論語詳解270先進篇第十一(17)柴や愚なり

論語先進篇(17)要約:孔子先生は、油断のならない人物評論家でもあります。それは弟子に対しても同じで、バカはバカ、アホウはアホウとはっきり言う人でした。のちに神格化された曽子も、先生から見ればウスノロだったわけで…。

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原文

柴也愚、參也魯、師也辟、由也喭。

校訂

武内本:清家本により、下二句を師辟也、由喭也に作る。唐石経下二句師也辟、由也喭に作る。

書き下し

さいなり、しんなり、へきなり、いうがんなり。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

高柴(子羔)は愚かで、参(曽子)は魯鈍で、師(子張)は癖が強く、由(子路)はとげとげしい。

意訳

論語 孔子 不愉快
子羔はバカ。曽子はうすのろ。子張は暑苦しい。子路はとげとげしい。

従来訳

論語 下村湖人

先師がいわれた。――
「柴は愚かで、参はのろい。師はお上手で、由はがさつだ。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

高柴(コウサイ)(子コウ)

論語 高 金文 論語 柴 金文大篆
(金文)

孔子の弟子の一人。
論語 高柴子羔

どうも子路付きの弟弟子だったらしく、子路が推薦して季氏の根拠地・費邑の代官にしてやった話が論語先進篇のこのあとで出て来るし、子路が衛国に仕えた際も伴って、同じく衛国に仕えた記録が『史記』の弟子列伝にある。

衛国の内乱に際し子羔は子路に脱出を勧めたが、子路はそれを聞かず討ち死にしてしまった。

子路が公宮に入ろうとすると、弟弟子の子羔(シコウ)が門から出てきたのに出会った。子羔は「門はすでに閉じています」と言ったが、子路は「まあとにかく行ってみよう」と言った。子羔は「無理です。わざわざ危ない目に遭うことはありません」と言ったが、子羔は引き止められずに公宮から出て、子路は入って門前に立った。

公孫敢が門を閉ざして「入るな」と言うと、子路は「公孫どの、貴殿は利益に目が眩んで逃げたな。拙者はそうではない、俸禄分は主君の危険を救うつもりでござる」と言った。たまたま外に出る使者があったので、入れ替わりに子路は門を入った。そこで大声で叫んだ。

「太子どの、孔悝(コウカイ)どのは役立たずですぞ。殺しても代わりはいくらでもござる。それにしても太子どのは昔から臆病でござった。孔悝どのを放しなされ。さもないと下からこの見晴らし台に火を付けますぞ。」

太子は震え上がって、石乞・孟黶(ウエン)を台から降りさせて子路と戦わせた。戈で子路を撃ったところ、子路の冠の紐が切れた。子路は「君子は死んでも冠を脱がないものでござる」と言って、紐を結び直している内に殺された。(『史記』衛世家)

論語 愚 金文 論語 猿 愚
(金文)

論語の本章では文字通り”愚か”・”バカ”。『学研漢和大字典』による原義は、ものまねをするサル+心。

論語 魯 金文 論語 曽子 ウスノロ
(金文)

論語の本章では、”のろま・まぬけ・うすのろ”。一説には、水から飛び出して地に落ち、日に照らされ干からびる愚かな魚のことと言う。そのウスノロ曽子が孔子没後からぐんぐん出世して、後には神格化されるに至った経緯については、論語人物図鑑を参照。

『学研漢和大字典』によると会意文字で、「魚(にぶい動物の代表)+曰(ものいう)」。言行が魚のように大まかで間ぬけであること、という。ただし孔子の故国・魯が、なぜにこんな名を名乗ったのかは、藤堂先生の解説ではよく分からない。

論語 魯 甲骨文
(甲骨文)

『字通』によると「魚+曰」で、曰(エツ)は祝詞を収める器。祖先の霊に魚を供え、祈禱を行う姿という。金文時代には”よろしいこと・めでたいこと”の意がまだあったという。それがウスノロの意味に転じたのは、魯に”素朴”の意味があり、そこから転用されたと推定している。

すると論語の時代、魯は純朴で素直な者、を意味した可能性もあるが、論語の本章は悪口のオンパレードで、曽子だけを持ち上げたとは考えにくい。それともあれだろうか、日本語で言う”おめでたい奴”の意なのだろうか。

辟(ヘキ)

論語 辟 金文 論語 子張
(金文)

論語の本章では、”癖(がつよい)”。片寄っている。『学研漢和大字典』では本章を引き、音が似通った「僻・避」に当てた用法という。

喭(ガン)

論語 未発掘 論語 子路

大変珍しい字で、甲骨文はおろか、論語時代の金文・竹簡文、字書による古書体、戦国時代の文字でも発掘されていない。始皇帝によって統一された篆書にもない。ここまでないないづくしだと、本当に孔子がそう言ったのか、疑問を残す言葉。

他に用例もなく、古来さまざまな議論がある。『大漢和辞典』は”とむらう・取り乱す・礼を失う”と言い、”微笑むさま”ともあってワケが分からない。論語本では吉川本に、”不作法・はったり・暴れ回る”の説を紹介する。

”はったり・暴れ回る”は子路にふさわしいように思えるが、儒者による子路筋肉ダルマ説から引き出された語義と思われるから、荷担するのは気が向かない。結局”とげとげしい”と訳したのは、藤堂本による。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「口+(音符)彦(かどばってはっきりした顔)」、という。語義は論語の本章を引いて、いかつい。かどだってまるみがない、という。他に動詞として、改まって悔やみをいう。改まったあいさつ、という。

『字通』では、声符はげん(彦)。〔説文〕げん字条二上に「生を弔うなり」とあり、〔集韻〕に〔説文〕を引き、「或いは~喭に作る」と補足する。〔論語、先進〕「由や喭なり」とは粗雑なふるまいをいう。
訓義:とむらう、唁と同じ。侃と通じ、つよい。ほほえむさま。

論語:解説・付記

ここに見えるように、孔子は弟子に対しても油断のならない批評家だった。ただし子貢が同じように人物評をすると、「お前は偉いんだな」といったイヤな表現でたしなめたことが、論語憲問篇31に見える。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回す。覚悟致せ。

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