論語159述而篇第七(12)子の慎む所は

論語述而篇(12)要約:本章は孔子先生の日常についての、弟子によるごく短い回想で、面白くもなく情報も少なく、読み飛ばしても構わない一節。ただし古代人とはどういう人か、現代人とは懸け離れた部分が分かります。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子之所愼、齊、戰、疾。

書き下し

つつしところは、ものいみいくさやまひなり。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

先生が慎んだのは、潔斎、戦争、病気だった。

意訳

論語 潔斎 滝
先生は祭祀の前の身の清め、戦争、病気にとりわけ気を遣って、縮こまるような気持でいた。

従来訳

 先師が慎んだ上にも慎まれたのは、斎戒さいかいと、戦争と、病気の場合であった。

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

齊(斉)

論語 斉 金文 論語 斉 篆書
(金文・篆書)

論語の本章では「斎」と同じ。神意を恐れて身を清め、飲食に気を付けて、おとなしく慎んだ態度で一定期間過ごすこと。世界の宗教の多くで、葬儀の前後などになまぐさ物を食べなかったり、水垢離をして身を清めたりするのに相当する。

論語 疾 甲骨文 論語 疾 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では”病気”。甲骨文の形は、人に向かって真っ直ぐ矢が飛んでくるさま。病気の中でも急性で、しかも命に関わるやまいをいう。

ペニシリンが無い時代、伝染病は恐ろしいもので、ささいなことから人は死に至った。また薬湯を用いて治療する、いわゆる漢方はまだ成立しておらず、鍼灸が医療の中心だった。

虚実、陰陽、表裏といった概念を用いて病気を系統立って分析し、適切な薬湯を与えられるようになったのは、論語時代より700年も過ぎた、三国時代の『傷寒論』からになる。

論語にも薬を用いる記述はあるが、「のどの痛みには南天の実」といった、まだ粗放な医学に過ぎなかったと思われ、漢方ほど有効に効いたとは思えない。それより鍼灸の方が効いただろう。孔子は季氏から贈られた薬の服用を断っている(論語郷党篇12)。

論語:解説・付記

孔子の自然観を示す章で、いずれも人の生死に関わることであるのが注目できる。弟子の宰予と違い、孔子は怪力乱神こそ語らなかったものの、超自然的に見えた物理現象に、恐れを抱いて慎んでいた。神を怒らせれば天変地異や、疫病をもたらすと考えたのである。

また「我は周に従う」(論語八佾篇14)と言ったり、宰予が軽々しく人の死を取り扱った(論語八佾篇21)のに怒ってみせたのは、孔子の人間観を示すもので、論語の本章同様、人の死を痛ましく思い、恐れる人だった。それゆえ孔子の教説が、仁を目標とするのも頷ける。

論語 仁 フィギュア
訳者は論語に言う仁を、等身大仁フィギュアとして理解しているが、仁が人の情けを基本とすることに変わりはない。また論語時代は鉄器の普及に伴い、人口拡大期だったと想像するが、それでも古代では人はそう簡単に増えるものではなく、死の喪失感は大きかった。

現代人もまた、親しい人の死には強い打撃を受けるものだ。ただし、孔子を政治家としてみた場合、人口はすなわち国力であり、経済的に﹅﹅﹅﹅人の死を出来るだけ避けたいと思っただろう。と言うのも、家庭人としての孔子に、情愛らしい心をほとんど感じないからである。

孔子は当時の貴族に珍しく、息子は一人だけ。娘はいたから子は一人ではないが(論語公冶長篇1)、子の少なさは医療未発達の論語の時代には珍しい。そして論語には、孔子の家族の話は三つしか無く、一つは息子の死、(論語顔淵篇7)もう一つは又聞き(論語季氏篇16)。

家族と直接対話した話は一つしかない。

子の伯魚に言った。「周南・召南の詩を学んだか? あれを学ばないと、目の前の壁をじっと見つめてるようなもので、右も左も分からないぞ。」(論語陽貨篇10)

論語 孔子 淡々
従って孔子にとって人の死は、国力としての民の死であり、冷徹な政治家を孔子に感じる。病を慎むと本章で言うのも、政治家として自分が死んでしまえば自分の政治理念もおしまいだと思っていたからだろう。論語郷党篇12で季氏の薬を断ったのも、暗殺を恐れたためだろう。

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