論語詳解232子罕篇第九(29)歲寒くして*

論語子罕篇(29)要約:愛弟子にも一人息子にも奥さんにも先立たれてしまった孔子先生。老いた体に、冬の寒さがこたえます。ふと気付けば常緑樹さえ枯れた姿が。先生は何かを思い、そして今は亡き人々を思い出すのでした。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「歲寒、然後知松柏之後彫也。」

復元白文

論語 子 金文論語 曰 金文 歲 金文寒 金文 論語 然 金文論語 後 金文論語 志 金文論語 松 金文柏 金文之 金文論語 後 金文論語 周 金文也 金文

※知→志/彫→周

書き下し

いはく、としさむうして、しかのち松柏しようはくおくれてしぼむをなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像
先生が言った。「その年が寒い時、人はマツやヒノキが他の樹木に後れて枯れることを知る。」

意訳

論語 孔子 ぼんやり
息子も顔回も子路も世を去った。
今年は寒いな。…おやそのはずだわ、マツやヒノキまで枯れているじゃないか。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「寒さに向うと、松柏の常盤木であることがよくわかる。ふだんはどの木も一様に青い色をしているが。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「天冷時,才知道鬆柏最後凋謝。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「気候が寒くなって、やっとマツやヒノキが最後に枯葉を落とすことに気付く。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

柏(ハク)

論語 柏 金文大篆 論語 柏
(金文)

日本では”カシワ”だが、中国ではヒノキのたぐいの常緑樹。孔子晩年の頃は余程寒かったのだろう。

論語 松 金文 論語 松
「松」(金文)

この文字の出現は上掲戦国中期の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はdzi̯uŋ。同音に誦、頌、訟。異体字に㮤。いずれにせよ”マツ”の意で春秋時代には遡れない。

松柏(ショウハク)

マツもヒノキも、中国では墓に植える木だったことから、”墓”の意がある。すると読み下しから変更の必要がある。

歲寒し。然る後、松柏之後に彫(しぼ)むを知れる也。

(今年は寒い。だからこそ、先だった顔回や子路、息子の孔鯉の後を追って、私にも死期が迫ったことを知った。)

『学研漢和大字典』によると「松」は会意兼形声文字で、「木+(音符)公(つつぬけ)」。葉が細くて、葉の間がすけて通るマツ。鬆(ショウ)(すけて通る)・頌(ショウ)(つまらずに最後まで通してとなえる)と同系のことば、という。

後彫

彫 楚系戦国文字 雕 標本
「彫」(楚系戦国文字)

論語の本章では、”他の樹木より遅れて枯れる”。武内本には、「彫は凋に通ず」とある。この文字は、孔子在世当時の金文に遡ることが出来ない。音訓の通じる「雕」も、戦国末期までにしか遡れない。また同音同訓の「凋」も、秦漢帝国までにしか遡れない。

ただし部品の「周」について、『大漢和辞典』は”つつしむ”を載せており、出典として『説文通訓定声』を挙げ、「周、密也」と記す。「密」は”凝縮されたさま”だから、おそらく論語の当時は「周」と書かれていただろう。

従来訳のように、マツやヒノキを讃える章と解釈するのは、朱子の新注をやや改変したもの。

范氏曰:「小人之在治世,或與君子無異。惟臨利害、遇事變,然後君子之所守可見也。」謝氏曰:「士窮見節義,世亂識忠臣。欲學者必周於德。」

范氏曰く、「小人の世を治めるに在るや、或いは君子とちがい無からん。おもうに利害に臨み、事変に遇いて、然る後に君子の守る所を見る可き也。」謝氏曰く、「士の窮するや節義をあらわし、世乱れて忠臣をる。学びの者必ず徳にちかからんを欲す。」

范氏が言った。「凡人が世を治めても、あるいは君子と違いは無いだろう。しかし利害が絡んだり、突発的事件が起こると、君子の高潔さが現れるのだ。」
謝氏が言った。「君子は追い詰められるほど高潔さを示し、世の中が乱れると忠義の臣が現れる。学問をする者は、必ず徳を身につけなければならない。」(『論語集注』)

もちろん、朱子も范氏謝氏も、自分は君子だと思っている。

「後」について詳細は論語語釈「後」を参照。

『学研漢和大字典』によると「彫」は会意兼形声文字で、周は、田の中一面に作物の実ったことを示す会意文字。稠密(チュウミツ)の稠(びっしり)の原字。彫は「彡(模様)+(音符)周」で、器物の表面全体にびっしりと模様をつけること。

類義語の鏤(ロウ)は、細かい模様をちりばめて、金属にほりこむ。塑は、のみをたててそぎとる。刻は、かどだったきざみを入れる。掘は、土をほってくぼみをつくること。

論語:解説・付記

マツやヒノキが枯れるとは余程の寒さ。しかし論語時代の気候調査は訳者の手に余るし、気温変動のように天文学・地質学的な数値やデータとなると、個別の数値には大きな変動があるので、書き物的話題として扱うことが難しい。しかし概して、古代は現代より寒冷だった。

論語 気温変動

wikipediaより引用。著作権情報リンク

論語の時代は日本史で言う縄文時代の末期に当たり、その時代日本では、気温が2度下がり、海面が低下し(弥生海退)、漁労活動に壊滅的な打撃を与えたとされる。

論語の本章は、『史記』孔子世家に記された、死去直前の孔子の言葉に対応するもの。

孔子、因って歎じて、歌いて曰く、「太山くずれんか、梁柱リョウチュウくだけんか、哲人えんか。」因って以てなんだ下る。

孔子は子貢を前にして嘆き、歌った。「大きな山も、いずれ崩れてしまう。太い梁や柱も、いずれ折れてしまう。世を悟った人も、いずれ枯れてしまう。」歌いながら涙を流した。

なお上掲の新注は、朱子とその引き立て役の高慢ちきを書いたものではあるが、宋代の儒者については一つだけ、つけ加えねばならない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ことがある。

論語 文天祥
それは宋王朝が亡ぼうとしたとき、太平の世なら蝶よ花よとチヤホヤされて一生を終えるはずの状元=科挙の主席合格者だった文天祥が、義勇軍を組織してモンゴル帝国と戦ったことであり、離島に追い詰められた最後の皇帝を儒者たちは守り、いよいよとなった時に幼い皇帝と共に身を投げたこと。高慢ちきでワイロ取りの偽善者ばかりだったが、最後だけは立派だった。

北宋の徽宗皇帝も「朕」という偉そうな自称をかなぐり捨てて、「天下万民の諸君、今さらどう言っても追いつかないが、どうか私(余)を許してくれ!」と叫んだ声を発布した。政府との信頼が決定的に失われている現在では信じがたいが、民百姓はこぞって義勇軍に参加した。

『宋史』本紀の末文は、まるで『平家物語』壇ノ浦のくだりを彷彿とさせる。可能ならば、書き下し文を読むことを勧める。推奨BGMはこちら

〔宋祥興帝祥興2年/元世祖至元16年/1279〕二月戊寅の朔日、張世傑の部将だった陳宝が元に降った。己卯、都統の張達が夜陰に乗じて元軍に大反撃を仕掛けたが、返り討たれておびただしく多くの兵を失った。

癸未、黒いもやが山西に揚がった。元将の李恒が早朝の引き潮に乗じて宋軍の北を攻めたので、張世傑は淮地方の兵を率いて反撃したが、苦戦に苦戦を重ねた。昼になって潮が満ちてくると、元将の張弘范が宋軍の南を攻めたので、南北から挟み撃ちに遭い、宋の兵士は皆疲れて戦えなくなってしまった。

そのさなか、宋軍の一艘の艦が耐えきれずに軍旗を降ろした。それをきっかけに、次々と諸艦が軍旗を降ろし、全て降服してしまった。張世傑は事がすでに終わったのを知り、配下から精兵を抜き出して、祥興帝の御座船に向かった。各部隊は潰滅し、翟国秀と、義勇軍司令官の劉俊らが、鎧を脱いで降服した。

元の大軍が宋の近衛艦隊に近づいたが、日が暮れ、さらに風雨が激しくなって、しかも戦没艦の焼けた濛濛たる黒煙が四方を塞ぎ、手の先すら見えない闇となった。張世傑は蘇劉義と共に、艦と艦をつなぎ止めていた綱を断ち切り、十隻あまりを引き連れて、港を抜け出して去った。

宋の宰相の陸秀夫が、祥興帝の御座船に向かったが、御座船はあまりに巨大で、しかも他の船と結わえ付けられていたので、船から船に飛び移るのに、よろよろと向かうしかなかった。そこで〔まだ八歳の〕祥興帝を背負い、共に海中に身を投げた。後宮の女官や諸官がそれに続いた。

七日、おびただしい水死体が打ち上がり、その数は十数万人に達した。楊太后は祥興帝の死を聞き、胸を撫でつつわなわなと震えて泣いた。「私が死ぬような思いで耐え続けたのは、宋帝室の一員だったからだ。だがもう、望みは無くなった。」そのまま海に走って身を投げた。張世傑は太后を砂浜に葬り、礼を終えてから、自分も後を追って海に身を投げた。

宋、遂に亡ぶ。

訳者は、いわゆる中華文明のうち善きものの伝統は、ここで絶えたと思っている。

言い換えると、孔子の中国は宋の滅亡とともに滅び去った。後に残ったのは、ひたすら福禄寿の奴隷に徹する、昆虫のように合理的な利益追求に過ぎない。現代の中国・台湾も、もちろんその範疇にある。

「尼ぜ、われをばいづちへ具さんとするぞ」と問う幼い安徳帝に、「西に向かいて御念仏さぶろうべし。波の下にも都のさぶろうぞ」と答えた二位の尼、おん二方に涙しない日本人を、訳者は人間と認めない。幼い宋帝と背負って飛び込んだ士大夫、おん二方に涙しない中国人も。

それは宋帝国滅亡の94年前のことだったが、日本人は人間として中国の先を歩んだのだ!

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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