論語:原文・書き下し
原文
原壤夷俟。子曰、「幼而不孫弟*、長而無述焉、老而不死、是爲賊。」以杖叩其脛。
校訂
武内本
邢本遜悌孫弟に作る。
定州竹簡論語
……[為賊]。」410……
復元白文(論語時代での表記)
壤俟 杖叩脛
※焉→安。論語の本章は赤字が論語の時代に存在しない。本章は漢帝国の儒者による創作である。
書き下し
原壤夷きて俟つ。子曰く、幼くし而孫弟らず、長け而述ぶること無き焉、老い而死せざる、是を賊と爲すと。杖を以て其の脛を叩く。
論語:現代日本語訳
逐語訳
原壤があぐらをかいて待った。先生が言った。「幼いときは年上を敬わず、成長してからは言うこともなかった。年老いて死なない。これは悪者である。」杖でそのすねを叩いた。
意訳
幼なじみの原壤の奴が「うちに来い」と言うので行ってやったら、あやつめ、あぐらをかいて出迎えよった。頭に来たので説教してやった。「ガキの頃からワル坊主で、大きくなってもろくな事をしてこなかった。今ジジイになっても図々しく生きていやがる。お前みたいなのを、穀潰しと言うんだ!」スネを二三回引っ叩いてやった。
従来訳
原壤が、両膝をだき、うずくまったままで、先師が近づかれるのを待っていた。先師はいわれた。――
「お前は、子供のころには目上の人に対する道をわきまえず、大人おとなになっても何一つよいことをせず、その年になってまだ生をむさぼっているが、お前のような人間こそ世の中の賊だ。」
そういって、杖で彼の脛をたたかれた。下村湖人『現代訳論語』
論語:語釈
原壤(ゲンジョウ)
論語の本章では、孔子の知人だろうと言うこと以外、古来誰だか分からない。読み下すと”原っぱの土”。
ただし『礼記』檀弓上篇に、以下のような伝説を載せる。
孔子之故人曰原壤,其母死,夫子助之沐槨。原壤登木曰:「久矣予之不托於音也。」歌曰:「貍首之斑然,執女手之卷然。」夫子為弗聞也者而過之,從者曰:「子未可以已乎?」夫子曰:「丘聞之:親者毋失其為親也,故者毋失其為故也。」
孔子之故人の原壌と曰うもの、其の母死して、夫子之を助けて槨を沐う。原壌木に登りて曰く、「久しい矣、予之音於托さ不る也」と。歌いて曰く、「狸首之斑然たる、女の手之巻くに執らわるは然るかな」と。夫子聞か弗るを為す也者、し而之を過ぎる。従者曰く、「子未だ以て已む可からざる乎」と。夫子曰く、「丘之を聞けり。親しき者は其の親しみを為すを失う毋き也。故き者は其の故きを為すを失う毋き也」と。
孔子の旧友で原壌という者がいて、母親を亡くしたので、先生は葬儀の手伝いに行って外棺の手入れをしていた。ところが原壌が木*に登って「長いこと、気持を歌っていなかったなー」と言って、歌い始めた。「ニャーニャーニャー、ぶち猫や。女に抱かれてごろんごろん。」先生は聞こえないふりをして作業を続けた。
弟子「何ですかあれは。さっさと帰りましょうよ。」
孔子「友人は、仲がいいから友人なんだ。旧友は、思い出を共有するから旧友なんだ。」
*木に登って:儒者の注釈では木を”ひつぎ”と解するが、例によって根拠が無い。
「壌」は論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、襄(ジョウ)は、中にまぜこむ、割りこむ意を含む。壤は「土+(音符)襄」で、まぜかえしたつち、という。詳細は論語語釈「壌」を参照。
夷(イ)
(甲骨文・金文)
論語の本章では、”あぐらをかく”。孔子の言う礼ほど煩瑣ではない当時の常識でも、人を迎えるときは正座するのがお作法だった。
俟(シ・キ)
(金文大篆)
論語の本章では”人を待ち受ける”こと。
幼
(金文)
論語の本章では”おさない”。初出は甲骨文。漢音も呉音も”おさない”意味では「ユウ」、「ヨウ」は慣用音。”かぼそい”意味では漢音呉音共に「ヨウ」。『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。幺(ヨウ)は、細く小さい糸。幼は「力+(音符)幺(ヨウ)」で、力の弱い小さい子、という。詳細は論語語釈「幼」を参照。
孫弟
(金文)
論語の本章では、”年上にへりくだる”こと。「孫」の字は「謙遜」の「遜」のように、音に”譲る”の意味があり、「弟」は弟として望ましい態度から、”年長に恭しい”の意味がある。
無述焉
(金文)
論語の本章では、「述」の解釈には複数ある。藤堂本では、「述べて作らず」(論語述而篇1)と同じく、”先人の教えを継承する”という。根拠のある説だが、単に”述べる”、つまり”お前については言うことがない”=”どうしようもない”ことではなかろうか。
なお文末に断定の「焉」が付いているから、”これまで言うに足りることを何もしてこなかった”という、すでに終わったことの観察を孔子は述べている。詳細は論語語釈「焉」を参照。
賊
(金文)
論語の本章では”わるもの”。なお『大漢和辞典』には稲などにとりつく”ずいむし”の意を載せており、”ごくつぶし”と解せる。なおイカをなぜ「烏の賊」と書くかは、『広東新語』現代語訳を参照。
杖
論語の本章では”つえ”。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。部品の「丈」は”つえ”の語義を持つが、初出は楚系戦国文字。古くは「枝」と書体が同じで、論語の時代は区別されていなかった可能性があるが、「枝」の初出は秦の隷書で、論語の時代に存在しない。
詳細は論語語釈「杖」を参照。
叩
論語の本章では”叩く”。論語では本章のみに登場。初出は不明。論語の時代に確認できない。同音同訓の扣(上/去)の初出は楚系戦国文字で、論語の時代に存在しない。部品の卩(カ音不明)は甲骨文から存在するが、”たたく”の語義は『大漢和辞典』に無い。
『学研漢和大字典』によると形声文字で、卩印は、人間の動作を示す、という。詳細は論語語釈「叩」を参照。
脛(ケイ・コウ)
(金文大篆)
論語の本章では”すね”とも”ふくらはぎ”とも取れる。どちらかには確定する手段がない。論語では本章のみに登場。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。同音多数だが、語義を共有する漢字は存在しない。
『字通』では月(にくづき)+つくり巠で、巠を織機のたて糸を張る形とし、上下の緊張した力の関係を示すとする。さらに『説文解字』を引いて、ふくらはぎを含むあしのすねの部分という。
『学研漢和大字典』では、漢字の構造は同じとしながら、茎(まっすぐなくき)-径-頸(まっすぐなくび)と同系とし、直線上に縦に通ったという基本義を含むという。これに従うなら”すね”。詳細は論語語釈「脛」を参照。
論語:付記
論語の本章は、孔子にも友人がいたことを示すが、上記の検証通り漢帝国の儒者による創作。本章に限れば、いささか残念な気がする。
訳者は武道のうち、体術では合気、武器術では棒術が気に入り、随分稽古したが、棒は手加減が難しい。「あ、折っちゃった」ということがあり得る。孔子の時代、兵卒が持つ武器はポールウェポンが主力だったから、武術師範の孔子はほぼ確実に、棒術の達人である。
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