論語:原文・書き下し
原文
子曰、「賢者辟*世、其次辟*地、其次辟*色、其次辟*言。」
校訂
武内本
唐石経、避を辟に作る。
定州竹簡論語
……世,其次……色,其次辟言。」子曰:403……
復元白文(論語時代での表記)
書き下し
子曰く、賢者は世を辟く、其の次は地を辟く、其の次は色を辟く、其の次は言を辟く。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。「賢者は世の中を避ける。その次は土地を避ける。その次は顔色を避ける。その次は言葉を避ける。」
意訳
賢者は世の中を厭い、隠れ住む。次に賢い者は嫌な土地から出ていく。次に賢い者は他人の顔色を見て、危険人物と思えば逃げ出す。しかし愚か者は、危険人物が危険なことを言っても、身に危害が及ぶまで分からない。〔次章:そう説教したら、土地や地位から逃げ出した者が七人いた。〕
従来訳
先師がいわれた。――
「賢者がその身を清くする場合が四つある。世の中全体に道が行われなければ、世をさけて隠棲する。ある地方に道が行われなければ、その地方をさけて、他の地方に行く。君主の自分に対する信任がうすらぎ、それが色に出たら、その色をさけて隠退する。君主の言葉と自分の言葉とが対立すれば、その言葉をさけて隠退する。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「賢者逃避渾濁的社會,其次逃避動蕩的地域,再次避鄙視的目光,最次逃避惡毒的人言。」孔子說:「這樣做的有七個人。」
孔子が言った。「賢者は濁った社会から逃げ出し、その次は騒がしい土地から逃げ出し、その次は軽蔑する視線を避け、最後の次は毒の有る人の言葉から逃げ出す。」(次章:孔子「このようにした者が七人居た。」)
論語:語釈
賢
(金文・篆書)
論語では”賢者・賢い人”の意味と、”すぐれる・まさっている”という形容動詞として使われている。本章では「賢者」二文字で、”賢い人”の意味。詳細は論語語釈「賢」を参照。
辟(ヘキ)
(甲骨文・金文)
甲骨文の頃からある古いことばで、「避」の字の原字。
『字通』によると尸(人の側身)+口(切り出した肉片)+辛(取っ手のある細身の曲刀)で、人の腰から肉を切り取る刑罰が原義。取り去ることから、”去る・避ける”の意味になる。
さらにその刑を受けた神の奴隷へと派生し、西周時代には祭祀やまつりごを助ける諸侯へと意味が転じ、”仕える”意味が生まれた。また刑罰から転じて法則を意味し、”治める”の意が生まれ、側辟=”いやしい・曲がりかがむ”の意が生まれた。詳細は論語語釈「辟」を参照。
世
(金文・篆書)
論語の本章では”世の中・世間”。字通では、草木の枝葉が分かれて、新芽が出ている形。新しい世代を言う。〔説文〕では、三十年を一世という、とある。詳細は論語語釈「世」を参照。
次
(甲骨文・金文)
論語の本章では、”その次”。『字通』では、人がため息をついて嘆く姿。口から気がもれている形。繰り返し神に訴えることから、”つぎ”の意になったのだろうと推定している。
(金文大篆)
学研漢和大字典では、「二(並べる)+欠(人が体をかがめたさま)」で、ざっと身の回りを整理して休むこと。軍隊の小休止の意。整理することから、次第、順序の意になったという。詳細は論語語釈「次」を参照。
地
(甲骨文・金文)
論語の本章では”土地”。
『字通』によると声符は也で、也に池や馳せるの意味がある。古い字体は神が降りるはしごのかたわらに、生け贄の犬を置いた姿で、神が降りてくる土地。神が降りる地面を墜というが、墜が墜落の意味で使われるようになったので、地の字が作られたという。詳細は論語語釈「地」を参照。
確かに金文を見ると、倒れているのはけものだが、甲骨文を見ると、人が倒れているように見えて仕方がない。甲骨文を用いた殷王朝は、むやみに捕虜をいけにえにして殺したから、それを表しているのかも。
色(ソク)
(金文)
論語の本章では”(他人の)表情”。初出は西周早期の金文。「ショク」は慣用音。呉音は「シキ」。金文の字形の由来は不詳。原義は”外見”または”音色”。詳細は論語語釈「色」を参照。
言(ゲン)
(甲骨文)
論語の本章では”(他人の)ことば”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。
論語:付記
従来訳の注に、「本章は原文が極めて簡単で、ほとんどその意味が捕捉されない。古来の諸説を參考にして説明的に訳して見た」という。なるほどその通りで、論語は短い言葉・現代語でも使われるような漢字で構成された言葉ほど、意味が分からない。
このような場合に、従来訳筆者の時代ではまだ辞書が整備されていなかったから、新古の儒者の解釈=個人的感想を参考にするしかなかったのだが、今では漢字学も進んで、儒者の個人的感想からは自由な解釈を追い求めることが出来る。この意味ではいい時代になったものだ。
「賢者辟世」とは、世間から隠れ住む隠者を言うのだろうが、儒者的解釈からすると、孔子の教説と隠者をよしとする道家の教えは相容れないはずだから、これはおかしいという判断になる。実際論語にも、「私は隠者にはならない」との言葉が記されている(論語微子篇8)。
しかし論語を読む限り、孔子は隠者にはならなかったが、隠者を丁重に扱っており、いつも通りの辛口の評論を言っていない。さらに顔淵のように、まちに住みながら隠者のような生活を送った者を「賢」と高く評価している。ただし顔淵は、必要からそうしたのだが。
顔淵は顔氏一族の重鎮として、孔子一門の諜報部門を担っていた(孔門十哲の謎)。目出つスパイほど危険なものはないから、隠れざるを得なかった。だがそうやって隠れながら、一門に多大の貢献をしたからこそ、孔子は賢者と評したわけ。
だが孔子自身は塾経営者であり弟子の口入れ屋だから、隠れるわけにいかない。次に「其次辟地」だが、これは論語泰伯編13で、「危ない国には入るな」と言ったことから、暴君や戦乱のある国には仕えるな、仕えていたら出て行け、という教え。
そうでない国に仕える者で、ましな者は「其次辟色」、言われずとも君主の意向を察して身を避けるべきで、「其次辟言」=「そこに直れ。成敗する」になってからでは遅いかも知れない。だからこそ孔子は、人間観察の重要性を弟子に教えた(論語為政篇10)に違いない。
しかし危ない者は、何も君主だけとは限らない。政界官界には古今東西、揚げ足取りや告げ口屋がわだかまっている、これは論語の時代も変わらない。現代社会のあちこちでも、同じだと諸賢は思われるだろう。だから孔子は君主に限らず、人の顔色をよく観察しろと言った。
観察にはそれなりの年季が要るが、今しゃべっていることと全然違うことを思っているのを、隠し通すのは難しい。ただし、観察者が話者に何らかの願望を抱いている場合、都合のいいように解釈してしまう。だから隠者のように欲を捨てないと、人の腹の中は探りがたいわけ。
なお本章はもともと次章と一つだったと思われるが、詳細は次章で。
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