論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
孺悲欲見孔子。孔子辭*以疾。將命者出戶、取瑟而歌、使之聞之。
校訂
武内本:清家本により、辭の下に之の字を補う。
書き下し
孺悲孔子に見えむと欲す。孔子辭ふに疾を以ふ。命を將ふ者戶を出づるや、瑟を取りて歌ひ、之をして之に聞かしむ。
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逐語訳
孺悲が孔子に会おうとした。孔子は辞退するのに病気を理由にした。取り次いだ者が孔子の部屋を出ると、大琴を手にして歌い、その声を孺悲に聞かせた。
意訳
孺悲が会いたいと言ってきた。
取り次ぎ「…ということですが。」
孔子「会わぬ。病気だと言ってやれ。」
取り次ぎ「そうですか。」
取り次ぎが部屋を出たとたん、ジャンジャカ大琴を弾いて歌ってやった。ざまあみろ。二度と来るんじゃない!
従来訳
孺悲が先師に面会を求めた。先師は病気だといって会われなかったが、取次の人がそれをつたえるために部屋を出ると、すぐ瑟を取りあげ、歌をうたって、わざと孺悲にそれがきこえるようにされた。
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
孺悲
「孺」(篆書)・「悲」(古文)
論語の本章では人名とされる。古来誰だか分からない。「孺」の字は甲骨文・金文・戦国文字・古文共に見られず、始皇帝の文字統一政策で制定された篆書から見られる。「悲」は甲骨文~戦国文字には見られず、古文から見られる。
古注では孺悲を魯の人とし、態度が悪かったので孔子は会わず、しかし見捨てはしなかったので、その態度の悪さを琴の音を聞かせることで覚らせようとしたという。江戸の儒者・伊藤仁斎もその説を取っているが、ごますりでなければひいきの引き倒しに思える。
新注ではかつて孔子に葬儀の礼を教わった弟子とし、この時は何らかの罪を持った身だったので、孔子は会わなかったとし、しかし見捨てずに琴の音で非を覚らせようとしたという。そして程伊川の「なんと深い孔子様のお教えであろう」という泣き真似を引用している。
『学研漢和大字典』によると、「孺」は会意兼形声文字で、而(ジ)は、柔らかく垂れたひげ。需は「雨+而」の会意文字で、ひげや、ひもが雨水にぬれて柔らかいことを示す。孺は「子+(音符)需(ジュ)」で、からだの柔らかい子ども。
濡(ぬれて柔らかい)・儒(ものごしの柔らかい文人・学者)などと同系のことば、という。
「悲」は会意兼形声文字で、非は、羽が左右に反対に開いたさま。両方に割れる意を含む。悲は「心+(音符)非」で、心が調和統一を失って裂けること。胸が裂けるようなせつない感じのこと。扉(ヒ)(両方に開くとびら)と同系のことば、という。
見
(金文)
論語の本章では「まみゆ」と読んで”会う”。
辭(辞)
(金文)
論語の本章では”ことわる”。いいわけをのべて、受けとらない。また、職をやめること。
『学研漢和大字典』による原義はもつれた糸をさばくさま+処罰用の刃物で、法廷で乱れをさばく言葉を指す。”ことわる”意味ではもと「辤」と書いたが、「辭」と混同されるようになったという。
疾
(金文)
論語の本章では”病気”。病気の中でも、真っ直ぐ矢が突き刺さるような急性の病気を言う。
將(将)命
(金文)
論語の本章では”取り次ぐ”。論語の時代の漢文としては珍しい熟語。
瑟(シツ)
(金文)
論語の本章では、床に直に据えて弾く大琴。
論語:解説・付記
論語の本章の史実性について、武内義雄『論語之研究』では、「内容の疑わしい章」として疑義を呈している。「孺」が篆書以降にしか見られない文字であることから、後世の創作の可能性はある。しかし創作だとすると、孔子の聖人ばなしであるはずで、そこが腑に落ちない。
「孺」の字に目をつぶって、本章が史実だと考える方がよほど納得がいく。「直を以て=まともに怨みに報いる」のを身上としていた(論語憲問篇36)孔子は、イヤな奴の来訪に塩を撒くようなことは平気で行っただろう。要は孺悲は孔子にとって、イヤな奴だったのだ。
以下は訳者の想像だが、孺悲という言葉から考えて、孺悲は誰かしら有力者の使い走りをする少年だっただろう。つまり孺悲その人がイヤだったのではなく、そのあるじが嫌いだったのだ。本章が孔子が魯国政界の中心だった五十代初めとしても、帰国後としてもだ。
五十代なら政敵はいくらでもいたはずだし、帰国後もそれは同じ。帰国直後の得意な時期なら、調子に乗りやすい孔子はなおさらこうした仕打ちはやりそうだし、呉国没落と共に左遷された後なら、今度はいじけて?こうした所業に出たとしてもおかしくない。