(検証・解説・余話の無い章は未改訂)
論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「飽食終日、無所用心、難矣哉。不有博奕者乎、爲之猶賢乎已。」
校訂
後漢熹平石経
子白飽食終日無𠩄用心難矣哉…
- 「矣」字:〔厶夫〕。
- 「哉」字:〔𢦏𠄌〕。
定州竹簡論語
子曰:「飽食終日,無所用心,難矣a!不有博亦b545……猶賢乎已。」546
- 今本”矣”字下有”哉”字。
- 亦、阮本、皇本作”奕”、『説文』作”弈”字。
→子曰、「飽食終日、無所用心、難矣。不有博亦者乎、爲之猶賢乎已。」
復元白文(論語時代での表記)


















※飽→(甲骨文)。論語の本章は、「乎」の用法に疑問がある。
書き下し
子曰く、飽くまで食らひて終日、心を用ゐる所無きは、難き矣り。亦を博つ者有らず乎、之を爲すは猶ほ已む乎賢れり。
論語:現代日本語訳
逐語訳

先生が言った。「腹一杯食べて一日中、考え事をしないでいるのは、過ごしづらいものだなあ。冷や汗をかきながら打つくじ引きバクチというものがあるではないか、それを張るのは何もしないでいるより優れている。」
意訳

腹一杯食べて、ボケーッと一日中ぼんやりしているのは退屈この上ない。それよりはバクチでも張っていた方がまだましだ。
従来訳
先師がいわれた。――
「たらふく食ってばかりいて、終日ぼんやりしている人間ほど始末におえない人間はない。雙六とか碁とかいうものもあるではないか。そんなつまらん遊びごとでも、何もしないよりは、まだしも取柄があるよ。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「整天吃飽了飯,什麽都不想,真太難了!不是有下棋的嗎?下下棋,總比什麽都不做要好。」
孔子が言った。一日中飽きるほど飯を食い、何一つ考えない、全くどうしようも無い! 囲碁将棋の類があるではないか? 打ったり指したりするのは、何一つしないよりはましだ。」
論語:語釈
飽食

「飽」(古文)・「食」(金文)
論語の本章では、”腹一杯食べる”。「食に飽くこと」と読んでも差し支えない。
人類史的立場から言えば、農業の開始以降、人のほとんどは腹一杯食べる経験をせずに生涯を送る者がほとんどだった。論語の時代ならなおさらで、穀物の相対的価値は非常に高価で、当時の主食作物・アワの1リットルは、現代日本の約1万円に相当する。
なお「飽」の字は甲骨文から見られるが、字体は
・
・
など、さまざまにブレがあって一定していない。詳細は論語語釈「飽」・論語語釈「食」を参照。
終日

(金文)
論語の本章では「ひねもし」と読んで”一日中”。「日を終えるに」と読んでも差し支えない。
「終」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると「糸+(音符)冬」の会意兼形声文字で、糸巻きに糸をはじめからおわりまで、いっぱい巻いて蓄えた糸の玉。最後までいきつくの意を含む、という。詳細は論語語釈「終」を参照。
「日」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると太陽の姿を描いた象形文字。詳細は論語語釈「日」を参照。
無所用心
論語の本章では”全く何も考えない”。無(形容詞)→所(被修飾語)←〔用(動詞)-心(目的語)〕と解すべき構造の句で、「所無きに心を用ふ」(何に対しても用心する)と解しては意味が通じない。
×〔無→所〕主部-〔用S-心V〕述部
語順からは構造が決定できない漢文の一例で、漢文の解釈は最終的には読み手の気分次第という実態を改めて示す。
辞書的には論語語釈「無」・論語語釈「所」・論語語釈「用」・論語語釈「心」を参照。
難矣哉

「難」(金文)
論語の本章では”過ごしづらいものだなあ”。「矣哉」を詠嘆の熟語として「かな」と読む例が多いが賛成できない。「矣」は人の振り返った象形であり、心から言い手がそう思っていることを表す助辞で、孔子は暇をもてあましてぼんやりしていることに絶えられなかったのだ。

論語の時代の中国語は一漢字一単語で、原則として熟語は存在しない。また定州竹簡論語による校訂から、「哉」は後漢儒が勝手に書き加えたと判明した。下掲唐石経(トウセキキョウでもかまわない)も宋版論語も、古注から「哉」が付け加わったことを証している。
古注では、暇をもてあますと良からぬ事をたくらむから「難し」と言い、新注では「難」に注すらつけていない。ただ暇をもてあますことを非難しているのみ。
不有~乎

「不有」(金文)
論語の本章では「あらずや」と読んで、”あるではないか”。「乎」は人間の息を示した指事、または象形文字で、詠歎や疑問、反語を意味する。
博奕(バクエキ)→博亦

「弈」(古文)
論語の本章では古来、”碁を打つ”・”双六をして遊ぶ”とお上品に解する。しかし「博奕」の読みに「バクチ」があるように、”くじ引きバクチを打つ”と解するべきことばで、バクチの中でも古風なおみくじにあるような、棒状のクジを引いて勝負を決める賭博。
「博」とは”打つ”こと。詳細は論語語釈「博」を参照。

「奕」は『学研漢和大字典』によると囲碁だとし、亦は人の両わきをあらわす指事文字。同じものがもう一つある意を含む。奕は「大+(音符)亦(エキ)」の会意兼形声文字で、繹(エキ)(あとからあとからと続く)・駅(次次とかさなり続く宿場)などと同系のことば、という。詳細は論語語釈「奕」を参照。だがこの字ばっかりは、お上品な藤堂博士の言い分は受け入れられない。
定州竹簡論語の「博亦」は、先秦両漢の文献で熟語として出てこない。必ず博と亦の間に句読点が入るような用法ばかり。また「亦」に”博奕・囲碁将棋の類”との語釈は『大漢和辞典』に無い。”おおいに”の語義はあるが、中国語は修飾語-被修飾語の順だから理屈に合わない。
結局”亦zi̯ăk(入)を博つ”としか読めないのだが、弈もzi̯ăk(入)と同音で、奕もzi̯ăk(入)と同音である。結局この三者は音通と見るべく、”亦=冷や汗をかきながらバクチを打つ”の意味だろう。詳細は論語語釈「亦」を参照。
なおWikisourceは「奕」”バクチ”を「弈」”囲碁”とするが、底本と称する『国訳漢文大成』では「奕」バクチとしており(下図左)、清の乾隆年間に刊行された武英殿十三経注疏『論語注疏』では「弈」イゴとしている(下図右)。上記の通り定州竹簡論語では「亦」であり、おそらく「弈」=”囲碁”と決めてしまわねば、中華帝国のイデオロギーが崩れるから、勝手に書き換えたと思われる。論語語釈「弈」も参照。

これまでに訳者が入手し得た最古の冊子版論語は、寛延三年(1750)刊行の鵜飼文庫版『論語義疏』(via 『日本古典籍データセット』(国文研等所蔵))で、そこでは「奕」バクチになっている。

これより以前の、冊子本でおそらく現存世界最古の中国系版本は、宮内庁書陵部蔵の宋版『論語注疏』だが、「弈」イゴになっている。さらにそれより古いはずの(写本だから)、唐石経(830年代)の京大本『唐開成石経』では、「弈」イゴになっている。

京大蔵唐石経『論語』
清家本その他、当時の日中の諸本を参照して編まれた武内本では「奕」バクチになっており、何も注記が無いから、古代より日本では「奕」バクチと伝え続け、中国では南北朝時代に「弈」イゴに書き換えられ始め、唐帝国、それも晩唐になってから定着したと思われる。
猶(ユウ)

論語の本章では、”それでもなお”。「なお…のごとし」と訓む再読文字の場合は、”丁度…のようだ”。初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、酋(シュウ)は、酉(酒つぼ)から酒気が細く長くのび出るさま。猶は「犬+酋(長くのびる)」の会意文字で、のっそりとした動物や、手足と体をのばす動物の意。転じて、のばすの意となり、そこまでのばしてもなおの意の副詞となる、という。詳細は論語語釈「猶」を参照。
爲(イ)

(甲骨文)
論語の本章では”する”。新字体は「為」。字形は象を調教するさま。甲骨文の段階で、”ある”や人名を、金文の段階で”作る”・”する”・”~になる”を意味した。詳細は論語語釈「為」を参照。
之(シ)

(甲骨文)
論語の本章では”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
爲之猶賢乎已
論語の本章では、”何もしないよりは優れている”。
ここでの「乎」は、格助詞”~に・と”に相当する助辞。高校の世界史教科書で必ずといっていいほど引用される、訓民正音諺解本の画像に見られる「乎」と語法は同じ。ただし春秋時代の用法ではない。

「国之語音、中国乎(と)異なれり。」
論語:付記
論語の本章について、武内義雄『論語之研究』では異議を唱えていない。「博奕」の解釈を除いては、素直に読める一節で、文字の古さにも問題はなく、孔子の肉声と言っていいだろう。
上記した「奕」バクチか「弈」イゴについて、孔子は”バクチ”と言ったのだが、帝国の儒者にとっては、「孔子先生ともあろうお方が、バクチを勧めるなどもってのほか」という理由で書き換えた。それは孔子への敬慕ではなく、自分らの商売に差し支えがあったからだ。
『孟子』の「奕」バクチも、同様の理由から「弈」イゴに書き換えられているが、どう読んでもバクチと解さないと文意が取れない。
孟子曰:「世俗所謂不孝者五:惰其四支,不顧父母之養,一不孝也;博弈好飲酒,不顧父母之養,二不孝也;好貨財,私妻子,不顧父母之養,三不孝也;從耳目之欲,以為父母戮,四不孝也;好勇鬥很,以危父母,五不孝也。」

孟子が申しました。「世間で親不孝と呼ばれるものに五種類ある。怠けて働かず、父母を養わないのが一番目。バクチを張っては酒を飲み、父母を養わないのが二番目。金儲けばかりに精を出し、自分の妻子ばかり可愛がって、父母を養う気が無いのが三番目。官能的刺戟ばかり求めて、父母が殺されても放置するのが四番目。喧嘩ばかりするチンピラで、父母に心配掛けるのが五番目。」(『孟子』離婁下58)
孟子曰:「無或乎王之不智也,雖有天下易生之物也,一日暴之、十日寒之,未有能生者也。吾見亦罕矣,吾退而寒之者至矣,吾如有萌焉何哉?今夫弈之為數,小數也;不專心致志,則不得也。弈秋,通國之善弈者也。使弈秋誨二人弈,其一人專心致志,惟弈秋之為聽。一人雖聽之,一心以為有鴻鵠將至,思援弓繳而射之,雖與之俱學,弗若之矣。為是其智弗若與?曰非然也。」

孟子が申しました。「この世にバカ殿の種は尽きないから、世を恨んでもしょうがない。簡単に芽が生えてくるはずの植物でも、たった一日の日照り、十日の寒さですら生えてこない。この私が国王に会う機会はめったに無いが、会見後に冷たくあしらわれては、私とてどうしようもないのだ。
例えばバクチを張るとしよう。ささいな勘働きに過ぎないが、それでも考えに考え抜かねば、当たるものではない。バクチ打ちの秋という者は、天下第一の名高きバクチ打ちだが、弟子の中にも一人ぐらいは、まじめに修業し、師匠の教えをハイハイと聞くだろう。
だが不埒な弟子が、せっかく師匠が教えても、自分が勝手に張ってもそろそろ大当たりするんじゃないかとか、いかさまをやろうと企んでいたなら、まじめな弟子と同じように講釈を聞いても、同じ技量には決してなれない。その理由は頭が悪いからか? そうじゃないだろ。」(『孟子』告子上9)
前漢の時代に編まれた『大載礼記』でも、やはりバクチの意味である。
公曰:「不辨則何以為政?」子曰:「辨而不小。夫小辨破言,小言破義,小義破道,道小不通,通道必簡。是故、循弦以觀於樂,足以辨風矣;爾雅以觀於古,足以辨言矣。傳言以象,反舌皆至,可謂簡矣。夫道不簡則不行,不行則不樂。夫弈十稘之變,由九不可既也,而況天下之言乎?」

とのさま「判断力を持たないままで、どうやって国を治めると言うのじゃ。」
先生「判断力にも大小があります。ケチな判断力は失言の元ですし、失言は正義をダメにし、ダメになった正義は原則をダメにし、原則がダメになればただの立て前です。それは法曹が悪徳を働くタネになりますから、法はできる限り簡単で少なくなければなりません。
だから耳に和音が聞こえたら、その音楽は正しいと言ってよく、みやびな古詩にかなっていれば、その言葉は正しいと言ってよいのです。言葉を聞いただけで映像が思い浮かび、口に出してみて言いにくくない。それが物事を簡潔にする要です。原則が簡潔でなくては実行が伴わず、伴わないなら安楽は得られません。
例えばバクチの目は十ありますが、当たりでない九つの目が出たら、それはどう言いつくろっても外れです。ケチな判断力とはそういうもので、天下国家を論じるにも事は同じです。」(『大載礼記』小弁2)
些細なようだが「バクチの目は十」とあるのはちょっとした情報で、「奕」はコロ博奕ではなかっただろう。4-6の組み合わせはあり得るが、正多面体は4・6・8・12・20の五種類しか無いからだ。また「稘」とは藁の類で、今の筮竹は、古くは草の茎を使ったとされている。
それはさておき、後漢になっても、やはりバクチの意味である。
今民奢衣服,侈飲食,事口舌而習調欺,以相詐紿,比肩是也。或以謀姦合任為業,或以游敖慱弈為事

今どきの民どもは、衣服を派手にし、飲食を贅沢にし、口車を回して詐欺ばかり働く。そうやって互いにだまし合っているのだが、お互い様というものだ。加えて徒党を組んで悪事を働く者がおり、そうでなければチンピラに身を落としてバクチばかり張っている。(『潜夫論』浮侈3)
ところが後漢が滅び、言葉も民族もぐちゃぐちゃになった三国から南北朝になると、もう分けが分からなくなって儒者が勝手なことを言い出した。後漢儒のデタラメもたいがいだが(論語解説「後漢というふざけた帝国」)、南北朝の儒者もそれに劣るとも勝らない(→論語における「束脩」)。
博者十二棊對而擲采者也奕圍棊也

「博」とはタテヨコ十二条の盤上で、サイコロを振るナニガシかである。「奕」は囲碁である。(『論語集解義疏』)
「奕を博つ」ではなく「博と奕」と誤読した上に、根拠の無いウンチクを書き付けた。
文字史上は、初出が後漢の説文解字の「奕」バクチよりも、秦系戦国文字である「弈」イゴの方が古いのだが、定州竹簡論語にあるように元の論語には「亦」と書いてあった可能性が極めて高く、また戦国時代に現れた「弈」が、本当に囲碁将棋の類だった証拠は無い。

要するに現存する情報では、囲碁の意を帝国の公式解釈にしたのは傾きかけた唐帝国の儒者で、その時代はまさに、北朝以来の血統貴族に、儒者官僚が取って代わろうとした時代だった。そんな連中の教祖の言葉に、「バクチを張れ」などとあっては都合が悪かったのである。

それは朱子が「博は盤面を用いる対戦ゲームである。弈は囲碁である」(『論語集注』)と書くに及んで中国では確定し、今に至っている。だが孔子は生き馬の目を抜く春秋政界を生き抜いた第一等のバクチ打ちで、生涯熱心に追い求めた政治こそ、バクチの最たるものに違いない。
「政治とは利益分配」(論語為政篇1)と喝破した孔子は、社会の資源をある集団に振り向ければ、他の集団からすさまじい恨みを買うことを重々分かっていた。だがその決断こそが政治であり、誰かが恨まれねば政治は回らない。時に負けると分かって孔子はバクチを張り続けた。
その孔子を聖者に仕立てる限り、論語に何が書いてあるかは決して分からない。
なお上掲の唐開成石経は、唐石経とも呼ばれるが、これをトウセキケイと読むには理がある。漢音、つまり遣唐使が聞き帰った当時の音がそうだからだが、閲覧者諸賢がトウセキキョウと読んでも、何ら差し支えは無い。同様に漢石経をカンセキキョウと読んでも差し支えない。
漢代の音に近いのは呉音とされ、呉音とは華北から逃げ移った漢人の王朝、中国南朝の音が、遣唐使より前の時代に日本へ入ってきた音とされる。呉音では漢石経→カンジャクキョウで、唐石経→ドウジャクキョウとなるが、こういうのは伝統芸能保存会の中だけでやればいい。




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