論語:原文・書き下し
原文
子曰、「貧而無怨、難。富而無驕、易。」
校訂
定州竹簡論語
……曰:「貧而無惌難,富而無驕易。」371
- 惌、今本作怨
復元白文(論語時代での表記)








※貧→勻・惌→夗・富→(甲骨文)・驕→喬。
書き下し
子曰く、貧う而て惌む無きは、難し。富み而驕ること無きは、易し。
論語:現代日本語訳
逐語訳

先生が言った。「貧しくて怨まないのは難しい。富んで驕らないのは簡単だ。」
意訳

貧しいと心がすさんで、人や世の中に文句をつけたくなる。
富むと心に余裕が出きて、威張らなくても済むようになる。
従来訳
先師がいわれた。――
「貧乏でも怨みがましくならないということは、めったな人に出来ることではない。それに比べると、富んでおごらないということはたやすいことだ。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「貧窮而無怨恨很難,富裕而不驕狂容易。」
孔子が言った。「貧しくて怨みを持たないのは非常に難しく、富んでおごり高ぶらないのは簡単だ。」
論語:語釈
貧

(楚系戦国文字・篆書)
論語の本章では”貧しい”。初出は戦国文字で、論語の時代に存在しない。ただし上古音の近音に「勻」(キン・イン)があり、”少ない”の語釈がある。詳細は論語語釈「貧」を参照。
怨→惌

文字の上半分は、土下座させられた人の姿で、下は心。押さえつけられて晴らしようがないようなうらみを言う。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、同音の夗を用いて夗心と二文字で書かれた可能性がある。詳細は論語語釈「怨」を参照。
定州竹簡論語の「惌」(エン・ウツ)は『大漢和辞典』の第一義が”まげる”で、他に”いかる”の語釈を載せる。手持ちのその他の辞書には条目が無い。詳細は論語語釈「惌」を参照。
富

(甲骨文)
論語の本章では”富む”。初出は甲骨文。字形は「冖」+「酉」”酒壺”で、屋根の下に酒をたくわえたさま。「厚」と同じく「酉」は潤沢の象徴で(→論語語釈「厚」)、原義は”ゆたか”。詳細は論語語釈「富」を参照。
驕(キョウ)

(秦系戦国文字)
論語の本章では、馬+喬”たかい”で”おごり高ぶる”。初出は戦国文字。カールグレン上古音はki̯oɡ。同音部品に喬。詳細は論語語釈「驕」を参照。
論語:付記
論語の本章と似た表現は、複数の章で出てくる。
- 貧而無諂、富而無驕、何如。(論語学而篇15)*
”貧乏でも卑屈にならず、富んでも威張らないのはどうでしょうね。” - 富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也。貧與賤、是人之所惡也。不以其道得之、不去也。(論語里仁篇5)*
”富と権力は誰でも欲しがる。だがまっとうなやり方でないとおじゃんになる。貧乏と差別は誰でも嫌がる。だがまっとうなやり方でないと抜け出せない。” - 好勇疾貧、亂也。(論語泰伯編10)’
”いばりんぼが貧乏に苦しむと暴れ出す。” - 邦有道、貧且賤焉恥也。邦無道、富且貴焉恥也。(論語泰伯編13)’
”まともな国で財産も地位も無いのは恥だが、まともでない国で地位も財産もあるのは恥だ。” - 貧而無怨、難。富而無驕、易。(本章)
”貧しくて怨まないのは難しい。富んで驕らないのは簡単だ。” - 君子憂道不憂貧。(論語衛霊公篇32)
”貴族は、生き方がまともかどうかを気を付けるべきで、貧乏を心配してはならない。” - 有國有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安。(論語季氏篇3)
”国や家の主は、不足ではなく不公平を気にかけるべきで、貧乏や不安定を気にしてはならない。”
これらの史実性は、当該ページに譲るが、ざっと言ってほとんどは偽作か焼き直しで、オリジナルがおそらく本章と思われる。余計なことが書いていないし、定州竹簡論語にも存在するからだ。
なお本サイトでは「貧」bʰi̯ən(平)を、「勻」ɡi̯wĕn(平)の音通であるとして解釈してきた。蛇足ながら「匀」(イン、カ音不明)とは別字である。

そして論語の時代=春秋時代には、事実上貨幣経済は無いものとしてこれまで論じてきた。その当否を語るには、数多くの専門書を読まねばならないが、今はその余裕が無い。従ってここで改めて、調べうる限りを記しておく。
まず大陸中国の「百度百科」には、こんな事が書いてある。
中国使用货币已有四千年历史,是世界上最早使用货币的国家之一。…金属货币:铜仿贝与钱镈(布)(黄帝后期黄河中下游开始充当等价物)。
中国での貨幣の使用には、四千年の歴史がある。これは世界でも、最も早く貨幣を使い始めた国の一つだ。…金属貨幣について、貝殻を真似た銅銭や、農具を象った布幣(黄帝時代後期、黄河下流域で商品交換にあてがわれ始めた)があった。(「货币」条)
黄帝の史実を語るのはニニギノミコトや神武天皇の実在を言うのに等しい。また百度百科のいう布幣の初め、空首布についてはこうある。
公元前六世纪后期,“贝币”已完全不能适应市场交换的需要了,买更贵重的东西,携带“贝币”的数量恐怕要肩挑,车推才能支付,这就造成了流通秩序的混乱。到了东周后期,这种单一的低面值的货币制度再也维持不下去了,东周国王下决心要改革货币制度,决定铸行大额“货币”与各种“贝币”并行。东周景王二十一年(公元前524年),国王不顾保守势力的反对,终于铸造出了大钱——“布币”。
紀元前六世紀後期、「貝幣」はすでに、市場交換の需要に全く対応できていなかった。さらに高額の取引に当たって、貝幣は担ぐには恐ろしくかさばり、車に乗せてようやく扱えた。その結果流通経済は混乱を来した。東周時代後期になると、このような低額の貨幣制度はもはや維持できなくなり、東周国王は貨幣制度の改革を決心した。高い価値を持つ「貨幣」の鋳造を決め、各種の「貝幣」と並行して流通させた。東周の景王二十一年(BC524)、国王は保守勢力の反対を振り切って、遂に大型の金属貨幣「布幣」を鋳造した。(百度百科「空首布」条)
BC524と言えば魯の昭公十八年、孔子28才に当たる。
| BC | 昭公 | 孔子 | 孔子の記事 | 魯の記事 | その他 |
| 525 | 17 | 27 | 魯に来た郯公から、有職故実を教わる | ペルシア、エジプトを征服してオリエント統一 | |
| 524 | 18 | 28 | 衛、火事あり | ||
| 522 | 20 | 30 | このころ、初期の弟子を取る。魯に来た斉の景公と問答。弟子の冉雍、冉求、宰我生まれる | 斉・景公と晏嬰、魯に行く | |
| 521 | 21 | 31 | 弟子の顔回生まれる | 昭公、晋に朝見しようとするも断られる |
ただしその典拠を百度百科は書いていない。そしてそのような貨幣の鋳造があったとは、『春秋左氏伝』には書いていない。だからどこまで信用していいか分からない。一方日銀金融研究所は、布幣の出現を「西周末期から春秋時代にかけて」というが、これも典拠が分からない。
論語を読む者としては、「春秋戦国時代」とひとからげにされては、参考にならず困るのである。上掲百度百科のページには、「東周」「春秋」と記された布幣の画像が掲げられてはいるのだが。この調査、折を見てまたまとめてみたい。
なお余談ながら、阿川弘之が海軍予備士官の教育を受けた時に、教官が何を思ったか頭のおかしな神主の「地方巡業中の一人」を講師に呼んで来て、皇国史観の講義をさせたらしい。教壇に立つや𠮷外は、変な節を付けて唱えだした。「アマァーテラスゥーオーミカミィ」。
だがつい先日までT大ソーケーあたりの学生だった候補生は、一斉にゲラゲラ笑い出して講義は破綻、教官から後で大目玉を食ったという(『海軍こぼれ話』)。同様の話は訳者の同級生でT大理Ⅰに行った者が、駒場の必修科目でカント哲学を取らされた時にもあったと聞く。
同類のメルヘンを言い回っているからには、中国の繁栄も長くはあるまい。共産党は宗教を否定するから科学的だ、などと言う者がいるが、それは赤い勉強が足りないと言うべきで、「英知ある共産党の無謬」という絵空事を疑われると困るから、同業を弾圧しているだけだ。
Мудрая партия большевиков.(英知ある党、ボルシェビキ)。ロシア共産党の党歌のリフレーン部分は、ほぼ同じ歌詞が翻訳されて、中国の別の曲にあてがわれて今なお歌われている。「没有共産党、就没有新中国!」(共産党無くして中国の未来は無い)。
それにかぶれた「唯物論の闘士・A教授」を、梅原猛がある京都の神社で正月に見つけた時、A教授は「しまった」という顔をしたという。そしておもむろに白状するには、「娘が今年、受験でなぁ…」。だが絵空事を言い立てて人を食い物にする奴に、神の加護はあるのだろうか?




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