論語詳解254先進篇第十一(1)先進の礼楽や

論語先進篇(1)要約:孔子先生は教育の基本を、人間の行動原則である礼法と、情操教育に効果的な音楽に置きました。しかし多くの弟子にとってそれは、就職のためのツールに過ぎませんでした。そんな彼らを、先生はたしなめるのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「先進於禮樂野人也。後進於禮樂君子也。如用之、則吾從先進。」

書き下し

いはく、先進せんしん禮樂れいがくけるや野人やじんなり後進こうしん禮樂れいがくけるや君子くんしなりこれもちゐば、すなはわれ先進せんしんしたがはむ。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 楽
先生が言った。「昔の人の礼法と音楽は粗野で素朴。今の人の礼法と音楽は上品で虚飾。もし選ぶとしたら、私は昔の人に従おう。」

意訳

昔は音楽も礼法も実用品だった。ところが今は人の目をごまかす飾りでしかない。昔の方がいいね。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「礼楽の道において、昔の人は土くさい野人、今の人は磨きのかかった上流人、と、そう世間で考えるのも一応尤もだ。しかし、もし私がそのいずれか一つを選ぶとすると、私は昔の人の歩んだ道を選びたい。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

先進

論語 先 金文 論語 進 金文
「先進」(金文)

論語の本章では、”昔の人”。「先」は論語語釈「先」を参照。

禮(礼)樂(楽)

論語 礼 金文 論語 楽 金文
(金文)

論語の言葉では、”礼法と音楽”。または儒家の教育そのものを指す。

後進

論語 後 金文 論語 進 金文
(金文)

論語の本章では、”現代の人”。「後」について詳細は論語語釈「後」を参照。

野人

論語 野 金文 論語 人 金文
「野人」(金文)

論語の言葉では、「野人」は中国の領内に住みながら、中華文明や中国語を受け入れない人々を言う。論語の時代では、明確な国境線が必ずしも引けず、城郭都市の周囲にはこうした人々が放浪しながら暮らしていた。

論語:解説・付記

論語の本章では、「先進・後進」を”昔の人・今の人”と伝統的に解する。

この解釈では、時間を先に進んでいる人と後を進んでいる人を指す。しかし同じ礼楽の道を、先に行く人・後を行く人と解することも出来る。先を行く人は、道の途中で崖から落ちたり、ふと目にとまった道ばたの小さな花に気付きながら進む。

そしてそれは立て札として、道に沿って記されていく。後を行く人はその立て札を見ながら進む。「猛犬注意」とか立て札があるから無駄なことをせずに済む。あるいは先人が橋を架けたりトンネルを掘ったり、果ては高速道路や新幹線まで敷かれているかも知れない。
論語 伯方大橋 四国

ここに日本の例として、お四国参りというのがある。先人は八十八カ所を足で歩き、雨に降られ風に晒され、時には物乞いをしながら、夜は橋の下や粗末な小屋がけで眠った。今は金を払って暇な老人がバスで行く。冷暖房完備でうまいものを食い柔らかい布団で寝る。

白衣は真っ白なままで、寺ごとにバスから降りて世話人に「はいこっちですよ~」と家畜のように引かれ、ガヤガヤと傍若無人に本道や大師堂の前を占拠して、声を張り上げ般若心経を唱える。寺も心得たもので、そうした人たちから捺印料金その他を取って寺の経営を潤す。

要はお参りするのか、お参りした気になる、あるいはお参りしたと人に言われるかにある。

礼楽もこれと同じで、礼楽人=君子であるのか、君子と人が見るかの違いがある。孔子塾の門を叩く弟子たちは、多くが下層階級の出身で、学ぶことで仕官し差別や貧困からの脱出を心より願った。だから君子であることには興味ではなく、君子と見られる事が重要だった。

その結果、社会全体から見ればささやかではあるが、差別と貧困の解消が個々に見られた。一人仕官すれば一人生産者が減り、消費者が生まれたことになる。だから経済がその分大きくなり回るようになったかと言えばそうではない。論語の時代は古代で生産力が低いからだ。

だからバス会社の雇用が増えたり寺の跡取りが高級車を乗り回したりというようなことにはならない。自分も下層階級の出身だった孔子はそのあたりを心得ていて、だから仕官したがらない弟子を喜び、弟子には君子であることを要求した。これを「君子の儒」という。

対する概念は「小人の儒」であり、論語雍也篇13で子夏に説いたように、両者にはさまざまな説明の仕方がある。しかしその本質はと言えば、君子である「志」を持つことだった。だからか細いながら経世済民の術として、孔子は必須科目=六芸の中に数を入れた。

この「数」とは数学ではなく、せいぜいお小遣い帳程度の帳簿付けのことだが、それでもどんぶり勘定で一国を経営するよりは、経済効率がまるで違う。とりわけ「等しからざるを憂う」孔子の経済論では、富者ばかりに富が集まるのではいつまでたっても民が幸福にならない。

だから君子の儒が社会には要るのであり、大きくできないパイの分配を公平に行える技術者となることが、君子であることになる。例えば子夏は言わば私立文系馬鹿であり、古典はよく憶えているが、「数」は人並み程度にしか出来なかっただろう。だから孔子は説教したわけ。

次に「野人」については、論語の時代=春秋時代の地図をご覧頂きたい。

論語 斉 魯 地図

クリックで拡大。Map via http://shibakyumei.web.fc2.com/

論語時代の国とは城郭都市=邑(ユウ)の連合体で、例えば魯国のとある邑より手前側=国都の曲阜に近い場所に、斉領の邑があったりする。邑と邑の間はほぼ原野で、邑周辺の耕作地を除けば誰の所有でもなく、加えて中国人とは言葉も通じない人々が住んだり往来していた。

これが本来の意味での「野人」であって、諸侯国に国境など引けなかった。野人は諸侯の言うことを聞かず、概して生活程度が低く、文字文化や政治的秩序にもなじまない。だから中国人からは野蛮に見えた。孔子も論語の中で、野人を含め異民族を人間と見なしていない。

蛮族はどうあろうと蛮族だ。(論語八佾篇5)

しかし秩序に従わないとは、自立・自律の能力が高いのと同義である。

ただのならず者や甘えたれが生きていけるほど、論語の時代の技術力は高くなく、その分自然の猛威はすさまじいからだ。孔子は諸国を放浪する中で、野人の集団を必ず目にしただろうし、彼らなりの音楽や、統率のための秩序、礼法を持っていることに気付いたに違いない。

音楽は『詩経』もそうであるように、部族の歴史を伝え、教訓を残し、苦難を癒す効果がある。野人にとっては実用品に他ならない。論語に漏れたとされる孔子の言葉に、「民を秩序立てるには音楽が一番いい」とあるのは、中華文明の音楽も本来は実用品だったことを示す。

論語 孔子 肖像
民を教えて愛の心を持たせるには、孝行よりよいものはない。民を教えて礼法に順わせるには、悌(年上への敬意)よりよいものはない。風習を変え風俗を改めさせるには、音楽よりよいものはない。君主を安心させ民を治めるには、礼法よりよいものはない。

礼は、ただ敬いの心あるのみ。だから父親を敬って、子は喜ぶ。兄を敬まって、弟は喜ぶ。君主を敬まって、家臣は喜ぶ。天子を敬って、万人が喜ぶ。敬われる対象が少なければ、喜ぶ者も多い。これが人道のかなめというものである。(『孝経』広要道篇)

論語の言葉と異なり、上から目線の押しつけがましさが激しいので、おそらく漢代の儒者が捏造した作文だろうが、それでも音楽が教育にうってつけと孔子が思っていたには違いない。論語と同時代の証言として、斉の家老・晏嬰の言葉が残っているからだ。

論語 晏嬰
〔儒者は〕いつまでもグズグズと考えてばかりで、民を救おうとは思ってもいません。その学問は何年掛けても学びきれず、当座の礼儀作法を任せるにも間に合わず、いくら金を掛けても、彼らの言う楽団の楽器は揃えきれません。

言葉を飾ってよこしまな企みで国君を惑わし、合唱団を巡業させて愚かな民を惑わしています。あの教説では将来を確かにすることは出来ず、民を導くことも出来ません。それなのに殿は雇おうというのですか。確かに斉の風俗はいくらか良くなりましょうが、国を指導し民の先頭に立つ者のすることではありませんぞ。

(『墨子』非儒篇下)

礼法を実用品と見るのも同じ。論語に言う礼法では、男女の別を厳しく言うが、史書の示すところ論語時代の君子は間男だらけで、コキュが怒って国が滅びた例が複数ある。一方野人にも間男はいただろうが、一族総出で叩き殺されるか、間男という概念自体が無いかも知れない。

全て産まれた子は部族の子、という扱いとか。かように論語がどう言おうが、人の集団に礼法と音楽はつきもので、孔子にとってはそれに実があるかどうかが重大だった。だから君子の儒であることは善きことだが、君子の礼楽は飾りであり、ここに「君子」の多義性がある。

なお、論語の本章の解釈については異論がある。

高橋均『論語に見える「君子」について』(東京教育大學漢文學會Vol. No. 28 p. 13-21)によると、先進とは孔子塾生のうち庶民から成り上がろうとする者のことで、貴族にふさわしい礼楽が身に付いていないから、まず礼楽を学んだと言う。

そして貴族出身者はその逆。つまり君子・野人の違いは身分にあり、「野人」とは、国都に住まわない庶民のことであり、「君子」とは貴族の身分を持ち国都に住まう者のこととする。傾聴すべき意見ではあるが、そうなると読み下しを変えねばならない。同論文はこう読む。

礼楽先進するは野人なり、礼楽於後進するは君子なり。如し之を用いれば、則ち吾は先進に従わん。

だが『大漢和辞典』によると「従」には”寄り添う”の語義があるから、孔子が礼楽を学ぶ者に寄り添って教えるのはいいとしても、「用いる」とはどういう事なのだろう。仕官を決めるのは孔子ではなく魯の朝廷や門閥家老家だから、塾の助教として「用いる」のだろうか?

それとも、論語の本章は孔子が魯国の政権中枢にあったときの話で、「身分にかかわらず、礼楽を学び終えた者から採用するよ」という宣言だろうか。その方が政治革命を目指し、自分の手下となる弟子を、どしどし政権内に押し込みたい孔子にとって、ふさわしいようには思う。

ただし、これも古代の闇の中。事実は誰にも分からない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。未だ人を斬ったことが無い。刀(登録証付)の手入れは毎日している。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。
斬首
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