃる公家以降、日本の漢文業者が世間を誤魔化し思考停止し続けた結果で、現代人が真似すべき風習ではない。

曹銀晶「談《論語》中的”也已矣”連用現象」(北京大学)によると、「也已矣」は前漢宣帝期の定州論語では、そもそもそんな表現は無いか、「矣」「也」「也已」と記されたという。要するに、漢帝国から南北朝にかけての儒者が、もったいを付けて幼稚なことを書いたのだ。

論語解説「後漢というふざけた帝国」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は、前漢中期の定州竹簡論語には載るが、春秋戦国を含めて、何と先秦両漢の誰一人引用していないし、再録もしていない。その意味では史実性が怪しいのだが、これは偽作ゆえと言うよりも、何を言っているか分からなかったからと考えた方がいい。

例えば下掲古注は、通常なら儒者どもが嬉しそうに根拠の無いウンチクを書き付けるのに、論語の本章では、最終節に何一つ注を付けていない。古注の注釈部分を書いたのはおおむね後漢儒だが、あまりに頭が悪いから(論語解説「後漢というふざけた帝国」)、読めなかったのだろう。

そう考えれば論語の本章に限り、引用の無いことは儒者による勝手な改作を経ていないことを示している可能性があり、文字史上全てが論語の時代に遡れることを踏まえると、本章は史実の孔子の言葉として扱ってよい。

解説

ただしその代わり、一字一句を春秋時代の語義で解釈する必要がある。本章では「乎」の字の詠嘆としての用法が、春秋時代に遡れないという難点があるが、春秋時代の漢語では、句末の疑問や詠嘆の助辞が無くとも、疑問や詠嘆でありうる。従って「乎」は無くとも文意が変わらない。ただし、「如何」の用法はどう工夫しても、論語の時代に遡れない。

というわけでそこには目をつぶることにする。

論語の本章は一見、難しい漢字が使われないようでいて、その語義を求めるには現代や帝政時代の漢語解釈では歯が立たず、何を言っているか分からない。甲骨文や金文を参照し、春秋時代の漢語を一旦復元しないと、とんでもないオトツイの方角に解釈してしまう。

もとより新古の注を書き付けた儒者は、論語をどうやって世間へのハッタリに仕立てるかには腐心しても、論語に何が書いてあるかにはぜんぜん興味が無かったから、いつも通り根拠の無い出任せを書して済ませている。

新注『論語集注』

子曰:「法語之言,能無從乎?改之為貴。巽與之言,能無說乎?繹之為貴。說而不繹,從而不改,吾末如之何也已矣。」法語者,正言之也。巽言者,婉而導之也。繹,尋其緒也。法言人所敬憚,故必從;然不改,則面從而已。巽言無所乖忤,故必說;然不繹,則又不足以知其微意之所在也。楊氏曰:「法言,若孟子論行王政之類是也。巽言,若其論好貨好色之類是也。語之而未達,拒之而不受,猶之可也。其或喻焉,則尚庶幾其能改繹矣。從且說矣,而不改繹焉,則是終不改繹也已,雖聖人其如之何哉?」


本文。「子曰:法語之言,能無從乎?改之為貴。巽與之言,能無說乎?繹之為貴。說而不繹,從而不改,吾末如之何也已矣。」

法語とは、正しい言葉を言う。巽言は、遠回しに言って導く言葉である。繹は、その元の意味をたずねることである。法語は人が慎み触れるのを恐れるので、必ず従う。それなのに改めないのは、聞いたふりだけなのである。

巽言は聞き手の意に沿わなかったり、逆らったりすることがない。だから説諭には必ず用いるのである。それなのに喜ばないのは、遠回しに言った真意を理解できないのである。

楊時「法言は、孟子が論じて実行しようとした、王者の政治のようなものだ。巽言は、財産や色事についてべらべらしゃべるようなものだ。そこまでしてやっても分からず、受け付けずに従わない者は、十分あり得る。

このようにたとえ話で教えてやって、話を尊んで聴くなら、自分を改めて、話を喜ぶことに近いだろう。しかしはいはいと嬉しそうに聞き、しかも改めない者は、結局改めるのもイヤだし、話を喜んでもおらず、聞き捨てているのだ。これではたとえ聖人だろうと、救いようがない。」

古注『論語集解義疏』

子曰法語之言能無從乎改之為貴註孔安國曰人有過以正道告之口無所不順從之能必自改乃為貴也巽與之言能無悦乎繹之為貴註馬融曰巽恭也謂恭巽謹敬之言也聞之無不悦者也能尋繹行之乃為貴也悅而不繹從而不改吾末如之何也己矣


本文「子曰法語之言能無從乎改之為貴」。
注釈。孔安国「人に間違いがあるとき、まっとうな道で忠告する言葉には従わざるべき所が無い。この忠告に従って必ず自分を改める事が出来るのなら、つまり貴い者となる。

本文。「巽與之言能無悦乎繹之為貴」。
注釈。馬融「巽とは丁寧に、の意である。巽與之言とは、丁寧に選んだ言葉で慎み深く敬意を伴った言葉のことである。これを聞いて喜ばない者は居ないのである。よくそうした話を聞いて実行に移せるなら、つまり貴い者となる。」

本文。「悅而不繹從而不改吾末如之何也己矣」

余話

全員押し込み強盗

日本人に生まれてしまうと、誰もが生涯一度は、いわゆる「ムラ社会」の因習にうんざりした経験があるだろう。まれに無い人はお気の毒と申し上げるしか無い。なぜなら偶然により社会の捕食者であり続けただけで、周りからは「死んでしまえ」と怨まれているはずだからだ。

み~て~る~だ~け~

その憎悪に気付かぬままだと、出されるコップの水にも、何を入れられたやら分かったものではない。自衛隊のうち海自は「伝統墨守」といって、今なお士官と下士官兵の間に差別が激しく、新兵いじめもひどいと聞く。嫌われ艦長には雑巾汁入りコーヒーが定番メニューらしい。

それで艦長が腹を壊して艦が危険に陥った、という話は聞かないが、聞こえてこないだけかもしれない。新兵いじめとそれに伴う自殺騒ぎは、年に一度はニュースになるような気がする。出港してしまえば閉じた社会だから、いっそうこういう因習は激化し止みがたい。

閉じた村社会は、ある意味人間の理想郷だから、決してなくならない。伝統的トルコ系社会では、男女ともに羊飼いで、男は全員兵隊、女は全員絨毯織りだから、現代的就職問題は起こりようが無い。結婚は親同士が決めるか相手の家族が決まっており、不婚問題は存在しない。

だがひとたび天災で家産の家畜を失うと、一家全滅のほかは無い。氏族の家畜が大打撃を受けると、定住社会を襲って略奪するしか生き延びる法が無い。この繰り返される北方騎馬民族の襲来は、中国史を語る上で欠かせないが、襲撃は遊牧民の生存に不可欠な保険でもあった。

つまり北方騎馬遊牧民から見るなら、中国人の農耕社会に手出しをしないのは、まだ食うには早い家畜と同じだからで、緊急事態には容赦なく殺戮し食糧を奪う。これが論語の本章に言う「法語の言」で、遊牧民には襲撃や殺戮の何がいけないのかさっぱり分からない。

これには孔子も、説教のしようがないというのである。モンゴル*でこれが解決したのは人民共和国以降で、天候不順による家畜の壊滅的打撃(ズドзуд)が起こるたび、コメコンの援助でしのいだ。言い換えるなら打撃の肩代わりを、ソ連や東欧の人民が担ってきたことになる。

だがソ連崩壊に伴って、モンゴルの政権からも共産党が退場、コメコンは崩壊し、以降モンゴル国の人々は見るも哀れな目に遭わされた。これは他人事ではない。日本もこの半世紀ほど、偶然によって食うに困らなかっただけで、偶然だからささいなきっかけで崩壊しうる。

「巽與の言」の例は日本社会に見よう。坊主の称える経文や、二・二六事件蹶起趣意書のように、何が書いてあるか分かりもしないのに、言い回ったり聞いて喜んだりする者がいる。言う者も聞く者もそれが自分の立派さの証拠と勘違いしているから、己の間抜けに気付かない。

戦後では横文字が漢語に代わった。訳者は西欧語を振り回す馬鹿者どもを直に何人も見てきたが、その振り回す言葉を多少勉強して合わせてやると、たいがい黙る事が多かった。つまりその言語に自信が無かったのを白状したことになる。それまで間抜けに気付かなかったわけだ。

孔子は「これを如何とするなし」と言ったが、手段が無かったはずがない。孔子ほどの知識人なら、村人のことわざの無理解と真意を解説できただろうし、何せ身長2mでペニシリンの無い時代に70過ぎまで生きた超人だから、相手がぐったりするまで説教する体力もあった。

だがかかる馬鹿者を相手にしたところで、下らないと思ったのだろう。大勢の馬鹿者を操って大儲けするのが政治や宗教の常套手段だが、孔子は少年期に母の手伝いでさんざんそうしたハッタリをやり尽くしたものの、後年教師稼業をしたからには、よほどアホらしく思ったはず。

だから今なお宗教のはびこるこの世の中に、史実の孔子の言葉は価値がある。


*モンゴル人から見たモンゴルは現在のモンゴル国の版図であるハルハХалхのみでなく、少なくともいわゆる内モンゴル(たしかホロンバイルХөлөнбуйрとか聞いた覚えが…。→訂正。ウブル・モンゴルӨвөр Монголынと言うらしい)が含まれることを重々承知の上、ここではかつてのモンゴル人民共和国の版図の意で「モンゴル」と記した。訳者は中国の回し者でもモンゴルの回し者でもないから、念のため。

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