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論語詳解453陽貨篇第十七(19)われ言う無き’

論語陽貨篇(19)要約:もう何も言う気が失せた。これもあるいは、孔子先生の遺言と言えるかも知れません。驚く子貢に、天は何も言わずとも万物をみそなわしている。私ごときが何を言えると言うのかね、と事実を淡々と語るのでした。

論語:原文・白文・書き下し

原文・白文

子曰、「予欲無言。」子貢曰、「子如不言、則小子何述焉。」子曰、「天何言哉。四時行焉、百物生焉、天*何言哉。」

校訂

武内本

釋文云、魯論天を夫となす。

定州竹簡論語

……[曰]:「予欲毋a言。」535……「天b何言哉?四時[行焉,百物生]焉,天b何言哉?」536

  1. 毋、今本作”無”。
  2. 天、『釋文』云”魯讀天為夫”。

→子曰、「予欲毋言。」子貢曰、「子如不言、則小子何述焉。」子曰、「天何言哉。四時行焉、百物生焉、天何言哉。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 余 金文谷母 金文言 金文 子 金文江 金文曰 金文 子 金文如 金文不 金文言 金文 則 金文小 金文子 金文何 金文述 金文安 焉 金文 子 金文曰 金文 天 金文何 金文言 金文哉 金文時 金文行 金文安 焉 金文 百 金文物 甲骨文生 金文安 焉 金文 天 金文何 金文言 金文哉 金文

※予→余・欲→谷・貢→江・焉→安・物→(甲骨文)。論語の本章は、「則」の用法に疑問がある。

書き下し

いはく、われからんともとむ。子貢しこういはく、はずんば、すなは小子せうしなにをかいはく、てんなにをかはん四時しいじめぐたり百物くさぐさたりてんなにをかはん

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 子貢
先生が言った。「私はもう何も言いたくない。」子貢が言った。「そもそも先生が言わないなら、全く私ごときが何を語り継げるでしょうか。」先生が言った。「天が何かを言うかね。季節は変わらず移っていく、万物は休まず成長していく、天が何かを言うかね。」

意訳

孔子 ぼんやり 子貢 驚き
孔子「もう何も言う気がなくなった。」
子貢「えっ! 先生が仰らないなら、弟子の私がどう先生の言葉を伝えましょうか。」

孔子「子貢よ、私もまた天に従っている。その天が何か言うか? 何も言わん。だが季節はめぐり、万物は成長していく。言わずとも世は回るのだ。」

従来訳

下村湖人

先師がいわれた。――
「私はもう沈默したいと思っている。」
子貢がいった。――
「先生がもし沈默なさいましたら、私共門人は何をよりどころにして、道をひろめましょう。」
先師がいわれた。――
「天を見るがいい。天に何の言葉があるのか。しかも四季の変化は整然と行われ、万物はたゆみなく生育している。天に何の言葉があるのか。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「我想不說話。」子貢說:「您如果不說話,誰教我們呢?」孔子說:「天說過什麽?天不說話,照樣四季運行,百物生長,天說過什麽?」

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孔子が言った。「私は話すのを止めたい。」子貢が言った。「あなたがもし話を止めてしまえば、誰が我らを教えるのですか?」孔子が言った。「天が何かを言ったかね? 天は話をしないが、いつも四季は巡り、万物が生まれ育つ、天が何かを言ったかね?」

論語:語釈

、「 (。」 、「 。」 、「 。」


予 篆書
(篆書)

論語の本章では孔子の一人称”わし”。初出は戦国時代の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はdi̯o。同音に論語時代の置換候補となる、野などで、「余・予をわれの意に用いるのは当て字であり、原意には関係がない」と『学研漢和大字典』はいう。「豫」は本来別の字。詳細は論語語釈「予」を参照。

欲 金文大篆 欲
(金文大篆)

論語の本章では”~したいと思う”。初出は戦国文字。論語の時代に存在しない。ただし『字通』に、「金文では谷を欲としてもちいる」とある。『学研漢和大字典』によると、谷は「ハ型に流れ出る形+口(あな)」の会意文字で、穴があいた意を含む。欲は「欠(からだをかがめたさま)+(音符)谷」の会意兼形声文字で、心中に空虚な穴があり、腹がへってからだがかがむことを示す。空虚な不満があり、それをうめたい気持ちのこと、という。詳細は論語語釈「欲」を参照。

無→毋

無 金文
「無」(金文)

どちらも動詞で”無くす”。「無」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると甲骨文字は、人が両手に飾りを持って舞うさまで、のちの舞(ブ)・(ム)の原字。無は「亡(ない)+(音符)舞の略体」の形声文字。古典では无の字で無をあらわすことが多く、今の中国の簡体字でも无を用いる、という。詳細は論語語釈「無」を参照。

定州竹簡論語の「毋」の初出は甲骨文で、「母」と書き分けられていない。現伝書体の初出は戦国文字。『学研漢和大字典』によると「女+━印」からなり、女性を犯してはならないとさし止めることを━印で示した指事文字。無(ム)・(ブ)や莫(マク)・(バク)と同系で、ないの意味を含む。とくに禁止の場合に多く用いられる、という。詳細は論語語釈「毋」を参照。

子貢

子貢 問い

孔子の弟子で、弁舌の才=外交、交渉の能力を評価された。また最も商売に優れ、孔子一門の財政を支えたと思われる。孔子没後は斉に移り、一門を半分する派閥の領袖となった。詳細は論語の人物・端木賜子貢を参照。

文字的には「貢」の字は論語の時代に存在せず、「江」が置換候補。詳細は論語語釈「貢」を参照。

子(シ)

子 金文
(金文)

論語の本章では”先生”。初出は甲骨文。原義は王の息子で、転じて貴族や師匠への敬称となった。詳細は論語語釈「子」を参照。

如 古文
(古文)

論語の本章では、”もし”という仮定を表す記号。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、「口+〔音符〕女」の会意兼形声文字で、もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもない物をさす指示詞に当てる、という。詳細は論語語釈「如」を参照。

恕
なお音の似た「恕」は孔子の言葉としてもてはやされているが、論語の時代に存在せず、後世の儒者によるでっち上げである。詳細は論語における「恕」を参照。

則(ソク)

則 甲骨文 則 字解
(甲骨文)

論語の本章では、”~の場合は”。初出は甲骨文。字形は「テイ」”三本脚の青銅器”と「人」の組み合わせで、大きな青銅器の銘文に人が恐れ入るさま。原義は”法律”。論語の時代=金文の時代までに、”法”・”のっとる”・”刻む”の意と、「すなわち」と読む接続詞の用法が見える。詳細は論語語釈「則」を参照。

「すなわち」と訓む一連の漢字については、漢文読解メモ「すなわち」を参照。

小子

小 金文 子 金文
(金文)

論語の本章では”わたくしめ”。一人称としては謙遜の自称、二人称としては目下に対する呼びかけ。論語語釈「小」を参照。

述 金文 アワ 粟
(金文)

論語の本章では”ものを言う”。初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると朮(ジュツ)は、穂の茎にもちあわのくっついたさまを描いた象形文字で、中心軸にくっついて離れないの意を含む。述は「辶+(音符)朮」の会意兼形声文字で、従来のルートにそっていくこと、という。詳細は論語語釈「述」を参照。

同じ言うでも、今までのいきさつに従ってものを言うこと。論語の本章では、教説の発信源である孔子がものを言わないのなら、子貢は弟子として、それに従って発言することが出来ない、ということ。論語述而篇1「述べて作らず」も参照。

焉 金文 辞
(金文)

論語の本章では、子貢の発言として「何を言ってしまう事が出来るでしょうか」と、また孔子の発言として「万物は成長している」と用いられている。いずれも基本語は”終わってしまった”ことで、ここから断定や疑問、反語の意味が派生してくる。

初出は戦国時代末期の金文。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は「安」。原義はエンという黄色い鳥だという。詳細は論語語釈「焉」を参照。

”終わってしまった”=「たり」を意味する漢文の助辞の中で、自分ではどうしようもなく終わってしまう、あたかも判決が下されるような語気を示す。

何述焉

何 金文
「何」(金文)

論語の本章では”何一つ言える事があるでしょうか”。漢文は英語と同じく、疑問文では疑問の目的語を句頭や文頭に出す。

「何」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると人が肩に荷をかつぐさまを描いた象形文字で、後世の負荷の荷(になう)の原字。しかし普通は、一喝(イッカツ)するの喝と同系のことばに当て、のどをかすらせてはあっとどなって、いく人を押し止めるの意に用いる、という。詳細は論語語釈「何」を参照。

哉 金文
(金文)

論語の本章では「や」と読んで詠嘆を示す。「かな」と読んでも差し支えない。初出は西周末期の金文。『学研漢和大字典』によると才は、裁の原字で、断ち切るさま。それに戈を加えた𢦏(サイ)も同じ。哉は「口+(音符)𢦏(サイ)」の会意兼形声文字で、語の連なりを断ち切ってポーズを置き、いいおさめることをあらわす。もといい切ることを告げる語であったが、転じて、文末につく助辞となり、さらに転じて、さまざまの語気を示す助辞となった。また、裁断するとは素材にはじめて加工することであるから「はじめて」の意の副詞ともなった、という。詳細は論語語釈「哉」を参照。

四時

四 甲骨文 時 金文
(金文)

論語の本章では、春夏秋冬の季節。漢文では他に、朝昼夕夜の四つの時を指す場合がある。

「四」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると古くは一線四本で示したが、のち四と書く。四は「囗+八印(分かれる)」の会意文字で、口から出た息が、ばらばらに分かれることをあらわす。分散した数。汚(キ)(ひっひと息を分散させて笑う)の原字、という。詳細は論語語釈「四」を参照。

「時」の初出は春秋末期または戦国初期の、秦の石鼓文。『学研漢和大字典』によると之(シ)(止)は、足の形を描いた象形文字。寺は「寸(て)+(音符)之(あし)」の会意兼形声文字で、手足を働かせて仕事すること。時は「日+(音符)寺」の会意兼形声文字で、日が進行すること、という。詳細は論語語釈「時」を参照。

行(コウ)

行 甲骨文 行 字解
(甲骨文)

論語の本章では”過ぎゆく”。初出は甲骨文。「ギョウ」は呉音。十字路を描いたもので、真ん中に「人」を加えると「道」の字になる。甲骨文や春秋時代の金文までは、”みち”・”ゆく”の語義で、”おこなう”の語義が見られるのは戦国末期から。詳細は論語語釈「行」を参照。

百物

百 金文 物 古文
「百」(金文)・「物」(古文)

論語の本章では、”全ての生物”。

「百」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「一+(音符)白」をあわせた形声文字(合文)で、もと一百のこと。白(ハク)・(ヒャク)はたんなる音符で、しろいという意味とは関係がない、という。詳細は論語語釈「百」を参照。

「物」は甲骨文で確認できるが、なぜか金文では未発掘。論語では本章のみに登場。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、勿(ブツ)・(モチ)とは、いろいろな布でつくった吹き流しを描いた象形文字。また、水中に沈めて隠すさまともいう、という。詳細は論語語釈「物」を参照。

論語の本章では”天界”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、大の字にたった人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示した指事文字で、もと、巓(テン)(いただき)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという。高く平らに広がる意を含む、という。詳細は論語語釈「天」を参照。

天何言哉

武内本が孫引く釋文が引く魯論語が正しいとすると、「夫何言哉」となるが、読みは「それ何をか言わんや」であり、訳は”そもそも何を言うだろう”。論語語釈「言」も参照。

論語:付記

中国歴代王朝年表

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論語の本章について、武内義雄『論語之研究』は史実性に疑義を唱えていない。ただ最終句について、魯論語では「天何言哉」が「夫何言哉」(それ何をか言わんや)になっているという。”天が何も言わなくても世界は回る。だからワシが何を言うことがあろうか”ということ。

饒舌な孔子が、「もう何も言いたくない」と言い出すのはよほど絶望したと言うべきで、孔子の肉声ならば最晩年のことだろう。孔子の逝去を看取ったのが子貢であることは、『史記』に記されている。和辻哲郎によると、『史記』の史料価値は『論語』より劣ると言うが、はて。

つまり『史記』を参考に『論語』を解釈するのは慎重であるべきだというのだが、儒家の伝承や論語に漏れた伝説を丁寧にまとめたのは『史記』をおいて他になく、信用していいと思う。

以下は全く蛇足ながら、論語の本章は次の構造になっている、つまり天は最も偉大で、孔子はそれに比べると卑小である。偉大な天が言わぬのなら、卑小な孔子は言うべき言葉を持たない。孔子はその事実を語っている。それを承けた子貢は、さらに自分の卑小を思っただろう。

語っていることは短く、そして事実。論語の本章は、孔子の肉声に違いない。

『論語』陽貨篇:現代語訳・書き下し・原文
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