PRあり

論語詳解080里仁篇第四(14)位無きをうれえず’

論語里仁篇(14)要約:誰もが思い通りに出世できるとは限りません。出世できないのは、その能が自分に無いからだ。自分の能なしを自覚していれば、出世できないと悩みはしない。だから、心と頭を鍛えなさい、と孔子先生のお説教。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子曰不患無位患所以立不患莫己知求爲可知也

校訂

東洋文庫蔵清家本

子曰不患無位患所以立不患莫已知也求爲可知也

  • 「已」字:京大本・宮内庁本「巳」。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

曰:「不患無位,患所[以立。不患莫己知,未a為可知也]。」71

  1. 未、今本作「求」。

標点文

子曰、「不患無位、患所以立。不患莫己知、未爲可知也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 不 金文圂 金文無 金文位 金文 圂 金文所 金文㠯 以 金文立 金文 不 金文圂 金文莫 金文己 金文智 金文 未 金文為 金文可 金文智 金文也 金文

※患→圂。論語の本章は、「未」「也」の用法に疑問がある。

書き下し

いはく、くらゐきをうれへず、所以ゆゑんうれへよ。おのれらるるきをうれるは、いまらるきをさざればなり

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子
先生が言った。「地位が無いのを心配せず、地位に立つ理由を心配せよ。〔私が〕自分が知られないのを心配しないのは、知られるようなことをまだしていないからだ。」

意訳

論語 孔子 居直り
地位が無いと嘆く前に、能がないのを嘆け。まだ何もやっていない、と自覚があれば、無名を心配しないものだ。

従来訳

下村湖人
先師がいわれた。――
「地位のないのを心配するより、自分にそれだけの資格があるかどうかを心配するがいい。また、自分が世間に認められないのを気にやむより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「不要擔心沒有地位,要註意做人的立場;不要怕沒人瞭解自己,要想法使自己容易得到理解。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「地位が無いのを心配するのをやめよ。他者の立場になれるよう努力せよ。他人から理解されないのを恐れるのをやめよ。自分の理解力を上げるよう努力せよ。」

論語:語釈


子曰(シエツ)(し、いわく)

論語 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」論語語釈「曰」を参照。

子 甲骨文 曰 甲骨文
(甲骨文)

この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

患(カン)

患 楚系戦国文字 患 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では、”気に病む”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。字形は「毋」”暗い”+「心」。「串」に記すのは篆書以降の誤り。論語時代の置換候補は近音の「圂」または「困」。詳細は論語語釈「患」を参照。

無(ブ)

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

論語の本章では”無い”。初出は甲骨文。「ム」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

位(イ)

位 金文 位 字解
(金文)

論語の本章では”地位”。初出は甲骨文。字形は楚系戦国文字になるまで「立」と同じで、「大」”人の正面形”+「一」大地。原義は”立場”。春秋までの金文で”地位”の意に用いた。詳細は論語語釈「位」を参照。

所(ソ)

所 金文 所 字解
(金文)

論語の本章では”…するところの…”。初出は春秋末期の金文。「ショ」は呉音。字形は「戸」+「斤」”おの”。「斤」は家父長権の象徴で、原義は”一家(の居所)”。論語の時代までの金文では”ところ”の意がある。詳細は論語語釈「所」を参照。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、”率いる”・”用いる”・”携える”の語義があり、また接続詞に用いた。さらに”用いる”と読めばほとんどの前置詞”…で”は、春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

立(リュウ)

立 甲骨文 立 字解
(甲骨文)

論語の本章では”地位に就く”。初出は甲骨文。「リツ」は慣用音。字形は「大」”人の正面形”+「一」”地面”で、地面に人が立ったさま。原義は”たつ”。甲骨文の段階で”立てる”・”場に臨む”の語義があり、また地名人名に用いた。金文では”立場”・”地位”の語義があった。詳細は論語語釈「立」を参照。

莫(バク)

莫 甲骨文 莫 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~でない”。初出は甲骨文。漢音「ボ」で”暮れる”、「バク」で”無い”を示す。字形は「ボウ」”くさはら”+「日」で、平原に日が沈むさま。原義は”暮れる”。甲骨文では原義のほか地名に、金文では人名、”墓”・”ない”の意に、戦国の金文では原義のほか”ない”の意に、官職名に用いた。詳細は論語語釈「莫」を参照。

己(キ)

現存最古の論語本である定州竹簡論語では「己」と釈文され、唐石経も同じく「己」と記し、東洋文庫蔵清家本は「已」と記す。京大蔵・宮内庁蔵清家本は「巳」と記す。清家本は唐石経より前の古注系論語を伝承しており、唐石経を訂正しうるが、より古い定州本に従い校訂しなかった。

「巳」字であれ「已」字であれ語義は”自分”で変わらないし、つまり唐代頃までは「巳」”へび”と「已」”すでに”と「己」”おのれ”は相互に異体字として通用した。従って本章でも異体字として扱った。

論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

己 甲骨文 己 字解
(甲骨文)

論語の本章では”自分”。初出は甲骨文。「コ」は呉音。字形はものを束ねる縄の象形だが、甲骨文の時代から十干の六番目として用いられた。従って原義は不明。”自分”の意での用例は春秋末期の金文に確認できる。詳細は論語語釈「己」を参照。

已 甲骨文 已 字解
(甲骨文)

「已」の初出は甲骨文。字形と原義は不詳。字形はおそらく農具のスキで、原義は同音の「以」と同じく”手に取る”だったかもしれない。論語の時代までに”終わる”の語義が確認出来、ここから、”~てしまう”など断定・完了の意を容易に導ける。詳細は論語語釈「已」を参照。

巳 甲骨文 巳 字解
(甲骨文)

慶大蔵論語疏は本章を欠くが、現存する章ではやはり同じく「己」「已」を「巳」と記す。「巳」の初出は甲骨文。字形はヘビの象形。「ミ」は呉音。甲骨文では干支の六番目に用いられ、西周・春秋の金文では加えて、「已」”すでに”・”ああ”・「己」”自分”・「怡」”楽しませる”・「祀」”まつる”の意に用いた。詳細は論語語釈「巳」を参照。

知(チ)

知 智 甲骨文 知 字解
(甲骨文)

論語の本章では”好意的に理解する”。現行書体の初出は春秋早期の金文。春秋時代までは「智」と区別せず書かれた。甲骨文で「知」・「智」に比定されている字形には複数の種類があり、原義は”誓う”。春秋末期までに、”知る”を意味した。”知者”・”管掌する”の用例は、戦国時時代から。詳細は論語語釈「知」を参照。

莫己知

論語の本章では”自分が知られることがない”。漢語は通常、SVOの語順だから、通常「莫知己」となるべき所、否定文ではV-Oが入れ替わる例が甲骨文からあった。

求(キュウ)→未(ビ)

求 甲骨文 求 字解
(甲骨文)

論語の本章では”もとめる”。初出は甲骨文。ただし字形は「」。字形と原義は足の多い虫の姿で、甲骨文では「とがめ」と読み”わざわい”の意であることが多い。”求める”の意になったのは音を借りた仮借。論語の時代までに、”求める”・”とがめる””選ぶ”・”祈り求める”の意が確認できる。詳細は論語語釈「求」を参照。

未 甲骨文 未 字解
(甲骨文)

定州竹簡論語の「未」は、論語の本章では”今でも…でない”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「ミ」は呉音。字形は枝の繁った樹木で、原義は”繁る”。ただしこの語義は漢文にほとんど見られず、もっぱら音を借りて否定辞として用いられ、「いまだ…ず」と読む再読文字。ただしその語義が現れるのは戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「未」を参照。

爲(イ)

為 甲骨文 為 字解
(甲骨文)

論語の本章では”する”。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”~になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。

可(カ)

可 甲骨文 可 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…はずの”。積極的に”…せよ”の意ではない。初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”~できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”~できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「かな」と読んで詠嘆の意。この語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

不患莫己知、未爲可知也

二句目の「知」は受身に解釈しないと文意が取れない。漢文には受身の記号「於」「于」「被」などがあるが、これら無しでも受身を意味しうる。

最後の「也」が、疑問・反語にも、詠歎にも、断定にも取れる。ただし「不患莫己知」→「未爲可知也」と繋がるように解釈すると、上掲のように、”〔私が〕無名を心配しないのは、名が知られるようなことを、何もやっていないからだ”という、因果関係に読むのが最適と思われる。

「未爲可知也」を「未だ知らる可きらざれば也」と訓み下し、”まだ知られて当然の価値が無いからだ”と解するのも誤りではない。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

検証

論語の本章は、他の章と似通っている部分がある。

  1. 不患人之不己知,患不知人也。(論語学而篇16)
  2. 不吾知也。(論語先進篇25)
  3. 自經於溝瀆、而莫之知也。(論語憲問篇18)
  4. 不患人之不己知、患其不能也。(論語憲問篇32)
  5. 莫我知也夫。(論語憲問篇37)
  6. 莫己知也。(論語憲問篇42)
  7. 不病人之不己知也。(論語衛霊公篇19)

だが春秋戦国の誰一人引用しておらず、初出は定州竹簡論語で、再出は後漢の王符『潜夫論』になる。

孔子曰:「不患無位,患己不立。」是故人臣不奉遵禮法,竭精思職,推誠輔君,效功百姓,下自附於民氓,上承順於天心,而乃欲任其私知,竊君威德,以陵下民,反戾天地,欺誣神明,偷進苟得,以自奉厚;居累卵之危,而圖泰山之安,為朝露之行,而思傳世之功,譬猶始皇之舍德任刑,而欲計一以至於萬也。豈不惑哉!

後漢儒
孔子先生は言った。”地位が無いのを…”と。こう言われるのももっともで、世の役人は礼法を踏みにじり、まじめに職に努めず、心から主君に忠節を尽くさず、人民を助けてやろうとしない。下を見ては人民を見下し、上を見ては天の思し召しに舌を出す。

その結果自分の同類だけで結託し、主君の権威を汚し、人民を虐げ、天地に逆らい、神様をたばかり、少しでも儲かるなら盗み取り、自分の儲けばかり考える。これは丸い卵を重ねた上に座っているようなもので、危なっかしいことこの上ないのだが、自分では泰山の如きどっしりした安全を図っているつもりでおり、はかない行為にあくせくしながら、後世に名を残そうと一生懸命で、まるで始皇帝が法治さえ行えば天下安泰と思っていたのと同じで、少しの小ヂエで大儲けしようと企んでいる。愚か者というしかない。(『潜夫論』忠貴9)

「不」の管到(語の支配する範囲)が「心」までの28字もあるという、鰻の寝床みたいなふざけた儒教帝国の後漢らしいゲテモノ文だが、故事成句「危うきこと累卵の如し」の出典の一つはこれ。祖型は戦国末期の『韓非子』に見られる

また論語の本章によく似たことが、戦国から前漢にかけて、管仲の名をたばかって書かれた『管子』に記されている。

管子曰:身不善之患,毋患人莫己知。丹青在山,民知而取之;美珠在淵,民知而取之。是以我有過為,而民毋過命。民之觀也察矣,不可遁逃。以為不善。故我有善,則立譽我;我有過,則立毀我。當民之毀譽也,則莫歸問於家矣。

論語 管子
ニセ管仲「自分で善くないことをしておきながら、人が好意的に理解してくれないなどと思ってはならない。赤や青の鉱物は山に隠れているが、それが役立つと知っているから人が掘り出す。美しい玉は川底に隠れているが、価値があると思うから人が拾い上げる。

だから自分が悪いことをしておきながら、民に悪いことをするなと命じても、民には悪事がバレており、”あのお人は悪党だ”と言われ、隠し通すことは出来ないのだ。善事にいそしんで、やっと誉められることになる。悪事をするのは、つまり自分で自分を損なっており、民が誉めてくれるかどうかは、自分自身の行動次第で、同僚に責任を問うことは出来ない。」(『管子』小称1)

いずれにせよ文字史的には論語時代に遡りうるので、とりあえず史実として扱う。

解説

孔子塾生はほぼ全員が庶民の出で、塾で貴族にふさわしい技能と教養を身につけ、成り上がろうとしたのだから、「位無き」を弟子が憂うのは当然で、孔子もまた弟子の仕官に腐心したことは論語先進篇23「季子然問う」などから読み取れる。だがうまく行かぬ事もあったのだろう。

そうすると孔子としては、「買い手が付くまでもっと勉強と稽古に励みなさい」としか言いようが無いわけで、このあたりは現在の学校のたぐいと変わらない。ただし孔子塾は個人経営だけに、就職課以外の教職員が知らんぷりできるようなわけにはいかなかった。

新古の注による論語の本章の解釈は、以下の通り。

古注『論語義疏』

子曰不患無位患所以立。時多患無爵位、故孔子抑之也。言何患無位、但患已才閽無徳以處立於位耳。不患莫已知也求為可知也。又言若有才伎、則不患人不見知也。故云不患莫己知也。若欲得人見知、唯當先學才伎、使足人知、故云求為可知也。苞氏曰、求善道而學行之則人知已也。

古注 何晏 古注 皇侃
先生は「不患無位患所以立」と言った。当時爵位の無いのを嘆く者が多く、だから孔子はそれを控えさせたのだ。その心は、どうして位が無いのを嘆くのか。自分の才が乏しく、能が無いのに、地位に就くことだけをひたすら恐れよ、と言ったのだ。

孔子は「不患莫已知也求為可知也」と言った。その心は、もし技能があれば、人が認めてくれないことを嘆かない、ということだ。だから「不患莫己知也」と言った。もし人に認めて貰いたいなら、先に技能を学び、人が認めるのに十分な自分になっておくことだ。だから「求為可知也」と言った。

包咸「善い道を求めてそれを実行するのを学ぶなら、間違いなく人は自分を認めてくれる。」

新注『論語集注』

所以立,謂所以立乎其位者。可知,謂可以見知之實。程子曰:「君子求其在己者而已矣。」

朱子 新注 程伊川
所以立とは、その地位に立つ理由のことだ。可知は、その人物を認める十分な理由のことだ。

程頤「君子は、自分がすでに身につけたものにふさわしい地位を求めるだけだ。」

いずれも、「未→求」という、恐らくは皇侃本以降の文字列に依った解釈で、参考とし難い。

余話

恐妻家連盟

『笑府』は「位」の取り合いをこうからかっている。

鼻與眉爭坐位。鼻曰。一應香臭皆我先知。我之功大矣。汝有何功。位居我上。眉曰。是則然矣。假如鼻頭居上位。世有此理否。吳俗呼家人為鼻頭


鼻とまゆ毛が位を争った。

鼻「およそにおいというものは、我が輩が真っ先に知るものだ。我が輩の功績は巨大で、貴様ごときは穀潰し、我が輩が上位に立つのが当然だ。なのになんで貴様は我が輩の上にいるのか?」
まゆ毛「それは言う通りだが、鼻が頭の上に付いている人なんているのかい?」

華南の方言では、かみさんを「鼻頭」と言う。(『笑府』巻三・争坐位)

これは明の風俗を知らないと笑えない。『笑府』には恐妻家の話がいくつか載っている。

衆怕婆者相聚。欲議一不怕之法以正夫綱。或恐之曰。列位尊嫂聞知。已相約即刻一齊打至矣。衆駭然奔散。惟一人坐定。疑此人獨不怕者也。察之則已驚死矣。


恐妻家が集まって、妻が怖くなくなる方法を相談し、それで夫の権威を回復しようとした。そこへ遅れてやって来た恐妻家が言う。

「みなさま方の奥方様が、この会合のうわさを聞きつけたようですぞ。もうすぐこぞってここに押しかけて、とっちめると気勢を上げています。」

男どもがわらわらと逃げ散る中で、一人だけ動かざる事山の如しな男がいた。「大したお方だ」とみなが寄ってみると、すでにショック死していた。(『笑府』巻八・正夫綱)

『論語』里仁篇:現代語訳・書き下し・原文
スポンサーリンク
九去堂をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました