論語詳解269先進篇第十一(16)季氏周公より富めり

論語先進篇(16)要約:孔子先生は古代人だけあって、庶民を自分と対等とは考えませんでしたが、悪政には反対しました。悪政の最たるものの一つは重税です。筆頭家老家の重税に手を貸した弟子に、先生は厳しい言葉を投げるのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

季氏富於周公、而求也爲之聚斂而附益之。子曰、「非吾徒也。小子鳴鼓而攻之可也。」

書き下し

季氏きし周公しうこうめり、しかうしてきうこれためあつをさこれす。いはく、ともがらあらざるなり小子せうしつづみならこれめてなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

季氏は周公より富んでいた。それなのに冉求は季氏のために税を集めて季氏の利益を増した。先生が言った。「私の弟子ではない。お前達、太鼓を鳴らして冉求を攻めてよい。」

意訳

論語 季康子 論語 冉求 冉有
魯国門閥家老筆頭の季氏は、周公の末裔である魯の殿様より富んでいた。ところが季氏の執事・冉求は、せっせと税を取り立てて、益々季氏を太らせた。

論語 孔子 叫び
孔子「あんなのもう弟子じゃない! …コリャお前達、太鼓をドンドン叩いて、冉求をこらしめてやりなさい!」

従来訳

論語 下村湖人

先師はいわれた。――
「季氏は周公以上に富んでいる。然るに、季氏の執事となった求は、主人の意を迎え、租税を苛酷に取り立てて、その富をふやしてやっている。彼はわれわれの仲間ではない。諸君は鼓を鳴らして彼を責めてもいいのだ。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

季氏

論語 季 金文 論語 氏 金文
(金文)

論語の本章では、魯国門閥家老家筆頭・季氏の若当主、季康子のこと。季氏は数代にわたって魯国の宰相格を事実上独占したほか、魯国軍の半分を自家の私兵と化していた。ただしその代わり、国公に代わって政治を取っただけでなく、困窮した民の救済にも当たっていた。

周公

論語 周公旦
論語時代よりはるか昔の人物で、周王朝の功臣であり、魯国の開祖でもある。論語の本章ではその末裔の、魯国公・哀公のこと、とここでは解したのは藤堂説(学研『論語』)に依る。

中国の儒者は、おおむね周公その人と解していたようだ。

古注『論語義疏』

季氏魯臣也周公天子臣食采於周爵為公故謂為周公也蓋周公旦之後也天子之臣地廣祿大故周公宜富諸侯之臣地狹祿小季氏宜貧而今僭濫遂勝天子臣故云季氏富於周公也

季氏は魯臣也。周公は天子の臣にして周於采を食めり。爵公為り故に謂いて周公を為す也。蓋し周公旦之後也。天子之臣地廣くして祿大し。故に周公宜く富むべし。諸侯之臣地狹くして祿小し。季氏宜く貧しかるべし。し而今おごりて濫りに遂に天子の臣に勝る。故に季氏周公於り富むと云う也。

論語 古注 何晏 論語 古注 皇侃
季氏は魯の家臣である。周公は天子の家臣であり、周から領地を貰って生活していた。そして爵位は最高の公爵だった。だから周公と言った。おそらくここで言う周公とは、その末裔である魯公のことかも知れない。天子の直臣は領地は広大で俸禄も多い。だから周公が富んでいたのは当然だ。しかし諸侯の家臣は領地は狭く俸禄は少ない。だから季氏は貧乏していてもおかしくない。ところがおごり高ぶって、好き放題をして、とうとう天子の直臣にまさる収入を得た。だから季氏は周公より富んでいる、と書いてあるのだ。

新注『論語集注』

周公以王室至親、有大功、位冢宰、其富宜矣。季氏以諸侯之卿、而富過之、非攘奪其君、刻剝其民、何以得此。冉有為季氏宰、又為之急賦稅以益其富。

周公王室を以て親に至り、大いなる功有り、冢宰に位し、其の富宜べ矣。季氏諸侯之卿を以て、し而富之に過ぐ、其の君を攘い奪うに非ずんば、其の民をむごく剝がんは、何以て此を得るや。冉有季氏の宰為りて、又た之が為め賦稅を急きて以て其の富を益せり。

論語 朱子 新注
周公は王室の一族で、大きな功績があり、宰相の地位にあったから、富んでいたのももっともだ。季氏は諸侯の家老に過ぎないのに、その財産が周公より富んでいたのは、主君をないがしろにしたのでなければ、民からむごく取り立てたからだが、どうやってそれを実現したか。冉有が季氏の執事となって、季氏のために取り立てを厳しくしたからで、その結果季氏の財産は増えたわけだ。

儒者の注釈を個人的感想としか思っていない訳者ではあるが、なぜに「周公」と書いてあるかの理由は、分からないとしか言いようが無い。

ただ個人的感想を言うなら、おそらく元は「周公」では無かったはずだ。何か別の言葉だったのが、長年のうちに写し間違えられ、あるいは磨滅してしまい、ある時点で意味不明となり、そこへ何かのしまりを付けたい儒者が、勝手に「周公」と書き換えたと想像する。

論語 周 金文 論語 哀 金文
「周」「哀」(金文)

では元は何と書いてあったか。おそらく「哀公」だろう。冉有が季氏に仕えたのは、孔子が放浪から帰国する直前で、その帰国工作のためもあって季氏に仕えた。その時の魯国公は哀公で、実権を季氏を筆頭とする門閥三家老=三桓に奪われ、更には亡命して客死のありさま。

論語 周 古文 論語 哀 古文
「周」「哀」(古文)

そんな「哀公」と書かれた文字が、あるいは竹簡の墨がにじんで読めなくなったり、あるいは刻石が磨滅してしまったりして、「周公」と取り違えられる可能性は万に一つも無いとは言えない。ともあれこれも個人的感想に過ぎず、訳者としてしまりを付けたいからに他ならない。

聚斂(シュウレン)

論語 聚 金文大篆 論語 斂 金文大篆
(金文)

論語の本章では、”税を取り立てること”。「聚」は“集める”。「斂」は”おさめる”。

『学研漢和大字典』によると「聚」は会意兼形声文字で、は、敵の耳をとってあつめ持つさま。聚は「三人の人+(音符)取」で、多くの人がひと所にあつまることを示す。湊(ソウ)(あつまる)・芻(スウ)(束ねあつめた草)などと縁が近い、という。

「斂」は会意兼形声文字で、僉(セン)・(ケン)は、多くの物をつぼに寄せあつめたさまを描いた象形文字。のち「集めるしるし+二つの口+二人の人」の会意文字で示し、寄せあつめることを示す。のち、「みな」の意の副詞に転用された。斂は「攴(動詞の記号)+(音符)僉」で、引き絞ってあつめること。

簾(レン)(引き寄せて片方にあつめるすだれ)・檢(=検。あつめて調べる)などと同系のことば。類義語の収は、一か所にまとめること。聚は、引き縮めてあつめること。集は、多くの物を寄せあつめること、という。

また武内義雄『論語之研究』によると、「聚斂」は斉の方言だという(p.103)。

附益

論語 益 金文
(金文)

論語の本章では、”一層増やす”。金文から分かるように、論語の時代では「付」と「附」は書き分けられていない。

『学研漢和大字典』によると「附」は会意兼形声文字で、付は「人+寸(手)」の会意文字で、手をぴたりと他人のからだにくっつけることを示す。附は「阜(土もり)+(音符)付」で、もと、土をくっつけた土盛りのこと。のち付と通用する。

▽付は、つけるの意に、附は、つくの意に用いるのが例であったが、混用される、という。

小子鳴鼓而攻之可也

論語 鼓 金文 論語 攻 金文
「鼓」「攻」(金文)

論語の本章では、”小子=お前たち、太鼓を鳴らして攻めてよろしい”。「可」は”してもよい”。

『攻殻機動隊』でバトーが、「理非なき時は鼓を鳴らし攻めて可なり」と言ったセリフの出典。ただし「理非なき時は」の出典は訳者には分からない。

論語の本章では、孔子は”攻めてもよい”と煽っているだけで、”攻めねばならない”という命令まではしていない。ゼン有を気にくわない理由は税を取り立てたことよりも、自分の仁フィギュア趣味を否定されたことにあるから、命令できるほど心が澄み切っているわけではなかった。

ただ漢文の語法として留意すべきは、「可」は日本語の「べし」と同じく、可能(~できる)・許容(してもよい)・当然(~すべきだ)・推定(~だろう)の意味も持つこと。ただし日本古語「べし」が持つ、命令(~せよ)の意味は、辞書的には﹅﹅﹅﹅﹅持たない。

論語時代の軍隊は、太鼓を叩いて進軍し、金鼓=青銅製のかねを叩いて退却した。「鳴鼓」とは、言わば突撃ラッパを意味する。孔子のこの発言の雰囲気をよく伝えようとすれば、下の動画になるだろうか。ただし弟子たちが冉求の執務室に、暴れ込んだかどうかは分からない。

論語:解説・付記

論語を読む限り、孔子の社会経済論は、「足らざるを憂えず、等しからざるを憂う」というもので、格差が激しくなることに反対した。この意味では現在的意義があるが、実践論としては極めて乏しく、その持論を実現できなかったのは歴史が示す通り。

また冉求としても過酷な税を取り立てた憶えはないだろうし、季氏が過酷な政治を行っていたという記録もない。むしろ飢饉の時に倉を開いて、救済事業を担っていたと『左伝』にある。当主・季康子が贅沢にふけっていたという記録もないし、いたってまともな為政者に思える。

ただ論語当時の魯国では盗賊が横行し、執政の季康子も孔子にぼやいており(論語顔淵篇)、そんな中で季氏の課税や収税が、適正だったかどうかはわからない。一方殿様の哀公は、当時の通例である1/10税では足りないと孔子の弟子・有若に嘆いている(論語顔淵篇)。

もし殿様と家老家との二重課税が課されていたなら、これはもう重税と言っていいだろう。しかしそうだったかどうかも分からない。いくらメモ魔の中国人とは言え、古代とあっては、かほどにか細い記録しかない。

しかし論語を読む限り、孔子が破門したのは冉有ただ一人。その理由は同じく論語にある。

論語 冉求 焦り 論語 孔子 激怒
冉求「先生の理想に共鳴はしますが、私には無理です。」
孔子「(カチン!)言ったな !? やりもしないで何が無理だっ!」(論語雍也篇12)

実務家の冉有は、孔子のフィギュア趣味について行けなかったのだ。管仲に対する批評同様、孔子は自分の理想像を穢されるとムキになって怒る。仁ならなおさら。これはハニートラップにかかっていたと知ったときの怒りにも似て、孔子は冉有を決して許さなかったのである。

なお「可」には辞書的には命令の意味はないと上記したが、現実的には命令を意味する場合がある。中国の君主は命令する際、臣下の進言に対して「可」または「善」と返答した。これはともに「よし」と読み、裁可を与えたタテマエだが、実際には”やれ”と命令したのだ。

そのために君主の意向を読み取り、その通りの上奏を行うそば付きの臣下が必要という、まことにややこしい社会が論語の昔からあった。つまり君主は”許可しただけ”という言い逃れが出来、臣下は”提案しただけ”という言い逃れが出来る。誰一人、責任を取ろうとしない。

論語 始皇帝
まれには秦の始皇帝や明の洪武帝、清の雍正帝のように、自らの責任において政務を摂った君主もいたが、それは例外中の例外。帝政時代が終わっても、君主や役人とはそういう生き物だったことを、安能努は『八股と馬虎』の中で、中華民国時代の話として描いている。

上海で、住民が暴動を起こした。警備兵の隊長が、上官に指示を求めると、上官は「槍在你的掌上!」(チアン=銃はお前の手の中にある)と言っただけ。撃てとも撃つなとも言わない。上官としては、事の結果次第で「撃つなと言いました」「撃てと言いました」と言い逃れるわけ。

安能努は中華文明の神髄が、ここに現れていると言うが卓見だろう。論語の本章に話を戻せば、孔子の言葉を日本語に訳せば「こらしめてやれ」としか訳しようがないが、中国語だと「攻めていい」でしかない。中華文明の何たるかを知らないと、論語もまた読めないのだ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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コメント

  1. saiou より:

    イノセンスの引用を調べていました。
    勉強になります。
    あと、進軍ラッパの動画、笑いました。

    先進篇第十一(16)、とのことですが、手元の『完訳論語』では(17)でした。

    • 九去堂 より:

      論語に限らず漢文の古典にはもともと句読点がありませんから、どこで切り分けるかは読み手次第です。私は基本的には朱子による切り分けに従っていますが、一部違う箇所もあります。井波先生も同じで、訳者によって違いがあり得るのです。