論語詳解363憲問篇第十四(31)子貢人を*

論語憲問篇(31)要約:子貢は自分の評価が気になって仕方がなく、他人をあれこれと評論するクセがありました。それは孔子先生の引き写しでもあるのですが、先生はそんな暇があったら修行しろ、と子貢を戒めた、という作り話。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子貢方*人。子曰、「賜也、賢乎哉*。夫我則不暇。」

校訂

武内本

哉の字を我に作る。釋文云、鄭本方を謗に作る。我、唐石経哉に作る。此本(=清家本)恐らくは誤。

定州竹簡論語

……哉?夫我則不396……


→子貢方人。子曰、「賜也、賢乎哉。夫我則不暇。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文江 金文方 金文人 金文 子 金文曰 金文 賜 金文也 金文 賢 金文乎 金文哉 金文我 金文則 金文不 金文

※貢→江。論語の本章は「我」を主格で用いている。「暇」の字が論語の時代に存在しない。初出は後漢の説文解字だが、定州竹簡論語にあるので、本章は漢帝国の儒者による捏造である。

書き下し

子貢しこうひとたくらぶ。いはく、けんなる乎哉かなわれすなはいとまあらず。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 子貢 孔子
子貢が人を並べて比較した。先生が言った。「実に賢いなあ、賜は。それについて私には全く時間が無い。」

意訳

ニセ子貢 論語 孔子 人形
子貢が人物批評をしている。

孔子「あ~あ。子貢よ、お前は偉いんだな。私にはそんな余裕は無いぞ。」

従来訳

論語 下村湖人

子貢がある時、しきりに人物の品定めをやっていた。すると先師はいわれた。――
「賜はもうすいぶん賢い男になったらしい。私にはまだ他人の批評などやっているひまはないのだが。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

子貢誹謗別人,孔子說:「子貢啊,你就那麽好嗎?我可沒這個閒工夫。」

中国哲学書電子化計画

子貢が他人の悪口を言った。孔子が言った。「子貢よ、お前は一体何さまだ? 私にはそんな下らないことをしている余裕は無いね。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 。」


論語 方 甲骨文 論語 方 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では”比べる・評論する”。超多義語で、『大漢和辞典』では原義を並べてつないだもやい舟と言い、『学研漢和大字典』では左右に張り出したすきの取っ手と言い、『字通』では魔除けのために境域にさらした異民族の●体だという。
論語 鋤 論語 方

一方で古注『論語集解義疏』では「人をくらならぶる」と言い、新注『論語集注』では「方は比ぶる也」と言う(→論語憲問篇31注釈)。詳細は論語語釈「方」を参照。

賜(シ)

論語 賜 金文 論語 子貢
(金文)

子貢のいみ名=本名。文字の詳細は論語語釈「賜」を参照。

論語の本章では「や」と読み、”~こそ・まったく”と訳す。文頭の主語・副詞を強調する意を示す。詳細は論語語釈「也」を参照。

論語の本章では”えらい”。単に”頭がいい”のではなく、人格的迫力や技能を含めて”偉い・すごい”を意味する。詳細は論語語釈「賢」を参照。

乎哉(コサイ)

「乎」と「哉」、どちらも詠嘆のことばだが、二文字合わせて強い詠嘆を表す。論語語釈「乎」論語語釈「哉」を参照。

暇(カ)

論語 暇 篆書
(篆書)

論語の本章では”ひま・余裕”。論語では本章のみに登場。

『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、右側の字(音カ)は「かぶせる物+=印(下においた物)」の会意文字で、下に物をおいて、上にベールをかぶせるさま。暇はそれを音符とし、日を加えた字で、所要の日時の上にかぶせたよけいな日時のこと、という。

いずれの辞書も、形容詞・名詞として扱っているが、本章のように「暇」の否定辞には「不」が使われて「いとまあらず」と動詞を足して読まれ、漢文での品詞の分類は、欧米語と同様に考えてはならない一例。詳細な語釈は論語語釈「暇」を参照。

論語:解説・付記

論語に記された子貢の叱られ話、おとしめ話は、大概が後世の贋作だが、本章もその一つ。論語では、「方」=人を比較して評論する、は子貢をタネに孔子もやっているが、その公冶長篇の章も、文法的に論語の時代にあり得ない書き方をしており、贋作とわかる。

論語 孔子 人形 ニセ子貢
孔子「子貢や。お前と顔回はどっちが出来るかね?」
子貢「そりゃ顔回ですよ。彼は話のタネを一つ聞けば十を想像できます。私は二がせいぜいです。」
孔子「そうそうその通り。私もお前も、顔回の仁には及ばんなあ。」(論語航也著編8)

こちらは子貢おとしめキャンペーンと言うより、顔淵神格化キャンペーンの一環で、やらかしたのはほぼ確実に前漢武帝期の董仲舒である。対して本章は誰の手に依るとも言いがたいが、上記のように「暇」の字と定州竹簡論語から、前漢時代の儒者の誰かによる。

なお「暇」の字は、論語では本章のみに見られるが、孔子より一世紀後の『孟子』には数カ所に見られ、『孟子』もまた漢儒の魔の手からは逃れられていない。

梁惠王曰:「晉國,天下莫強焉,叟之所知也。及寡人之身,東敗於齊,長子死焉;西喪地於秦七百里;南辱於楚。寡人恥之,願比死者一洒之,如之何則可?」

孟子對曰:「地方百里而可以王。王如施仁政於民,省刑罰,薄稅斂,深耕易耨。壯者以暇日修其孝悌忠信,入以事其父兄,出以事其長上,可使制梃以撻秦楚之堅甲利兵矣。彼奪其民時,使不得耕耨以養其父母,父母凍餓,兄弟妻子離散。彼陷溺其民,王往而征之,夫誰與王敵?故曰:『仁者無敵。』王請勿疑!」

孟子 梁恵王
梁恵王「先生もご存じの通り、我が魏を含む晋国は天下の最強国でした。所が余の時代になって、東では斉と戦って敗れ、長男を失いました。西では秦と戦って敗れ、七百里の土地を取られました。南でも楚にバカにされています。とても頭に来ておりますし、死者の恨みも晴らしたい。どうすればいいですか。」

孟子「百里四方の領地があれば王を名乗れます。王殿下がもし領民をいたわり、刑罰と税を緩めたら、みんな一生懸命農作に励みます。成人男性が暇を見つけては儒教のお説教を勉強し、家では年長者によく奉仕し、外では目上によく従うようになれば、棍棒を持たせただけで秦や楚の強兵を打ち任せられましょう。

秦や楚のような野蛮人は、民をいじめますから、民は父母を養えず、父母は飢える兄弟妻子は離散する、目も当てられない暴政です。そうやってひどいことになっている国に、王殿下が進撃すれば、誰が殿下を迎え撃ちましょう。だから”仁者は無敵だ”と申すのです。ウソではありませんぞ。」(『孟子』梁恵王上5)

もちろんこれは孟子、いや後世の儒者のウソッパチで、『孟子』の冒頭である梁恵王篇は、梁の国王ともあろう者が、天下の素浪人である孟子から、這いつくばうように教えを受けている、というお芝居だ。まるで孟子は、巨神兵でも手下に従える超絶人物であるかのようだ。
巨神兵 焼き払えー!

論語だけで手一杯の訳者には、今は孟子まで面倒見切れないが、「論語や孟子にこう書いてあった」というのを元に人様に説教するのが、いかにバカバカしいかおわかり頂けると存ずる。屋上屋を掛けて、カネ払ってそういうのを聞きに行くのはかぶき踊りの類だということ。

♪論語孟子を 読んではみたが(ヨイヨイ)
酒を飲むなと 書いてない

ヨ~イヨ~イ デッカンショ!(旧制高校で流行った「デカンショ節」)

孟子
なぜかぶき踊りか? そもそも子が始めた儒教とは、人をクルクルパーにして権力者の思い通りに操る道具だからだ。だから「儒教のお説教を学ぶ」→クルクルパーになる→「たかが棍棒で楚・秦の強兵と戦う」という、自殺的特攻隊が出来ると漢儒も『孟子』に書いたわけ。

孔子
対して子の説いたのは儒教でも儒術でもなく儒学で、庶民でも読み書き算盤や武術を習得すれば、貴族になれるよ、と勧めたに過ぎない。従って未検証ではあるが、論語の中にある一般的社会教育を孔子が語った節は、ナニガシか後世の作為があるような気がしてならない。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。それでもやるなら、覚悟致せ。

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コメント

  1. […] 方:並べて比べる。原義は舫い船が並ぶさま。『論語』憲問篇「子貢人を方たくらぶ」と同じ語法。 […]

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