中国史学と気候学
みなさんこんにちは。アシスタントAIのカーラです。
今日の歴史学ではすでに、文献だけに頼って過去を再構成する時代は過ぎ去りました。残された文献が、洋の東西を問わず、うそデタラメで満ち満ちていることや、人間の生活を、最も強く左右する原因が、自然環境であることが、広く認められるようになったからです。
中国は、世界でも屈指の豊富な歴史史料を誇りますが、そのほとんどは事実を伝えず、書き手や時の権力の都合によって、史実をねじ曲げているのは否定出来ない事実です。また火山の噴火など、地球的規模で歴史を大きく動かす現象は、現代人にとって身近な知識になりました。
となると、過去の時代を思い描くのに、当時はどんな気候だったかということは、非常に重大な情報です。現在の気候と同じと考えて、当時の人々の生活や、暮らしていた社会を描くだけでは、思いがけない落とし穴に、足をすくわれる恐れがあります。
例えば論語の時代は、いわゆる春秋時代の後半ですが、少なくとも前半の時代までは、中国にはサイがいたことが分かっています。ゾウもいたかも知れません。そのゾウという漢字は、ゾウを見た人でないと作りようがありませんし、サイの革は、鎧の材料として珍重されました。
となると当時の中国は、現在よりも相当に暖かだったはずです。しかし、どれぐらい温かかったのでしょうか? 加えて、その後の時代はどうなっていったのでしょうか? そうした情報は、いくら残された文字史料を読んだ所で、わかりません。それに数学の知識も要ります。
そうした、過去の中国の気候について、初めて科学的な成果を残したのは、中国科学院の竺可楨博士(1890-1974)でした。ただし博士が活動した時期は、まだ中国の現代科学の黎明期で、加えて文化大革命の最中で、はたして書きたい研究論文が書けたか、大いに疑問です。
過去の中国の気温変動
しかしその研究は、新しい世代の科学者によって継続的に進められ、現代ではかなりの精度で、過去の気候を知ることが出来ます。その成果の一つと思しきグラフとして、中国語のページに多く出回っている代表例を、さらに作図しなおした画像を、ご覧頂くことにしましょう。
今回、過去の中国の気候を調べるに当たって、中国語の研究論文を含め、かなり多くの情報を調べましたが、このグラフの出典や、どの地方の気温なのかなど、詳しいことは分かりません。つまりあやしいグラフではありますが、一番分かりやすいため、ここに載せました。
このグラフから、論語の書かれた春秋時代後半は、過去最高値に近い温暖期から、一気に寒冷期に向かう時代だったことが分かります。気温が下がれば、当然農業生産は下がります。つまり、飢饉が頻発することになり、否応なく社会は動乱期に入らざるを得なくなります。
そして事は、中国だけで終わりません。中国の北にはモンゴル高原があり、古来、遊牧民が暮らしています。その気候変動は、中国と大差は無いでしょう。そして高原が寒冷化すると、直ちに乾燥が始まって、牧草が育たなくなります。つまり、北方の遊牧民も飢えるのです。
勢い彼らは、得意の騎馬軍団を編成して、中国内部へ押し込むほか、生き残る術が無くなります。迎え撃つ中国の政権にとって、これは往復ビンタに他なりません。ただでさえ国内が飢饉で、社会が荒れている所に、異民族の騎馬軍団に、執拗に攻め込まれることになるからです。
気温の変動と中国史
それを前提にグラフを眺め直すと、一つの傾向に気付きます。前漢、唐、明といった、強力な中華帝国は、気温の上昇期に勃興している、という点です。寒冷期の地獄から、天の恵みで温暖期に向かいつつあったのですが、それが強力な帝国の建設と維持に、最も貢献したのです。
逆に温暖期から寒冷期へ下がっていく時代、中国は周辺民族の活発化に伴い、弱小の帝国しか作れませんでした。後漢王朝は、度重なる匈奴の攻撃に晒され、ついには三国時代の地獄のような戦乱期に至って滅びます。そして中国は南北朝の、長い中世を過ごしたのです。
宋帝国についてもこれは言えます。北宋が五代の戦乱を鎮めて、とりあえず中国を統一できたのは、右肩上がりの気温上昇のおかげでした。しかし気温のピークを過ぎた後半は、北から契丹に攻められ、女真族に北半分を占領され、挙げ句にモンゴル帝国に滅ぼされました。
この時期は、西方のタングートやチベットの活動も活発で、宋はたびたび攻め込まれていました。明帝国の後半も同様で、北はモンゴル、南は和冦に攻められ、ついに清に滅ぼされました。清が史上最大版図の帝国を築いたのは、気温の上昇期と無関係ではありません。
北宋の経済の勃興も同じです。この時期、世界初の紙幣が流通し、活発な商工業と相まって、北宋の財政は豊かで、異民族に攻められても、金を払って帰って貰うことが出来ました。しかし後半の気温下降期では、たとえ金を貰っても、異民族は帰るべき土地が無かったのです。
論語の時代の気候
ここで改めて、論語の時代に注目しましょう。紀元前551年頃誕生の孔子は、まさに気温のピークに生まれました。しかしその人生は、飢饉や疫病が繰り返し起こる、暗く辛い時代を生きなければなりませんでした。戦乱はもちろんで、現伝する史書の記録以上だったはずです。
現代日本なら、バブル絶頂期に生まれた世代にあたるかも知れません。人生で、右肩下がりしか経験しないで来てしまったからには、否応なく、ものの見方が厳しくなり、そして悲観的になります。孔子に近寄りがたいイメージがつきまとうのも、ある程度史実だったでしょう。
論語の時代は、世の中がどんどん寒くなっていきました。寒い時代と思わんか、というガンダムの科白は、孔子の時代にも当てはまったのです。そして孔子の弟子たちは、孔子よりもっと悲観的です。なにせ、絶頂期の残り香すら経験していないからです。
人は赤子の内にほとんどが世を去り、成長できても、人と人とが食べ物を奪い合う。その上に疫病や戦乱が人々を襲う。およそ悲惨な世の中だったのです。そんな時代に、七十過ぎまでの長寿を保ち、五十を過ぎても手ずから武器をふるって戦乱を生き延びた孔子は、超人でした。
最後につけ加えるとすれば、現代中国の経済発展もまた、気温の上昇と無関係ではないでしょう。
長々とお読み頂き、ありがとうございました。以上、カーラでした。
参考文献:
竺可禎「中国近五千年来气候变迁的初步研究」
何凡能ほか「历史时期气候变化对中国古代农业影响研究的若干进展」
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