論語308子路篇第十三(6)其の身正しからば

論語子路篇(6)要約:孔子先生は古記録を読んで、為政者は先ず身を正すこと、そして何もしないでも世が太平に治まることを目指すよう説きました。その背景には美しい誤解と、古代ならではの技術的限界がありました。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「其身正、不令而行。其身不正、雖令不從。」

書き下し

いはく、ただしからば、れいせずしおこなはる。ただしからざらば、れいすといへどしたがはれず。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

 

逐語訳

先生が言った。「自分が正しければ、命令しなくても行われる。自分が正しくなければ、命令しても従われない。」

意訳

為政者が正しいなら、命令しなくても政策は実行される。正しくなければ、命令しても誰も従わない。

従来訳

先師がいわれた。――
「上に立つ者が身を正しくすれば、命令を下さないでも道が行われるし、身を正しくしなければ、どんなに厳しい命令を下しても、人民はついて来るものではない。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

其身

誰の身なのか書いていない。漢文、特に紙が発明され普及する漢代になる前の漢文は、文脈から類推できることは書かないのが普通。だから難しく感じるし、当時の時代背景が分からなくなると、もう誰にも意味が分からなくなる。

その原因はひとえに技術的な問題で、紙がないから。当時の筆記は通常、木や竹を薄く細く削った簡(ふだ)に、一行ずつ書いていった。それを紐で綴じたのが本になった。従って長文を記すにはコストがかかるので、1文字いくらの料金だった戦前の電報のように、出来るだけ省略して書いた。
論語 竹簡

電報ネタの笑い話に、東京で下宿している息子が金に困って、「カネオクレタノム」と郷里に電報を打った。そうとは知らない父親が、すでにまとまった金を送金していたところに、この電報が届いた。父親は「金をくれた、だから酒を飲む」と誤解して怒った、というのがある。

漢文を原書で読むなら、こうした事情も十分わきまえておいた方がいい。

論語:解説・付記

後半の「其身不正、雖令不従」は誰にでも同意できるが、前半の「其身正、不令而行」には首をかしげざるを得ない。その背景には、論語のみならず中国思想上での理想の政治がある。黄帝とかギョウシュンとか、伝説時代の聖王は、具体的な行政行為を行わないのに、なぜか世の中が治まったという。

当たり前の事で、伝説だから聖王は全て創作上の人物で、創作者もおそらく経験がなかったからか、具体的にどのような政策を行えば世の中が治まるかは、てんで分かっていなかった。知らない事は書きようがないので、それらのラノベにはなんら政策らしい政策が書いていない。

何かをしたと記録にはっきりあるのは舜や夏王朝初代のの時代からで、舜は暦を作り、禹は定規やコンパスを持ち、測量して数値を樹木に書き記し、土を掘り堤防を造って治水したという。しかし二人とも想像上の人物で、それ以外の政策らしいことは一切記録に残っていない。

それはおそらく論語の時代も同様で、孔子は古記録を読むたびに、なぜ何もしなかったのに治まったのだろうと首をかしげている。その代わり、庶民が為政者の名前すら知らなかった時代が太平の世でした、というラノベは読んでいただろうから、「令せずして行われる」のが理想の政治なんだろうと思ったわけ。

そしてこれには後日談がある。儒教は孔子没後、墨家などに押されて一旦滅びかかっていた。それを再興したのが孟子や荀子なのだが、漢代に入ると国教化されて地位は安泰になった。それは君主への忠義を説いていたからで、皇帝にとって都合がよかった。

ところが儒教には、まるで毒薬条項のような教説もあって、それがこの「令せずして行われる」だった。孔子先生がこう仰ってる、と儒者=役人どもに言いくるめられて、皇帝は何かするたびに文句を言われるようになった。何事もよく知らないソフトは、インストールしない方がいいものである。

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