論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子曰、「不患無位、患所以立。不患莫己知*、求爲可知也。」
校訂
武内本
清家本により、知の下也の字を補う。
定州竹簡論語
子曰:「不患無位,患所[以立。不患莫己知,未a為可知也]。」71
- 未、今本作「求」。
→子曰、「不患無位、患所以立。不患莫己知、未爲可知也。」
復元白文
※患→圂。論語の本章は、おそらく也の字を断定で用いている。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。
書き下し
子曰く、位無きを患へず、立つ所以を患へよ。己知らるる莫きを患へざるは、未だ知らる可きを爲さざれば也。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「地位が無いのを心配せず、地位に立つ理由を心配せよ。〔私が〕自分が知られないのを心配しないのは、知られるようなことをまだしていないからだ。」
意訳
地位が無いと嘆く前に、能がないのを嘆け。何もやっていない、と自覚があれば、無名を心配しないものだ。
従来訳
先師がいわれた。――
「地位のないのを心配するより、自分にそれだけの資格があるかどうかを心配するがいい。また、自分が世間に認められないのを気にやむより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい。」
現代中国での解釈例
孔子說:「不要擔心沒有地位,要註意做人的立場;不要怕沒人瞭解自己,要想法使自己容易得到理解。」
孔子が言った。「地位が無いのを心配するのをやめよ。他者の立場になれるよう努力せよ。他人から理解されないのを恐れるのをやめよ。自分の理解力を上げるよう努力せよ。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
患
(金文大篆)
論語の本章では”心配する”。『大漢和辞典』の第一義が”うれえる”。原義は数珠つなぎのように心配事が心を悩ますこと。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は「困」または「圂」。詳細は論語語釈「患」を参照。
不患莫己知
「莫」(金文)
「莫」の原義は、草むらに沈む夕日。この倒置表現は、論語学而篇16と同じ。
伝統的な論語本では、「己の知らるる莫きを患えず」と読み、”自分が認められ、出世できないのを思い煩うな”と解釈する。ただし「莫己知」の語順が「(主語-)否定辞-目的語-動詞」になっている。原則として中国語の語順は「主語-動詞-目的語」だから、これは倒置になっている、と解説される。
なお「知」について詳細は、論語における「知」を参照。
不患莫己知、未爲可知也
最後の「也」が、疑問・反語にも、詠歎にも、断定にも取れる。ただし「不患莫己知」→「未爲可知也」と繋がるように解釈すると、上掲のように、”〔私が〕無名を心配しないのは、名が知られるようなことを、何もやっていないからだ”という、因果関係に読むのが最適と思われる。
すると『也」→断定となり、本章は戦国時代以降の儒者による捏造ということになる。
論語:解説・付記
論語の本章は、文末の「也」を詠歎と解し、史実であると理屈を付けることは出来る。ただし訳文がおかしなことになる。
子曰、「不患無位、患所以立。不患莫己知、未爲可知也。」
子曰く、「位無きを患え不、立つ所以を患えよ。己れ知らるる莫きを患え不、未だ知らる可きを爲さざる也。」
先生が言った。地位が無いのを悩むな。地位に就く資格が無いのを悩め。自分の無名を悩むな。知られるようなことをまだしていないなあ。
新古の注による論語の本章の解釈は、以下の通り。
子曰不患無位患所以立。時多患無爵位、故孔子抑之也。言何患無位、但患已才閽無徳以處立於位耳。不患莫已知也求為可知也。又言若有才伎、則不患人不見知也。故云不患莫己知也。若欲得人見知、唯當先學才伎、使足人知、故云求為可知也。苞氏曰、求善道而學行之則人知已也。
子曰く、不患無位患所以立と。時に爵位無きを患うる多く、故に孔子之を抑たる也。言うらくは何ぞ位無きを患えん、但だ已の才閽く徳無くして以て位於處り立つを患うる耳。不患莫已知也求為可知也。又た言うらく、若し才伎有らば、則ち人の見て知ら不るを患え不る也。故に不患莫己知也と云う。若し人の見て知るを得るを欲さば、唯だ當に先に才伎を學び、人の知るに足ら使む、故に求為可知也と云う。苞氏曰く、善き道を求め而之を行うを學ばば、則ち人已を知る也と。
先生は「不患無位患所以立」と言った。当時爵位の無いのを嘆く者が多く、だから孔子はそれを控えさせたのだ。その心は、どうして位が無いのを嘆くのか。自分の才が乏しく、能が無いのに、地位に就くことだけをひたすら恐れよ、と言ったのだ。
孔子は「不患莫已知也求為可知也」と言った。その心は、もし技能があれば、人が認めてくれないことを嘆かない、ということだ。だから「不患莫己知也」と言った。もし人に認めて貰いたいなら、先に技能を学び、人が認めるのに十分な自分になっておくことだ。だから「求為可知也」と言った。
苞氏「善い道を求めてそれを実行するのを学ぶなら、間違いなく人は自分を認めてくれる。」
所以立,謂所以立乎其位者。可知,謂可以見知之實。程子曰:「君子求其在己者而已矣。」
所以立は、其の位乎立つ所以の者を謂う。可知は、以て之を見知るの實なる可きを謂う。程子曰く、「君子其れ己に在る者を求むる而已矣。」
所以立とは、その地位に立つ理由のことだ。可知は、その人物を認める十分な理由のことだ。
程子「君子は、自分がすでに身につけたものにふさわしい地位を求めるだけだ。」
いずれも、「未→求」という、恐らくは皇侃本以降の文字列に依った解釈で、参考とし難い。もっとも、必ずしも定州竹簡論語がそれ以降の版本より孔子の肉声に近いとは言えないが、今の段階では、本章を戦国時代以降の創作と考えておくのが妥当だろう。