論語詳解332子路篇第十三(30)教えざる民を以て

論語子路篇(30)要約:納得なしで徴兵されても、人は従いません。日本人の想像を超える天災・戦乱を経験し続けた中国の民衆は、生き残るためには何でもする人たちです。それを踏まえて孔子先生は、民を徴兵する条件を説いたのでした。

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原文

子曰、「以不敎民戰、是謂棄*之。」

校訂

武内本:唐石経弃、敦煌鄭往本外字 棄 異体字

書き下し

いはく、をしへざるたみもつたたかふ、これつるとふ。

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逐語訳

論語 孔子 肖像
先生が言った。「教えていない民を使って戦う、これを捨てるという。」

意訳

論語 孔子 悩み
しつけの済んでいない民を駆り出して戦っても、逃げ散っていなくなるだけだ。大損害だ、もったいない。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「教化訓練の行き届かない人民を率いて戦にのぞむのは、民を棄てるのと同じである。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

敎民(教民)

論語の本章では、民がいう事を聞くように躾けること。論語前章の語釈を参照。論語語釈「教」も参照。

従来訳のように軍事訓練を含むと解するのは誤りではないが、論語時代の戦闘を考慮するとやや言い過ぎのきらいがある。戦場に向かうまでのサバイバル技術は、当時の庶民なら心得ており、与えられた武器は鎌状のほこ=戈だから、振り回していればそれなりに戦えるので、長い訓練は不要と思われる。

これは戦国時代の日本の足軽のほとんどが、槍を持たされていたのと事情が同じで、刀は素人が振って切れるようなものではなく、持たされた刀は「鍋づる」と呼ばれ、ほとんどなまくらで、ただの鉄の棒として殴りつけるものだった。ゆえに槍が重宝されたわけ。

現代戦でも一次大戦中にドイツが開発した短機関銃(連射できる大きな拳銃)を、二次大戦でソ連が大量に採用し、字も読めない庶民を徴兵し、ほぼ教育なしで前線に投入しても、ついに精鋭ドイツ軍を破ったのは、兵士を戦えるように育てるのがいかに大変かを物語っている。

少し訳者の個人的感想になるが、刀は抜くだけでも大変で、収めるのはもっと難しい。うっかりするとポロリと指を切り落としてしまう。弓はと言えば、当たるようになるまで何年もかかる。戦うなら長柄武器の方がまだ簡単。弓については論語時代の主力遠距離兵器は弩(クロスボウ)で、これは目当てが付いているから弓よりは当たりやすいが、なにぶん弩機に貴重な青銅が要り、作りも精密だったから量産が利かず、連射も出来ないという欠陥があった。
論語 弩 戦車戦

現代のように高度に機械化・情報化された歩兵は無論考慮外だが、長らく戦場で将軍が一番頭を痛めたのは、兵の逃亡=補給の貧弱だった。ナポレオンが「良い兵とは良く戦う兵ではない。良く歩く兵だ」と言ったのはそれを物語る。次いで将軍が悩んだのは、陣形を保つこと。

そして敵の態勢に応じて、「魚鱗から鶴翼へ」というように、その変形を滞りなく行えることだった。欧州の絶対王政期の徴兵期間が、概して何十年と長いのは、何千何万という兵が秩序を保ったまま移動し、そして戦況に応じて陣形変換するのが、極めて困難だったからだ。

しかし論語時代の戦闘は主に戦車戦であり、歩兵は戦車に附属して、その後ろを歩いて進めば良かった。どこに向かって歩けばいいかは、所属する戦車を見ていれば分かるので、陣形戦の訓練の必要がなかった。歩兵隊だけで戦うこともまれで、山間部や大河の峡谷など、歩兵だけで戦う必要のある場合は、常時軍事訓練を受けている、士分以上が戦った。

さらに輜重兵と歩兵の区別もなかったから、史書に記録が無く、戦史学者を悩ませている。現伝『孫子』を真に受ければ、戦車と輜重車の数は同じだから、徴兵された庶民の少なからぬ部分は、戦士ではなく荷役夫として働いたことになる。それならば庶民にとって普段の生活と変わりが無く、訓練の必要はそれほど要らなかっただろう。

謂棄之

論語の本章では、”それを捨てるというのだ”。

従来の論語本では、人道主義的に「民をむざむざ殺してしまう」と解する例もあるが、中国史を通読する限り、中国人というのはそんなにおとなしい人たちではない。秦帝国崩壊のきっかけとなった、陳勝・呉広の乱(BC209)を持ち出すまでもなく、殺されるぐらいなら反乱を起こすのが当たり前。

論語時代となると、人もまだ素朴だったのか、後世ほど人間が図々しくできていないが、それでも死ぬぐらいなら暴れるのは同じで、当の魯国の家老が、「飢えた民を救ってきたのは季孫氏です。それを滅ぼそうとするなら、民が暴れ出して手が付けられなくなりますぞ」と恐れている記述が『春秋左氏伝』や『史記』にある

論語:解説・付記

論語の本章は前章の続きとして読むべき章で、朱子による論語の切り分けが、不適当と思われる例でもある。それはさておき、孔子にとって民とは何かと言えば、まず生産させる存在で、次に税や労役を差し出させる存在、そして労役の一環として戦わせる存在だった。

畜力以外に人間を超える動力がない論語時代、民の数=国力で、国の繁栄には人口増大が不可欠だった。だからこその孔子の民衆愛護であり、民衆を愛するから愛護を説いたのではない。従って民は国君の私有財産と言って良く、民を捨てるのは財布の金を捨てる感覚だった。

子路が衛国の蒲のまちの代官になった。治水工事を行って、民に混じってもっこを担ぎ、水路を整えた。工事の苦労を思いやって、駆り出された民に竹茶碗一杯の飯と、ふくべ一杯の汁物を出した。孔子がそれを聞いて、子貢を使わして給食をやめさせた。子路が怒って孔子の下を訪れて言った。

「私は暴風雨が来て洪水になるのを心配して、民と共に工事にあたったのです。民には貧乏な者が多いので、わずかですが給食を行いました。ところが先生は子貢に止めさせた。私は仁を行おうとしているのですよ? 仁は先生の教えではありませんか。このお申し付けには従えません。」

孔子「ほう。民が飢えていると見たか。ならなんで国君に申し上げない。必要経費だ、国庫を開いて配給して頂けばいいだろう。お前の蓄えから給食を出したのは、国君がけちん坊だと宣伝するようなものだ。自分が仁者でござい、と見せ付けるつもりか? さっさと給食をやめればよし、それならお前の罪は知られずに済むだろう。」(『孔子家語』致思第八(3))

論語の本章とその孔子の意図を、現代的価値観から批判するのは簡単だが、そうもいかないことはすでに前章の解説に書いた通り。孔子にとっての天下太平とは、まず貴族階級の平和であって、その結果民も平和になると言う順序だった。それを踏まえて論語を読んで頂きたい。

『論語』子路篇おわり

お疲れ様でした。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶった○る。覚悟致せ。

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