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『論語』読解と漢文の示準化石

本論考は、『論語』の史実性について、その多分に疑わしい側面を書体の視点から検討したものである。合わせて、安易に児童生徒への教育や社会教育に用いてはいけないことを警告する。

序論 漢字の来歴と示準化石

漢字の来歴

  • 漢字は絵文字の類とその組み合わせである

漢字が絵文字やそれに類するものから始まったことは言うまでも無い。馬を描いて馬 甲骨文 外字(藤堂上古音mǎg)と書き、基線 の上に指示点﹅を描いて上 甲骨文(上、dhiaŋ)と書いたように。後世の中国人は馬 甲骨文 外字のような文字を象形文字と言い、上 甲骨文のような文字を指事文字と呼んだ。だがこれらだけでは用が足りなくなったのは自然の趨勢である。

そこで既存の漢字を組み合わせるようになった。水 甲骨文(thiuər)は今では水と書くが、見たとおり水の流れを描いた象形文字である。水は清くても澄んでも、深くなれば暗くなる。そしてカイという言葉があって、暗いこと一般を意味していた。水の中で最も深くて暗いのは海であろう。

そこで水 甲骨文と暗いを意味する毎 甲骨文(毎、muəg)を組み合わせて海 篆書(海、ṃəg)という字が出来た。さんずいで水を表し、毎で暗いを表し、それらを統合したのである。毎は暗いを意味するカイの音を表してもいる。漢字では、意味と音の組み合わせで成立した文字を形声文字、意味と意味を組み合わせて成立した文字を会意文字という。海の場合は二つを兼ねるので、会意兼形声文字という。

以上から、水と海が意味する事物は、似た者同士でありながら、決してイコールではない事が分かる。漢字は字が違えば意味が違う。そうでなければ方言の違いだ。例えば中国の古代、華北では大河を「カ」と言い、華南では「コウ」と言ったらしい。それで同じ大河を示すにも拘わらず、黄「河」(ɦar)と長「江」(kǔŋ)という別の漢字が出来たのである。

同様に漢字には同訓(語義が同じ)と呼ばれる一系の漢字群がある。例えば「きく」とむ漢字には、ブン(mɪuən)とチョウ(t’eŋ)が挙げられる。だがこの両者が示す事物は、決して同じではない。もと直接聞く事を聴と言い、間接的に聞くことを聞と言った。その区別がつかなくなったのは、読み書き聞き話す中国人か、漢字を受け入れた日本人が、区別の無いまま勝手に使ったからだ。古典に聴や聞と記した当人にとって、その混同は知ったことではない。
聞聞

ちなみに現代北京語ではティン(聴、ピンインtīng)は聞くを意味するが、ウェン(聞、ピンインwén)は臭いを感じることだ。知識の無いままうかつに古代や現代の中国語をいじると、思わぬ間違いに陥ることになるわけである。また日本の音読みで「河」と「江」を説いたが、これもうかつにやると間違いの元になる。

今仮に中国人を静岡県に連れてきて、霊峰の名を「フジサン」と教えたなら、たいていは「ふすしゃん」とオウム返しにするだろう。だが孔子に同じ事を言えば、「ほじさん」とのたまう筈である。唐代以前の中国語は、濁点と半濁点を区別する代わり、fの音が無いからだ。

白川静 藤堂明保
日本の音読みは古い中国語の音を、よく保存していると言われるが、それにも限界がある。前世紀末以来の日本の漢学界では、白川流の古書体学が流行ったが、藤堂流の音韻学も、研究者には必須の教養になる。たかが『論語』であっても、自力で読むならその程度は必要なのだ。

無論白川漢字学が要らない筈がない。両方学んでやっとものが言える。

示準化石としての漢字

  • 漢字の古さが分かれば文章の古さが分かる

ともあれ部品の組み合わせで、漢字で表現できる事物と表現した漢字の数は甚だ増えた。組み合わせで成立したという事は、形声文字や会意文字には元となるパーツがあり、それより成立した時代が新しいことを意味する。また元のパーツより、個別具体的になったと言っても良い。海は水に含まれるが水より意味する範囲が狭い。つまり漢字は時代が下るほど、

  1. その数が増え
  2. 構成が複雑になり
  3. 意味が具体化する

ということになる。例えば愛(・əd)という字は、有名な『説文解字』には と記されているが、この書体をテン文といい、成立時代は秦漢帝国に相当する。それより古い戦国文字や、金文・甲骨文には愛の字が見られない。
論語 歴代王朝と孔子

金文・甲骨文の他に、古い漢字の書体に古文があり、愛の古文として愛 古文がある。これは『汗簡』という、宋代に郭忠恕という儒者が書いた、古い書体を集めた書物に載せられた文字だ。ではその書物はどこから愛 古文を拾ってきたのかというと、分からない。つまり時代を特定できない。中生代を示すアンモナイトのように、含まれた文章の示準化石として使えない。古いは古いが、どのぐらい古いかわからない。ゆえにこれらの漢字を古文と呼ぶのである。

さてそうなると、愛という漢字は存外新しいと言える。秦漢帝国より前には無かった漢字で、今後の発掘によって時代が遡る可能性はあるとしても、現段階では古くて秦漢帝国、と言うほか無い。文字がない以上、愛という言葉も、太古の時代には中国に無かったと言える。

兵馬俑 秦漢帝国
その代わり愛が含まれた中国古典は、少なくとも現伝の形になったのは秦漢帝国以降と分かる。絶滅したアンモナイトと違って新しさの範囲に限りが無いが、少なくとも古さは秦漢帝国に止まるのである。

秦帝国が統一を果たすのはBC221年のことだ。BC551ごろに生まれた孔子が、「用をみて人を愛し」(論語学而篇5)と、果たして言ったかどうか。疑いを挟むべきだろう。

飽 甲骨文(出典不明) 飽 金文大篆
今一つ、「ホウ」(pǒg)という漢字を例に挙げよう。「お腹いっぱい食べて」”飽きる”を意味する漢字=ことばだが、後漢の『説文解字』に初めて記録された。春秋戦国時代までの中国人は、文字を扱うような階層でも、腹一杯食べることは、なかなか想像できなかったのだ。

だから論語の時代、主力穀物だったアワは、2018年の平均年収で換算すると、1リットルにつき約1万円もした。同年のコメの、農協による買い取り額は、最高でも168円だったという(JAしまねHP)。エン(・iam)=脂っこくて食べ物に”飽きる”ことはあっても、飽食はごくまれだった。

藤堂明保 既 甲骨文
『学研漢和大字典』の編者である藤堂明保博士によると、”お腹いっぱい”を意味するには飽ではなく、「既」(kɪər)を使ったという(『漢文概説』)。すると論語学而篇14の、「食に飽く」という孔子の言葉は、とたんに怪しくなってくるのである。

書体の変遷

  • 漢字の書体の古さは、甲骨文→金文→戦国文字・大篆→小篆→隷書→楷書等の順

甲骨文 帝不我又
書体の古さを検討するに当たり、書体の分類を知る必要がある。漢字の書体の内、最も古い時代に属するものを甲骨文と言う。うらないのためにあぶってひび割れた骨や亀甲に刻んだためにそう呼ばれ、だからボク文と呼ぶ学者もいる。その古いものは殷中期から見られる。

卜(puk)とはひび割れの象形と、ボクッと割れた音の記号である。

金文
次に古い書体を金文という。金(kɪəm)とはもと青銅を意味し、金文とは青銅器に鋳込まれた文字だったからそう呼ぶ。金の金文ににすいが付いているのは、古代中国人が青銅を、原石をあぶって叩いて使う鍛造ではなく、丸ごと溶かして鋳物に出来る高温術を持っていたことを意味する。

そもそも青銅は合金で、鋳物でないと作れない。華北から森林が消えたのはその代償。
倭人ぱかアル

孔子の在世当時の文字は、一般に金文だったと言われている。金文も殷の時代から見られるが、新しいものは当然ながら、甲骨文と共に現代まで下る。古代の遺品と称して贋作を売りつけるために、現在も精力的に作られているようである。(→論語に用いられた漢字)

金文の後に現れたのが戦国文字と、大篆あるいは金文大篆と呼ばれる秦国の文字である。それらを始皇帝が統一して小篆という書体に改めた。大篆と小篆をまとめて篆文または篆書という。ただし小篆は書きにくくて文書行政に差し支えるため、小篆を略書きした隷書が現れた。

隷書とは隷=小役人が書く字の意。隷書は漢帝国以降に標準書体としてほぼ普及した。その後は書き崩したり整えたりして、楷書や草書、行書が現れたのはご存じの通りである。

漢字の書体 小篆 隷書 楷書 行書 草書

本論 書体で論語を検討する

示準化石を『論語』などに適用する

  • 漢字の古さは『論語』に適用できる


以上の前提は、中国の古典のテキストにも当てはめることが出来る。記された文字が、その書物が成立したとされる時代の書体まで全て遡れるなら、少なくとも書体の上からは、その書物の史実性に疑いを挟むことが出来ない。だが遡れない場合、それは後世の捏造を疑うべきである。

ただし遡れないからと言って、必ず捏造と言えるかと言えばそうでない。次のような場合は、本物の可能性高しとして史実性を認めるべきである。

  1. その漢字の古書体は遡れないが、元パーツとなった漢字は遡れ、かつ意味(訓)が通じる場合(部品が古い=部品の遡上)
  2. その漢字の古書体は遡れないし、元パーツとなった漢字も遡れないが、訓の抽象度が高く、かつ音(声)が同じか近い漢字があって、その漢字が遡れる場合(通用が古い=通用の遡上)

部品が古い(部品の遡上)

  • 漢字そのものは古くなくても意味の通じる部品が古いと古いと言ってよい

遡上
今上掲1.と2.を仮に、『論語』学而篇冒頭の章「学而時習之…」で見てみよう。するとそこに「不亦說乎」(またよろこばしからずや)という一節がある。それを金文に置き換えようとするとこうなる。

說*
不 金文 亦 金文 兌 金文 乎 金文

「不」「亦」「乎」については素直に置換できる。だが「說」(ḍiuat)*はそうはいかない。この漢字は古くとも、楚・秦の戦国文字より以前には遡れないからだ。

…秦系戦国文字 『睡虎地秦簡文字編』文物出版社

楚系戦国文字 郭店楚墓竹簡…楚系戦国文字 『郭店楚墓竹簡』文物出版社

ただしだからと言って、「不亦說乎」が戦国時代以降の言葉である、と結論づけられない。論語のこの部分が「說」と書かれるようになったのは唐帝国の時代からで、それまでは「悅」(よろこぶ、ḍiuət)と書かれていたからだ。「悅」も戦国文字までしか遡れないが、「說」「悅」のパーツに「兌」(duad)があり、「音エツ訓よろこぶ」で通用する。「兌」については甲骨文にも、金文にも出土がある。

…甲骨文 『甲骨文編』中華書局

兌 金文…金文 三年師兌簋 西周晚期『殷周金文集成引得』中華書局

すると孔子の言葉とされる「不亦說乎」は、金文の通用した孔子の生前、「不亦兌乎」と筆記された可能性がある。つまり孔子の肉声として不思議は無い。またたまたま「說」と「兌」は音が通じたが、通じなくとも訓が通じる部品があれば、現伝の音の方を疑うべきだろう。

なぜなら、「漢字は時代が下るとともに意味が具体化する」からだ。言い換えると「時代が登ると意味が抽象化する」=多くの語義を持ちうる、ことになる。

日本語の「(う)み」がもと”巨大な水たまり”を意味し、「わだ(入り江)つ(の)み」*=海、「あわ(淡水)つみ」=湖と分化したように、例えば「工」は「巧」を含みうる。時代が遡るゆえに、必ずしも音は同じでないこともあり得る。

以上が書体の時代は遡れないが、なお古さを疑えない場合の1.部品が古い場合=部品の遡上である。


wikipediaに「「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」を表す上代語の格助詞、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる」とあり、出典は学研の薗田稔、茂木栄 『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』だという。現物を見ていないので軽々しく断じたくはないが、 学研は訳者にとってアルテマウェポンである、藤堂明保博士『学研漢和大字典』の版元でもあれば、売れんかなの歴史ゾッキ本も出し、書き手はコネで呼んできた、安上がりな院生や学部生だったりする。うかつに信用できない。

通用が古い(通用の遡上)

  • 漢字そのものは古くなくても音訓が通じる古い漢字があれば古いと言ってよい

子路 怒り
同じ論語学而篇冒頭の章に、「人不知而不慍」という一節がある。

知* 慍*
人 金文 不 金文 志 金文(志) 而 金文 不 金文 慍 金文

説明の順序のために、まず「慍」*(ウン、いかる/うらむ、・ɪuən)を取り上げよう。この漢字は、心を意味する忄と、温めるを意味し、かつ音イン/ウンを表す𥁕(・uən。温と同じ)との組み合わせで出来ている。現行の書体は、これら部品を忄は左に置き、𥁕を右に置く。いわゆるヘンつくりになっている。

ところがこの配置は通時代的に普遍ではない。春秋時代中期あるいは末期とされる「慍兒盞」に鋳込まれた文字では、表のように上に𥁕を置き下に心を置く。同様の例に群があり、明清の文章でも羣とある場合がある。

江戸落語のタネ本である明代の『笑府』は、この現象を笑い飛ばしている。

有設魚享客者。主席魚大。客席魚小。客問主曰。蘇州蘇字如何寫。主曰。草字頭左魚字。右禾字。客曰。又有放魚字于右者。何也。主曰。左右俱放得的。客即取大魚置前曰。既如此。々魚這裡也放得。


客を招いて魚料理を出した男がいた。ところが男の前にある魚ばかり大きく、客の魚はニボシのようである。

客「ところで、蘇州の蘇の字はどう書きましょうか。」
男「それは、くさかんむりに禾と書いて、左に魚と書くんです。」
客「魚を右に書く例(蘓)もありますよね?」
男「仰る通り。左右どちらでも蘇は蘇です。」

客「オホン。じゃ、取り替えてもいいわけですね」と言いつつ、立ち上がって男の皿と自分の皿を入れ替えた。「これでどうでしょう?」

『笑府』卷十三・蘇字

このように一見現行の漢字とは似ていないが、確かに現行書体の先祖だと言える漢字は過去にあったわけで、この場合はその漢字を記す古典テキストの古さを否定できない。だが部品の配置の違いの通用を許容しても、なお古さを遡れない漢字がある。

「知」*(チ、しる、tɪeg)がその例で、現在発見されている最古の書体は、睡虎地秦簡に所収の知 秦系戦国文字 睡虎地秦簡である。ではこの論語の一節は、秦漢帝国以降の創作なのだろうか? そうとも言えない。知と上古音が近く(知:tɪeg/志:tiəg)、意味が通じる「志」が、戦国末期の「中山王壺」に志 金文 外字とあるからだ。これでこの一節の古さは、戦国時代末期まで遡ることが出来た。

これを音通による遡上と言ってよい。だが孔子生存の時代とは、まだ百年以上の開きがある。
春秋諸国と諸子百家

ここで「測」を取り上げる。「知」の音チとは、音ソクで懸け離れているが、春秋時代早期の「上曾大子鼎」に測 金文 外字とあり、孔子の時代に「しる」を意味した漢字の一つの候補として挙げられる。ただしその上古音は『学研漢和大字典』によるとts’ïəkであり、「知」のtɪegと音通しているとは判定し難い。しかし全然違うとも言い切れない。判断する人によるだろう。

では「通」ツウを取り上げよう。西周末期の「頌壺」に通 金文 外字とあり、訓も「しる」で意味が「知」と通じる。その上古音はt’uŋだ。「知」のtɪegに近いだろうか。無理にカタカナに置き換えると通はツゥンヌ、知はテエグゥになろうか。日本の音読みでは「測」より近いと言えるが、中国上古音で近いと言えるかは、こちらもそれを思う人次第となる。

ただ一つ言えるのは、「人不知而不慍」は戦国末期までは遡れる、ということだ。そして恐らく「知」は、「志」と共に論語の時代は「止」と書いたか、「止心」と二文字で書いたと想像される。広く認められた「諸」=「之於」のように、古くは二文字だったのを一文字に統合した例は他にもある。
止 標本

カールグレンによる「知」の上古音はi̯ĕɡ、止の上古音はi̯əɡ。ĕ(eブリーヴ)はロシア語のЙ(イークラートカエ)と同様”短いe”であり、ə(シュワー)は”あいまいなe”。訳者はこれを音通すると評価する。ちなみに心はi̯əmであり、「止心」はi̯əɡ i̯əmとなる。

余談だが、ロシア語のクラートカヤкороткаяはドイツ語のkurzクルツに相当する言葉で、”短い”を意味するが、おそらく祖語は同じだったのだろう。

話を戻せば、「知」と同音の漢字に「智」(tɪeg)があり、”知る”の意味をもっている。こちらは甲骨文から存在するから、論語の時代には「知」と「智」は区別されていなかった可能性がある。ただし『字通』によれば、「智」の原義は”誓う”であり、”知る”ではない。
智 金文
「智」(金文「智君子鑑」春秋晚期・集成10289)

つまり孔子は、それまで”誓う”という意味で使われていたtɪegという言葉を、”知る”という意味で初めて使い始めたことになる。孔子は「知」を発明したのだ。

もう一つ、『論語』学而篇の最終章に例を取ろう。

子曰、「不患人之不己知、患不知人也。」
しいわく、ひとのおのれをしらざるをうれえず、ひとをしらざるをうれうるなり。

”他人に理解されないと言って悩みはしない。それより自分が他人を理解してやれないのを悩むべきだ”。そういう非常に倫理的で有り難く聞こえる孔子のお説教だ。今この章を金文に置き換えてみよう。

患*
子 金文 曰 金文 不 金文 患 楚系戦国文字 人 金文 之 金文 己 金文 智 金文 也 金文

問題は「患」(ɦuǎn)*で、この表では楚系戦国文字で代用してある。「音カン訓うれう」を「患」と共有し、かつ楚系戦国文字より古い書体が確認できる漢字は『大漢和辞典』を引いても出てこない。音が近いのを探し回っても、楚系戦国文字以前には遡れない。

話はここで行き止まりになりそうだが、実は細いながら抜け道がある。患のカールグレン上古音はɡʰwanであり、同音に豢(家畜を囲って飼う、ɦuǎn)がある。豢は楚系戦国文字から存在し、『大漢和辞典』によると圂(コン・ゴン・カン・ゲン/ぶたごや、ɦuən)に通じるとあり、圂に”わづらわす”の語釈を載せる。圂に甲骨文・金文が存在する。
圂 金文
「圂」(金文「毛公鼎」西周晚期・集成2841)

また近音に困(k’uən)がある。困には甲骨文が存在する。結論として、もし論語の時代の置換候補を挙げるなら、圂または困が相当する、と言える。
困 甲骨文
「困 」(甲骨文「粹61」合34235)

以上の過程で、金文だからと言って、その時代まで特定しないと、うかつに「孔子の生前に通用した」と言えないことも判明した。

部品も通用も古くない(鮭は呼び戻せない)

  • 漢字そのものも部品も通用する字も古くなければ、その文章は古くない

さて『論語』には、上掲1.と2.のいずれにも当てはまらない場合が存在する。

論語の学而編15に、「切磋琢磨」という言葉がある。論語由来の故事成句として有名だが、「切」の字を除き、論語の時代に存在しない。「磋」と「磨」に至っては、後漢の『説文解字』にすら載っていない。

初出 七 甲骨文(甲骨文) (不明) 琢 説文解字(篆書) (不明)
藤堂上古音 nien ts’ar tǔk muar
カールグレン
上古音
tsʰiet tsʰɑ tŭk mwɑ
カ音による同音 (無し) 傞、瑳 豖、斲、蜀を旁に持つ漢字群 摩、麼、塺
同音同訓で金文以前が存在するもの (無し) 斲(但し戦国時代) (無し)

しかも『論語』の本章は、「磋琢磨」を取り除くことが全く出来ない。論じたテーマが「切磋琢磨」だからだ。加えて本章は、「貧」「富」もまた、春秋時代の金文以前に遡れない。

初出 貧 楚系戦国文字(楚系戦国文字) 富 金文(戦国時代の金文)
藤堂音 t’əm pɪuəg
カールグレン音 bʰi̯ən pi̯ŭɡ
カ音による同音 不、否
同音同訓 (無し) (無し)

従ってこの章は、漢帝国以降に捏造されたと、暫定的に断定してよいのである。暫定的というのは、今後「磋琢磨」の金文で、かつ春秋時代に遡れるものが、発見されないとは限らないことを意味する。

ところで「鮭」という漢字がある。日本ではシャケの意で、北海道で稚魚の放流など、上を促す運動が続くと聞く。だが漢文でケイと言えばフグの類で、現代中国語でシャケはターユウ、又はリーペンクイーユウと言う。古書体は古文の鮭 古文 外字はあるが、甲骨文も金文も戦国文字も無い。

天塩川

艇上から眺める天塩川。2006.8.28

音の変遷を藤堂説により周秦-隋唐-元-現代北京語と並べると、ɦěg-ɦǎi-hiai-šie(xié/guī)となる。河口に立ちピンインで甲高くクイクイと呼ばおうと、古文で鮭 古文 外字鮭 古文 外字と示そうと、シャケが上がって来はしない。ケイなる音読みも、シャケなる訓の通用もしない。

無論、上がって来ないのはそのせいではない。

結論 論語は悪党の宣伝書

でっち上げられた『論語』

  • 現伝の『論語』はほぼ半分が悪党の宣伝である

『論語』は最古の古典である。従って当時、「私」という言葉すらなかった

孔子 不気味
以上の手法は『論語』の全篇に適用できる。『論語』は中国最古に属する古典であり、その言葉の多くが、BC551ごろから70年ほどを生きた孔子の言葉であることになっている。だが「なって」いても「そう」ではない言葉を、非常に多く『論語』の中に見て取れる。

すると『論語』の半分は、孔子の言葉ではなく後世の捏造だと判明する。これは『論語』が孔子のコンから出たシンゲン集ではなく、派閥争いに忙しい戦国時代の儒家や、人民の支配をたくらむ帝国の官僚となった前漢以降の儒者による捏造を、かなり多く含んでいる事を意味する。

悪 一覧
さまざまな「悪」を意味する漢字

言い換えると彼らの個人的利益のために、読者をたぶらかす悪党の宣伝だ。その捏造の理由の一部は、宗教的情熱から来るのかも知れない。新約聖書にイエスの言葉でないものが含まれており、大乗仏典のほぼ全ては後世の創作であるのと軌を一にしているかも知れない。

儒教も教というからには宗教で、宗教は狂信なくしてあり得ないからだ。

だが論語の場合はそうとばかりと言えない。いや多分に、自派の宣伝のためであったり、帝国の支配イデオロギー=正義の強制のためだったりした。前者を証すように、孔子の直弟子とはとても言えない曽子の言葉が、論語の中にいくつも、そして目立つように入っている。
曽子 ウスノロ

宣伝も芳しくはないが、正義の強制となると、これはもう洗脳だ。だが生身の孔子は隷属的忠孝を説かなかった。説いたのは君臣・親子の双務的支え合いである。だが帝国儒教は親や権力者への奴隷的奉仕を強調した。権力にとっても、その思想は極めて都合がよく重宝した。

だが多数派原理デモクラシーに基づかない正義イデオロギーとは、権力の収奪を正当化する洗脳以外の何物でも無い。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とあるのは、おとぎ話だからケンポーとして通用する。訳者の親の世代までは、陛下の官僚が臣民を睥睨していた。

民主主義など薬にしたくても無い儒者ならなおさらだ。それに対して、孔子はこう言う。

孔子 楽

  • 君は臣に敬意を払って使ってやり、臣は君にまごころでお仕えする。それがまともな政治というものです。(論語八佾篇19)
  • 君は君らしく、臣は臣らしく、父は父らしく、子は子らしく。(論語顔淵篇11
  • たとえ盗みだろうと、父は子をかばい、子は父をかばう。それが正直というものです。(論語子路篇18

従って、『論語』はよほど気を付けて読まないと、儒者の魔の手に陥る危険な書でもあるわけだ。特に帝国の支配イデオロギーを反映した章は、人の情操に計り知れない悪影響を及ぼす可能性がある。うかつに道徳教育に使ったり、児童生徒に教えてよい本ではないと言ってよい。

参考文献・出典

  1. 漢字古今字資料庫(http://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/ccdb)
  2. 大修館書店 諸橋徹次『大漢和辞典』修訂版第7刷(S61)
  3. 学習研究社 藤堂明保『学研漢和大字典』第4刷(S53)
  4. 平凡社 白川静『字通 普及版』初版第1刷(2014)

挿絵の一部:いらすとや(https://www.irasutoya.com/)


原題『論語』をうかつに子供に教えてはならない~論語の史実性の検討,2020.06.01,©九去堂

※urlと筆者名の出典を明記した場合にのみ引用を許可します。ネット上ではリンク必須。無断転載禁止。→初版のpdf版(投稿日時をgoogoleに登録済)

論語解説
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