1
孔子謂季氏、「八佾舞於庭。是可忍也、孰不可忍也。」
孔子(こうし)季氏(きし)を謂(い)ふ。八(はつ)佾(いつ)の庭(には)於(に)舞(ま)ふ、是(こ)れ忍(しの)ぶ可(べ)き也(や)、孰(いづ)れか忍(しの)ぶ可(べ)から不(ざ)る也(かな)。
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2
三家者、以雍徹。子曰、「『相維辟公、天子穆穆。』奚取於三家之堂。」
三(み)つの家(いへ)者(は)雍(よう)を以(もつ)て徹(とりさ)れり。子(し)曰(いは)く、相(たす)くるは維(こ)れ闢公(うんかく)、天子(あまつみこ)穆穆(なごやか)なりと。奚(なん)ぞ三(み)つの家(いへ)之(の)堂(ざしき)於(に)取(と)らん。
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3
子曰、「人而不仁、如禮何。人而不仁、如樂何。」
子(し)曰(いは)く、人(ひと)にし而(て)仁(よきひと)なら不(ざ)らば、禮(よきつね)の如(ごと)きや何(なに)にせん。人(ひと)にし而(て)仁(よきひと)なら不(ざ)らば、樂(もののね)の如(ごと)きや何(なに)にせん。
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4
林放問禮之本。子曰、「大哉問。禮、與其奢也、寧儉。喪、與其易也、寧戚。」
林放(りんはう)、禮(れい)之(の)本(もと)を問(と)ふ。子(し)曰(いは)く、大(おほ)いなる哉(かな)問(とひ)。禮(れい)は其(そ)の奢(おご)らん與(よ)り也(や)、寧(むし)ろ儉(つつし)め。喪(も)は其(そ)の易(つつし)む與(よ)り也(や)、寧(むし)ろ戚(いた)め。
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5
子曰、「夷狄之有君、不如諸夏之亡也。」
子(し)曰(いは)く、夷狄(えびす)之(の)君(きみ)有(あ)る也(や)、諸(もろ)夏(から)之(の)亡(な)きに若(し)か不(ざ)る也(かな)。
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6
季氏旅於泰山。子謂冉有曰、「女弗能救與。」對曰、「不能。」子曰、「嗚呼。曾謂泰山不如林放乎。」
季氏(きし)泰山(たいざん)於(に)旅(たび)す。子(し)冉有(ぜんいう)に謂(い)ひて曰(いは)く、女(なんぢ)救(すく)ふこと能(あた)は弗(ざ)る與(か)。對(こた)へて曰(いは)く、能(あた)は不(ず)と。子(し)曰(いは)く、嗚呼(ああ)、曾(かつ)て泰山(たいざん)の林放(りんはう)の如(ごと)から不(ず)と謂(い)ひし乎(を)と。
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7
子曰、「君子無所爭、必也射乎。揖讓而升、下而飮、其爭也君子。」
子(し)曰(いは)く、君子(もののふ)は爭(あらそ)ふ所(ところ)無(な)きも、必(かなら)ず也(や)射(ゆみ)乎(か)、揖(こまね)きの讓(ゐや)なし而(て)升(のぼ)り下(お)り、し而(て)飮(の)む。其(そ)の爭(あらそひ)也(や)君子(もののふ)なり。
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8
子夏問曰、「『巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮。』何謂也。」子曰、「繪事後素。」曰、「禮後乎。」子曰、「起予者商也、始可與言《詩》已矣。」
子夏(しか)問(と)うて曰(いは)く、巧(うま)き笑(ゑ)み倩(うるは)しき兮(かな)、美(よ)き目(まなこ)盼(あざや)かなる兮(かな)、素(しろいもの)は絢(あや)を爲(つく)るを以(もち)ゐる兮(かな)とは、何(なん)の謂(いひ)ぞ也(や)。子(し)曰(いは)く、繪(ゑ)の事(こと)は素(しろいもの)に後(おく)ると。曰(いは)く、禮(ゐや)はた後(おく)る乎(か)と。子(し)曰(いは)く、予(われ)を起(おこ)すは商(しやう)也(なり)、始(はじ)めて興(とも)に詩(し)を言(い)ふべき已(のみ)矣(なり)と。
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9
子曰、「夏禮、吾能言之、杞不足徵也。殷禮、吾能言之、宋不足徵也。文獻不足故也、足、則吾能徵之矣。」
子(し)曰(いは)く、夏(か)の禮(よきつね)は吾(われ)能(よ)く之(これ)を言(い)へども、杞(き)は徵(と)るに足(た)ら不(ざ)る也(なり)。殷(いん)の禮(よきつね)は吾(われ)能(よ)く之(これ)を言(い)へども、宋(そう)は徵(と)るに足(た)ら不(ざ)る也(なり)。文(ふみ)獻(うつは)足(た)ら不(ざ)るが故(ゆゑ)也(なり)。足(た)らば則(すなは)ち吾(われ)之(これ)を徵(と)ら矣(ん)。
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10
子曰、「禘自既灌而往者、吾不欲觀之矣。」
子(し)曰(いは)く、禘(てい)旣(すで)に灌(そそ)ぎ而(て)自(よ)り往(のち)者(は)、吾(われ)之(これ)を觀(み)ることを欲(ほつ)さ不(ざ)る矣(なり)。
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11
或問「禘」之說。子曰、「不知也。知其說者之於天下也、其如示諸斯乎。」指其掌。
或(あ)るひと禘(てい)之(の)說(とき)を問(と)ふ。子(し)曰(いは)く、知(し)らざる也(なり)。其(そ)の說(とき)を知(し)る者(もの)之(の)天(あめ)が下(した)に於(お)ける也(や)、其(そ)れ諸(ここ)に斯(きは)を示(しめ)すが如(ごと)き乎(か)」と。其(そ)の掌(たなごころ)を指(ゆびさ)せり。
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12
祭如在、祭神如神在。子曰、「吾不與祭、如不祭。」
祭(まつ)りは在(いま)すが如(ごと)くし、神(かみ)を祭(まつ)るに神(かみ)在(いま)すが如(ごと)くせり。子(し)曰(いは)く、吾(われ)與(あづか)ら不(ず)。祭(まつ)りて祭(まつ)ら不(ざ)るが如(ごと)ければなり。
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13
王孫賈問曰、「『與其媚於奧、寧媚於竈。』何謂也。」子曰、「不然。獲罪於天、無所禱也。」
王孫賈(わうそんか)問(と)ふて曰(いは)く、其(そ)の奧(おく)於(に)媚(こ)びん與(よ)りは、寧(むし)ろ竈(かまど)於(に)媚(こ)びよと、何(なん)の謂(いひ)ぞ也(や)。子(し)曰(いは)く、然(しか)らず、罪(つみ)を天(あめ)於(に)獲(え)ば禱(いの)る所(ところ)なき也(かな)と。
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14
子曰、「周監於二代、郁郁乎文哉。吾從周。」
子(し)曰(いは)く、周(しう)は二(ふた)つの代(よ)於(に)監(かんが)みて、彧彧(にほ)ひ乎(たり)て文(あやな)す哉(かな)。吾(われ)は周(しう)に從(したが)ふと。
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15
子入太廟、每事問。或曰、「孰謂鄹人之子知禮乎。入太廟、每事問。」子聞之曰、「是禮也。」
子(し)大廟(くにつみたまや)に入(い)りて事每(ことごと)に問(と)ふ、或(あ)るひと曰(いは)く、孰(たれ)か鄹人(すうひと)之(の)子(こ)禮(よきつね)を知(し)ると謂(い)ふ乎(か)。大廟(くにつみたまや)に入(い)りて事每(ことごと)に問(と)ふと。子(し)之(これ)を聞(き)いて曰(いは)く、是(こ)れ禮(よきつね)也(かな)と。
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16
子曰、「射不主皮、爲力不同科、古之道也。」
子(し)曰(いは)く、射(ゆみ)は皮(かは)を主(あてど)とせ不(ず)、力(ちから)を爲(な)すは科(しな)を同(おな)じうせ不(ず)、古(いにしへ)之(の)道(みち)也(なり)。
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17
子貢欲去吿朔之餼羊。子曰、「賜也。爾愛其羊、我愛其禮。」
子貢(しこう)吿朔(ついたちまうし)之(の)餼(いき)たる羊(ひたすしし)を去(さ)る。子(し)曰(いは)く、賜(し)也(や)、女(なんぢ)は其(そ)の羊(ひたすしし)を愛(をし)む、我(われ)は其(そ)の禮(ゐや)を愛(をし)む。
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18
子曰、「事君盡禮、人以爲諂也。」
子(し)曰(いは)く、君(きみ)に事(つか)ふるに禮(ゐや)を盡(つく)さば、人(ひと)以(もつ)て諂(へつら)ひと爲(な)す也(なり)。
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19
定公問、「君使臣、臣事君、如之何。」孔子對曰、「君使臣以禮、臣事君以忠。」
定公(ていこう)問(と)ふ、君(きみ)、臣(おみ)を使(つか)ひ、臣(おみ)、君(きみ)に事(つか)ふる、之(これ)を如何(いかん)。孔子(こうし)對(こた)へて曰(いは)く、君(きみ)、臣(おみ)を使(つか)ふに禮(ゐや)を以(もち)ゐ、臣(おみ)、事(つか)ふるに忠(まめ)を以(もち)ふ。
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20
子曰、「關雎、樂而不淫、哀而不傷。」
子(し)曰(いは)く、關雎(くわんしよ)は樂(たの)しん而(で)淫(みだら)なら不(ず)、哀(かな)しん而(で)傷(やぶ)ら不(ず)。
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21
哀公問社於宰我。宰我對曰、「夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗。曰、『使民戰栗。』子聞之、曰、「成事不說、遂事不諫、既往不咎。」
哀公(あいこう)主(よりしろ)を宰我(さいが)於(に)問(と)ふ。宰我(さいが)對(こた)へて曰(いは)く、夏后氏(かこうし)は松(まつ)を以(もち)ゐ、殷人(いんびと)は柏(ひのき)を以(もち)ゐ、周人(しうひと)は栗(くり)を以(もち)ゐたるは、曰(いは)く民(たみ)を使(し)て戰慄(おど)されしむ也(なり)と。子(し)之(これ)を聞(き)いて曰(いは)く、成(な)れる事(こと)は說(と)か不(ず)、遂(と)げし事(こと)は諌(いさ)め不(ず)、既(すで)に往(ゆ)けるは咎(とが)め不(ず)と。
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22
子曰、「管仲之器小哉。」或曰、「管仲儉乎。」曰、「管氏有三歸、官事不攝、焉得儉。」「然則管仲知禮乎。」曰、「邦君樹塞門、管氏亦樹塞門。邦君爲兩君之好、有反坫、管氏亦有反坫。管氏而知禮、孰不知禮。」
子(し)曰(いは)く、管中(くわんちう)之(の)器(うつは)は小(ちひさ)き哉(かな)。或(あ)るひと曰(いは)く、管中(くわんちう)儉(つつしみ)なる乎(か)。曰(いは)く、管氏(くわんし)三(み)たり歸(つま)有(あ)りしとき、官(まつりごと)の事(こと)攝(と)らず、焉(いづく)んぞ儉(つつしみ)なるを得(え)むとなす。然(しか)らば則(すなは)ち管中(くわんちう)は禮(ゐや)を知(し)る乎(か)。曰(いは)く、國君(くにつきみ)樹(た)てて門(かど)を塞(ふさ)ぐ、菅氏(くわんし)も亦(また)樹(た)てて門(かど)を塞(ふさ)ぐ。國君(くにつきみ)兩(ふた)り君(きみ)の好(よしみ)を爲(な)すに反坫(さかづきがへしのかはらけ)有(あ)り、菅氏(くわんし)も亦(また)反坫(さかづきがへしのかはらけ)有(あ)り。菅氏(くわんし)にし而(て)禮(ゐや)を知(し)らば、孰(たれ)か禮(ゐや)を知(し)ら不(ざ)らむ。
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23
子語魯大師樂、曰、「樂其可知也。始作、翕如也。從之、純如也、皦如也、繹如也。以成。」
子(し)、魯(ろ)の大師(うたのかみ)に樂(もののね)を語(かた)りて曰(いは)く、樂(もののね)は其(そ)れ知(し)る可(べ)き也(なり)。始(はじ)め作(おこ)すとき翕(あは)すが如(ごと)き也(たり)、之(これ)を從(はな)つとき純(す)むが如(ごと)き也(たり)、皦(あきら)かな如(ごと)き也(たり)、允(なご)むが如(ごと)き也(たり)、以(もつ)て成(な)ると。
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24
儀封人請見、曰、「君子之至於斯也、吾未嘗不得見也。」從者見之。出曰、「二三子、何患於喪乎。天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸。」
儀(ぎ)の封人(せきもり)見(まみ)えを請(こ)ふ。曰(いは)く、君子(もののふ)之(の)斯(ここ)に至(いた)る者(もの)は、吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て見(み)るを得(え)不(ず)んばあらざる也(なり)。從(したが)ふ者(もの)之(これ)を見(まみ)えしむ。二三子(ていしら)、何(なん)ぞ喪(うしな)へる於(に)患(うれ)へむ。天(あめ)が下(した)之(の)道(みち)無(な)きは久(ひさ)しき矣(なれ)ば、天(あめ)將(まさ)に夫子(かのきみ)を以(もつ)て木鐸(きうちのかね)と爲(な)さんとすと。
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25
子謂韶、「盡美矣、又盡善也。」謂武、「盡美矣、未盡善也。」
子(し)、韶(せう)を謂(い)ふ、美(うるはし)きを盡(つく)せ矣(り)、又(また)善(よ)きを盡(つく)せる也(かな)と。武(ぶ)を謂(い)ふ、美(うるはし)きを盡(つく)せ矣(る)も、未(いま)だ善(よ)きを盡(つく)さざる也(かな)と。
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26
子曰、「居上不寬、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉。」
子(し)曰(いは)く、上(かみ)に居(ゐ)て寬(くつろ)が不(ず)、禮(よきつね)を爲(な)して敬(ゐやま)は不(ず)、喪(も)に臨(のぞ)んで哀(かなし)ま不(ず)んば、吾(われ)何(なに)を以(もつ)て之(これ)を觀(み)む哉(や)。
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