論語詳解073里仁篇第四(7)民のとがや°

論語里仁篇(7)要約:中国では、市長は裁判官も務めます。江戸のお奉行様と同じです。つまり貴族を目指すなら、裁判も出来なくてはいけません。若い頃から司法に通じた孔子先生は、その要点を弟子に伝えたのでした。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「人*之過也、各於其黨。觀過、斯知仁矣。」

校訂

武内本:民、唐石経辟諱人に作る。


→子曰、「民之過也、各於其黨。觀過、斯知仁矣。」

復元白文

論語 子 金文論語 曰 金文 民 金文之 金文論語 過 金文也 金文 各 金文於 金文論語 其 金文當 当 金文 論語 観 金文論語 過 金文 論語 斯 金文智 金文論語 仁 甲骨文已 矣金文

※黨→當。仁→甲骨文・矣→已。

書き下し

いはく、たみひと)のとがおのおのともがらおよばん。とがまもるは、じんなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 切手
先生が言った。「民が罪を犯すと、その親類縁者まで連座することになる。その罪をよく吟味する行為は、貴族らしさを知ることになる。」

意訳

論語 孔子 水面
民の罪は、その一族まで追求して審理する。罪の詳細を吟味することが、貴族としての仕事を覚えることになるのだ。

従来訳

論語 下村湖人
 先師がいわれた。――
「人がら次第で過失にも種類がある。だから、過失を見ただけでも、その人の仁不仁がわかるものだ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「人的過錯,各不相同。觀察過錯,就能瞭解人的精神境界。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「人の間違いは、互いに似ていない。その間違いを観察すると、人の精神世界がすぐに明瞭に分かる。」

※この解釈は、朱子の新注「黨,類也」を受け売りしたもので、誤りである。例によって朱子は根拠を言っていないし、黨の字が論語の時代に存在したことを前提にしているからだ。

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 () 。」

人→民

論語 唐太宗李世民
上記校訂のように、もと「人」は「民」と書かれていた。書き改められた理由は、唐王朝の事実上の開祖、太宗李世民のいみ名=本名にある「民」の字をはばかったため。これを避諱(ヒキ)という。ただし論語学而編9の「民の徳」がなぜ避諱されなかったかは不明。

唐帝国で、歴代皇帝の名に使われたとして避諱された文字については、辻正博「唐代寫本における避諱と則天文字の使用」を参照。

つまり本章は、為政者としての孔子が、上から目線で民の犯罪を論じ、仁をからめた話だと分かる。ここから、「人柄」と解する上掲の従来訳も、「人情」と解する下記する漢学教授の解釈も、全部間違いだと分かる。

漢学の面白さの一つは、このように時折、発破一発ズドンで、権威がガラガラと崩れ落ちるところにある。

黨(党)

論語の本章では、”かばい合うような仲間”。『大漢和辞典』の第一義は”むら・さと”。第二義が”ともがら”。

この文字は、論語の時代に存在せず、初出は戦国晩期の金文。ただしカールグレン上古音tɑŋを共にするただ一つの文字、當(当)が春秋末期の金文から見つかっており、その語釈として『大漢和辞典』は”ならぶ”を載せる。

また「国学大師」は、「偏袒。通“黨”。《莊子·天下》:“公而不當,易而無私。”」という。よってこの言葉は、論語の時代に存在したと判定する。

となると、従来言われてきた語源、”煮炊きのかまどの火を共にするような仲間”は、考え直す必要がありそうだ。従う部品は「黒」ではなく、「當」だからだ。詳細は論語語釈「党」を参照。

人之過也、各於其黨。

前の句が”人の犯罪というものは”という主部を構成しているので、後ろの句の「於」は動詞でないと意味が通じない。従来の論語本に、このような場合の「於」の読みとして、「おいてす」とあるものが多いが、違法建築を見るような苦しい読みだし、意味も間違っている。

”~で行う”の意ではないからだ。この場合「およぶ」と読んで、”及ぶ・関係する”と解釈するのが正しい。

斯(シ)

論語 斯 金文 論語 ナタ 斯
(金文)

論語の本章では、”そうすると・そこで”。前後の句をつなぐ意を示す。詳細は論語語釈「斯」を参照。

『大漢和辞典』の第一義は”事物を指し示す代名詞”。伝統的解釈に従うなら、ここでも”ここ”と解するしかない。しかし「斯」を動詞の”切る・切り分ける”と解するなら、この章の意味は全く変わる。その場合の読み下しは、「知と仁は斯(き)れる矣(なり)」。

知仁矣。そこで初めて、誰が知者で、誰が仁者かわかる。

ただし論語で言う「知者」とは礼を知る者であり、礼とは仁のスペックを言うから、知者と仁者はきわめて近い。過ちを示すとその違いが鮮明になるのだろうか? あるいは、知っているだけで実践には至っていない者を知者と呼び、至った者を仁者と呼ぶのかも知れない。

論語における「知」

いすれにせよ、孔子が論語の時代に生きた人物の中で、仁者と評したのは顔回しかいないので、情報が少なく、知者と仁者の違いははっきりしない。

論語 仁 金文大篆 論語 孔子 奉行
(金文大篆)

論語の本章では、審判の能力を中心とした”貴族らしさ”。原文が後世の創作である場合は、孟子の提唱した「仁義」と同様に、史実である場合は原義で解釈しなければならない。詳細は論語における「仁」を参照。

中国では、行政官と司法官は不分離で、遠山の金さんが江戸の市政と裁判を兼任するのと同じ。裁判が出来ることは貴族に必要な技能で、後世の科挙=高級官僚採用試験でも、裁判の出来そうな人相かどうか、最終面接で審査された。

無名の若き孔子を見出したのは、魯国の門閥で、司空=司法と土木を司った孟孫氏の当主、孟子だった。孔子はその部下として働き、のちに司空、次いで司法長官である大司冦を務めた顔淵篇12など、論語にもたびたび裁判の話が出て来るのは、その反映である。

論語:解説・付記

論語の本章の「斯」を”切り分ける”と解釈すると、このような訳が可能になる。

人は群れの中にいると、普段は些細な違いに目をつぶる。しかしひとたびいさかいが起こると、そこで初めて誰が知者で誰が仁者かわかる。

論語を読むに当たって気を付けなければならないのは、まず中国人というのがきわめて実利主義の人たちであって、ドイツ思想のような空理空論をもてあそぶ癖が少ないことにある。その代わり論理的思考は極めていい加減であり、とりわけ物事の分類を苦手とする。

論語 馬 漢字
そのくせ分類好きで、試しに厚めの漢和辞典を開いてみるといい。「うま」と読む字が一体いくつあるか。中国語は原則として漢字が異なれば意味が違うから、それぞれの「うま」は別物を意味しているが、ではその分類を数式やプログラムの宣言としてやってみようとすると。

必ず失敗する。中国思想を専攻する若者が挫折する原因はおおかたこれであり、中国人は違う名前を付けておきながら、実際の生活では「似たような者はどれも同じ」と考える。だからこそニセモノが悪いという発想がない。利益さえあれば円い鍵穴に平気で角材を押し込むのだ。

このおかしさに孔子が気付いて「名を正す」(論語子路篇3)と言ったのだが、付き合いの古い子路ですら、その意味が分からない。同様に各自の好みは違っても、つるむことで利があるならいくらでもつるむ。しかし一旦いさかいが起これば、というのがこの意味。

しかしこの解釈は面白すぎて、孔子の発言の真意とは考えがたい。決定打は上記の通り、「人」はもと「民」と書かれていたことで、孔子は人間一般を論じたのではなく、役人をめざす弟子に対して、役人として必須の技能について述べたわけ。

なお既存の論語本では、吉川本にこうある。

論語 吉川幸次郎
「朱子の新注によって読みたい。…朱子の注が具体的に説くのによれば、君子は人情に厚いためにあやまちをおかし、小人は人情に薄いためにあやまちをおかす。君子は愛のためにあやまちをおかし、小人は残忍のためにあやまちをおかす。だからその人の過失の種類を見れば、その道徳の程度なり方向がわかる。…斯の字は、則の字の意味に読むべきである。」

論語 朱子 新注
朱子の言う君子・小人とは、自分の教義に従う者とそうでない者を言うから、ずいぶんとすごい解釈だ。しかし吉川本には続けてもっとすごいことが書いてある。

「後漢書の呉祐伝でも、父の着物を買うために余分な税を取り立てた役人のことを弁護して、それは孝心から出たあやまち、いわゆる過ちを観れば斯ち仁を知るものである、といっている。」

史料を確認してみよう。

呉祐ゴユウという情け深い知事がいた。民や下級役人はよく懐いた。〕下級役人の孫性が、勝手に民の銭を巻き上げ、市場で売っていた上着を奪ってその父に差し出した。父はそれを手にすると、怒って言った。

「ありがたい知事様がいるというのに、どうしてだませようか。」息子を促がして自首させた。孫性は恥ずかしいやら恐ろしいやらで、その上着を持って役所に出向き、自首した。知事の呉祐が人払いしてから理由を問うと、孫性は父の言葉をありのままに伝えた。

呉祐「お前は父のために、汚名を着たのだな。論語にある、『過ちを観て斯に人を知る矣』とはこのことだ。」孫性を罰さず帰らせて、その父親に感謝の言葉を伝えさせ、くだんの上着はそのまま持たせてやった。(『後漢書』吳延史盧趙列傳)

これが後漢時代の「善政」。銭や上着を奪い取られた庶民はどうなるのだろう?

孝行という、帝政中国での最高道徳も、知事の自己宣伝や行政の言い逃れのためなら、こんな解釈がまかり通る。後漢社会の偽善性が、どこまでも染み込んでいることが分かるだろう。

光武帝
後漢は開祖の光武帝が、とびきりの偽善者でオカルト信者だったから、下これにならうでこうなった。そして行政はガタガタになり、政府は派閥抗争の場と化し、そして滅亡に至った。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

  1. […] 以前記したとおり中国では、時に民から財貨を奪い取ることが孝行になり、それを見て見ぬ振りするのが善政になりえ、それが欽定=帝国公認の史書に堂々と記してある。知や仁の定義など、時の権力や権威、それをまとった儒者の手によって、都合良く変わるのが常だった。 […]

  2. […] 後漢帝国は信じがたいほどの偽善がまかり通った国で、そういう社会では明治以降の日本漢学界同様、信じがたいほどの馬鹿者が枢要な地位を占めることがある。本章を捏造した儒者もその類で、ただでさえ私立文系バカの儒者に、輪を掛けた高慢ちきが加わればこうなりもする。 […]

  3. […] 薄いのではなく無い。論語の本章を偽作した前漢の儒者も同じで、社会の公正を保つために、誰もが服すべき法を忌み嫌い、身内に甘いことがむしろ善事とされた。一例が後漢時代の偽善的な「善政」である。なお日本の現行法も、家族をかくまった場合は罪に問われないらしい。 […]

  4. […] 呉裕「あらぬ稼ぎをしたのは親のため、あえて汚名を着ようとしたのだな。論語に”間違いのやりかたで人が分かる”(論語里仁篇7)というのはこのことだ。」そのまま無罪放免として家に帰し、奪い取った上着もそのまま持たせてやった。(『後漢書』呉裕伝3) […]