論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「古者民有三疾、今也或是之亡也。古之狂也肆、今之狂也蕩。古之矜也廉、今之矜也忿戾。古之愚也直、今之愚也詐而已矣。」
校訂
定州竹簡論語
子曰:「古者民有三疾,今[也有a是之亡b。古之狂也]529……今之狂也湯c;古之[矜]也廉d,[今之□也忿誼e;古之愚也]530……今之愚也詐而已f。」531
- 有、今本作”或”字。
- 今本”亡”字下有”也”字。
- 湯、今本作”蕩”。可通。
- 廉、『釋文』云:”魯讀廉為貶”。
- 誼、今本作”戾”。
- 今本”已”下有”矣”字。
→子曰、「古者民有三疾、今也有是之亡。古之狂也肆、今之狂也湯。古之矜也廉、今之矜也忿誼。古之愚也直、今之愚也詐而已。」
復元白文(論語時代での表記)
矜廉 矜
※忿→奮・誼→義。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。「之」の用法に疑問がある。本章は戦国時代以降の儒者による創作である。
書き下し
子曰く、古は民に三つの疾有り、今也是之亡き有り。古之狂也肆むるなり、今之狂也湯なり。古之矜也廉るなり、今之矜也忿り誼るなり。古之愚也直きなり、今之愚也詐る而已。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「昔は人々に三種類の悪い癖があった。今はそれが無い場合がある。昔のもの狂いは一途だった。今のもの狂いは好き勝手でしまりがない。昔の誇り高い者はけじめ正しかった。今の誇り高い者は怒って議論している。昔の愚か者は素直だった。今の愚か者は嘘をつくばかりだ。」
意訳
昔から癖が度を超した人はいて、その癖にもいい所があったのだが、今はいい所が全然無い者が多い。
昔の一徹者は一途だったが、今のはただのわがままだ。昔の力み者はいさぎよかったが、今のはただお互いに大声で悪口を言い合っている。昔の愚か者は素直で小細工をしなかったが、今のは小ずるい奴ばっかりだ。
従来訳
先師がいわれた。
「昔の人に憂うべきことが三つあつたが、今はその憂うべきことを通りこして、全く救いがたいものになっているらしい。昔の理想狂の弊は、自由奔放で小事にこだわらない程度であった。然るに今の理想狂は徒らに放縦である。昔、ほこりをもって己を高くした人々の弊は、廉直に過ぎて寄りつきにくい程度であった。然るに今のそうした人々は強情でひねくれている。昔の愚か者は正直であった。然るに今の愚か者はずるくて安心が出来ない。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「古人有三種偏激的毛病,今人或許沒有:古代的狂人肆意直言,今天的狂人放蕩不羈;古代的高傲者威不可犯,今天的高傲者凶惡蠻橫;古代的愚人天真直率,今天的愚人狡詐無賴。」
孔子が言った。「昔の人には三種類の偏屈な癖がある者がいたが、今の人には恐らくいない。古代の狂人は心のままにズケズケ言ったが、今の狂人はだらしなくて人の言うことを聞かない。古代のおごり者は侵し難い威厳があったが、今のおごり者は経悪で乱暴だ。古代の愚か者はすがすがしいほどに素直で正直だったが、今の愚か者は嘘つきでずる賢い。」
論語:語釈
子 曰、「古 者 民 有 三 疾、今 也 有(或) 是 之 亡 (也)。古 之 狂 也 肆、今 之 狂 也 湯(蕩)。古 之 矜 也 廉、今 之 矜 也 忿 誼(戾)。古 之 愚 也 直、今 之 愚 也 詐 而 已 (矣)。」
古者
(金文)
論語の本章では”昔は”。ここでの「者」は主格を表す記号で、人・者・事に関わらず、主格であれば用いられ得る。論語語釈「古」・論語語釈「者」を参照。
民(ビン)
(甲骨文)
論語の本章では”たみ”。初出は甲骨文。「ミン」は呉音(遣隋使より前に日本に伝わった音)。字形は〔目〕+〔十〕”針”で、視力を奪うさま。甲骨文では”奴隷”を意味し、金文以降になって”たみ”の意となった。唐の太宗李世民のいみ名であることから、避諱して「人」などに書き換えられることがある。唐開成石経の論語では、「叚」字のへんで記すことで避諱している。詳細は論語語釈「民」を参照。
有(ユウ)
(甲骨文)
論語の本章では、”持つ”。初出は甲骨文。ただし字形は「月」を欠く「㞢」または「又」。字形はいずれも”手”の象形。金文以降、「月」”にく”を手に取った形に描かれた。原義は”手にする”。原義は腕で”抱える”さま。甲骨文から”ある”・”手に入れる”の語義を、春秋末期までの金文に”存在する”・”所有する”の語義を確認できる。詳細は論語語釈「有」を参照。
「民有三疾」は形式的には「民、三疾を有つ」と書き下すべき文で、民(主語)-有(動詞)-三疾(目的語)の形を取っている。しかし漢文では、「aにbがある」を意味するとき、「a有b」と記し、直訳的には”aがbを持つ”と表現する。
漢文が日本語と共通するのは、主語を必要としないことだが、日本語と共通せず英語と共通するのは、必ず主語を想定して表現すること。「有」などの存在を意味する動詞は、英語のthere is構文と同じく、存在の場を必ず主語として書く、または想定する。
従って「民有三疾」は機械的に”people had three failings”と翻訳できるが、これを”人々は三つの間違いを持っている”と訳しては日本語にならない。
三疾
(金文)
論語の本章では、”三つの悪い癖”。「三」の初出は甲骨文。詳細は論語語釈「三」を参照。「疾」の初出は甲骨文。原義は矢が当たるように急性の病気。詳細は論語語釈「疾」を参照。
漢文では奇数の数でその前後程度の量を表現することがある。三は最小の奇数であり陽の数である一と、最小の偶数であり最小の陰の数である二を足した和であり、三以上の数を表して「しばしば」と訓読されることがある。
従って物事の項目を数える際、三・五・七・九を数え上げることが多いが、それは必ずしも、項目がその数だけしかないことや、必ずその数だけはあることを意味しない。数あわせのために、意味のない事柄を数え上げたりする場合もある。
また「疾」を、原義のような急性の病ではなく、ふだんから持ち前の性癖として記していることが、本章が後世の創作である事を示している。論語で史実性のある章で用いられる「疾」は、その通り急性の病や、見聞きしただけで急にムラムラと腹が立つほど”憎む”を意味する。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”~の”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
今也或是之亡也→今也有是之亡
論語の本章では、”今となっては、あるいはそれすら無くなってしまったものだよ”。伝統的には、「今也或いは是だにも亡き也」と読み、「之」を置き字として書き下さない。
「今也」の「也」は、”~について言えば”の意で、主部を強調する働きをする。詳細は論語語釈「也」を参照。
「或」は武内本では「助辞にて意味なし」とするが、藤堂本では”ひょっとすると”と訳して意味を取っている。「是」が「三疾」を指す指示代詞であることは、諸本が一致している。詳細は論語語釈「或」を参照。
ここでの「之」は、「a之b」で「aをこれbす」と読み、「aをbする」を意味する。倒置・強調の意を表す。ここでは倒置していないが、これを受けて藤堂本では、”それすらも”と訳している。詳細は論語語釈「之」を参照。
句末の「也」は文末助詞として、「なり」と読んだ場合は断定・決定を意味するが、ここでは「かな」と読んで、詠嘆を意味するとも解せる。
定州竹簡論語では表現が簡潔で、後漢の儒者がもったいを付けて修辞を複雑にしたことが分かる。「今也有是之亡」で「今や是の亡き有り」と訓み、”今ではもう、これらが無い場合がある”の意。
狂
(金文大篆)
論語の本章では”狂おしいほど自分の行動にこだわる人”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』による原義は、むやみに走り回る狂犬。詳細は論語語釈「狂」を参照。
「狂」は「狷」とならんで、論語時代の人間類型の一つとなるもので、誰が何と言おうとやるのが「狂」、誰が何と言おうがやらないのが「狷」。ただし孟子の時代まで時代が下ると、「狂」は口先ばかりで実行の伴わない誇大妄想狂を指すようになる。
論語の本章はその過渡期を述べており、孔子在世当時の言葉ではない。
肆・蕩→湯
「肆」(金文大篆)/「蕩」(金文大篆)
論語の本章では、”一途な”と”だらしがない”。「肆」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によるとものを手にとって長く並べるさま。書店のことを「書肆」というのはこれに基づき、商品を横に並べて見せ、売る店を意味する。人間の姿としては、ある一方向へ伸びるだけ伸びた様をいい、『大漢和辞典』に”極める”の語釈を載せる。詳細は論語語釈「肆」を参照。
対して「蕩」の初出は後漢の『説文解字』で、論語の時代に存在しないが、同音同訓の「宕」が甲骨文より存在する。洪水で草がなびく様が原義で、しまりなくどちらへもなびくさま。洪水は見渡す限りおこることから、どこででもしまりのないことを含んでいる。詳細は論語語釈「蕩」を参照。
定州竹簡論語の「湯」も語義は「蕩」と同じで、止める者の無い、勢いのよい水のさま。やはり「宕に通ず」と『大漢和辞典』はいう。詳細は論語語釈「湯」を参照。
矜(キョウ)
(金文大篆)
論語の本章では、”自負心の強い者”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。『学研漢和大字典』による原義は、刃先を固く取り付けた矛で、矛の強さやそれでもって守る決意の固いこと。詳細は論語語釈「矜」を参照。
廉(レン)
(古文)
論語の本章では、”かどめ・けじめのあるさま”。論語では本章のみに登場。初出は秦系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。古文では木偏を伴ったり、の形で記されている。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、兼は「禾二本+手のかたち」の会意文字。別々の物をかねまとめて持つこと。廉は「广(いえ)+(音符)兼」で、家の中に寄せあわせた物の一つ一つを区別する意を示す。転じて、物事のけじめをつけること、という。詳細は論語語釈「廉」を参照。
忿戾→忿誼
「忿」(金文大篆)・「戻」(古文)
論語の本章では、”むやみに怒って道理にさからうさま”。
「忿」は”怒る”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しないが、同音の「奮」に”憤る”の語釈を大漢和辞典が立て、初出は西周早期の金文。『学研漢和大字典』によると分は「刀+八印(両方に割れる)」からなり、両がわに割れること。忿は「心+(音符)分」の会意兼形声文字で、かっと破裂するように急におこること、という。詳細は論語語釈「忿」を参照。
「戻」は”もとる”。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しないが、上古音不明ながら日本語で同音同訓に「盭」があり、初出は西周中期の金文。論語時代の置換候補となる。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「戸(とじこめる)+犬」。暴犬が戸内にとじこめられてあばれるさまを示す。逆らう意から、「もとる」という訓を派生した。辣(ラツ)・剌(ラツ)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「戻」を参照。
定州竹簡論語の「誼」は、論語では本章のみに登場。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しないが、同音同調の「義」が甲骨文より存在し、ともに「議論する」の意を持つ。詳細は論語語釈「誼」を参照。
愚
(金文)
論語の本章では”おろか”。初出は上掲戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。部品「禺」が論語時代の置換候補となる。『学研漢和大字典』による原義は、人のものまねをするようなサルのような心の意。詳細は論語語釈「愚」を参照。
語釈として『大漢和辞典』は”正直でかけひきが無いを記し、出典として論語先進篇の「柴や愚」につけた何晏の注、「愚は愚直の愚なり」を引く。しかしこれは何晏のひいきの引き倒しと見るべきで、本章同様”愚か者”のことと解するべきだろう。本章では、「愚」は「三疾」=三つの急性病のような欠点に含まれており、以降にあるように「直」=率直でもありえるが「詐」=偽りでもあるからだ。
直・詐
(金文)
論語の本章では、”愚直”と”いつわり”。
「直」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「|(まっすぐ)+目」の会意文字で、まっすぐ目を向けることを示す、という。詳細は論語語釈「直」を参照。
「詐」の初出は春秋末期の金文。乍は「作」の原字で、「詐」とは言葉で作り事をしていつわること。詳細は論語語釈「詐」を参照。
而已矣
伝統的読みでは三字を合わせて「のみ」と読む。「而已」だけでも「のみ」とよみ、「~だけ」「それ以外はない」と訳す。強い限定・断定の意を示す。もと、而(それで)已(やむ)の意。「矣」は文末助詞で、断定・疑問・反語・推量・仮定などさまざまな意を表す。
ここでも後漢儒がもったいを付けて、修辞を複雑にしたことが読み取れる。論語語釈「而」・論語語釈「已」・論語語釈「矣」も参照。
論語:付記
論語の本章の史実性について、武内義雄『論語之研究』では、清儒の崔述が「文体の疑わしい章」として分類した章と記している。箇条書きなどの整った文体は、論語の言葉でも孔子の肉声ではなく、後世の創作の可能性が高い、と訳者も同意する。
本章は他の箇条書きの章ほど整った印象はないが、ある現象について古今の対比で述べたことは、あるいは整っていると言えるかもしれない。ただ訳者が史実性に疑いを持つのは、文字が古文や金文までさかのぼれない事で、おそらく戦国時代になってからの作文だろう。
ただ内容に関しては、過去を尊しとする孔子の言いそうなことではある。ただしよく内容を吟味してみると、本章の言葉は単に”今の人間は人が悪くなった”という愚痴でしかない。すると本章での孔子の姿は、孟子でさえ批判した、ただの狂人になってしまう。
孟子「孔子は狂獧について言った。『なぜ鳥が騒ぐように大げさだというのか? 口先だけで行動が伴わない。自分の言ったことをすぐ忘れて勝手な振る舞いをする。そのくせ昔の人、昔の人と言い回り、自分一人で身勝手ばかりする。生きるも行動するも、この世の中での話だ。少しは世間に良かれと務めるがいいのに』と。」(『孟子』盡心下篇)
ここで獧というのは狷のことで、人が何と言おうと、やりたくないことはやらない者を言う。いずれにせよ孟子やその近い弟子たちが、孔子を論語の本章のように、「昔の人、昔の人と言い回」る人物として創作したとは考えがたい。それとも孟子がうっかりしたのだろうか?
あるいは孔子は実際に、こういう懐古趣味のじいさんだった可能性はある。しかしそんな師匠に、弟子がついていくだろうか? 本章の「今の力み者は、ただ悪口ばかり言う嫌われ者」との部分が、当の発言者である孔子に当てはまってしまう所も考え物だ。
どうも作文であるにしても、あまり出来がよくないように感じる。それと孟子が上記のように言ったことは、孟子の読んだ原・論語には、本章を含む「昔の人」ばなしが載っていなかったことを意味するだろう。すると本章の成立は、孟子没後の戦国時代末期以降になる。
おそらく本章は、漢代の儒教の国教化と共に進められたであろう、漢代儒者による論語膨張作業でつけ加えられた話と見るべきだろう。孔子について本章のような伝説はあったのだろうが、史実としての孔子の姿や発言を伝える章と評価するのは、難しいと言わねばならない。
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