PRあり

論語詳解288顔淵篇第十二(10)子張徳をたかめ*

論語顔淵篇(10)要約:後世の創作。政治家や官僚より学者に向いた弟子の子張。人格力と判断力を高める方法を問います。孔子先生はその基本を正直だと言い、人の心は常に揺れ動くもの、そこに気付けば迷いはなくなると諭しました、という怪しい話。

論語:原文・書き下し

原文

子張問崇德辨惑子曰主忠信徙義崇德也愛之欲其生惡之欲其死旣欲其生又欲其死是惑也誠不以富亦祇以異

校訂

諸本

  • 武内本:清家本により、生の下、死の下に也の字を補う。已ママ下(文末)八字詩小雅我行其野の句、程氏云、此二句錯簡、当に第十六篇斉景公夕馬千駟の上にあるべし。

※「あるべ」きでない理由は下掲解説を参照。

東洋文庫蔵清家本

子張問崇德辨惑/子曰主忠信徙義崇德也/愛之欲其生也惡之欲其死也旣欲其生又欲其死是惑也/誠不以冨亦衹以異

  • 其死是惑也:「也」字、字間に小さく挿入。おそらく後書き。京大本・宮内庁本「也」字なし。

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

(なし)

標点文

子張問崇德、辨惑。子曰、「主忠信、徙義、崇德也。愛之欲其生也、惡之欲其死也。旣欲其生、又欲其死、是惑。誠不以富、亦祇以異。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文張 金文大篆問 金文徳 金文 弁 金文 曰 金文 主 金文信 金文 徙 金文義 金文 徳 金文也 金文 哀 金文之 金文谷其 金文生 金文 䛩 金文之 金文谷其 金文死 金文  既 金文谷其 金文生 金文 又 金文谷其 金文死 金文 是 金文 不 金文㠯 以 金文富 甲骨文 亦 金文㠯 以 金文異 金文

※張→(金文大篆)・愛→哀・欲→谷・富→(甲骨文)。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。「問」「主」「信」「也」「之」「異」の用法に疑問がある。本章は漢帝国の儒者による創作である。

書き下し

子張しちやうとくたかまどひくるをふ。いはく、まめまことまもただしきにうつらば、とくたかめるなりこれあいしてそのくるをもとめ、これにくみてそのもとむ。すでくるをもとめ、またもとむるは、まどひまこととみもちらば、またことなれるをもちゐてしめさん。

論語:現代日本語訳

逐語訳

子張 孔子
子張が人格力を高め、矛盾を分別する方法を問うた。先生が言った。「まごころと正直を信条とし正義にかなった行いをすれば、人格力は高まる。誰かをまことに愛すれば生きていて欲しいと願う。誰かをまことに嫌えば死んでしまえと願う。生きていて欲しいと願っているのに、死んでしまえと願うのが、それこそ矛盾だ。事実は財産を用いないなら、同時に区別を示す。」

意訳

子張 人形 孔子 人形
子張「人格力を高める法を教えて下さい。」
孔子「それにはな、心にもない事を言うな。ウソ付くな。正義の味方であれ。そうすればいやでも人格力は高まる。」

子張「矛盾を解決する法を教えて下さい。」
孔子「好きになった人には生きて欲しいと思うし、嫌いな奴は死んじまえと思う。だが時として、好きなのに死んじまえと思う事がある。これが矛盾だ。ここで金勘定を感情に挟まないで判別すれば、これはこれ、それはそれと、目がくらまずに違いが分かるようになる。」

従来訳

下村湖人

子張がたずねた。――
「徳を高くして、迷いを解くには、いかがいたしたものでございましょうか。」
先師がこたえられた。――
「誠実と信義を旨とし、たゆみなく正義の実現に精進するがよい。それが徳を高くする道だ。迷いは愛憎の念にはじまる。愛してはその人の生命の永からんことを願い、憎んではその人の死の早からんことを願う。何というおそろしい迷いだろう。愛憎の超克、これが迷いを解く根本の道だ。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子張問提高品德、明辨是非。孔子說:「以忠信為宗旨,弘揚正義,就可以提高品德。對一個人,愛的時候,就希望他長生不老;恨的時候,就希望他馬上去死。既盼他長生,又盼他快死,這就是不辨是非。這樣做對自己沒好處,衹能使人覺得你不正常。」

中国哲学書電子化計画

子張が品格を高める法と、是非の判断を問うた。孔子が言った。「忠実と信頼を守り、正義を称揚すれば、すぐに品格は高まる。ある人について、愛したときには、必ずその長寿を願う。恨んだときには、必ず素早い死去を望む。以前長寿を望んでおきながら、今は素早い死を望むのが、これこそ是非の区別がついていない表れだ。このような自分の好まない事柄についてこそが、他人から見れば、判断がおかしいと思わせる。」

論語:語釈

子張(シチャウ)

論語 子張

孔子の弟子。「何事もやりすぎ」と評された。張の字は論語の時代に存在しないが、固有名詞なので論語の本章を偽作と断定できない。詳細は論語の人物・子張参照。

子 甲骨文 子 字解
(甲骨文)

「子」の初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。

張 楚系戦国文字 張 字解
(楚系戦国文字)

「張」の初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しないが、固有名詞のため、同音近音のあらゆる漢語が置換候補になり得る。字形は「弓」+「長」で、弓に長い弦を張るさま。原義は”張る”。「戦国の金文に氏族名で用いた例がある。論語語釈「張」を参照。

問(ブン)

問 甲骨文 問 字解
(甲骨文)

論語の本章では”質問する”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「モン」は呉音。字形は「門」+「口」。甲骨文での語義は不明。西周から春秋に用例が無く、一旦滅んだ漢語である可能性がある。戦国の金文では人名に用いられ、”問う”の語義は戦国最末期の竹簡から。それ以前の戦国時代、「昏」または「𦖞」で”問う”を記した。詳細は論語語釈「問」を参照。

崇*(シュウ)

崇 隷書 崇 字解
(前漢隷書)

論語の本章では”高める”。初出:初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。ただし戦国中期ごろから、「シュウ」、「ソウ」、「タツ」字を「崇」と釈文する竹簡の例がある。字形は「山」”高いもの”+「宗」”あがめる”。原義は”たかめる”。同音は「愁」のみ。「スウ」は慣用音。呉音は「ズウ」。文献上の初出は論語の本章。戦国初期の『墨子』、中期の『孟子』『荘子』、末期の『荀子』『韓非子』にも用例がある。詳細は論語語釈「崇」を参照。

德(トク)

徳 金文 徳 字解
(金文)

論語の本章では”能力”。初出は甲骨文。新字体は「徳」。甲骨文の字形は、〔行〕”みち”+〔コン〕”進む”+〔目〕であり、見張りながら道を進むこと。甲骨文で”進む”の用例があり、金文になると”道徳”と解せなくもない用例が出るが、その解釈には根拠が無い。前後の漢帝国時代の漢語もそれを反映して、サンスクリット語puṇyaを「功徳」”行動によって得られる利益”と訳した。孔子生前の語義は、”能力”・”機能”、またはそれによって得られる”利得”。詳細は論語における「徳」を参照。文字的には論語語釈「徳」を参照。

辨*(ヘン)

弁 金文 辨 弁 字解
(金文)

論語の本章では”切り分ける”→”判別する”。新字体は「弁」。”冠”の意での初出は甲骨文。”分ける”意での初出は西周早期の金文。「弁」の字形は両手で冠を頭に乗せる様。のち「弁」・「共」へと分化した。「辨」の字形は〔䇂〕(漢音ケン)”切り出しナイフ”二本の間に「刀」を添えたさま。原義は”切り分ける”。「ベン」は呉音。西周の金文では、人名、”あまねし”、”事務を処理する”の意に用いた。詳細は論語語釈「弁」を参照。

惑(コク)

惑 金文 惑 字解
(金文)

論語の本章では”まよう”。初出は戦国時代の竹簡。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。「ワク」は呉音。同音に語義を共有する漢字は無い。字形は「或」+「心」。部品の「或」は西周初期の金文から見られ、『大漢和辞典』には”まよう・うたがう”の語釈があるが、原義は長柄武器の一種の象形で、甲骨文から金文にかけて地名・人名や、”ふたたび”・”あるいは”・”地域”を意味したが、「心」の有無にかかわらず、”まよう・うたがう”の語義は、春秋時代以前には確認できない。詳細は論語語釈「惑」を参照。

子曰(シエツ)(し、いわく)

君子 諸君 孔子

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

「曰」の初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

主(シュ)

主 甲骨文 主 字解
(甲骨文)

論語の本章では”まもる”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は位牌の形で、原義は”位牌”。金文の時代では氏名や氏族名に用いられるようになったが、自然界の”ぬし”や、”あるじとする”の語義は戦国初期になるまで確認できない。詳細は論語語釈「主」を参照。

本章では動詞として読むしかないが、”あるじとする”の派生義”まもる”と解した。『大漢和辞典』に語釈があり、出典は三国時代の辞典『広雅』。

忠(チュウ)

忠 金文 中 甲骨文
「忠」(金文)/「中」(甲骨文)

論語の本章では”忠実”。初出は戦国末期の金文。ほかに戦国時代の竹簡が見られる。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「中」+「心」で、「中」に”旗印”の語義があり、一説に原義は上級者の命令に従うこと=”忠実”。ただし『墨子』・『孟子』など、戦国時代以降の文献で、”自分を偽らない”と解すべき例が複数あり、それらが後世の改竄なのか、当時の語義なのかは判然としない。「忠」が戦国時代になって現れた理由は、諸侯国の戦争が激烈になり、領民に「忠義」をすり込まないと生き残れなくなったため。詳細は論語語釈「忠」を参照。

信(シン)

信 金文 信 字解
(金文)

論語の本章では、”他人を欺かないこと”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は西周末期の金文。字形は「人」+「口」で、原義は”人の言葉”だったと思われる。西周末期までは人名に用い、春秋時代の出土が無い。”信じる”・”信頼(を得る)”など「信用」系統の語義は、戦国の竹簡からで、同音の漢字にも、論語の時代までの「信」にも確認出来ない。詳細は論語語釈「信」を参照。

徙(シ)

徙 金文 徙 字解
(金文)

初出は甲骨文。ただし字形は「歩」。現行字形の初出は西周早期の金文。字形は「彳」”みち”+「歨」”歩く”で、道を歩いて行くこと。殷代末期の金文は、いずれも族徽(家紋)と見なせる。春秋末期までに、”ゆく”の用例がある。詳細は論語語釈「徙」を参照。

義(ギ)

義 甲骨文 義 字解
(甲骨文)

論語の本章では”正しいやり方”。初出は甲骨文。字形は「羊」+「我」”ノコギリ状のほこ”で、原義は儀式に用いられた、先端に羊の角を付けた武器。春秋時代では、”格好のよい様”・”よい”を意味した。詳細は論語語釈「義」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では「なり」と読んで”~である”。断定の意。この語義は春秋時代では確認できない。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

愛(アイ)

愛 金文 愛 字解
(金文)

論語の本章では”愛する”。初出は戦国末期の金文。一説には戦国初期と言うが、それでも論語の時代に存在しない。同音字は、全て愛を部品としており、戦国時代までしか遡れない。

「愛」は爪”つめ”+冖”帽子”+心”こころ”+夂”遅れる”に分解できるが、いずれの部品も”おしむ・あいする”を意味しない。孔子と入れ替わるように春秋時代末期を生きた墨子は、「兼愛非行」を説いたとされるが、「愛」の字はものすごく新奇で珍妙な言葉だったはず。

ただし同訓近音に「哀」があり、西周初期の金文から存在し、回り道ながら、上古音で音通する。論語の時代までに、「哀」には”かなしい”・”愛する”の意があった。詳細は論語語釈「愛」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
「之」(甲骨文)

論語の本章では”まことに”。直前が動詞であることを示す記号で、意味内容を持たないが、あえて訳せば”まさに”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

欲(ヨク)

欲 楚系戦国文字 欲 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”求める”。初出は楚系戦国文字。新字体は「欲」。同音は存在しない。字形は「谷」+「欠」”口を膨らませた人”。部品で近音の「谷」に”求める”の語義がある。詳細は論語語釈「欲」を参照。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”その”という指示詞。初出は甲骨文。原義は農具の。ちりとりに用いる。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

生(セイ)

生 甲骨文 生 字解
(甲骨文)

論語の本章では”生存”。健康で長生きすること。初出は甲骨文。字形は「テツ」”植物の芽”+「一」”地面”で、原義は”生える”。甲骨文で、”育つ”・”生き生きしている”・”人々”・”姓名”の意があり、金文では”月齢の一つ”、”生命”の意がある。詳細は論語語釈「生」を参照。

惡(オ)

䛩 金文 悪 字解
(金文)

論語の本章では”にくむ”。現行字体は「悪」。初出は西周中期の金文。ただし字形は「䛩」。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「アク」で”わるい”を、「オ」で”にくむ”を意味する。初出の字形は「言」+「亞」”落窪”で、”非難する”こと。現行の字形は「亞」+「心」で、落ち込んで気分が悪いさま。原義は”嫌う”。詳細は論語語釈「悪」を参照。

死(シ)

死 甲骨文 死 字解
(甲骨文)

論語の本章では”死去”。初出は甲骨文。字形は「𣦵ガツ」”祭壇上の祈祷文”+「人」で、人の死を弔うさま。原義は”死”。甲骨文では、原義に用いられ、金文では加えて、”消える”・”月齢の名”、”つかさどる”の意に用いられた。戦国の竹簡では、”死体”の用例がある。詳細は論語語釈「死」を参照。

既(キ)

既 甲骨文 既 字解
(甲骨文)

論語の本章では”すでに”。初出は甲骨文。字形は「ホウ」”たかつきに盛っためし”+「」”口を開けた人”で、腹いっぱい食べ終えたさま。「旣」は異体字だが、文字史上はこちらを正字とするのに理がある。原義は”…し終えた”・”すでに”。甲骨文では原義に、”やめる”の意に、祭祀名に用いた。金文では原義に、”…し尽くす”、誤って「即」の意に用いた。詳細は論語語釈「既」を参照。

又(ユウ)

又 甲骨文 又 字解
(甲骨文)

論語の本章では”さらに”。初出は甲骨文。字形は右手の象形。甲骨文では祭祀名に用い、”みぎ”、”有る”を意味した。金文では”またさらに”・”補佐する”を意味した。詳細は論語語釈「又」を参照。

是(シ)

是 金文 是 字解
(金文)

論語の本章では”これこそが…である”。初出は西周中期の金文。「ゼ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は「睪」+「止」”あし”で、出向いてその目で「よし」と確認すること。同音への転用例を見ると、おそらく原義は”正しい”。初出から”確かにこれは~だ”と解せ、”これ”・”この”という代名詞、”~は~だ”という接続詞の用例と認められる。詳細は論語語釈「是」を参照。

誠*(セイ)

誠 秦系戦国文字 誠 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”事実”。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。字形は「言」+「成」。発言が成り立つこと、つまり”事実である”。同音は「成」、「城」、「盛」。戦国の竹簡から”事実である”の意に用いた。詳細は論語語釈「誠」を参照。

不(フウ)

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章、”用いる”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

富(フウ)

富 甲骨文 富 字解
(甲骨文)

論語の本章では”財産”。「フ」は呉音。初出は甲骨文。字形は「冖」+「酉」”酒壺”で、屋根の下に酒をたくわえたさま。「厚」と同じく「酉」は潤沢の象徴で(→論語語釈「厚」)、原義は”ゆたか”。詳細は論語語釈「富」を参照。

亦(エキ)

亦 甲骨文 学而 亦 エキ
(甲骨文)

論語の本章では”また同時に”。初出は甲骨文。原義は”人間の両脇”。春秋末期までに”…もまた”の語義を獲得した。”おおいに”の語義は、西周早期・中期の金文で「そう読み得る」だけで、確定的な論語時代の語義ではない。詳細は論語語釈「亦」を参照。

祇(キ)

祇 金文 祇 字解
(戦国金文)

論語の本章では”示す”。初出は戦国早期の金文。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は部品の「示」”神霊”または「氏」”氏神”。ただし「示」が”しめす”の意を持ったのは戦国以降であり、この語義での論語時代の置換候補はない。字形は「示」”祭壇”+「氏」”非血統的同族”。氏族の氏神をさす。戦国早期の金文では、「くにつかみ」”地方の神”の意に用いた。『大漢和辞典』での同音同訓に、部品の「示」があり、”神霊”を意味しうる。しかし”開祖神”・”地方神”だけでなく”天の神”も含む概念で、”氏神”に限定されない。詳細は論語語釈「祇」を参照。

異(イ)

異 甲骨文 異 字解
(甲骨文)

論語の本章では”違い”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。甲骨文の字形は頭の大きな人が両腕を広げたさまで、甲骨文では”事故”と解読されている。災いをもたらす化け物の意だろう。金文では西周時代に、”紆余曲折あってやっと”・”気を付ける”・”補佐する”の意で用いられている。”ことなる”の語義の初出は、戦国時代の竹簡。詳細は論語語釈「異」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

検証

論語の本章は「崇」の字の初出が前漢初期であることから、その時代以降に論語の一章に加わったことは明白で、前漢中期の定州竹簡論語に無いものの、古注に前後の漢帝国の交代期を生きた包咸が注を付けているので、前漢末までには論語に加えられていたと判断するのが理にかなう。

解説

論語の本章の成立が前漢時代と確定すると、本章の漢語の解釈は前漢時代までに出そろっていた語釈を適用することが出来る。「祇」はその一例で、もと”まつる”や”かみ”を意味していた「示」が、時代と共に区分されて、「氏」”非血縁共同体”の開祖神を意味する「祇」の字が出来て以降も、周代の作であることを偽装するために「示」と記された(『周礼』春官51)。同時にもったいをつけて「示」を「祇」と記す例が現れ、通説では助辞として「まさに」「ただ」と訓読されている「祇」には、”しめす”と解した方が文意の取れるものがある。

孔子曰:「顓頊…乘龍而至四海…動靜之物,大小之神,日月所照,莫不祇勵。」


孔子「顓頊は…竜に乗って(上から目線で偉そうに)世界を見回ったので…動植物も非生物も、大小の神も、日月の光の届くところにあるものは(恐れおののいて)、全てまじめに働いている姿勢を示さないものはなかった。」(『大載礼記』五帝徳4)

『大漢和辞典』の編者はこのあたりをわきまえていたとみえ、「祇」条に「示と同じ」と語釈を立て、あえて「くにつかみ」の語釈と対等に列記している。要するに漢代、「祇」「示」は相互に混用された。董仲舒が儒教にもったいを付けて武帝に吹き込んだように、定州竹簡論語が「子貢」をもったいをつけて「子贛」と記すように、漢代の書き物にもったいは付き物である。

また論語の本章の最終句部分「誠不以富、亦祇以異。」は、武内本が記すように宋儒の程頤が「論語季氏篇15からの錯簡だ」と言い出した。

竹簡

「錯簡」とは、紙が発明される以前に漢語を記すために竹簡や木簡が使われた時代、紐で編み損なって、本来そこにあるべきではないふだが混じることを言う。しかしただでさえオカルトと出任せを言い回る者が多かった宋儒の中でも(論語雍也篇3余話「宋儒のオカルトと高慢ちき」)、とりわけうぬぼれがひどかった程頤が、孔子没後1512年過ぎた生まれでありながら、個人的感想だけで錯簡呼ばわりしたのを真に受ける理由が見当たらない。

「誠不以富、亦祇以異。」は、「誠」を「成」と記した上で、後世孔子が編んだことにされた『詩経』の一節にも含まれる。その通説的解釈は次の通り。

我行其野、蔽芾其樗。我が野のさすらいに 茂れる雑木の足がらみ
昏姻之故、言就爾居。夫婦となりて 我共に棲みしが
爾不我畜、復我邦家。なんじ我を養わず いざ里に帰らん

我行其野、言采其蓫。我が野のさすらいに 苦菜を喰らう
昏姻之故、言就爾宿。夫婦となりて 我共に宿りしが
爾不我畜、言歸思復。なんじ我を養わず いざ里に帰らん

我行其野、言采其葍。我が野のさすらいに ヒルガオを喰らう
不思舊姻、求爾新特。なんじを捨てん おのこを求めん
成不以富、亦祇以異。まことに富を思わず ただ異なれるを思わん
(『詩経』小雅・我行其野)

『詩経』は漢字の難解な語釈を多数含み、無慮二千年ほどを掛けて儒者がそれぞれ勝手な解釈を書き付けて、一応訳らしい訳は通説としてありはするが、「なんでそんな意味になるんだ」と首をかしげる歌が少なくない。文字史からも先秦以前に遡れない歌がいくつもあり、論語八佾篇20の「関雎」などを挙げられる。これはつまり漢儒以降の儒者による捏造と言ってよく、『詩経』を物差しに他の文献を解読すればオトツイの方角に解釈する羽目になる。

オトツイで済ませているのが古代から21世紀の現在に至るまでの、日中台共に漢学業界の座敷わらしだが、座敷わらしに恐れおののいて従う理由も全く無い。つまり程頤の個人的感想も、うさんくさい『詩経』も、論語の本章を解読するに当たって真に受ける必要は無いわけだ。

論語の本章の錯簡説について今少しは、論語季氏篇15解説を参照。

論語の本章、新古の注は次の通り。

古注『論語集解義疏』

子張問崇徳辨惑註苞氏曰辨別也子曰主忠信徙義崇徳註苞氏曰徙義見義則徙意從之也愛之欲其生也惡之欲其死也既欲其生也又欲其死是惑也註苞氏曰愛惡當有常一欲生之一欲死之是心惑也誠不以富亦祇以異註鄭𤣥曰此詩小雅也祇適也言此行誠不可以致富適以是為異耳取此詩之異義以非之也


本文「子張問崇徳辨惑」。
注釈。包咸「辨とは分別することである。」

本文「子曰主忠信徙義崇徳」。
注釈。包咸「徙義とは、正義の行われるべき場面に遭遇して心を正義に従わせることである。」

本文「愛之欲其生也惡之欲其死也既欲其生也又欲其死是惑也」。
注釈。包咸「愛したり憎んだりは、いつも一定していなければならない。片方で生きるよう願い、もう片方で死ぬよう願う、こういう心が惑いである。」

本文「誠不以富亦祇以異」。
注釈。鄭玄「これは『詩経』の小雅から引用した句で、祇とはかなうことだ。句の意味は、”誠実に行動したのなら、それによって儲けてはならない。儲けが出ても、それはイカンことだ、と拒否すべきだ”である。この詩のこころを引いて、”(富を)非難する”の意味を表したのだ。」

新注『論語集注』

子張問崇德、辨惑。子曰:「主忠信,徙義,崇德也。主忠信,則本立,徙義,則日新。愛之欲其生,惡之欲其死。既欲其生,又欲其死,是惑也。惡,去聲。愛惡,人之常情也。然人之生死有命,非可得而欲也。以愛惡而欲其生死,則惑矣。既欲其生,又欲其死,則惑之甚也。『誠不以富,亦祗以異。』」此詩小雅我行其野之辭也。舊說:夫子引之,以明欲其生死者不能使之生死。如此詩所言,不足以致富而適足以取異也。程子曰:「此錯簡,當在第十六篇齊景公有馬千駟之上。因此下文亦有齊景公字而誤也。」楊氏曰:「堂堂乎張也,難與並為仁矣。則非誠善補過不蔽於私者,故告之如此。」


本文「子張問崇德、辨惑。子曰:主忠信,徙義,崇德也。」
主忠信とは、基本を確立し、正義に叶った行いをし、そうすれば日々自分を向上できることをいう。

本文「愛之欲其生,惡之欲其死。既欲其生,又欲其死,是惑也。」
悪は尻下がりに読む。愛憎は人の当たり前の感情である。しかし人の生死は運命で、思い通りに出来ない。愛憎を原因として生死をどうこうしようというのが、そもそも惑いなのである。

本文「既欲其生,又欲其死,則惑之甚也。『誠不以富,亦祗以異。』」
最終句は『詩経』小雅の、我行其野のことばである。言い伝えによると、孔子先生はこの言葉を引用することで、生死は思い通りにならない事を説明したという。もし原詩がそういう意味なら、富を手にする方法としては不足で、同時に変なものを手にする方法としては適当である。

程頤「この部分は錯簡であり、論語第十六季氏篇15”斉景公有馬千駟”の上にあるべきだ。その結果、”斉景公”の字にもまた誤りがあることになる。」

楊時「子張は堂々としていて、一緒に仁義を実践することが出来ない(論語子張篇16・偽作)。つまり自分を誠実にし間違いを改め隠れて我欲に走らない者、ではない。だからこのように説教された。」

朱子は引用された『詩経』の句を、どう解釈したのだろうか。

言爾之不思舊姻,而求新匹也,雖實不以彼之富,而厭我之貧,亦秖以其新而異於故耳。此詩人責人忠厚之意。


歌のこころは次の通り。これまで過ごしたあなたとの夫婦関係に、思い残すことなどありません。新しい夫を求めます。本心を言えば、彼が財産を分けてくれず、また貧乏であったのが嫌だったのですが、とにかく、ひたすら、新しい、彼とは別の人を捜し求めているだけです。(『詩経集伝』巻五)

なるほど、「モーあんなビンボー男イヤッ!」と駈け出した女性を止める手立ては大ゼニ以外に何一つ無く、頭に血が上った彼女が、次に「当たり」の男を引くとは限らない。「富を手にする方法としては不足で、同時に変なものを手にする方法としては適当である」というのはもっともだ。

論語 楊時
なお本サイトを通読している方にはうんざり話だが、こう言って子張をけなした楊時は、腐れ者の多かった宋儒の中でも極めつけの腐儒で、北宋が金に攻め潰される過程で、講和の機会にその都度反対して一層戦況を悪くし、いよいよ首都開封が陥落すると山に逃げて姿をくらまし、南宋が成立するとノコノコ現れて官職をねだった。新注に記された宋儒には同じ行動を取った者が多い。

余話

(思案中)

コメント

タイトルとURLをコピーしました