論語:原文・書き下し
原文(唐開成石経)
不忮不求何用不臧子路終身誦之子曰是道也何足以臧
- 「誦」字:〔甬〕→上下に〔龴月〕。唐順宗李誦の避諱。
校訂
東洋文庫蔵清家本
不忮不求何用不臧/子路終身誦之子曰是道也何足以臧
慶大蔵論語疏
不忟1(忮)2忮不求何用不〔戊㠯〕3子路終身誦之子曰是道也何〔口乙〕4以〔戊㠯〕3
- 誤字。「忞」の異体字で、音ブン訓つとめる。
- 傍記。
- 「臧」の異体字。「唐北平県令董明墓誌銘」刻。『五経文字』(唐)所収。
- 「足」の異体字。「北魏中書令鄭文公(義)下碑」刻。『敦煌俗字譜』所収。
後漢熹平石経
(なし)
定州竹簡論語
……終身誦之。子曰:「是道也,240……
標点文
「不忮不求、何用不臧。」子路終身誦之。子曰、「是道也、何足以臧。」
復元白文(論語時代での表記)
忮
※誦→頌。論語の本章は「忮」の字が論語の時代に存在しない。「身」の用法に疑問がある。本章は漢帝国の儒者による創作である。
書き下し
忮げず求らず、何ぞ臧からざるを用ゐん。子路身を終ふるまで之を誦へり。子曰く、是の道也何ぞ以て臧しとするに足らむ。
論語:現代日本語訳
逐語訳
『詩経』に「いじめない、求めない、どうしてよくないことをするだろうか」とある。子路は生涯これをとなえていた。
先生が言った。「その教訓が、どうしてよいと言うに十分だろうか。」
意訳
子路「♪ひどいことは~致しませぬ~欲しがりませぬ~、悪いことも致しませぬ~。」
子路よ。いつもその歌を歌っていたな。だがそれだけでは、よい人間とは言えぬのだ。
従来訳
詩経に、有るをねたみてこころやぶれず無きを恥じらいこころまどわず、よきかなや、よきかなや。とあるが、由の顔を見ると私にはこの詩が思い出される。」 子路は、先師にそういわれたのがよほど嬉しかったと見えて、それ以来、たえずこの詩を口ずさんでいた。すると、先師はいわれた。――「その程度のことが何で得意になるねうちがあろう。」
下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
「不嫉妒不貪婪,有何不好?」子路終身記著這話。孔子知道後,又說:「這是應該做到的,怎值得滿足?」
「妬まない、貪らない。何の良からぬ事があろうか?」と子路は生涯この話を記憶していた。孔子がそれを知ったあとで言った。「これはやって当然のことで、それで満足となる理由がないが?」
論語:語釈
不(フウ)
(甲骨文)
漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。
忮*(シ)
(篆書)
論語の本章では”いじめる”。初出は後漢の説文解字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「忄」+「攴」”打つ”。心に打撃を与えるさま。つくりを「支」とし、音を「シ」とするのはおそらく誤字が発端で、先秦時代は字形も音も異なっていたはず。戦国末期『荀子』栄辱篇に「察察而殘者、忮也。」とあり、”相手の事情をよく分かっているのに、ひどいことをするのを、忮という”の意。「もとる」と読んで”さからう”の意だと言い出したのは、『説文解字』と清儒の段玉裁による注釈で、根拠の無い出任せと考察無しのウンチク語りだから、従うに値しない。「説文段注」というだけで猿真似した下請け本はなおさらである。詳細は論語語釈「忮」を参照。
慶大蔵論語疏では、格内に「忟」と記し、誤字。「忞」の異体字で、音ブン訓つとめる。「忮」と傍記している。
求(キュウ)
(甲骨文)
論語の本章では”もとめる”。初出は甲骨文。ただし字形は「豸」。字形と原義は足の多い虫の姿で、甲骨文では「とがめ」と読み”わざわい”の意であることが多い。”求める”の意になったのは音を借りた仮借。論語の時代までに、”求める”・”とがめる””選ぶ”・”祈り求める”の意が確認できる。詳細は論語語釈「求」を参照。
何(カ)
「何」(甲骨文)
論語の本章では”なに”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「人」+”天秤棒と荷物”または”農具のスキ”で、原義は”になう”。甲骨文から人名に用いられたが、”なに”のような疑問辞での用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「何」を参照。
用(ヨウ)
(甲骨文)
論語の本章では、”用いる”→”する”。初出は甲骨文。字形の由来は不詳。ただし甲骨文で”犠牲に用いる”の例が多数あることから、生け贄を捕らえる拘束具のたぐいか。甲骨文から”用いる”を意味し、春秋時代以前の金文で、”~で”などの助詞的用例が見られる。詳細は論語語釈「用」を参照。
臧(ゾウ)
「臧」(甲骨文)
論語の本章では”(人聞きの)よい”。初出は甲骨文。字形は「臣」”うつむいた目”+「戈」”カマ状のほこ”で、威儀を整え敬礼した近衛兵の姿。原義は”格好のよい”。甲骨文では”よい”を意味し、金文では”成功”(小盂鼎・西周早期)の意に用いた。楚系戦国文字でも同義に用いた。詳細は論語語釈「臧」を参照。
慶大蔵論語疏では異体字「〔戊㠯〕」と記す。上掲「唐北平県令董明墓誌銘」刻。『五経文字』(唐)所収。
なお孔子の生まれた頃には、魯国には門閥三家老家=三桓以外にも有力氏族があり、臧氏もその一つだった。孔子の生まれた翌年に当主が放逐されて力を失ったが、論語にも二人の臧氏について言及がある(論語公冶長篇17・論語憲問篇15)。臧氏追放については、『春秋左氏伝』襄公二十三年条を参照。
不忮不求、何用不臧
『詩経』邶(ハイ)風・雄雉に載せられた歌詞の一部。原文と訳は解説を参照。
子路(シロ)
記録に残る中での孔子の一番弟子。あざ名で呼んでおり敬称。一門の長老として、弟子と言うより年下の友人で、節操のない孔子がふらふらと謀反人のところに出掛けたりすると、どやしつける気概を持っていた。詳細は論語人物図鑑「仲由子路」を参照。
(甲骨文)
「子」の初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。
「路」(金文)
「路」の初出は西周中期の金文。字形は「足」+「各」”夊と𠙵”=人のやって来るさま。全体で人が行き来するみち。原義は”みち”。「各」は音符と意符を兼ねている。金文では「露」”さらす”を意味した。詳細は論語語釈「路」を参照。
終(シュウ)
(甲骨文)
論語の本章では、”終える”。初出は甲骨文。字形はひもの先端を締めくくったさまで、すなわち”おわり”が原義となる。詳細は論語語釈「終」を参照。
身(シン)
(甲骨文)
論語の本章では”自身”→”生涯”。初出は甲骨文。甲骨文では”お腹”を意味し、春秋時代には”からだ”の派生義が生まれた。詳細は論語語釈「身」を参照。
誦*(ショウ)
(篆書)
論語の本章では”となえる”。初出は戦国の竹簡。字形は「言」+「甬」”チンカンと鐘を鳴らすように湧き出る”で、口から勢いよく湧き出る言葉のさま。戦国時代から”となえる”の意に用いた。上古音で同音の「頌」に”となえる”の語義があり、西周末期の金文から存在する。詳細は論語語釈「誦」を参照。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
子曰(シエツ)(し、いわく)
論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。「子」は赤ん坊の象形、「曰」は口から息が出て来るさま。「子」も「曰」も、共に初出は甲骨文。辞書的には論語語釈「子」・論語語釈「曰」を参照。
この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。
是(シ)
(金文)
論語の本章では”これ”。初出は西周中期の金文。「ゼ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は「睪」+「止」”あし”で、出向いてその目で「よし」と確認すること。同音への転用例を見ると、おそらく原義は”正しい”。初出から”確かにこれは~だ”と解せ、”これ”・”この”という代名詞、”~は~だ”という接続詞の用例と認められる。詳細は論語語釈「是」を参照。
道(トウ)
「道」(甲骨文・金文)
論語の本章では”みち”→”教訓”。動詞で用いる場合は”みち”から発展して”導く=治める・従う”の意が戦国時代からある。”言う”の意味もあるが俗語。初出は甲骨文。字形に「首」が含まれるようになったのは金文からで、甲骨文の字形は十字路に立った人の姿。「ドウ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。詳細は論語語釈「道」を参照。
也(ヤ)
(金文)
論語の本章では、「や」と”…こそは”。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。
足(ショク/シュ)
「疋」(甲骨文)
論語の本章では”足りる”→”…するのに十分だ”。初出は甲骨文。ただし字形は「正」「疋」と未分化。”あし”・”たす”の意では「ショク」と読み、”過剰に”の意味では「シュ」と読む。同じく「ソク」「ス」は呉音。甲骨文の字形は、足を描いた象形。原義は”あし”。甲骨文では原義のほか人名に用いられ、金文では「胥」”補助する”に用いられた。”足りる”の意は戦国の竹簡まで時代が下るが、それまでは「正」を用いた。詳細は論語語釈「足」を参照。
慶大蔵論語疏では異体字「〔口乙〕」と記す。上掲「北魏中書令鄭文公(義)下碑」刻。『敦煌俗字譜』所収。
以(イ)
(甲骨文)
論語の本章では”用いる”→”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。
論語:付記
検証
論語の本章は前漢中期の定州竹簡論語に載るが、春秋戦国を含めた先秦両漢の誰一人、引用も再録もしていない。引用の詩は現伝の『詩経』に見られるが、『詩経』も論語同様、用いられた漢字を調べると後世の偽作の証拠がぞろぞろ出て来るものすごく怪しい詩集でもある。
詳細は論語八佾篇20解説参照。
文字史的には論語の本章では、「忮」の字のみ論語の時代に存在の証拠が無いのだが、上掲語釈の通り、戦国末期に「忄」+「攴」の字形で存在したのはほぼ確実。ただし論語の時代にまで遡れるわけではなく、本章は今のところ後世の創作と断じる以外に法が無い。
解説
論語の本章は前回同様、子路の訃報を聞いた孔子のつぶやきと解せるように挿入されている。朱子は前回の引き続きと解し、子路をたしなめる孔子の風景とする。しかしこの論語子罕篇は、孔子最晩年の記事が集中しており、本章も子路の死を暗示している。
子路が歌っていた歌詞の全文は以下の通り。
『詩経』国風・邶風「雄雉」
雄雉于飛、泄泄其羽。(雄雉于に飛ぶ、泄泄たる其の羽)
我之懷矣、自詒伊阻。(我之懷い矣、自ら詒す伊の阻い)
雄雉于飛、下上其音。(雄雉于に飛ぶ、下上す其の音)
展矣君子、實勞我心。(展ぶる矣君子、實に勞ます我が心)
瞻彼日月、悠悠我思。(瞻るは彼の日月、悠悠たり我が思い)
道之云遠、曷云能來。(道之遠きを云うや、曷ぞ云う能く來たると)
百爾君子、不知德行。(百たる爾君子、知ら不や德行)
不忮不求、何用不臧。(忮が不求め不、何ぞ臧から不るを用いん)
オスキジは飛ぶ 翼を広げて
我が憂いは 我から悩ます
オスキジは飛ぶ その声が鳴り響く
あなたは振る舞い 私を悩ます
昼夜を眺めて なお尽きぬ憂い
果て無き道を 帰るはいつの日か
君子の諸君よ 徳を知っているだろうに
しいたげず貪らず なぜに不善を事とするや
以下、論語の本章の新古の注。古注は前章と一体に解している。
古注『論語集解義疏』
子曰衣弊緼袍與衣狐貉者立而不恥者其由也與註孔安國曰緼枲著也不忮不求何用不臧註馬融曰忮害也臧善也言不忮害不貪求何用為不善疾貪惡忮害之詩也子路終身誦之子曰是道也何足以臧註馬融曰臧善也尚復有美於是者何足以為善也疏子曰至以臧 云子曰云云者衣猶著也弊敗也縕枲著也狐貉輕裘也由子路也當時人尚奢華皆以惡衣為恥唯子路能果敢率素雖服敗麻枲著袍裘與服狐貉輕裘者並立而不為羞恥故云其由也與顔延之云狐貉緼袍誠不足以䇿恥然自非勇於見義者或以心戰不能素泰也云不忮云云者孔子更引疾貪惡忮詩證子路徳美也忮害也求貪也臧善也言子路之為人身不害物不貪求徳行如此何用不謂之為善乎言其善也云子路終身誦之者子路得孔子美已才以為美故終身長誦不忮不求何用不臧之言也云子曰云云者孔子見子路誦之不止故抑之也言此不忮不求乃可是道亦何足遇為善而汝誦之不止乎言尚復有勝於此者也顔延之云懼其伐善也 註孔安國曰緼枲著也 枲麻也以碎麻著裘也碎麻曰緼故絮亦曰緼玉藻曰縕為袍是也
本文「子曰衣弊緼袍與衣狐貉者立而不恥者其由也與」。
注釈。孔安国「緼とはチョマで作った衣類である。」
本文「不忮不求何用不臧」。
注釈。馬融「忮とは侵害することである。臧は善である。侵害せず貪らずにいれば、どうして不善をする必要があるか、ということである。むさぼりの悪、侵害を憎む歌である。」
本文「子路終身誦之子曰是道也何足以臧」
注釈。馬融「臧とは善である。やはりその場で満足するなら、どうして善事を行う必要があるか、ということである。」
付け足し。先生は善事を行う窮極を言った。「子曰くうんぬん」とあり、衣は着ることである。弊とは破れることである。縕とはチョマである。狐貉とは軽いかわごろもである。由とは子路のことである。当時の人は華美を尊び、粗末な衣服を恥じた。ただ子路だけが平然として質素な服を着続けた。破れたアサの綿入れを着ていても、キツネやムジナの毛皮で作った高級品を着た人と並び立って、恥とは思わなかった。だから「其由也與」と孔子は言った。
顔延之「狐貉と緼袍は、まことに誇りでも恥でも無い。ところが義を見て勇なき者どもは、あるいは心がくじけて、質素に着て満足することが出来なかったのだ。」
「不忮うんぬん」とは、孔子が更にむさぼりの悪を憎む詩を引用して子路の美徳を明らかにしたのである。忮は侵害することである。求はむさぼることである。臧は善である。子路が人を傷付けず、ものを貪らないことを言ったのである。その徳の行いがこのようであれば、そうしてどうしてこれを膳と評価ぜずにいられるだろうか。だからその膳を言ったのである。
「子路終身誦之」とは、子路は孔子の美点を見習って、自分でも美点を実践できた。だから生涯「不忮不求何用不臧」の言葉を繰り返した。「子曰くうんぬん」とは、孔子が子路がこの言葉を繰り返して止まないのを見て、押しとどめたのである。この「不忮不求」の通りなら、すでに道を正すことが出来るのであり、どうして善事を行うにあたって間違えることがあろうか。それなのにどうしてわざわざ言葉を繰り返して止まないのだ、ということである。その前にやるべき事があるだろう、ということである。
顔延之「押しつけがましい善になるのを心配したのである。」
注釈。孔安国「緼はチョマの着物である。」
枲はアサである。アサをほぐしてかわごろものようなものを着るのである。ほぐしたアサを緼という。だから絮(ショ、わた・綿入れ)のことを緼とも言う。玉藻に「縕で袍を作る」と書いてあるのはこのことである。
新注『論語集注』
忮,之豉反。忮,害也。求,貪也。臧,善也。言能不忮不求,則何為不善乎?此衛風雄雉之詩,孔子引之,以美子路也。呂氏曰:「貧與富交,彊者必忮,弱者必求。」
終身誦之,則自喜其能,而不復求進於道矣,故夫子復言此以警之。謝氏曰:「恥惡衣惡食,學者之大病。善心不存,蓋由於此。子路之志如此,其過人遠矣。然以眾人而能此,則可以為善矣;子路之賢,宜不止此。而終身誦之,則非所以進於日新也,故激而進之。」
忮は之と豉の組み合わせの音である。忮とは害なうことである。求とは貪ることである。臧とは善である。「不忮不求」と言えるなら、つまりどうして不善が出来ようか。これは『詩経』衛風の雄雉の詩である。孔子はこれを引用し、子路の美点を讃えたのである。
呂氏(詳細不明)「貧乏人が金持ちと付き合えば、強い方はいじめ、弱い方はたかる。」
生涯繰り返したというのは、つまり自分が実践できるのが嬉しかったのである。その代わり、道を追い求めなくなってしまった。だから先生はこの言葉をオウム返しに言って、子路を戒めたのである。
謝良佐「悪衣悪食を恥じる(論語里仁篇9)のは、学問をする人間の大敵だ。善の心が無いからだ。思うに子路もそうでなかった(※原文と逆の意味に取らないと意味が通じない)。子路の性根はこうであり、他人とは大きく異なった。だが世の有象無象だろうと悪衣悪食に平然と出来るなら、善事を行えるに違いない。子路の賢明は、これに止まらないだろう。そして生涯繰り返したが、それは毎日進歩した原因ではない。だから孔子は進歩するよう励ましたのだ。」
余話
逃げ散って正解
論語の本章で、孔子は何を言った、あるいは言わされているのか。

逃げていたなら…。
人をいじめない、欲望を抑える、悪いことをしない、それだけで十分立派な人格者に思える。悪いことをしない、だけでもそう言えるだろう。だが史実の孔子の教説は、それだけでは春秋の君子として十分と言わない。君子=貴族的技能教養が必須だからだ。
君子=身分教養ある人格者、という語義は孔子没後一世紀に現れた孟子の教説で、孔子の生前、君子とは戦時に従軍義務のある貴族階級を意味した。詳細は論語解説・論語における「君子」を参照。従って政略戦略上の詐術も君子のたしなみで、歌のようなわけにはいかない。
司馬遼太郎の作中で、長宗我部元親が侵攻してくる信長を道徳的に責めたところ、「葉武者の言葉だ」と信長がせせら笑う描写がある。『国盗り物語』でも庄九郎(道三)が赤兵衛に「雑兵は雑兵らしく死ね」と確か言った。少年期の訳者は読んで自分が信長や庄九郎の気でいた。
それがとんでもない思い上がりと気付いたのは、世間がよってたかって忮めてくれた後のことで、こんにち論語を読んで、自分が君子のつもりでいるのと変わらない。素手で人殺しをするような戦場働きをし、少なくとも自分の店を持たないと、春秋の君子ではないからだ。
春秋の君子には日本の士族に似た、領地を持たず豊かでもない者がいた。『春秋左氏伝』が記す衛霊公の話から、ふだんは商工業を生業とし、戦時は出陣する都市住民も君子だった。だが大貴族の上級家臣を除き雇われ人ではないし、ケンカも出来ないひょろひょろでもない。
ナイフ程度にわーわーと逃げ散るしか無い者は、君子とは言えないし、みせびらかしでナイフを振り回す者も、やはり君子とは言えないわけだ。自分の強さを確信できないからナイフが要るのだし、他人様の前で振り回すのも、同様の理由で逃げ散ってもらえるのを見たいからだ。
言うまでも無く、ナイフ男(女でもいいが)が出たらまず逃げ散って物理的距離を取るのが正解で、それがダメならものを投げつけて接近を防ぎ、それでもダメなら傘などの長柄ものを突きつけ、近接戦闘は下の下策にほかならず、真にやむを得ない場合を除いてしてはならない。
だが「しか無い」と「しも出来る」の間には、深くて暗い河がある。
論語の本章の歌に言う、足るを知ることは君子にも必須の教養だろう。だが人を害さないと戦士が務まらないし、悪だくみをしないと政治に関われない。孔子一門もずいぶんと、国際的陰謀を働いた、と孔子と入れ替わるように生きた墨子が証言している。
そしてそれを悪と断じることは訳者にはむつかしい。春秋の君子は雇われ役人ではないからだ。家臣や領民を守る義務があり、守れない主君は地位を全うできないし、多くは天寿も全うできない。さらに科学技術が心細く、悪をも断じて行わないと、家臣領民を守れない。
詳細は論語雍也篇24余話「畳の上で死ねない斉公」を参照。
では論語本章に言う、歌の三ヶ条を君子でない訳者ごときはどう解するべきか。害さない。これは不可能だ。動物に生まれてしまったからには従属栄養生物で、生き物を食べないと生きていけない。その罪深さを自覚しつつ、せめて生き物をいじめないよう努めるしか無い。
足るを知る。これもものすごく難しい。これが出来ればあるいは解脱と言ってよい。だが自分の体もブツに過ぎないと諦めた上で欲望を分類すると、物欲と対人欲に分類できる。衣食住の必要から物欲は抑えがたいから、せめて人と関わる頻度をできるだけ減らすしか無い。
悪いことをしない。これも難しい。「悪い」の定義が場面により変わるからだ。戦時中は大量殺人者が英雄になるように。従って悪いの本質とは何か、問い続け勉強するしか方法が無い。以上三ヶ条いずれも、ものすごく面倒くさく、訳者に成しおおせるとは思えない。
もちろん閲覧者諸賢が本章をどう受け取るかは自由であること、言うにも及ばない。
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