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論語詳解285顔淵篇第十二(7)子貢政を問う°

論語顔淵篇(7)要約:政治の要は政治家への信頼。それがなければいくら豊かで平和な時代でも、政治は成り立たないと孔子先生。弟子一番のやり手・子貢は、それに疑問を投げかけます。歴史に詳しい先生は、その理由を説いたのでした。

論語:原文・書き下し

原文(唐開成石経)

子貢問政子曰足食足兵民信之矣子貢曰必不得巳而去於斯三者何先曰去兵子貢曰必不得巳而去於斯二者何先曰去食自古皆有死民無信不立

  • 「民」字:「叚」字のへんで記す。唐太宗李世民の避諱

校訂

東洋文庫蔵清家本

子貢問政子曰足食足兵使民信之矣子貢曰必不得已而去於斯三者何先曰去兵曰必不得已而去於斯二者何先曰去食自古皆有死民不信不立

後漢熹平石経

(なし)

定州竹簡論語

(なし)

標点文

子貢問政。子曰、「足食、足兵、使民信之矣。」子貢曰、「必不得已而去、於斯三者何先。」曰、「去兵。」曰、「必不得已而去、於斯二者何先。」曰、「去食。自古皆有死、民不信不立。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文貢 甲骨文問 金文政 金文 子 金文曰 金文 足 金文食 金文 足 金文兵 金文 使 金文民 金文信 金文之 金文矣 金文 子 金文貢 甲骨文曰 金文 必 金文不 金文得 金文已 矣 金文而 金文去 金文 於 金文斯 金文三 金文者 金文何 金文先 金文 曰 金文 去 金文兵 金文 曰 金文 必 金文不 金文得 金文已 矣 金文而 金文去 金文 於 金文斯 金文二 金文者 金文何 金文先 金文 曰 金文 去 金文食 金文 自 金文古 金文皆 金文有 金文死 金文 民 金文不 金文信 金文不 金文立 金文

※貢→(甲骨文)。論語の本章は、「問」「信」「必」「已」「何」の用法に疑問がある。

書き下し

子貢しこうまつりごとふ。いはく、じきし、いくささば、たみこれたのま使子貢しこういはく、かならむをずしたば、つのものなにをかさきだてむ。いはく、いくさてむ。いはく、かならむをずしたば、ふたつのものなにをかさきだてむ。いはく、じきてむ。いにしへよりみなるも、たみたのまんばたず。

論語:現代日本語訳

逐語訳

子貢 孔子
子貢が政治を問うた。先生が言った。「食を充足させ、兵を充足させれば、きっと民に政治を信頼してもらえるだろう。」子貢が言った。「どうしてもやむを得ず省くなら、この三つの内何が先でしょう。」先生が言った。「兵だな。」(子貢が)言った。「どうしてもやむを得ず省くなら、この二つの内何が先でしょう。」(先生が)言った。「食だな。昔から誰にも死はあるが、民が信頼しなければ政治は成り立たない。」

意訳

子貢 遊説 孔子 水面
子貢「政治の要点を一つ。」
孔子「民の腹が減らない程度は食わせ、安眠できるよう兵隊とおまわりを備えておけば、民は政治を信用する。」

子貢「どれか省くとしたら?」
孔子「兵とおまわりだな。」
子貢「さらに省くとしたら?」
孔子「食べものだな。」

子貢 驚き 孔子 キメ2
子貢「え? 餓死しちゃいますよ。」

孔子「いいかよく聞け。昔から餓死はあったから、いざとなれば民も覚悟するが、信用を失ったら、為政者は政治どころじゃないぞ。民とはそんな可憐な生き物ではない。一揆や反乱で首を落とされたくなかったら、よぉく覚悟しておくんだな。」

従来訳

下村湖人

子貢が政治の要諦についてたずねた。先師はこたえられた。――
「食糧をゆたかにして国庫の充実をはかること、軍備を完成すること、国民をして政治を信頼せしめること、この三つであろう。」
子貢が更にたずねた。――
「その三つのうち、やむなくいずれか一つを断念しなければならないとしますと、先ずどれをやめたらよろしうございましょうか。」
先師――
「むろん軍備だ。」
子貢がさらにたずねた。
「あとの二つのうち、やむなくその一つを断念しなければならないとしますと?」
先師――
「食糧だ。国庫が窮乏しては為政者が困るだろうが、昔から人間は早晩死ぬものときまっている。国民に信を失うぐらいなら、饑えて死ぬ方がいいのだ。信がなくては、政治の根本が立たないのだから。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子貢問政。孔子說:「確保豐衣足食、軍事強大、人民信任。」子貢說:「如果不能同時做到,以上三項中哪項可以去掉?「軍事。「如果還不行,剩下二項中哪項可以去掉?「衣食。自古皆有死,缺少人民的信任,國家就要滅亡。」

中国哲学書電子化計画

子貢が政治を問うた。孔子が言った。「衣食を確保し、軍備を強大にすれば、民は信頼する。」子貢が言った。「もし同時には実現不能な場合、三項目からどれを省いていいですか?」「軍事だな。」「もしそれでもダメなら、二項目からどれを省いていいですか?」「衣食だな。昔から誰でも死ぬが、民の信頼を失ったら、国家はすぐさま滅亡だ。」

論語:語釈

」。 、「 使 。」 、「 。」、「 。」( 、「 。」、「  ( 。」


子貢(シコウ)

論語 子貢 自慢

BC520ごろ-BC446ごろ 。孔子の弟子。姓は端木、名は賜。衛国出身。論語では弁舌の才を子に評価された、孔門十哲の一人(孔門十哲の謎)。孔子より31歳年少。春秋時代末期から戦国時代にかけて、外交官、内政官、大商人として活躍した。

『史記』によれば子貢は魯や斉の宰相を歴任したともされる。さらに「貨殖列伝」にその名を連ねるほど商才に恵まれ、孔子門下で最も富んだ。子禽だけでなく、斉の景公や魯の大夫たちからも、孔子以上の才があると評されたが、子貢はそのたびに否定している。

孔子没後、弟子たちを取りまとめ葬儀を担った。唐の時代に黎侯に封じられた。孔子一門の財政を担っていたと思われる。また孔子没後、礼法の倍の6年間墓のそばで喪に服した。斉における孔子一門のとりまとめ役になったと言われる。

詳細は論語の人物:端木賜子貢参照。

子 甲骨文 子 字解
(甲骨文)

「子」は論語の本章、「子貢」では”…さん”という敬称。「子曰」では”孔子先生”。

初出は甲骨文。論語ではほとんどの章で孔子を指す。まれに、孔子と同格の貴族を指す場合もある。また当時の貴族や知識人への敬称でもあり、孔子の弟子に「子○」との例が多数ある。なお逆順の「○子」という敬称は、上級貴族や孔子のような学派の開祖級に付けられる敬称。「南子」もその一例だが、”女子”を意味する言葉ではない。字形は赤ん坊の象形で、もとは殷王室の王子を意味した。詳細は論語語釈「子」を参照。

貢 甲骨文 貢 字解
(甲骨文)

子貢の「貢」は、文字通り”みつぐ”ことであり、本姓名の端木と呼応したあざ名と思われる。所出は甲骨文。『史記』貨殖列伝では「子コウ」と記し、「贛」”賜う”の初出は楚系戦国文字だが、殷墟第三期の甲骨文に「章ケキ」とあり、「贛」の意だとされている。詳細は論語語釈「貢」を参照。

『論語集釋』によれば、漢石経では全て「子贛」と記すという。定州竹簡論語でも、多く「貢 外字」と記す。本章はその部分が欠損しているが、おそらくその一例。

問(ブン)

問 甲骨文 問 字解
(甲骨文)

論語の本章では”質問する”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。「モン」は呉音。字形は「門」+「口」。甲骨文での語義は不明。西周から春秋に用例が無く、一旦滅んだ漢語である可能性がある。戦国の金文では人名に用いられ、”問う”の語義は戦国最末期の竹簡から。それ以前の戦国時代、「昏」または「𦖞」で”問う”を記した。詳細は論語語釈「問」を参照。

政(セイ)(まつりごと)

政 甲骨文 政 字解
(甲骨文)

論語の本章では”政治(の要点)”。初出は甲骨文。ただし字形は「足」+「コン」”筋道”+「又」”手”。人の行き来する道を制限するさま。現行字体の初出は西周早期の金文で、目標を定めいきさつを記すさま。原義は”兵站の管理”。論語の時代までに、”征伐”、”政治”の語義が確認できる。詳細は論語語釈「政」を参照。

子曰(シエツ)(し、いわく)

問答

論語の本章では”孔子先生が言った”。「子」は貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指す。この二文字を、「し、のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間からお金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

「曰」の初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。

足(ショク)

足 疋 甲骨文 足 字解
「疋」(甲骨文)

論語の本章では”十分に用意する”。初出は甲骨文。ただし字形は「正」「疋」と未分化。”あし”・”たす”の意では漢音で「ショク」と読み、”過剰に”の意味では「シュ」と読む。同じく「ソク」「ス」は呉音。甲骨文の字形は、足を描いた象形。原義は”あし”。甲骨文では原義のほか人名に用いられ、金文では「胥」”補助する”に用いられた。”足りる”の意は戦国の竹簡まで時代が下るが、それまでは「正」を用いた。詳細は論語語釈「足」を参照。

食(ショク)

食 甲骨文 食 字解
(甲骨文)

論語の本章では”たべもの”。人間の生存に不可欠な食料。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「シュウ」+点二つ”ほかほか”+「豆」”たかつき”で、食器に盛った炊きたてのめし。甲骨文・金文には”ほかほか”を欠くものがある。「亼」は穀物をあつめたさまとも、開いた口とも、食器の蓋とも解せる。原義は”たべもの”・”たべる”。詳細は論語語釈「食」を参照。

兵*(ヘイ)

兵 甲骨文 兵 字解
(甲骨文)

論語の本章では”安全保障”。現在の中共や台湾でも同様だが、古来中国では軍隊と警察が不可分もしくはあいまいで、「兵」は”兵隊”も”警官”をも意味する。江戸の幕臣や諸藩の藩士が町奉行所の職員であったのと同じで、現在のフランスでも憲兵が警察とともに警察業務を分担している。

初出は甲骨文。字形は「又」”手”2つ+「戈」”カマ状のほこ”。ほこを手に取った兵隊の象形。甲骨文から”兵隊”・”軍隊”の意に用い、春秋ごろから”武器”も意味するようになった。詳細は論語語釈「兵」を参照。

使(シ)(…しむ)

使 甲骨文 使 字解
(甲骨文)

論語の本章では”~させる”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「事」と同じで、「口」+「筆」+「手」、口に出した事を書き記すこと、つまり事務。春秋時代までは「吏」と書かれ、”使者(に出す・出る)”の語義が加わった。のち他動詞に転じて、つかう、使役するの意に専用されるようになった。詳細は論語語釈「使」を参照。

唐石経の系統を引く現伝論語ではこの語は省かれているが、清家本では記す。清家本の年代は唐石経より新しいが、より古い古注系の文字列を伝えており、唐石経を訂正しうる。論語の本章は定州竹簡論語に含まれないので、現存する最も古い論語の伝承は清家本ということになる。これに従って校訂した。論語の伝承について詳細は「論語の成立過程まとめ」を参照。

原始論語?…→定州竹簡論語→白虎通義→
             ┌(中国)─唐石経─論語注疏─論語集注─(古注滅ぶ)→
→漢石経─古注─経典釈文─┤ ↓↓↓↓↓↓↓さまざまな影響↓↓↓↓↓↓↓
       ・慶大本  └(日本)─清家本─正平本─文明本─足利本─根本本→
→(中国)─(古注逆輸入)─論語正義─────→(現在)
→(日本)─────────────懐徳堂本→(現在)

民(ビン)

民 甲骨文 論語 唐太宗李世民
(甲骨文)

論語の本章では”領民”。初出は甲骨文。「ミン」は呉音。字形は〔目〕+〔十〕”針”で、視力を奪うさま。甲骨文では”奴隷”を意味し、金文以降になって”たみ”の意となった。唐の太宗李世民のいみ名であることから、避諱ヒキして「人」などに書き換えられることがある。唐開成石経の論語では、「叚」字のへんで記すことで避諱している。詳細は論語語釈「民」を参照。

信(シン)

信 金文 信 字解
(金文)

論語の本章では、”信頼する”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は西周末期の金文。字形は「人」+「口」で、原義は”人の言葉”だったと思われる。西周末期までは人名に用い、春秋時代の出土が無い。”信じる”・”信頼(を得る)”など「信用」系統の語義は、戦国の竹簡からで、同音の漢字にも、論語の時代までの「信」にも確認出来ない。詳細は論語語釈「信」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”これ”。子貢が問うた”政治の要点”を指す。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”きっと~する”。初出は殷代末期の金文。字形は「𠙵」”人の頭”+「大」”人の歩く姿”。背を向けて立ち去ってゆく人の姿。原義はおそらく”…し終えた”。ここから完了・断定を意味しうる。詳細は論語語釈「矣」を参照。

必(ヒツ)

必 甲骨文 必 字解
(甲骨文)

論語の本章では”必ず”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。原義は先にカギ状のかねがついた長柄道具で、甲骨文・金文ともにその用例があるが、”必ず”の語義は戦国時代にならないと、出土物では確認できない。『春秋左氏伝』や『韓非子』といった古典に”必ず”での用例があるものの、論語の時代にも適用できる証拠が無い。詳細は論語語釈「必」を参照。

無(ブ)→不(フウ)

唐石経系統の論語では本章の最終句を「民無信不立」と記し、清家本は「民不信不立」と記す。「無信」は名詞「信頼」を「持たない」と否定するOV関係で、「不信」は現代艦語と同様、否定辞「不」”しない”+「信」”信頼する”のnotV関係。

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

「無」の初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

不 甲骨文 不 字解
(甲骨文)

「不」は漢文で最も多用される否定辞。初出は甲骨文。「フ」は呉音、「ブ」は慣用音。原義は花のがく。否定辞に用いるのは音を借りた派生義だが、甲骨文から否定辞”…ない”の意に用いた。詳細は論語語釈「不」を参照。

得(トク)

得 甲骨文 得 字解
(甲骨文)

論語の本章では”手に入れる”→”~できる”。「不得已」で”やめることが出来ないで・仕方が無く”の意。

初出は甲骨文。甲骨文に、すでに「彳」”みち”が加わった字形がある。字形は「貝」”タカラガイ”+「又」”手”で、原義は宝物を得ること。詳細は論語語釈「得」を参照。

巳(シ)→已(イ)

論語の本章では”やめる”。唐石経は「巳」と記し、清家本は「已」と記す。唐代の頃、「巳」「已」「己」字は相互に通用した。事実上の異体字と言ってよい。

巳 甲骨文 巳 字解
(甲骨文)

「巳」(シ)の初出は甲骨文。字形はヘビの象形。「ミ」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。甲骨文から十二支の”み”を意味し、西周・春秋の金文では「已」と混用されて、完了の意、句末の詠嘆の意、”おわる”の意に用いた。詳細は論語語釈「巳」を参照。

已 甲骨文 已 字解
(甲骨文)

「已」の初出は甲骨文。字形と原義は不詳。字形はおそらく農具のスキで、原義は同音の「以」と同じく”手に取る”だったかもしれない。論語の時代までに”終わる”の語義が確認出来、ここから、”~てしまう”など断定・完了の意を容易に導ける。詳細は論語語釈「已」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”そして”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”とされるが用例が確認できない。甲骨文から”~と”を意味し、金文になると、二人称や”そして”の意に用いた。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

去(キョ)

去 甲骨文 去 字解
(甲骨文)

論語の本章では”去る”→”省く”。初出は甲骨文。字形は「大」”ひと”+「𠙵」”くち”で、甲骨文での「大」はとりわけ上長者を指す。原義はおそらく”去れ”という命令。甲骨文・春秋までの金文では”去る”の意に、戦国の金文では”除く”の意に用いた。詳細は論語語釈「去」を参照。

於(ヨ)

烏 金文 於 字解
(金文)

論語の本章では”…について”。初出は西周早期の金文。ただし字体は「烏」。「ヨ」は”~において”の漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)、呉音は「オ」。「オ」は”ああ”の漢音、呉音は「ウ」。現行字体の初出は春秋中期の金文。西周時代では”ああ”という感嘆詞、または”~において”の意に用いた。詳細は論語語釈「於」を参照。

斯(シ)

斯 金文 斯 字解
(金文)

論語の本章では”これら~のある状況”。単数で取り挙げられるものを指す語ではなく、複数のものや、数に数えられない状況や状態を指す。初出は西周末期の金文。字形は「其」”籠に盛った供え物を祭壇に載せたさま”+「斤」”おの”で、文化的に厳かにしつらえられた神聖空間のさま。意味内容の無い語調を整える助字ではなく、ある状態や程度にある場面を指す。例えば論語子罕篇5にいう「斯文」とは、ちまちました個別の文化的成果物ではなく、風俗習慣を含めた中華文明全体を言う。詳細は論語語釈「斯」を参照。

三(サン)

三 甲骨文 三 字解
(甲骨文)

論語の本章では数字の”3”。初出は甲骨文。原義は横棒を三本描いた指事文字で、もと「四」までは横棒で記された。「算木を三本並べた象形」とも解せるが、算木であるという証拠もない。詳細は論語語釈「三」を参照。

者(シャ)

者 諸 金文 者 字解
(金文)

論語の本章では”~の事柄”。新字体は「者」(耂と日の間に点が無い)。ただし唐石経・清家本ともに新字体と同じく「者」と記す。初出は殷代末期の金文。金文の字形は「木」”植物”+「水」+「口」で、”この植物に水をやれ”と言うことだろうか。原義は不明。初出では称号に用いている。春秋時代までに「諸」と同様”さまざまな”、”~する者”・”~は”の意に用いた。漢文では人に限らず事物にも用いる。詳細は論語語釈「者」を参照。

何(カ)

何 甲骨文 何 字解
「何」(甲骨文)

論語の本章では”なに”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「人」+”天秤棒と荷物”または”農具のスキ”で、原義は”になう”。甲骨文から人名に用いられたが、”なに”のような疑問辞での用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「何」を参照。

先(セン)

先 甲骨文 先 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”先にする”。初出は甲骨文。字形は「止」”ゆく”+「人」で、人が進む先。甲骨文では「後」と対を為して”過去”を意味し、また国名に用いた。春秋時代までの金文では、加えて”先行する”を意味した。詳細は論語語釈「先」を参照。

二(ジ)

二 甲骨文 二 字解
(甲骨文)

論語の本章では数字の”2”。初出は甲骨文。字形は「上」「下」字と異なり、上下同じ長さの線を引いた指事文字で、数字の”に”を示す。「ニ」は呉音。甲骨文・金文では数字の”2”の意に用いた。詳細は論語語釈「二」を参照。

自(シ)

自 甲骨文 吾
(甲骨文)

論語の本章では”~から”。初出は甲骨文。「ジ」は呉音。原義は人間の”鼻”。春秋時代までに、”鼻”・”みずから”・”~から”・”~により”の意があった。戦国の竹簡では、「自然」の「自」に用いられるようになった。詳細は論語語釈「自」を参照。

古(コ)

古 甲骨文 古 字解
(甲骨文)

論語の本章では”むかし”。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「口」+「中」”盾”で、原義は”かたい”。甲骨文では占い師の名、地名に用い、金文では”古い”、「故」”だから”の意、また地名に用いた。詳細は論語語釈「古」を参照。

皆(カイ)

皆 甲骨文 皆 字解
(甲骨文)

論語の本章では”誰にも”。初出は甲骨文。「ケ」は呉音。上古音の同音は存在しない。字形は「虎」+「𠙵」”口”で、虎の数が一頭の字形と二頭の字形がある。後者の字形が現行字体に繋がる。原義は不明。金文からは虎が人に置き換わる。「ジュウ」”人々”+「𠙵」”口”で、やはり原義は不明。甲骨文・金文から”みな”の用例がある。詳細は論語語釈「皆」を参照。

有(ユウ)

有 甲骨文 有 字解
(甲骨文)

論語の本章では”存在する”。「有死」で”死を持つ”、つまり死んでしまうこと。初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。金文以降、「月」”にく”を手に取った形に描かれた。原義は”手にする”。原義は腕で”抱える”さま。甲骨文から”ある”・”手に入れる”の語義を、春秋末期までの金文に”存在する”・”所有する”の語義を確認できる。詳細は論語語釈「有」を参照。

死(シ)

死 甲骨文 死 字解
(甲骨文)

論語の本章では”死”。初出は甲骨文。字形は「𣦵ガツ」”祭壇上の祈祷文”+「人」で、人の死を弔うさま。原義は”死”。甲骨文では、原義に用いられ、金文では加えて、”消える”・”月齢の名”、”つかさどる”の意に用いられた。戦国の竹簡では、”死体”の用例がある。詳細は論語語釈「死」を参照。

立(リュウ)

立 甲骨文 立 字解
(甲骨文)

論語の本章では”成り立つ”。動作させ、運営すること。初出は甲骨文。「リツ」は慣用音。字形は「大」”人の正面形”+「一」”地面”で、地面に人が立ったさま。原義は”たつ”。甲骨文の段階で”立てる”・”場に臨む”の語義があり、また地名人名に用いた。金文では”立場”・”地位”の語義があった。詳細は論語語釈「立」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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検証

論語の本章は、文字史的には全て論語の時代まで遡れるから、史実の孔子と子貢の問答として認めたい所。ただし定州竹簡論語に無く、春秋時代では確認出来ない漢語の用法があるため、十全の自信を持って本物だと断定することが出来ない。

解説

論語の本章、「自古皆有死」について”税収が無くなって為政者が飢える”と解する例があり、上掲従来訳もそれに属する。しかし飢饉には民から先に死んでいくのは古今東西変わらない史実だから、その解釈には無理がある。この偽善のニオイの元は古注の「疏」(注の付け足し)からある。

李充云朝聞道夕死孔子之所貴捨生取義孟軻之所尚自古有不亡之道而無有不死之人故有殺身非䘮已苟存非不亡己也

李充「”朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり”(論語里仁篇8)は、孔子の尊ぶところであった。命を捨てて正義をまっとうするのは、孟子の尊ぶ所だった。昔から不滅の道はあっても、不死の人間はいない。だから身を殺して自分を失わないことはあっても、生きたまま自分を失わずにいられたためしは無い。」(『論語集解義疏』)

まことに結構なお説教だが、南北朝時代と言えば中国でも指折りのバカげた時代で、北半分は規模の大きなヤクザのような連中が切り取り騒ぎに忙しく、南半分は偽善と贈収賄と𠂊ス刂にまみれたしょうもない王朝が続き、その東晋王朝で文化方面の高官(大著作郎)や皇帝の秘書官(中書侍郎)にまで出世した李充が、当時の時代的雰囲気から自由だったとは思えない。

唐帝室が鮮卑人であるのを誤魔化すため、唐の太宗が房玄齢に編ませた『晋書』李充伝は、まずこう書いて持ち上げる。

充少孤,其父墓中柏樹嘗為盜賊所斫,充手刃之,由是知名。善楷書,妙參鐘索,世咸重之。


幼い頃に父に死なれたが、父の墓に植わっていた柏の木を泥棒が伐って盗むと、手ずから泥棒を斬って捨てた。これにより有名になり、楷書の上手として、また鐘つきの上手として、世間から重んじられた。

次いで

幼好刑名之學,深抑虛浮之士,嘗著《學箴》。


幼い頃から法家を好んで学び、浮ついた連中を心底忌み嫌い、『学問の戒め』なる本を書いて世に出した

という。本気で信じていいものかどうか。まあ謹言居士だったかもしれないが、伝はついでにこういうことも書いている。

征北將軍褚裒又引為參軍,充以家貧,苦求外出,裒將許之為縣,試問之,充曰:「窮猿投林,豈暇擇木!」乃除縣令。


(東晋の外戚で権勢家、)征北将軍の褚ホウに招かれて参謀になっていたが、李充は貧乏を理由に、実入りのよい知事職を求めた。褚裒は「よかろう」と言って「では知事としての抱負を述べよ」と言うと、「空き腹を抱えたサルを林に放り込めば、好き嫌い言わずに木に登って実を取るものでござる」と返した。褚裒はどう思ったのか、そのまま某県の知事に任じた。(『晋書』李充伝)

間の悪いことに李充が赴任すると母が亡くなり、喪に服すため辞任せざるを得なかったのだが、あてがわれた県からワイロをたっぷり剥ぎ取る気でいたこと必定である。おそらく気の毒がった褚裒によって、喪が明けると政府の文化審議官(大著作郎)になった。だからこういう付け足しを論語に残せたのだが、書いていることとすることがまるで違うのが中国役人の常だから、有り難がる気にはとうていなれない。

一官貪甚。任滿。歸家。見家属中多一老叟。問何人。父曰。縣土地也。問何為來此。答曰。地皮都被你括將來了。教我如何不隨來。


ある県知事がたっぷりとワイロを剥ぎ取って、任期を終えたので家族を引き連れ、故郷に帰った。ふと家族を見ると見慣れない老人がいる。「あなたは誰です?」「お前さんの治めた県の土地神じゃ。」「何をしにこんな所へ来なすった?」「お前さんが土地から何もかもすっかり剥ぎ取っちまったもんじゃから、ワシはお前さんに付いていく以外に仕方があるまい。」(『笑府』巻一・土地)

ついでに古注の「注」部分を示す。

古注『論語集解義疏』

子貢問政子曰足食足兵令民信之矣子貢曰必不得已而去於斯三者何先曰去兵曰必不得已而去於斯二者何先曰去食自古皆有死民不信不立 孔安國曰死者古今常道也人皆有之治邦不可失信也


本文「子貢問政子曰足食足兵令民信之矣子貢曰必不得已而去於斯三者何先曰去兵曰必不得已而去於斯二者何先曰去食自古皆有死民不信不立」。
孔安国「死は古来今に至るまで当たり前の結末である。人は誰もが最後には死ぬ。国を治めるのに信頼を失ってはならないのである。」

いらん注とはこういうもので、読み手にも分かりきっていることを一々書かないと気が済まないのは、何かの病気だろうか。孔安国は高祖劉邦の名を避諱しないなど実在が怪しく、後漢以降の儒者が前漢儒の総体を擬人化してこしらえた架空の人物と訳者は見ているが、古注を編んだ三国魏の何晏は、本章に何も注が無いから体裁が悪いので、孔安国の名をかたってどうでもいいことを書き付けたと考えればそれなりに筋は通る。

新注もどうやら死ぬのは為政者の方だと考えていたらしい。

新注『論語集注』

子貢問政。子曰:「足食。足兵。民信之矣。」言倉廩實而武備修,然後教化行,而民信於我,不離叛也。子貢曰:「必不得已而去,於斯三者何先?」曰:「去兵。」去,上聲,下同。言食足而信孚,則無兵而守固矣。子貢曰:「必不得已而去,於斯二者何先?」曰:「去食。自古皆有死,民無信不立。」民無食必死,然死者人之所必不免。無信則雖生而無以自立,不若死之為安。故寧死而不失信於民,使民亦寧死而不失信於我也。程子曰:「孔門弟子善問,直窮到底,如此章者。非子貢不能問,非聖人不能答也。」愚謂以人情而言,則兵食足而後吾之信可以孚於民。以民德而言,則信本人之所固有,非兵食所得而先也。是以為政者,當身率其民而以死守之,不以危急而可棄也。


本文「子貢問政。子曰:足食。足兵。民信之矣。」
ここではこう言っている。食糧倉庫がいっぱいになり、軍備が充実したら、やっと民の教育が出来るのであり、民が為政者であるわれわれを信頼すれば、一揆など起こさない、ということだ。

本文「子貢曰:必不得已而去,於斯三者何先?曰:去兵。」
去はあがり調子に読む。以下同じ。ここで言っているのはこうである。食べ物が十分にあって民の信頼が本物であれば、必ず軍備が無くとも守りは堅いに違いない、ということだ。

本文「子貢曰:必不得已而去,於斯二者何先?曰:去食。自古皆有死,民無信不立。」
民は食糧が無くなれば必ず死ぬが、死は人にとって必ずやって来るものだ。信用が無ければ生きていても自立出来ないから、むしろ死んでしまって安らぐ方がましだ。だから死んで民の信用を失わない方が、民を死なせても信用を失わないよりましだ。

程頤「孔子一門の弟子の問いは素晴らしい。直接に物事の本質に迫り切る。この章はその例だ。子貢でなければ出来ない問いだ。聖人でなければ答えられない問いだ。」

愚かな私が考えるに、人の素直な思いとしては、軍備も食糧も足りて、やっと民の信用が出来上がるというものだ。だが躾の済んだ民なら、信用するかどうかは、兵食がどうかに関係ない。だから為政者は、体を張って民の先頭に立つことを死守し、よほどの非常事態でなければやめてはならない。

余話

(思案中)

『論語』顔淵篇:現代語訳・書き下し・原文
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