PRあり

論語詳解475子張篇第十九(4)小道と雖も必ず’

論語子張篇(3)要約:チマチマした技にも価値はあるが、その技に足を取られていては、いつまでたっても大人物になれないぞ、と子夏。かつて孔子先生から「チマチマするんじゃない」と教えられたのを、そっくり弟子に伝えたのでした。

(検証・解説・余話の無い章は未改訂)

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子夏曰、「雖小道、必有可觀者焉、致遠恐泥。是以君子不爲也。」

校訂

後漢熹平石経

子夏白雖󱩾󱩾󱩾󱩾󱩾觀者焉致逺恐泥是㕥…

  • 「是」字:〔日一乙〕。

定州竹簡論語

夏曰]:「雖小道,必有可觀者焉;至a遠恐泥,是[以君]576……

  1. 至、今本作”致”。

→子夏曰、「雖小道、必有可觀者焉、至遠恐泥。是以君子不爲也。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文夏 金文曰 金文 雖 金文小 金文道 金文 必 金文有 金文可 金文観 金文者 金文安 焉 金文 致 金文遠 金文鞏 金文濘 甲骨文 是 金文㠯 以 金文君 金文子 金文不 金文為 金文也 金文

※焉→安・恐→鞏・泥→濘(甲骨文)。論語の本章は「以」「也」の用法に疑問がある。

書き下し

子夏しかいはく、ちひさみちいへども、かならものなんも、とほきにいたらばなづむをおそる。ここ君子もののふさざるなり

論語:現代日本語訳

逐語訳

子夏が言った。「つまらない技でも、見る価値のあるものはきっとあるだろうが、長い時間が過ぎると、まとわりついて動きが取れなくなることを恐れる。だから君子たる者、つまらない技は習わないのだ。」

意訳

子夏「ちまちました技にも、それなりの価値はあるだろう。しかしその技にこだわると、大きな業績を成し遂げるには邪魔になる。だから君子たる者は、つまらない技を身につけようとはしないのだ。」

従来訳

下村湖人

子夏がいった。――
「一技一芸の小さな道にも、それぞれに意義はある。しかし、そうした道で遠大な人生の理想を行おうとすると、おそらく行き詰りが来るであろう。だから君子はそういうことに専念しないのである。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子夏說:「即使是小小的技藝,也必定有可取的地方;但要想做大事,就用不上了,所以君子不搞這些小技藝。」

中国哲学書電子化計画

子夏が言った。「ちまちました技術でも、それでも必ずきっと有益な事柄はある。ただしもし大事を為そうと思っているなら、必ず携わらずにおくが、だから君子はこの類の小技には携わらない。」

論語:語釈

子夏

子夏

論語では、孔子より44歳年少の若い弟子、ボク商子夏のこと。文学の才を孔子に評価された、孔門十哲の一人。孔子没後は一流派を開き、北方の魏国で弟子を育成した。

雖(スイ)

雖 金文 雖 字解
(金文)

論語の本章では”~ではあるが”。「いえども」と読む逆接の仮定条件を表す接続辞。

甲骨文には見られないが、春秋中期の金文から見られる。具体的なものや動作を表す言葉ではないが、比較的早くから文字化されたことが分かる。『学研漢和大字典』によると、もとは「スイ」というとかげの一種の名で、接続辞に転用されたという。

まれに「ただ~(のみ)」「これ」と読み、”ただ~だけ・~にすぎない”を意味する限定・強調の意を示す場合がある。詳細は論語語釈「雖」を参照。

小道

小 金文 道 金文
(金文)

論語の本章では”取るに足らない技や教え”。「道」は”やり方・方法”を意味し、「小道」は”小さな方法・技術”。辞書的には論語語釈「小」論語語釈「道」を参照。

觀(観)

観 金文 観 勧 字解
(金文)

論語の本章では”価値を認めて見る”こと。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による語源は、へんは水鳥が並んで鳴くさまで、並び揃ったものを見渡すこと。単に視覚に止めることではなく、さまざまあるものを比較して見渡し・見定めることを言う。詳細は論語語釈「観」を参照。

焉(エン)

焉 金文 焉
(金文)

論語の本章では”きっと~だろう”。ものごとの終わりや断定を意味する助辞。もとは「エン」という黄色い鳥のことだという。初出は上掲戦国末期の金文で、論語の時代に存在しないが、「安」が置換候補となる。詳細は論語語釈「焉」を参照。

致遠→至遠

致 金文 遠 金文
(金文)

論語の本章では”携わって長期間になる”。「遠」は物理的・時間的距離が長いこと、「致」はある地点まで至ることを意味する。

「遠」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「辵+(音符)袁(エン)(間があいて、ゆとりがある)」の会意兼形声文字。詳細は論語語釈「遠」を参照。

「致」の初出は西周中期の金文。『学研漢和大字典』によると至は、矢がー線までとどくさまをあらわす会意文字。致は「夂(あし)+〔音符〕至(いたる)」の会意兼形声文字で、足で歩いて目標までとどくこと。自動詞の「至」に対して、他動詞として用いる、という。詳細は論語語釈「致」を参照。

定州竹簡論語の「至」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「矢が下方に進むさま+━印(目ざす線)」の会意文字で、矢が目標線までとどくさまを示す、という。詳細は論語語釈「至」を参照。

余談になるが、清朝末期の北洋艦隊の主力艦の一隻に、致遠という名の巡洋艦があった。
致遠

恐泥

恐 金文 泥 古文
「恐」(金文)・「泥」(古文)

論語の本章では”動きが取れなくなることを恐れる”。

「恐」の初出は上掲戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。同音も存在しない。ただし部品のキョウ(カ音不明)”いだく・かかえる”の派生字であるキョウ(=𢀜)に、”おそれる”の語釈を『大漢和辞典』が載せる。詳細は論語語釈「恐」を参照。

「泥」は 意外にも甲骨文・金文には見られず、戦国文字でも未発掘。古文でもへんを欠いたり、土へんに作る。「拘泥」のように、ねっとりとまとわりつかれて動きが取れなくなること。この場合は去声に読む、とされる。論語時代の置換候補は、近音の「濘」。詳細は論語語釈「泥」を参照。

古注では次のように言う。

苞氏曰泥難不通也是以君子不為也

包咸
包咸「泥とは、身動きが取れなくなることだ。だから君子はやらないのだ。」(『論語集解義疏』)

古い中国語の去声とは何かについては、そんな音はなかったという説まであるので、ここでは深入りしない。漢字の四つの発音の仕方の一つ。

是 金文
(金文)

論語の本章では”これ”。

以(イ)

以 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。

君子

論語の本章では”貴族”。領主だけではなく、広く参政権がある者を言う。”教養人”とか”人格者”といったような語義は、孔子没後一世紀の孟子からになる。詳細は論語における君子を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章は、論語雍也篇13「なんじ君子の儒となれ」と対応する内容で、「チマチマするな」と師の孔子から諭された子夏が、自らの弟子にも同じ様な訓戒を残したもの。それがどのような興味を引いたのか、『論語集釋』には、歴代の儒者が本章についてあまた論じている。

それらはおおむね、農業や医道や占いを「小道」の範疇に入れつつも、「世の中に欠くべからざる」と言っており、とりわけ農業については「命の元」と記している。そして聖王の舜が、かつて農民であったことを取り挙げて、あれこれと言い訳じみたことを書いている。

つまり儒者が歴代、筆と箸とワイロより重いものを持とうともしなかった言い訳である。

舜 孟子
それらは現代の読者にとってはどうでもいいことだが、一点記しておくべきは、孔子や直弟子の生前に、舜など誰も知らなかったことだ。舜は孔子より一世紀後の孟子が、顧客である斉王室の家格を高めるために、始祖としてでっち上げてやった人物で、もとより実在ではない。

なお儒者の言い分の代表として、新注を記しておく。

小道,如農圃醫卜之屬。泥,不通也。楊氏曰:「百家眾技,猶耳目鼻口,皆有所明而不能相通。非無可觀也,致遠則泥矣,故君子不為也。」

楊時
朱子「小道とは、田作り、畑作、医術、占いのたぐいだ。泥とは、身動きが取れなくなることを言う。」

楊時「儒学以外の百家の学派は、耳や目や鼻や口のようなもので、みな世の中の一部を明らかにするに過ぎず、宇宙の原理に通じる道ではない。だから全く価値が無いとは言わないが、そればかりに関わっていると必ず枝葉に迷い込んで身動きが取れなくなる。だから君子はやらないのだ。」(『論語集注』)

重複を恐れず記せば、楊時は高慢ちきなワイロ取りばかりの宋儒の中でも、極めつけの悪党で、発言を真に受けるべき人物ではない(論語里仁篇16付記)。新注の記述に限るなら、学者としても低劣で、先人の言葉をまるまるパクり、高慢とオカルトで多少風味付けしただけ。

それが一世を風靡した大学者だったのだから呆れる。だがそれがまかり通ったのは、当時の科挙に論語が必須でなかったからで、要するに好事家以外は、儒者といえども論語の解説本など、見向きもしなかったのだ。

つまり論語をよく読んだことを別にして、まことに中国人らしい男と言ってよい。

回路図 顕微鏡
歴代の儒者は本章を言い訳に、実学を「チマチマ」として軽んじたまでは良いのだが、数学や物理すら真面目に研究しようとしてこなかった。その結果が救いがたい科学技術の後れであり、それが現在まで尾を引いている。その代わりとなったのが『礼記』の中庸篇だった。

これは朱子学以降では独立した一冊となったが、宇宙の根本原則を示した書として尊ばれ、科挙の試験科目にもなった。だがこれまで繰り返してきたとおり、朱子をはじめ宋儒の脳みそはイカれており、オカルトに熱中したあげくの『中庸』で、数理とはまるで関係が無い。

その結果中国のインテリは、ますます頭がおかしくなったのである。

『論語』子張篇:現代語訳・書き下し・原文
スポンサーリンク
九去堂をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました