論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子絕四、「毋*意、毋*必、毋*固、毋*我。」
校訂
武内本
毋、史記無に作る。(→武英殿二十四史本では毋になっている。)
復元白文(論語時代での表記)
※固→股。
書き下し
子四つを絕つ。意毋く、必毋く、固毋く、我毋し。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生には四つのことがなかった。憶測、執念、頑固、私欲。
意訳
先生は―
いつも正しい姿を追い求めた。
いつも現実に従った。
いつも時世時節を考えた。
いつも私利私欲を思わなかった。
従来訳
先師に絶無といえるものが四つあった。それは、独善、執着、固陋、利己である。下村湖人先生『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子杜絕四種弊病:不主觀臆斷,不絕對肯定,不固執己見,不唯我獨尊。」
孔子は四種類の悪癖を持たなかった。勝手な憶測が無く、絶対的な肯定が無く、自分の意見にしがみつくことが無く、唯我独尊が無かった。
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
絕/絶
論語の本章では”絶やした”。詳細は論語語釈「絶」を参照。
意
(篆書)
論語では、本章のここでのみ登場。論語の本章では”勝手な想像”。初出は西周中期の金文で、カールグレン上古音はʔi̯əɡ。同音に医の正字の他、意を部品とする漢字群。
『大漢和辞典』は本章の「意」を”私意”と解するが、そうなると本章の「我なし」とどう違うかが問題になる。原義について『学研漢和大字典』と『字通』はそれぞれ言うが、”推し量ること”であるとするのは一致しており、本章での「意」は”私意”ではなく”勝手な想像”と解すべきだろう。詳細は論語語釈「意」を参照。
必
(金文)
論語の本章では、必ずこうなるはずという”執念”。詳細は論語語釈「必」を参照。
固
(金文)
論語の本章では、”かたくな・頑固”。戦国時代末期の金文が初出で、論語の時代に遡れない。カールグレン上古音はko。同音の「股」には西周末期の金文があり、おそらく論語の時代はこの文字を使っていたのだろう。『大漢和辞典』に”かたい”の語釈がある。詳細は論語語釈「固」を参照。
我
(金文)
論語の本章では”私欲”。詳細は論語語釈「われ」を参照。
論語:付記
論語はこういう、短い章ほど解釈が難しい。
二番目からは、”決めてかかることが無い、固さが無い、自分=我欲が無い」とすぐ分かるが、冒頭を”意志がない・意識が無い”と解するわけにはいかない。革命家でもあった孔子は、強烈な意志の人だったし、強い意志のない人が塾を開き、弟子も付いていくわけがない。
「意」の春秋時代の意味を、藤堂説は音から”口にものを含んだような考え”=”憶測”と言い、白川説は形から”神意の音づれ”=”憶測”と言う。そのどちらであるかは断じがたいが、こういう分かったようで分からない漢字を調べ上げることが、古典を読解することだと思う。
儒者の注釈も参照しておこう。
古注『論語集解義疏』
註以道為度故不任意也…疏…云毋意者一也此謂聖人心也凡人有滯故動靜委曲自任用其意聖人無心泛若不係舟豁寂同道故無意也
注釈。「意なし」とは、孔子は道理に従って人を導くので、その時の思い付きで行動しなかったのである。…付け足し。…「意なし」とは、聖人の心を言ったのである。凡人は何事にもグズグズする。だからその時の思い付きで行動する。聖人は無心で、もやっていない舟のようである。広々とし、同時に静かでもある。だから「意が無い」のである。
何を言っているかさっぱり分からない。もちろん古典中国語としての文意は理解できるが、何故にそう言えるか一切言っていない。だがそれだからこそ、論語の本章を理解するよすがになる。要するにこれが「意あり必あり固あり我あり」なのだ。
中国人は太古の昔から、正しいことの証明を客観的、つまり我欲を持つ豳源から切り離して考えようとはしなかった。だからこそ古代文明を誇りながら、数理的能力はさっぱりなままだったし、今なお党が決定すれば、カラスは真っ白になり、疫病も疫病でないことになる。
要するに正しさの証明を、言い出した者の権力によって決めるから、いつまでたっても幼稚な模倣物しか作れない。もちろん故宮所蔵の象牙のカーペットなど、とんでもなく精巧な職人芸はあっても、数理に基づく科学技術は、相変わらず外国から盗んでくるしかないのだ。
孔子が古代人らしからぬ無神論に到達したのは、弟子にとっては驚天動地のことで、だから論語の本章のような回想が、弟子によって記された。だがその教説を理解できたのはせいぜい直弟子までで、後世の儒者は元の木阿弥となって、わけワカメなことを書くしかなかったわけ。
これが新注になると、数理的迷妄に黒魔術が付け加わる。
新注『論語集注』
絕,無之盡者。毋,史記作「無」是也。意,私意也。必,期必也。固,執滯也。我,私己也。四者相為終始,起於意,遂於必,留於固,而成於我也。蓋意必常在事前,固我常在事後,至於我又生意,則物欲牽引,循環不窮矣。程子曰:「此毋字,非禁止之辭。聖人絕此四者,何用禁止。」張子曰:「四者有一焉,則與天地不相似。」楊氏曰:「非知足以知聖人,詳視而默識之,不足以記此。」
絶とは、消し尽くすことだ。毋を、史記で無と書いているのがその証拠だ。意とは、私意だ。必とは、決めてかかることだ。固とは、しがみつくことだ。我とは、私利私欲だ。四者はセットで起こる。私意があると「こうなれ」と決めてかかり、その思いにしがみつき、その結果私利私欲が生まれるのだ。考えてみるに、私意は事が起こる前にいつもあるが、しがみつきは事が起こった後で生まれる。そうなった後では私利私欲が、また私意を生む。こうしてどんどん物欲が膨らみ、終わることが無い。
張載「四者には共通する所がある。だが天地の道理から外れている。」
楊時「足るを知るは、聖人を知るではない。詳しく観察して黙って知った知見でも、ここに記すには足りない。」
張楊は理気論=黒魔術を語っているだけだから無視して良い。朱子も結局、ああだこうだと言葉をひねくり回しているだけ。
武内義雄『論語之研究』には、論語の本章について以下のように言う。


箇条書きにして叙述する例は後の十篇(=論語の後半)には多いが上論(=論語の前半)には少ない。これは下論と同じ様な材料から出た章であろう。(p.96)
箇条書きが多いのは下論のうち論語季氏篇で、篇名としては古いが成立は遅いという。そこから同様の材料で編まれたなら、この論語子罕篇が論語の中でも最も新しい成立と言われるのももっともに思える。だが箇条書きしたからと言って、下論と同じと言うのは無茶に思う。