論語詳解253郷党篇第十(19)色見てこれ挙がり

論語郷党篇(19)要約:孔子先生は弟子を連れて、たびたび散歩や山遊びに出かけました。山で出会った雉たちに、感興を覚えた先生は、歌で雉たちに呼びかけました。ところが付き添った子路が近づくと、雉は天に飛び立ったのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

色斯舉矣、翔而後集。曰、「山梁雌雉、時哉時哉。」子路共*之、三狊*而作。

校訂

武内本:唐石経供を共に作る。嗅、説問齅に作る。五経文字云、説文齅の字経伝相承て嗅に作る。論語借りて臭に作る。臭は蓋し狊の誤、狊とは両翅を張る也。(本ページは臭→狊に改めた。)

書き下し

いろみてあがかけのちあつまる。いはく、山梁さんりやう雌雉しちときなるかなときなるかな子路しろこれむかえば、たびはねひろつ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

キジは気配に飛び立って、空を舞ってまた集まる。先生が言った。「山の架け橋のメスキジよ、時だぞ、時だぞ。」子路がキジに近づくと、三度羽根を広げて飛び立った。

意訳

論語 郷党篇 山梁の雌雉子路と孔子が山遊びをした。山に住むメス雉が、その気配に飛び立ったが、しばらく天を舞ってまた降りてきた。感心した孔子は雉に呼びかけた。

孔子「これ山の架け橋なるメス雉よ、飛び立つ時を知る者よ、時を知る者よ。」
雉はおとなしく橋にとまっている。

そこで子路も雉に近寄った、すると雉は怖がって、羽根を広げては収めていたが、とうとう三度目に飛び立った。

従来訳

古語に、(雉の用心深さを歌い)気配に感じて舞い上がったが、空をひとまわりして後、おり立った、とある。孔子がこれを説明して、山間の懸け橋にとまりたる雌雉に、時期が大切だぞよ、時期を誤るな、と教えようとした詩であるぞ、と言った。この孔子の言は子路が雌雉の肉を供した時に発せられたもので、孔子はこのように言った後、子路の好意を無にせぬため、三度嗅いだ後に席を立った。

(宮崎市定『論語の新研究』)

人のさま あやしと見てか、
鳥のむれ 空にとび立ち
舞い舞いて 輪を描きしが、
やがてまた 地にひそまりぬ。

師はいえり「み山の橋の
雌雉(めきじ)らは 時のよろしも、
雌雉らは 時のよろしも。」

子路ききて 腕(かいな)なでつつ、
雌雉らを とらんと寄れば、
雌雉らは 三たび鳴き交かい
舞い立ちぬ いずくともなく

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

色 金文
(金文)

論語の本章では、”気配”。『学研漢和大字典』によると原義は”男女の行為”。それに伴う顔つきや姿、化粧などを含む、という。

武内本の注には、「色斯は色然と同じ、驚飛のすがた」とある。

論語 斯 金文
(金文)

論語の本章では、語順を倒置して直前の語を強める記号。

舉色矣(色に挙がりぬ) → 色斯舉矣(色にこれ挙がりぬ)

論語 翔 金文大篆 論語 とんび 翼
(金文)

論語の本章では”羽ばたく”。

『学研漢和大字典』によると形声文字で、「隕+(音符)羊」。様(かっこいい姿)・像(大きい姿)と同系のことば。「かける」と読み、羽を大きく広げて飛びまうこと、という。

山梁

論語 山 金文 論語 梁 金文
(金文)

論語の本章では、”山の谷間に架けられた橋”。

『学研漢和大字典』によると「山」は象形文字で、△型のやまを描いたもので、△型をなした分水嶺のこと。傘(サン)(△型のかさ)・散(△型の両側にちり落ちる)と同系のことば。類義語の峰は、△型に先のとがったやま。嶺(レイ)は、高く切りたったやま。岳は、ごつごつしたやま。

丘は、盆地をかこむ外輪のやま。岡は、やまの背のかたく平らな台地。陵は、筋ばったやまの背の線。巓(テン)は、やまの頂上、という。

「梁」は会意文字で、金文は「水+害(両がわに刃のついた刀)」からなる会意文字。篆文(テンブン)はさらに木を加えた会意文字。左右の両岸に支柱を立て、その上にかけた木のはしである。両岸にわたるから梁liaxといい、両と同系のことば。類義語の橋は、曲線をなす太鼓橋、という。

雌雉(シチ・めすきじ)

論語 雌 金文大篆 論語 雌
「雌」(金文)

論語の本章では、”めすキジ”。「雉」はそれだけでめすキジを意味し、漢の高祖劉邦の正夫人リョ后は、本名を呂雉と言った。

『学研漢和大字典』によると「雌」は会意兼形声文字で、此(シ)は、足がちぐはぐに並んださまをあらわす会意文字。雌は「隹(とり)+(音符)此」で、左右の羽をちぐはぐに交差させて、尻(シリ)をかくすめすの鳥。眥(シ)(上下のまぶたの交わるめじり)・柴(サイ)(ふぞろいに束ねたたきぎ)と同系のことば、という。

論語 雉 古文
「雉」(古文)

「雉」は会意兼形声文字で、「隹+(音符)矢(シ)・(チ)」。真っすぐ矢のように飛ぶ鳥の意。転じて、真っすぐな直線をはかる単位に用いる、という。

時哉時哉

武内本は「時とは善なり」というが、根拠が不明。

子路共之

論語 共 金文 論語 共
「共」(金文)

現行の論語の版本通り、下記「嗅」だとすると、論語の本章では、”子路がキジにエサを与えた”。しかし武内本の校訂に従うと、”子路がキジに近づいた”。

本章の意味については古来議論がある。ひどいのになると子路がキジを捕まえて、焼き鳥にして孔子に出し、孔子はあまりのこととて手を付けず、三度嗅いだだけで立ち上がった、というのもある。三国志の張飛同様、儒者は子路を「足りない奴」として描きたがる。

おそらく肉体的劣等感からだろう。この点従来訳はさすが小説家だけあって、歌に直した言葉は訳者如きの及ぶところではない。ただし子路を乱暴者として取り扱った点は同じ。

「共」は『学研漢和大字典』によると会意文字で、上部はある物の形、下部に左右両手でそれをささげ持つ姿を添えたもの。拱(両手を胸の前にそろえる)・供(両手でささげる)の原字。両手をそろえる意から、「ともに」の意を派生する。

類義語の倶(トモニ)(連れだって、そろって)と近いが、おもに倶は副詞に用い、共は動詞(ともにす)に用いる、という。

「共」の字は版本によって「供」と書き、ここから”子路がキジを捕まえてヤキトリにし、孔子の食膳に供した」という解釈が出来た。ただし武内本の注によると「供唐石経共に作る、向かう也」とある。

嗅・狊

論語 嗅 古文 論語 狊 篆書
「嗅」(古文)・「狊」(篆書)

現行の論語版本ではほとんどが「嗅」となっており、論語の本章では”臭いを嗅ぐ”の意。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、臭は、上古にはキュウといい「自(はな)+犬」の会意文字で、犬が鼻の細い穴を通してかぐこと。のち臭が名詞「におい」をあらわすのに専用されたため、嗅の字で動詞をあらわすようになった。嗅は「口+(音符)臭シュウ)」、という。

ただし武内本には「嗅」を「ケキ」(鳥が羽根を広げる)と書いており、これに従うと書き下しから全てやりなおしとなる。「狊」は甲骨文・金文・古文には見られず、始皇帝が制定した篆書以降になってやっと現れる。となると本章はおそらくは漢代に作られた作文だろう。

武内本の注には、「嗅、説文キュウに作る、五経文字云、説文齅の字経伝相承て嗅に作る論語借て臭に作る、臭は蓋し狊の誤、狊は両翅を張る也」とある。

『五ケイ文字モンジ』とは、唐代の学者張参が著した、儒教経典の校訂(さまざまある版本により違っている文字の唯一解を定めること)本で、それによるともと「齅」の字だったのを経典では「嗅」と書き、論語ではさらに「臭」となっているが、「狊」の間違いだろうと言っている。

『五経文字』は某大学図書館に収蔵された本がネットで一般公開されているが、訳者は一度訳したのが全部ご破算になったことでがっくりしている今、一々原書に当たる気力がない。

この「狊」の文字は相当に珍しく、訳者の持ち字書では『大漢和辞典』にしか載っていない。
論語 狊 大漢和

詳細は下記「解説」を参照。

論語 作 甲骨文 論語 作 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では、”飛び立つ”。論語時代の漢文では、”立ち上がる・駆け上がる”の意に用いることが多い。

『学研漢和大字典』によると、原義は刃物で素材にざくりと切れ目を入れること。それは人為であることから、人が行う仕草の意に転じた、という。

論語:解説・付記

論語の本章を、訳者は初めこう読んだ。

(書き下し)いろみてあがかけのちあつまる。いはく、山梁さんりやう雌雉しちときなるかなときなるかな子路しろこれきようす。たびつ。

(現代語訳)キジは気配に飛び立って、空を舞ってまた集まる。先生が言った。「山の架け橋のメスキジよ、時だぞ、時だぞ。」子路はこれにエサを与えたが、キジは三度嗅いだだけで飛び立った。

しかし武内本に従い原文を訂正し、解釈を一から改めた。

既存の論語本では宮崎本で、「色斯舉矣、翔而後集」を、詩経に漏れた古歌だという。訳者もはじめそれに従った。藤堂本では「これは錯簡=他の記事が紛れ込んだのではないか」という。本編は主にお作法マニュアル、あるいは孔子の日常風景だから、この話は異様だからだ。

論語 古注 皇侃
皇侃オウガンの『論語義』によると、本章は古論語には無かったという。古論語は漢の武帝時代に孔子の旧宅から発掘された本で、現伝の論語の母体となった本。そこになかったとすると、漢代の儒者が伝承を書き加えたか、あるいはまるまるでっち上げの可能性さえある。

しかしここに面白い解釈がある。著名な戦前の哲学者、和辻哲郎は以下のように読んだ。

(書き下し)色斯おどろきて舉がり、翔けて後くだる。曰く、「山梁の雌雉しちよいかな時哉」と。子路之にむかえば、三たびはねひろげつ。

論語 和辻哲郎
「これは孔子が子路とともに山に()いて雌雉を見た時の話である。孔子が近づくと、一度は驚いて飛び上がったが、少し(とびめぐ)ってからまた孔子のあたりへおりてくる。それを見て孔子が善いかな善いかなと言ったのである。ところで子路がその雉のそばへ寄ろうとすると、雉は飛ぼうとしてやめ、また飛ぼうとしてやめたが、結局三度目に飛び上がってしまった。この情景は、鳥さえも孔子だけにはなついたということを語っている。孔子の仁は鳥にさえも通じるくらいであったというのである。こういう描写を郷党篇の最後に置いたことは、編者に対して幾分の心憎さをさえも感ぜしめるであろう。」(和辻哲郎『孔子』)

つまりこの論語郷党篇が、孔子塾生の入門心得である学而篇とセットで二篇本を形成していたことを前提に、孔子の日常生活を伝える郷党篇に、この挿話があるのは全然おかしくない、ということ。和辻先生ほどの大物が言うと、訳者も首を縦にカクカク振りたくなってくる。

「臭」(ぐ)の字がもと「ケキ」(羽根を広げる)であったことは和辻先生も武内本を根拠にしており、武内本は論語の原典批判の点で丁寧に作られた労作だから、訳者ごときには反論のしようがない。すると初めの訳や語釈は全てぶち壊し、やり直しとなった。とほほ。

それでも、儒者が子路を頭のまわりが悪い筋肉ダルマとして描いたのは頂けない。子路は一門きっての熱血漢で、死ななくて済むのに死んだような所がある(『史記』衛世家)。孔子はかような人物を「剛毅ゴウキ木訥ボクトツ」と評し、「仁に近い」とまで言った(論語子路篇27)。

子路篇の「剛毅木訥」は子路を名指ししたものではないが、孔子の弟子の中で最も剛毅木訥と言えるのが子路であることは明白。また子路は孔子の最初の弟子であり、孔子も深く愛したことから、顔回に次いで仁者だと孔子が思っていた可能性は高い。

また「孔子の仁は鳥にさえも通じる」と言い出したのは、間違いなく孔子をカナブツ化しようとした儒者のしわざで、本章をそのまま史実と受け止めるわけにはいかない。本章は孔子がどういう人であったかを語るのではなく、どういう人であって欲しかったかを語ったのだ。

なお和辻本には続けてこうある。

孔子の学徒は、孔子の面影を伝えようとする最初の試みにおいて、上述のごとき孔子の姿を描いた。そこには異常な事件や非凡な能力は描かれていない。このことは孔子を考えるについて特に留意せらるべき点である。

いや違うでしょ和辻先生。鳥までなつかせるというのは、そりゃジブリアニメに出てきそうなファンタジーですよ。孔子の後継者たちは間違いなく、祖師を神格化しようとしたのだ。

『論語』郷党篇おわり

お疲れ様でした。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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