論語詳解228子罕篇第九(24)法語の言よく*

論語子罕篇(24)要約:口先男は嫌われますが、耳先だけで従わない人間も救いようが無い、と孔子先生が言ったという作り話。元が偽作の上に、後漢の儒者がわざと難しい漢字に書き換えて、世間を脅して金をせびった証拠となる一節。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「法語之言、能無從乎、改之爲貴。巽與之言、能無說乎、繹之爲貴。說*而不繹、從而不改、吾末*如之何也已*矣。」

校訂

武内本

悦を説に作り、未を末に作り、已也を也已に作る。

定州竹簡論語

……之為貴。選a與之言,能毋b□237……?擇c之為貴。說而不擇c,從而不改,吾無如之何d。」238

  1. 選、今本作”巽”。
  2. 毋、今本作”無”。
  3. 擇、今本作”繹”。
  4. 無、今本作”末”。

→子曰、「法語之言、能無從乎、改之爲貴。選與之言、能毋說乎、擇之爲貴。說而不繹、從而不改、吾無如之何矣。」

復元白文

子 金文曰 金文 法 金文語 金文之 金文言 金文 能 金文無 金文従 金文乎 金文 改 金文之 金文為 金文 選 金文与 金文之 金文言 金文 能 金文論語 母 金文兌 金文乎 金文 擇 金文之 金文為 金文 兌 金文而 金文不 金文擇 金文 従 金文而 金文不 金文改 金文 吾 金文論語 無 金文如 金文之 金文何 金文已 矣金文

※說→兌・矣→已。論語の本章は貴の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

いはく、法語はふごげんしたがふことからむこれあらたむるをたふとしとす、選與せんよげんよろこぶことからむこれえらぶをたふとしとす。よろこえらばず、したがあらためざるは、われこれ如何いかんともするなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像
先生が言った。「神託に従えない事が無いだろうか。しかし聞いて改める者は貴い。選び抜いて言う言葉は、喜べないことがあるだろうか。しかしその話を選び取る者は貴い。喜ぶだけで話を選び取らず、従うふりだけで改めない者は、私にはどうしようもない。」

意訳

ニセ孔子
神のお告げを聞かない者はいないが、それに従って自分の間違いを改める者は少ない。言葉を選んで語れば誰もが喜ぶが、その言葉通りに従う者は少ない。うわべだけ聞いた振りする者は、教えようがない。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「正面切って道理を説かれると、誰でもその場はなるほどとうなずかざるを得ない。だが大事なのは過を改めることだ。やさしく婉曲に注意してもらうと、誰でも気持よくそれに耳を傾けることが出来る。だが、大事なのは、その真意のあるところをよく考えて見ることだ。いい気になって真意を考えて見ようともせず、表面だけ従って過を改めようとしない人は、私には全く手のつけようがない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「合情合理的規勸,能不聽從嗎?改正了錯誤才是可貴;恭維贊揚的話語,能不令人高興嗎?分析了原因才是可貴。衹高興而不分析、衹聽從而不改正的人,我是一點辦法也沒有。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「感情にも理屈にも叶った忠告は、聞いて従わないでおれようか?間違いを改めて、やっとまともだと認めることが出来る。へつらって褒めちぎるような言葉は、人を面白がらせないでおれようか?原因を突き止めて、やっとまともだと認めることが出来る。ただ面白がって突き止めようともしない、ただ聞くだけで言葉に従って改めない人は、私にとってただの一つも手の付けようが無い。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

法 金文 論語 法
(金文)

論語の本章では、”神の判断”。

『学研漢和大字典』は池の中の小島に閉じこめられた動物と言い、『字通』は羊神判のようすが原義という。詳細は論語語釈「法」を参照。

論語 言 金文
(金文)

武内本に「焉と同音、則の字と意同じ」とあるが、「すなわち」と読まなくとも意味を通せるので、採用しなかった。詳細は論語語釈「言」を参照。

法語之言

論語の本章では、”神のお告げの言葉”。

藤堂本によると、「法語之言」は、法=”原則”に沿った話。理屈、道理で、手本となる正しい話、という。「巽与之言」は、巽=遜(ゆずる、謙遜する)、与=余裕で、”遠慮して、人と調子をあわせることば”という。

『大漢和辞典』によると、「法語之言」は「正しく言う言葉、正面の忠告、礼法教誨の言葉」という。「巽与之言」は「人にゆずりしたがう言葉。やさしい口ぶり。巽は柔、与は和」という。

しかし漢字の形から語義を追った『字通』の説の方が理があると判断した。

貴 金文(戦国)
(金文・戦国時代)

論語の本章では”とうとい”。初出は戦国時代の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はki̯wəd。同音は存在しない。詳細は論語語釈「貴」を参照。

巽(ソン)→選

論語 巽 金文 論語 巽
(金文)

論語の本章では、”選ぶ”。武内本は「巽遜通用」とし、「巽與之言」を「ゆずりもて之をゆるすときは、すなわち」と読むが、あまりに漢字の原義から懸け離れているので、採用しなかった。また上掲定州論語が出土した今では、全くの的外れである。

「巽」は『学研漢和大字典』によると、物をきちんとそろえて台上に供えるさま。『字通』によると、神前で二人でお神楽を奉納する姿。詳細は論語語釈「巽」論語語釈「選」を参照。

選與之言

論語の本章では、”選び抜いて与えるような丁寧な言葉”。後漢の儒者どもがなぜわざわざ「巽」の字に書き換えたかは明確でないが、おそらくただのコケ脅しだろう。

繹→擇/択

論語 繹 金文大篆 論語 繹
「繹」(金文大篆)

論語の本章では”選ぶ”。

「繹」は”ひく・おさめる・たずねる”などこれも多義語。繹の字の初出は戦国時代の秦の文字で、論語の時代に存在しない。

『学研漢和大字典』の原義は、手枷をはめられた囚人を選び出す事で、択の原字、選ぶこと。武内本は「繹擇同音、擇は改の意」と言い、「繹之爲貴」を「改之爲貴」と意味が同じだとするが、漢字の原義から懸け離れているし、定州論語によって改訂できたので、採用しなかった。

詳細は論語語釈「繹」論語語釈「擇」を参照。

論語:解説・付記

まず、定州論語による校訂前、つまり「巽與之言」「繹之爲貴」のままだったとした時の話。

論語 吉川幸次郎
論語本の中では吉川本で、法語之言・巽與之言ともによくわからないとし、新古の注をいろいろ引く。しかしそれらの注も儒者のただの連想ゲームだったり、朱子のような軍国主義者が自己宣伝のために書いたものだったりするので、漢文の注釈は話半分に読んだ方がいい。

結局過去の大家でも分からなかった言葉は、上記のように少しずつ調べて意味を求めるしか無く、上記の論語解釈には非常に時間がかかった(辞書の文字が細かい上に、文語混じりで、しかも外字が恐ろしく多い)が、独力で読み解くのは山の登頂に成功したような達成感がある。

書経図説 皋陶図
「法」の語釈に出た解廌は、原義が分からなくなった時代には怪物化してカイと呼ばれ、罪人を取って喰らう神獣とされ、明清帝国の司法官僚が、礼服の胸に刺繍する四角形の飾りに描かれた。
論語 獬豸 かいち カイチ

また羊神判のもようは、論語八佾篇25の解説に『墨子』の一節として記載したが、現代語訳を別に記した。「孔子が斉を去るとき、世話になった田常の門に鴟夷を立てて去った話」の出典は『墨子』非儒下篇で、現代語訳を上げた

また論語の本章について、従来の解釈は朱子の受け売りである。

新注
論語 朱子 新注

法語とは、正しい言葉を言う。巽言は、遠回しに言って導く言葉である。繹は、その元の意味をたずねることである。法語は人が慎み触れるのを恐れるので、必ず従う。それなのに改めないのは、聞いたふりだけなのである。

巽言は聞き手の意に沿わなかったり、逆らったりすることがない。だから説諭には必ず用いるのである。それなのに喜ばないのは、遠回しに言った真意を理解できないのである。

楊氏曰く、「法言は、孟子が論じて実行しようとした、王者の政治のようなものだ。巽言は、財産や色事についてべらべらしゃべるようなものだ。そこまでしてやっても分からず、受け付けずに従わない者は、十分あり得る。

このようにたとえ話で教えてやって、話を尊んで聴くなら、自分を改めて、話を喜ぶことに近いだろう。しかしはいはいと嬉しそうに聞き、しかも改めない者は、結局改めるのもイヤだし、話を喜んでもおらず、聞き捨てているのだ。これではたとえ聖人だろうと、救いようがない。」

(『論語集注』)

で、定州論語を参照した結果、いかめしい言葉は全部、後漢の儒者どもによるコケ脅しで、そもそも論語の本章は、でっち上げだと判明した。めでたし、めでたし。

もしそれでも孔子の肉声である可能性を求めるとするなら、貴ki̯wəd(去)ではなく希xi̯ər(平)か寡kwɔ(上)と言っただろう。いずれも”すくない”の意だが、貨幣経済の存在しない論語の時代、そもそも貨幣を意味する「貝」を含んだ文字は、眉につばを付けた方がいい。

ともあれ、もし孔子が言ったとすると、こうなろうか。

論語 孔子 不愉快
お告げが下った、と騒ぎ回る者は少なくないが、それも一時のことで、お告げの通りに態度を改める者は少ない。一々言葉を選んで話してやれば、誰もが嬉しそうに聞くが、言われた通りに従う者は少ない。こういう、うわべだけ聞いた振りする者は、度しがたい連中だ。

もちろん論語の本章をここに挿入した儒者は、孔子の話をハイハイと聞き(論語子罕篇20)、よく従う得がたい人材(論語為政篇9)の一人が顔回だったと、孔子が歎いたかのように見せかけている。それに付き合ってよよと泣き濡れるのも一興だが、バカバカしいと思うでしょう?

だったらもう止めようよ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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