論語102公冶長篇第五(10)吾いまだ剛き者を

論語公冶長篇(10)要約:剛直な者とはどんな人? 孔子先生は剛直である事以外に欲を持たない者だと考えました。学問も人格修養も、それ以外の欲を捨てねば得られない、とお説教したのと同じです。さて弟子の申棖シントウはどうでしょうか。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「吾未見剛者。」或對曰、「申棖。」子曰、「棖也慾。焉得剛。」

書き下し

いはく、われいまたけものずと。るひとこたへていはく、申棖しんたうと。いはく、たうよくあり、いづくんぞたけきをむと。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

先生が言った。「私は今まで剛直な者を見たことがない」。ある人が答えて言った。「申棖」。先生が言った。「申棖は欲がある。どうして剛直だろうか」。

意訳

論語 孔子 ぼんやり 論語 ある人1
孔子「世に意志の固い者はいないな」。
ある人「申棖がいますよ」。

論語 公冶長篇 申棖
「あいつは欲張りだ。利に釣られて転ぶ。意志堅固なものか」。

従来訳

 先師が、いわれた。――
「私はまだ剛者というほどの人物に会ったことがない。」
 するとある人がいった。――
申棖しんとうという人物がいるではありませんか。」
 先師は、いわれた。――
とうは慾が深い。あんなに慾が深くては剛者にはなれないね。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 剛 金文
(金文)

論語の本章では”信念を曲げない率直な人格”。

『大漢和辞典』での第一義は”断ち切る”。”鋼鉄”の語義もあるが、論語時代にはまだ鋼鉄は実用化されず、刃物には「美金」と呼ばれた青銅が使われた。「悪金」と呼ばれた鋳鉄はあったが、農具や工具に用いられた。

鋼鉄が実用化されるのは論語の時代から約300年過ぎた漢代で、鋳鉄の固まり=銑鉄を空焼きすることで鋼鉄を得たという(矢田浩『鉄理論=地球と生命の奇跡』講談社現代新書)。論語 公冶長篇 中国古代の製鉄

『学研漢和大字典』によると、コウコウ(つよい太つな)の原字。またコウ(上部のかたい台地→おか)の原字。かたくじょうぶな意を含む。剛は「刀+音符岡」の会意兼形声文字で、刀の材料にする鋼(かたい鉄)のこと。のち、広く、かたい、つよいの意に用いる。強-キョウと同系のことば、という。

詳細な語釈は論語語釈「剛」を参照。

申棖(シントウ)

論語 申 金文 論語 棖 金文大篆
孔子の弟子。生没年、孔子との年齢差未詳。字は周。魯の人。明の嘉靖九年(1530)になって、七十二賢の一人に加えられた。

なお「申」は、論語の時代にはまだ「神」と書き分けられておらず、形は稲妻の象形。「棖」は”柱”の意。

論語 欲 金文大篆 論語 心 金文
「欲」「心」(金文)

論語の本章では”欲ばり”。『大漢和辞典』の第一義は”欲しいと思う心”。むさぼり。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、谷は、くぼんだたに。欠は、腹がへった姿。欲(ヨク)は「欠(たりない)+〔音符〕谷」からなり、中身がむなしくたりないこと。慾は「心+〔音符〕欲」で、心中がうつろでもの足りず、それを埋めたいと求めること。欲に置き換えることがある、という。

論語:解説・付記

論語 吉川幸次郎
既存の論語本では吉川本で、「剛」「慾」ともに、「そのくわしい概念規定は、独立の問題として考究されるべきである」という。というので上記の通り考究してみたが、意志が強そうに見えても欲張りだから、カネなどの利益で簡単に転ぶ、ということで、ご大層な話ではない。

論語 宮崎市定 論語 藤堂明保
別の論語本では宮崎本で「慾」のままとし、藤堂本では面白い訳をしている。

先生がこう言われた。
「わしは今までに(本当に)志が固くて強い者に会ったことがない」と。
ある人が、その言葉に対して言った。
「申棖が剛の者です」
先生はこう言われた。
「棖はな、強欲の強のほうじゃ。どうして真の剛の者でありえようか!」

ただし同じ藤堂博士による「剛」の研究で、『平家物語』などに言う「剛の者」は日本独自の国訓とあるから、この訳には誤解を招く可能性がある。

論語 加地伸行
加地本では「欲が強いからそれに負ける」と解し、宇野本では「欲」と特に区別していない。

上記のように製鉄の専門家は、鋼鉄の出現は漢代からとするが、文字はすでに論語時代からあり、鋳鉄だろうと真っ赤になるほど焼けば、炭素が抜けて堅くなる=鋼鉄になることは、経験上知られていたのだろう。ただし鋳戻してしまえば焼き鈍しと同じで柔らかくなるから、鉄が刀剣類に使えるようになるのは、やはり漢代を待たねばならなかったと思われる。

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