論語:原文・白文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文・白文
子曰、「色厲而內荏、譬諸小人、其猶穿窬之盜也與。」
書き下し
子曰く、「色厲しくし而內に荏かなるは、諸を小人に譬ふれば、其れ猶ほ穿ち窬つ之盜のごとき也る與。」
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
先生が言った。「表情が険しいのに、内心はおびえている者は、これをつまらない人間にたとえるなら、穴を開けて入る泥棒のようなものだろうか。」
意訳
いかつい顔して心の弱さを隠している者は、こそ泥同然だ。
従来訳
先師がいわれた。――
「見かけだけはいかにも厳しくして、内心ぐにゃぐにゃしている人は、これを下層民の場合でいうと、壁をぶち破ったり、塀を乗りこえたりしながら、びくびくしている泥棒のようなものであろうか。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
色
(金文)
論語の本章では、”顔色・表情”。『学研漢和大字典』による原義は男女の愛情行為の象形。行為には容色が伴うことから、顔色・表情の意が出来た。
厲(レイ)
(金文)
論語の本章では”厳しい・険しい”。
牡蠣の殻のように、手を切りそうなほど鋭く尖っているさま。経験者にはご存じの通り、手袋無しでカキ殻にさわると、あっという間に手指を切られて血だらけになる。『学研漢和大字典』による原義は萬(毒さそり)+厂(石)で、毒のように激しくこすれる砥石。
而
(金文)
論語の本章では、接続辞。漢文の並立構造を構成する機能語で、「~て」と訳す。並立構造の前後は、同じ重さの意味を持つ。
詳細は論語語釈「而」を参照。
荏(ジン)
(篆書)
論語の本章では”無力でだらしがないさま”・”おどおどとおびえるさま”。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、壬(ニン)は、やわらかく包みこむ意を含む。荏は「艸+人+(音符)壬」で、種をやわらかく包みこんだ植物。妊(赤ん坊を腹の中に包みこむ)と同系のことば、という。
このことばは甲骨文・金文・古文に見られず、始皇帝による文字統一で制定された小篆から見られる。上掲の文字は『説文解字』のもの。
譬(ヒ)
(金文)
論語の本章では、”たとえる”。『学研漢和大字典』による原義は、ものごとの本質を真っ直ぐ言わず、まわりをめぐって言うこと。
諸
(金文)
論語の本章では、”~を~に”。「之於」(シヲ)がつづまって一語になったことば。『学研漢和大字典』による原義は、ある場所に大勢の人が集まったさま。詳細は論語語釈「諸」を参照。
小人
(金文)
論語の本章では”つまらない人”。庶民、無教養の人、凡人を意味するが、ここではどろぼうにたとえているのでこのように解した。
其(キ)
(金文)
論語の本章では”それ”という代名詞。「小人にたとえるなら」を受けている。『学研漢和大字典』による原義は、農具の箕。詳細は論語語釈「其」を参照。
猶(ユウ)
(金文)
論語の本章では、「なお~のごとし」と読み下す再読文字で、”~のようだ”。『学研漢和大字典』による原義は、酒の香りがただようさま。詳細は論語語釈「猶」を参照。
穿窬(センユ)
(古文)
論語の本章では、どちらも”穴を掘る・開ける”。他人の家の塀に穴を開けて泥棒に入ること。ただし「窬」は「踰」と音が通じ、”越える”の語義もある。武内本では「窬は踰の借字こゆる也」と注にある。その場合は、穴を掘ったり塀を乗り越えたりして泥棒に入ること。
『学研漢和大字典』によると「穿」は会意文字で、「穴(あな)+牙(きば)」。牙で穴をあけてとおすこと。もとk型の語頭子音が口蓋化したことば。貫(穴をあけてつらぬく)・串(セン)(穴をあけてつらぬく)・川(地面の低みをつらぬいて流れるかわ)などと同系のことば、という。
「窬」は会意兼形声文字で、兪(ユ)は、矢印型の刃物で木の中みをくり抜いて丸木舟をつくることを示す。凩は「穴(あな)+(音符)兪(ユ)」で、くりぬいて穴をあけること。偸(トウ)(中の物を抜きとる)と同系のことば、という。
之
(金文)
論語の本章では、「の」と読んで名詞句を形成する機能語。「穿窬之盜」で一つのフレーズを形作り、後ろに「也」を伴って、「其」を主部とする述部を形成している。
それは穴を開けて入る泥棒のようだろうか。
詳細は論語語釈「之」を参照。
盜
(金文)
論語の本章では”泥棒”。白川静『孔子伝』によると、論語の時代にも戸籍のようなものはあり、本籍を離れてさまよう人々=流民も「盗」と呼ばれた。孔子の弟子・子路の義兄で、孔子が初の衛国亡命の際、その屋敷に逗留した顔濁鄒は、大盗=流民の首領だったと伝説にある。
『学研漢和大字典』によると、「盗」の上部「次」は水+欠(人があごを出すさま)で、よだれを垂らす姿。それに皿がついて、ごちそうを物欲しそうに見ていること。
也
(金文)
論語の本章では、断定の終助詞で、”~である”。『学研漢和大字典』による原義は、サソリの姿。
與(与)
(金文)
論語の本章では、疑問の終助詞で、”~だろうか”。『学研漢和大字典』による原義は、力を合わせてものを運ぶこと。
論語:解説・付記
論語の本章は、現代にも当てはまる。現代心理学の説くところでは、自信のない者ほど不機嫌を演じ、まわりを従えようとする。それはこそこそと穴を開けて入るこそ泥に過ぎないと孔子は言う。論語の時代に心理学があったわけではないが、孔子は優れた心理観察者だった。
論語の本章の史実性については、武内義雄『論語之研究』は異論を唱えていない。「荏」以外の文字が古文以前にさかのぼれ、語法にも新しい点がないから、孔子の肉声と考えていいだろう。すると論語為政篇8「君子重からざらば」の伝統的解釈は、やはり間違いだ。
(伝統的解釈)「君子重からざれば則ち威あらず。」
道に志す人は、常に言語動作を慎重にしなければならない。でないと、外見が軽っぽく見えるだけでなく、学ぶこともしっかり身につかない。
(訳者の解釈)「君子重からざらば則ち威かならざれ。」
諸君が他人から尊重されないなら、なおさら厳かな態度をつくろうな。
なお顔濁鄒が大親分だった記録は『呂氏春秋』にもあり、そうなるとただの伝説や創作とは言えなくなってくる。『後漢書』の列伝にも引用されていることから、ほぼ史実に近い話と思われていたようだ。
顔喙聚(=顔濁鄒)は、梁父に根城を置く流民を配下に置く盗賊の大親分だった。(『淮南子』氾論訓)
顏涿聚(=顔濁鄒)は、梁父に根城を置く流民を配下に置く盗賊の大親分だった。(『呂氏春秋』孟夏紀・尊師)
左原者,陳留人也。為郡學生,犯法見斥。林宗嘗遇諸路,為設酒肴以慰之。謂曰:「昔顏涿聚梁甫之巨盜,段干木晉國之大駔,卒為齊之忠臣,魏之名賢。蘧瑗、顏回尚不能無過,況其餘乎?慎勿恚恨,責躬而已。原納其言而去。
左原は、陳留の出身である。郡の学生だったとき、法を犯して退学処分になった。林宗がたまたま道で出会い、左原のために宴会を開いて慰めた。
林宗「なあ君、むかし顔涿聚は、梁甫の大泥棒だったし、段干木は、晋国の暴れ者だった。しかしあっという間に顔涿聚は斉国の忠臣として名を残し、段干木は魏国の賢者として名高くなった。衛の名臣・蘧伯玉や、孔子の弟子・顔回のような人でも、罪を犯さないではいられなかった。」
「…まして普通の人間なら当然だろう? 慎み深く暮らして、恥ずかしがったり怒ったりしないことさ。しでかしたことは、自分で引き受けるしかないからね。」
左原はその言葉を受け入れて去った。(『後漢書』郭符許列伝)
顔濁鄒と孔子の関係は、『史記』に子分が多く入門したことを記すのみで、あまりよく分かっていない。しかし孔子一門の政治活動の背景には、顔濁鄒が大きく関わっていると訳者は睨んでいる。