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論語詳解445陽貨篇第十七(11)礼といい礼と’

論語陽貨篇(10)要約:高価な贈り物や、礼服で着飾っても、心がこもらなければお作法に意味はない。鐘や太鼓を叩くだけでは、音楽の本当の効果は分からない、と孔子先生。文法破りで言葉の息づかいが感じられる一節。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子曰、「禮云禮云、玉帛云乎哉。樂云樂云。鐘鼓云乎哉。」

校訂

定州竹簡論語

曰:「禮云禮云,玉白a云乎哉?樂云樂云,鐘b鼓云乎哉?」524

  1. 白、今本作”帛”。
  2. 鐘、何本、唐石経作”鍾”、皇本作”鐘”。二字古通。

※鍾ȶi̯uŋ(平)、鐘ȶi̯uŋ(平)。


→子曰、「禮云禮云、玉白云乎哉。樂云樂云。鐘鼓云乎哉。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 礼 金文雲 金文礼 金文雲 金文 玉 金文白 金文雲 金文乎 金文哉 金文雲 金文楽 金文雲 金文 鐘 金文鼓 金文雲 金文乎 金文哉 金文

論語の本章は、「乎」の用法に疑問がある。

書き下し

いはく、ゐやひ、ゐやふ、たまきぬはむ乎哉かなもののねひ、もののねと云ふ、かねつづみはむ乎哉かな

論語:現代日本語訳

逐語訳

先生が言った。「礼だ礼だというが、玉や絹を言うのだろうか。楽だ楽だと言うが、鐘や太鼓を言うのだろうか。」

意訳

礼じゃ礼じゃと言いふらし、高価な玉や絹をまとっても、見た目だけなら何の意味もない。音楽だ音楽だと言いふらし、チンチンドンドンと鐘や太鼓を叩いても、ただ音を鳴らすだけなら何の意味もない。当人が貴族にふさわしい実質を伴っていなければ、全てはムダだ。

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「礼だ、礼だ、と大さわぎしているが、礼とはいったい儀式用の玉や帛のことだろうか。楽だ、楽だ、と大さわぎしているが、楽とはいったい鐘や太鼓のことだろうか。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「禮啊,禮啊,難道衹是紙張在說話嗎?樂啊,樂啊,難道衹是鐘鼓在發音嗎?」

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孔子が言った。「礼だ礼だ、よもやただの話の空証文ではないだろうね? 楽だ楽だ、よもやただの音を出す鐘や太鼓のではないだろうね?」

論語:語釈

礼 金文 揖 拝礼
(金文)

論語の本章では”礼儀作法”。新字体は「礼」。初出は甲骨文。へんのない豊の字で記された。『学研漢和大字典』によると、豊(レイ)(豐(ホウ)ではない)は、たかつき(豆)に形よくお供え物を盛ったさま。禮は「示(祭壇)+(音符)豊」の会意兼形声文字で、形よく整えた祭礼を示す、という。詳細は論語語釈「礼」を参照。

なお仁者とは孔子の生前、単に貴族を意味した。その教養が「礼」。”情け深い教養人”という変な意味に化けたのは、孔子から一世紀後の孟子が、「仁義」を唱えてからである。詳細は論語における仁を参照。

禮云禮云

論語の本章では、”礼だ礼だと言う”。外見的な礼儀作法だけをうるさく言っても、それで貴族になれはしない、ということ。論語語釈「云」も参照。

孔子塾生のほとんどは平民の出で、塾で学び稽古することで君子=貴族に成り上がる事を目指した。春秋時代の貴族とは、参政権を持つと同時に従軍の義務があり、有り体に言えば、素手で人を殴刂殺せるようなえげつない暴カを当人が備えることを求められた。詳細は国野制論語における君子を参照。

弟子の中には冉有のような、すでにえげつない暴カを身につけた新興氏族≒傭兵団の出身もいたが(孔門十哲の謎)、武術だけでは貴族として認められず、それゆえに孔子に弟子入りした。だが大部分の弟子は武術の素養が無いので、礼儀作法だけ身につけても無駄である、と孔子は言ったわけ。

「礼云」は文法的にはO-Vの順になっており、甲骨文から現代北京語まで一貫してS-V-O順の中国語として異例に見える。ただしO-V構造は論語の他の箇所にも見られる。最も頻出する例は「(否定辞)-(一人称)-知」(論語学而篇16ほか)がそれで、それ以外にも以下の通り。

成事不說、遂事不諫、既往不咎。
成れる事は説かず、遂げし事は諌めず、既に往きたるは咎めず。
しでかしたことは文句を言わない。してしまったことは責めない。やり終えてしまったことはとがめない。(論語八佾篇21)
鳳兮鳳兮。何德之衰。往者不可諫來者猶可追
おおとりや鳳や。何ぞ徳の衰えたる。往きし者は諌めず来る者は猶お追う可きなり
おおとりよ、おおとりよ。世間の道徳はこんなに廃れてしまった。過ぎ去ったことは責めても仕方がないこれからのことはまだ追い求めることができる。(論語微子篇5)

日本語で「このキノコは食べられます」と言うのと同様、目的語が主語となり、動作の対象となる表現で、論語では発言文の中で見られる事から、当時の口語表現と考えられる。

中国語学の世界では、主語が述語の動作主体となる施事主語に対し、受事主語というようだが、難しく考える必要は無い。よく知られた杜甫の『春望』を例に取る。

国破山河在 (国破れて山河在り)
城春草木深 (城春にして草木深し)

一行目に破れたのは「国」であり、在るのは「山河」。二行目に春となったのは「城」で、深まったのも「草木」。しかしカッコ部分は、主語と見なしても目的語と見なしても意味は通る。しかしいずれも、「その状態になるもの」-「状態」の組み合わせであるには違いない。

漢文の語順とはそれであり、欧米語のような主語-述語動詞とは性格が違うだけだ。英語にも、be動詞があるように。注意すべきは、漢文で「その状態にするもの」は、やはり「その状態」の前に来ること。「子曰」は「曰子」とは書かれない。

玉帛

玉 金文 帛 金文
(金文)

論語の本章では、身にまとったり贈り物にする玉や絹。「玉」は宝石一般を意味し、造形によっては別の漢字をあてがう。詳細は論語語釈「玉」を参照。

「帛」は論語では本章のみに登場。初出は甲骨文。カールグレン上古音はbʰăk(入)、「白」と同音で声調も同じ。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「巾(ぬの)+(音符)白」で、白い絹布のこと。類義語の繒(ソウ)も絹織物のこと。綢(チュウ)は、密で細かい織り方をしたもの。布は、おもに綿・麻のぬののこと、という。詳細は論語語釈「帛」を参照。

定州竹簡論語の「白」bʰăk(入)を解釈するのは容易ではない。まず『大漢和辞典』に”絹”の語釈は載っていない。次に『春秋左氏伝』では、「公子小白」「白水」など固有名詞につけられたもののほかは、ほぼ「白圭」のように”しろい…”という修飾語で用いられたものばかり。下の一例を除き「白」単独で何ものか名詞を意味していない。

冬,王使周公閱來聘。饗有昌歜,,黑,形鹽。辭曰,國君文足昭也,武可畏也,則有備物之饗,以象其德。薦五味,羞嘉穀,鹽虎形,以獻其功。吾何以堪之。

(BC630)冬、周の襄王が周公を使いとして魯国に送ってきた。歓迎の宴会では、献立に昌歜ショウサン(菖蒲根の漬物)、、黒、塩の彫り物があった。ところが周公が断って言った。「国公は、教養を高め、武力を強めてから、宴会の献立を充実させ、その権力を示すのです。客に五味をすすめ、目出度い穀物をすすめ、塩を虎の形に彫るのは、それで権力の程を示すためです。私は頂くわけには参りません。」(『春秋左氏伝』僖公三十年2)

「黒」と並んで「白」とは何のことだか分からないが、文中で「嘉穀」に対応するから、おそらくは精白した穀物を言うのだろう。なお献立を断った理由も定かでないが、文脈から見て、「貴国は文化も軍事もまだまだでござる。こんな贅沢はやめなされ」ということだろうか。孔子生誕より80年ほど昔の話である。

『大漢和辞典』による「白」名詞の語釈は、”白色・日光・善なるもの・杯・稲・清酒・官職の無い者・素人・銀・空白・(善の)道・宦官・おくり名・姓・伯(かしら)”。このほかにも中国的オカルトである五行説に従った語釈があるが、春秋時代に五行説など無いし、そもそもバカバカしいから記さない。ともあれこれらの語釈のうち、「礼」に関わりがありそうなのは”稲・清酒・銀”だろうが、どれか一つに絞る手立てが無い。

こうした手続きを経た上で、やはり同音の「帛」の音通だろう、と解した。

辞書的には論語語釈「白」を参照。

云乎(ウンコ)

云 古文 乎 金文
(金文)

武内本に注を付けて、「王弘之云く、語已詞なり」とある。語已詞とは意味内容を持たない終助詞で、句をそこで終わらせる機能を持つ。ただし後ろに「哉」があり、「玉帛云乎哉」の品詞分解にも異論がある。藤堂本では「玉帛をしも云わんや」と読み下している。

乎哉(コサイ)

論語の本章では”…のかね”という嘆きを伴った詠歎。「A云乎哉」は、「Aをわん乎哉かな」と読み下すのが理に叶うと思う。Aが目的語になっている事情については上記「礼云」と同じ。「乎」は「フーッ」というため息を表す。初出は甲骨文。甲骨文の字形は持ち手を取り付けた呼び鐘の象形で、原義は”呼ぶ”こと。甲骨文では”命じる”・”呼ぶ”を意味し、金文も同様で、「呼」の原字となった。句末の助辞として用いられたのは、戦国時代以降になる。

「哉」が詠歎の語義を獲得した理由ははっきりしない。詳細は論語語釈「乎」論語語釈「哉」を参照。

樂(ガク)

楽 甲骨文 楽 字解
(甲骨文)

論語の本章では”音楽”。初出は甲骨文。新字体は「楽」原義は手鈴の姿で、”音楽”の意の方が先行する。漢音(遣隋使・遣唐使が聞き帰った音)「ガク」で”奏でる”を、「ラク」で”たのしい”・”たのしむ”を意味する。春秋時代までに両者の語義を確認できる。詳細は論語語釈「楽」を参照。

音楽は礼法と並んで「礼楽」と呼び、孔子の教育論の中心だった。その理由は、情操教育によいという理由は無論のことながら、音楽に伴う歌詞の学習が、当時の国際共通語を学ぶことを兼ねたため。弟子は仕官すれば外交官として働くこともあり、貴族同士の会話では、古詩を巧みに織り込むことが必須の技能だった。上掲「白」の『春秋左氏伝』における引用例が、やはりこの事情の一例でもある。

十一月,里克殺公子卓于朝,荀息死之,君子曰,詩所謂白圭之玷,尚可磨也,斯言之玷,不可為也,荀息有焉。

(BC651)十一月、晋国の家老である里克が、仮の国君に立てられた公子卓を、朝廷で殺した。同じく家老の荀息は、一旦はためらったものの、結局先君への誓いを守って殉死した。それが諸国の政界で話題になった。

「”白たまたまきず”の歌の通りだ。傷は磨いて無いことに出来る。だが口から出た失言は、取り返すことが出来ない、と。荀息はその実例だ。」(『春秋左氏伝』僖公九年2)

鐘鼓

鐘 金文 鼓 金文
(金文)

論語の本章では、”鐘と太鼓”。

「鐘」の初出は西周中期の金文。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、童は、目をつきぬいたどれいのこと。つきぬく意を含む。また、撞(ドウ)の原字で、どんとつく意。鐘は「金+(音符)童」で、中を中空につらぬき、どんとついて音を出す銅製のかね、という。詳細は論語語釈「鐘」を参照。

「鼓」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「上にひも飾り、下に台があるたいこのかたち+攴(棒をもってたたく)」の会意文字で、正しくは、蹣と書く、という。詳細は論語語釈「鼓」を参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章は、口語表現と思われることから、孔子の肉声と考えられる。語順が文法的な例外で、漢文初心者泣かせだが、存外歴史の秘密を含んでいるかも知れない。

こんにち中国語を学ぶ人は、文法的に英語とよく似ていることに気が付くだろう。古代中国語の何たるかについては、訳者は素人に過ぎないが、殷の文明を作った人々は、印欧語族の言葉を話していたのではないかと想像したくなる。ひょっとするとコーカソイドだったのかも。

対して周王朝を開いた人々は、殷とはまるで違う言葉を話していた可能性がある。はっきりしていることは、殷では被修飾語-修飾語の順だったのが、周になると逆転する。この程度の差異は、英語とフランス語にもあるから大騒ぎすることではないが、想像をかき立てはする。

中国史は、黄河・長江流域に住む漢人と、トルコ・モンゴル系の北方異民族との衝突の歴史でもあった。歴代統一王朝も、漢人政権と言えるのは、秦漢帝国と宋・明しかない。隋唐帝国は鮮卑人の政権だったし、元は言うまでもなくモンゴル帝国、そして清は満州人政権だった。
論語 歴代王朝と孔子

二十一世紀のこんにち、人種や言葉で政権がどうのこうのと言うのはおかしくもあるが、現実的には非情で非道な側面をまだ持っている。それをここで語るべき資格は訳者にはないが、中国が漢字を用い漢語をしゃべる人々だけの国ではないことは確かだろう。

前漢 地図
Map by Samhanin via Wikipedia

もし現中国政権が漢人の政権たろうとするならば、その国土は広すぎる。漢は歴史的ないきさつから、西のタリム盆地を飛び地のように領有したが、それを除けば漢人政権である秦・宋・明の領域は、現中国の半分に過ぎない。中国の多民族帝国は非漢人の政権でないと保たない。

あるいは一般論として多民族帝国とは、支配者が少数派でないと維持できないのかも知れない。政権は多数派に遠慮するし、多数派のみに支持基盤を置こうとはしない。多数ある少数派による連合政権でないと長持ちしないからだ。中国だけが例外ではあり得ないだろう。

論語の時代の周王朝も同様だった。南方の楚国は中華文明圏の一員とは言い難い性格を持ち、孔子の時代には明らかに異民族の呉と越が台頭した。孔子は周王朝の衰退を嘆いたが、周はもともと強固な統一政権ではない代わりに、中国らしい中国が初めて現れた時代でもある。

無文字時代の夏王朝は伝説に過ぎず、殷王朝の姿はかすかにしか分からない。殷の支配領域はこんにちの省の広さに及ばなかった。そこに征服者として現れたのが周で、殷の時代では西方のか細い羊飼いの部族に過ぎなかったからこそ、長く続いたのだろう。

孔子もまた、殷を滅ぼした征服者である周の一員だが、なぜか晩年になってから、自分は殷人だと言い出した。「吾は周に従わん」(論語八佾篇14)と宣言した孔子にはおかしな話だ。自分が世の中に受け入れられなかったことに、ついに絶望してそう言いだしたのだろう。

『論語』陽貨篇:現代語訳・書き下し・原文
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