論語詳解214子罕篇第九(10)子斉衰の者と

論語子罕篇(10)要約:孔子先生は身分秩序を説きましたが、喪服を着た人や目の見えない人に対しては、身分にかかわらず丁重に扱いました。当時盲人は音楽を専業にしており、音楽の得意な先生は、彼らと深い付き合いがあったでしょう。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子見齊衰者*、冕衣裳者、與瞽者、見之雖少*必作、過之必趨。

校訂

武内本:武内本により、少の下に者の字を補う。(猪飼)敬所云く、齊衰者の下、「雖狎必變」の四字を脱す、郷党篇十三章参照。

書き下し

齊衰しさいもの冕衣裳べんいしやうもの瞽者こしやれば、これるにわかしといへどかならつ。これぐるにかならはしる。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 肖像
先生は喪服を着た者、礼服を着た者、目の見えない者に出会うと、相手が若かろうが姿勢を正した。その横を通り過ぎる時には、必ず小走りした。

意訳

同上

従来訳

論語 下村湖人

先師は、喪服を着た人や、衣冠束帯をした人や、盲人に出会われると、相手がご自分より年少者のものであっても、必ず起って道をゆずられ、ご自分がその人たちの前を通られる時には、必ず足を早められた。

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

齊(斉)衰(シサイ)

論語では喪服の一種。喪服にも五等の階級があり、最上級の斬衰の次に重い喪服。麻で作り、裳(もすそ、スカート)を縫い合わせたもの。

論語 斉衰

冕(ベン)

論語 冕 金文大篆
(金文)

論語の本章では、まな板のような板と前後のすだれがてっぺんに乗った、礼服用の冠。

論語 冕

與(与)

論語 与 金文 論語 与
(金文)

論語の本章では”~と”。三つ以上の物事を列挙する際には、英語同様、「A、B、與(and)C」の語法で用いられている。『学研漢和大字典』による原義は力を合わせること。

瞽(コ)

論語 瞽 甲骨文 論語 瞽 古文
(甲骨文・古文)

論語の本章では、”目が見えない”。甲骨文の頃からある古いことば。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「目+(音符)鼓(皮が張ってあるたいこ→ぴんと張ったままで働かない)」、という。しかし古い書体を見ると太鼓の形には思えない。

一方『字通』では、楽師に瞽者が多かったからではないか、という。続けて、視力のない者は盲といい、瞳はあるが視力のない者のこととし、瞽者は礼法と音楽の伝承に重要な位置を占めた、という。また、殷代の学問を瞽宗という、とある。

論語 作 金文 論語 作
(金文)

論語の本章では”立ち上がる・立って敬意を示す”。論語では「たつ」と読んで立礼を意味する章が複数あり、『大漢和辞典』にも”立ち上がる”の語義を載せる。

趨(シュ)

論語 趨 金文 論語 趨
(金文)

論語の本章では、”小走りする”。論語時代では、貴人の前では小走りするのが礼儀だった。つまり孔子は、喪服や礼服の者、目の見えない者を、貴人と同様の礼儀で扱ったのである。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、芻(スウ)は、牧草をぐっとちぢめて束ねたもの。趨は「走(はしる)+(音符)芻」で、間をちぢめてさっさといくこと。趣(シュ)・走(ソウ)と同系。また、促(ソク)や速(ソク)とも縁が近い、という。

「趨」の文字は甲骨文では未発掘で、上掲の文字は西周初期のもの。これは小走りの礼が周代に始まった可能性を示唆している。

論語:解説・付記

論語・郷党篇から抜け落ちたような記述で、サク簡(文字を記した札が抜け落ちて別の箇所に挿入されること)かも知れない。

論語 竹簡

論語の本章は、孔子が貴人は当たり前として、親族の喪に悲しむ人や目の見えない人を、丁重に扱ったことを示しているが、理由の一つが孔子の人道主義にあることは疑いない。しかし盲人以外の障がい者についての言及がないから、その人道の範囲にも限りがあったことになる。

論語 孔子 水面
盲人を特別丁重に扱った理由は、孔子が音楽好きであり、当時盲人が務めた楽師との交流が深かったことを示すだろう。しかしもう一つ、孔子の出自を考えると、孔子の母は巫女であり、所属の呪術集団には当然盲人の楽師がいただろうことだ。楽師に限らないかも知れない。

現代日本のイタコも、盲人が務める。孔子が出るまでの儒者は、イタコを兼ねていたから、楽師ではない盲人も少年孔子の身近にいただろう。また東北アジアでは盲人はまた語り部でもあり、孔子の古典学の基礎は、そうした語り部たちの話から養成されていったと想像できる。

仕官後の孔子はれっきとした上級貴族だったが、出身は社会の底辺と言って良く、弟子たちの多くもまた庶民の出だった。山賊を数多く弟子にしたとも『史記』孔子世家は書いている。その意味で孔子は幅広い人道主義者だったが、なお君子と小人を峻別して止まなかった。
論語 孔子 熱 論語 君子 小人

論語子罕篇2で達巷の若い衆に囃されたのも、その矛盾を突かれたのかも知れない。「♪孔子先生はお偉いな、何でも知ってて何にもならない」。囃された孔子は貧しかった青少年期を思っただろうが、小人と君子の峻別は教説の根本として、崩すわけにはいかなかったのだ。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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