論語詳解234子罕篇第九(31)共に学ぶべきも*

論語子罕篇(31)要約:最晩年の孔子先生。共に革命を目指した若い弟子たちを思います。誰もが学べるわけではない。身に付くわけではない。志を持つわけではない。という作り話。話をしめやかにするための、儒者の常套手段です。

このページの凡例

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「可與共學、未可與適道。可與適道、未可與立。可與立、未可與權。」

復元白文

子 金文曰 金文 可 金文与 金文 共 金文学 學 金文 未 金文可 金文与 金文 適 金文道 金文 可 金文与 金文 適 金文道 金文 未 金文可 金文与 金文立 金文 可 金文与 金文立 金文 未 金文可 金文与 金文

※論語の本章は權の字が論語の時代に存在しない。本章は戦国時代以降の儒者による捏造である。

書き下し

いはく、ともともまなし、いまともみちからず。ともみちし、いまともからず。ともし、いまともはかからず。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子別像
先生が言った。「共に学ぶことが出来るが、共に道を行くことが出来ない者がいる。共に道を行けるが、共に同じ場に立つことのできない者がいる。共に同じ場に立てるが、まだ共に策を立てることが出来ない者がいる。」

意訳

論語 孔子 遠い目
諸君。共に学んだ我が一門にも、さまざまな者がいた。
共に学べたが、革命を目指したのは少数だった。
革命を目指したが、活動に携る力があったのは少数だった。
力があったが、作戦を立てられたのは少数だった。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「共に学ぶことの出来る人はあろう。しかし、その人たちが共に道に精進することの出来る人であるとは限らない。共に道に精進することの出来る人はあろう。しかし、その人たちが、いざという時に確乎たる信念に立って行動を共にしうる人であるとは限らない。確乎たる信念に立って行動を共にしうる人はあろう。しかし、その人たちが、複雑な現実の諸問題に当面して、なお事を誤らないで共に進みうる人であるとは限らない。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「共同學習,不一定能共同進步;共同進步,不一定能共同創業;共同創業,不一定能共同開拓。」

中国哲学書電子化計画

孔子が言った。「共に学んでも、共に進めるとは限らない。共に進めても、ともに事業を興せるとは限らない。共に事業を興せても、共に切り開けるとは限らない。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 適 金文 論語 適
(金文)

論語の本章では、”志を持って、そこへ向けて進むこと”。この文字は論語の時代に存在しない。確実に確認できるのは戦国文字から。カールグレン上古音はɕi̯ĕk。同音は存在しない。詳細は論語語釈「適」を参照。

權(権)

論語 権 古文 論語 権
(古文)

論語の本章では”計る”・”はかりごとをする”。もとは秤の”おもり”。

初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はgʰi̯wan(平)。同音は卷とそれを部品とする漢字群など。論語時代の置換候補は無い。

『学研漢和大字典』によると形声文字で、「木+(音符)雚(カン)」で、もと、木の名。しかし、一般には棒ばかりの重りの意に用い、バランスに影響する重さ、重さをになう力の意となる。バランスをとってそろえる意を含む。觀(=観。左右の高さのそろった見晴らし台)・歡(=歓。声をそろえる)などと同系のことば、という。詳細は論語語釈「権」を参照。

論語:解説・付記

論語の本章は史実と言えない。

だだが書き込んだ儒者はもちろん、孔子より先立った顔回や子路を称揚するためにここに載せている。金に糸目を付けなければ、葬儀屋は盛大としめやかを両立させた絶妙な葬儀をやってくれるが、古代の葬儀屋である儒家にとって、この程度のしつらえはお手の物だった。

さて孔子一門を、大人しい学者の集団と見るのは的外れで、それは弟子の中の一部でしかなく、宗匠の孔子はその範疇から外れる。孔子一門は、素手で人を殴り殺せるえげつない暴力を身につけた革命集団で、それが中国各地で政府転覆の陰謀を逞しくした。墨子は証言する。

論語 墨子 論語 子貢 遊説
子貢は南郭恵子のつてで田常に会い、呉を伐つように勧め、斉国門閥の高・国・鮑・晏氏が、田常が起こそうとしていた乱の邪魔を出来なくさせ、越に勧めて呉を伐たせた。三年の間に、斉は内乱、呉は亡国に向かってまっしぐら、殺された死体が積み重なった。この悪だくみを仕掛けたのは、他でもない孔子である。(『墨子』非儒篇下)

だが論語時代の史料から、孔子一門の政治活動の記録は、綺麗さっぱり消されている。歴代の儒者が、残された記録をどのように扱ったかは言うまでもない。論語の書き換えすら平気で行った儒者の魔の手をすり抜けた珍しい書が、清末まで忘れられていた『墨子』である。

なお論語の本章について、武内義雄『論語之研究』は以下のように言う。

論語 武内義雄 論語之研究
この章末に「可与立、未可与権」という。権の字は孟子・公羊・易伝に見える。孟子は権と礼とを対用し、公羊は権と経とを対用する。この章で「可与立」と言うのは礼に立つ意であるから、孟子の用法に近い。おそらく孟子頃の文か。(p.97)

その通り、「権」の儒の初出は上掲の通り、睡虎地秦簡だからだ。その筆者は

秦の南郡に属する県の官吏を務めていた喜という人物で、紀元前262年に生まれた。紀元前217年に年表が途切れるので、この年に死去したと見られている。

wikipediaにある。つまり始皇帝による統一(BC221)が進みつつあった時代だった。孟子の生没はBC372-BC289ごろとされるから、武内博士の推論は当たっていると言ってよい。ただし本章は定州論語に無いから、成立はあるいは後漢時代まで下る。

最後に儒者の感想文を記したい所だが、古注は次章とまとめて記しているので、新注のみ記す。新注には珍しく、長めである。頭のおかしな宋儒どもは、話が黒魔術だとクリの花くさいヲタサーのたまり場で趣味人同士が出会ったように、まあしゃべるはしゃべるは。

新注『論語集注』

可與者,言其可與共為此事也。程子曰:「可與共學,知所以求之也。可與適道,知所往也。可與立者,篤志固執而不變也。權,稱錘也,所以稱物而知輕重者也。可與權,謂能權輕重,使合義也。」楊氏曰:「知為己,則可與共學矣。學足以明善,然後可與適道。信道篤,然後可與立。知時措之宜,然後可與權。」洪氏曰:「易九卦,終於巽以行權。權者,聖人之大用。未能立而言權,猶人未能立而欲行,鮮不仆矣。」程子曰:「漢儒以反經合道為權,故有權變權術之論,皆非也。權只是經也。自漢以下,無人識權字。」愚按:先儒誤以此章連下文偏其反而為一章,故有反經合道之說。程子非之,是矣。然以孟子嫂溺援之以手之義推之,則權與經亦當有辨。

可與とは、共に同じ事をするということである。

程頤「共に学ぶことが出来れば、何を目指しているかが分かる。共に道を行くことが出来れば、進んだ歩みを知れる。共に立つことが出来れば、決意が固まって変わらなくなる。権とは天秤の重りである。それでものの軽重がはかれる。ともにはかれるなら、軽重を図れると評してよく、目指す正義を共有できる。」

楊時「自分を整えられるなら、必ず共に学び切れる。学問が善悪の基準を悟るほど進んだら、やっと道を行くことが出来る。道を信じることが深ければ、やっと立つことが出来る。時運の求めを知れば、ともに企むことが出来る。」

洪興祖「易の九卦は、巽により権を行うことで終わる。権とは、聖人が行う大いなることだ。まだ立つこともはかりごとも言えないのに、人が建てないままで行うと、そのせいで死なない者は少ない。」

程頤「漢の儒者は反するものを合わせて同じ道を通らせ権をはかった。だから”権変権術の論”を言い回ったが、みな間違っている。権とはただ、真理の筋道に過ぎない。漢から以降、権の字の意味が分かった者は誰もいない。」

わたし愚かな朱熹が考えるに、昔の儒者は本章を、間違えて次の章とくっつけて読んだ。だから「反経合道の説」が生まれた。程頤先生はそれを間違いとしたが、正しい。男女の区別をうるさく言った孟子は、「じゃ、兄嫁が溺れても助けちゃいけないんですね」と言われて「バカ言うな」と答えたが、そのでんでいえば、権と経は分かれて当然なのだ。

黒魔術を語っている部分は無視してよろしい。バカげたことしか言っていないから。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

  1. […] 可與共學、未可與適道。可與適道、未可與立。可與立、未可與權。(『論語』子罕) 〔與に學ぶを共にす可きも、未だ與に道を適く可からず。與に道を適く可きも、未だ與に立つ可からず。與に立つ可きも、未だ與に權る可からず。〕 […]