論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす
原文
子貢曰、「貧而無諂、富而無驕、何如。」子曰、「可也、未若貧而樂*、富而好禮者也」。子貢曰、「詩云如切如磋、如琢如磨。其斯之謂與。」子曰、「賜也、始可與言詩已矣。吿諸往而知來者*。」
校訂
武内本
清家本により、楽の下、道を補う。者の下、也を補う。
定州竹簡論語
……樂a,富而好禮者也。子b曰:「《詩》云:『如切如磋,如琢如磨』,1……
- 皇侃『論語義疏』(以下簡称「皇本」)、高麗本、日本足利本、『史記』仲尼弟子列伝、孔安国注、邢疏、「樂」下皆有「道」字、阮元『十三経注疏』本(以下簡称「阮本」)「樂」下無「道」字。
、今本多作「貢」、漢石経作「贛」。以下同。『説文』云、「貢、献功也。」「贛、賜也。」段注云、「端木賜字子贛、凡作子貢者、亦皆後人所改。
、貢皆贛之省。」
→子曰、「貧而無諂、富而無驕、何如。」子曰、「可也、未若貧而樂、富而好禮者也」。子
曰、「詩云如切如磋、如琢如磨。其斯之謂與。」子曰、「賜也、始可與言詩已矣。吿諸往而知來者。」
復元白文
磋
琢
磨
※→江・貧→勻・諂→臽・富→畐・驕→喬・詩→辭・矣→以。本章は赤字が金文以前に遡れない。也の字を断定で用いている。論語の本章は、”みがく”ことについて言葉が細分化され別の意味が発生した戦国時代以降の捏造である。
書き下し
子貢曰く、貧しくし而諂う無く、富み而驕る無きは、如何。子曰く、可ろしき也も、未だ貧しくし而樂むに若かざり、富み而禮を好む者也。子貢曰く、詩に云く、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ之を斯くの謂與。子曰く、賜也、始めて興に詩を言ふ可き已矣、諸に往けるを吿げ而來たるを知る者なり。
論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす
逐語訳
子貢が言った。「貧しくてへつらわない。富んでおごらない。こういうのはどうでしょう。」
先生が言った。「悪くない。しかし貧しくて楽しむ者には及ばず、富んで礼法を好む者に過ぎない。」
子貢が言った。「『詩経』にあります。切るようにこするように磨くように研ぐように、と。人もそうやって自分を磨くのですか。」
先生が言った。「賜よ。共に詩を語ることが出来るようになったな。お前は過去の事情を告げて、未来を知ったのだな。」
意訳
子貢「世の中には顔回のような、貧乏でもプライドの高い者がいます。でも私のように威張らない金持ちの方が、立派じゃないですかね。」
孔子「威張らぬ金持ちも悪くない、が、顔回のように貧乏を楽しむ貧乏人には及ばない。浮ついた金でウチのような礼法教室に通ってくる、お前みたいな小金持ちに過ぎないね。」
子貢「はぁ。顔回は♪原石は~、よ~く磨くと玉になる~。みたいに自分を磨いたんですかね。」
孔子「よしよし。お前も歌ごころが分かるようになったな。あの古い歌の通りに磨くと、お前もそのうち、顔回みたいな立派な人間になれるぞよ。」
従来訳
子貢が先師にたずねた。――
「貧乏でも人にへつらわない、富んでも人に驕らない、というほどでしたら、立派な人物だと思いますが、いかがでしょう。」
先師がこたえられた。――
「先ず一とおりの人物だといえるだろう。だが、貧富を超越し、へつらうまいとか驕るまいとかいうかまえ心からすっかり脱却して、貧乏してもその貧乏の中で心ゆたかに道を楽しみ、富んでもごく自然に礼を愛するというような人には及ばないね。」
すると子貢がいった。――
「なるほど人間の修養には、上には上があるものですね。詩経に、切るごとく、
磋るごとく、
琢つごとく、
磨くがごとく、
たゆみなく、
道にはげまん。とありますが、そういうことをいったものでございましょうか。」
先師は、よろこんでいわれた。――
「賜よ、お前はいいところに気がついた。それでこそ共に詩を談ずる資格があるのだ。君は一つのことがわかると、すぐつぎのことがわかる人物だね。」
現代中国での解釈例
子貢說:「貧窮卻不阿諛奉承,富貴卻不狂妄自大,怎樣?」孔子說:「可以。不如窮得有志氣,富得有涵養的人。」子貢說:「修養的完善,如同玉器的加工:切了再磋,琢了再磨,對吧?」孔子說:「子貢啊,現在可以與你談詩了。說到過去,你就知道未來。」
子貢が言った。「貧乏なのに却っておもねらずご機嫌を取らず、富貴なのに却って自分が偉いと妄想しない。〔こういうのは〕どうでしょうか。」
孔子が言った。「悪くは無い。〔だが〕追い詰められて志を保ち、富んで教養のある人には及ばない。」
子貢が言った。「修養の完成とは、玉の加工と同じように、切っては磨き、彫っては研ぐ。正しいですか?」
孔子が言った。「子貢よ。今、お前と共に詩を語れるようになった。過去について説明すると、お前はすぐに未来を理解する。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
子貢
(金文)
孔子の弟子。論語の人物:端木賜子貢参照。
貧
(楚系戦国文字・篆書)
論語の本章では”貧しい”。カールグレン上古音はbʰi̯ən。同音に牝(メス)。
この文字は論語以前の甲骨文や、同時代の金文には見られず、戦国時代の楚・秦の文字として現れる。これは論語の本章が、後世の創作である可能性を示唆する。ただし近音に「勻」があり、”少ない”の語釈がある。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「貝+(音符)分」で、財貨を分散しつくして、乏しくなったことをあらわす、という。『字通』もほぼ同じ。詳細は論語語釈「貧」を参照。
諂(テン)
(金文大篆)
論語の本章では、こびへつらいのうち、”相手を落とし穴にはめるようなへつらい”。カールグレン上古音はtʰi̯æm。同音は存在しない。この文字は、論語以前の甲骨文字、同時代の金文、戦国文字、古文には確認できない。上掲の金文大篆は出典が不明で、早くとも秦代以降にしかさかのぼれない。
論語時代の置換候補は臽(カン・おとしいれる)。詳細は論語語釈「諂」を参照。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「言+〔音符〕臽(カン)・(タン)(くぼむ、穴におとす)」。わざとへりくだって、相手を穴におとすこと。
貧而無諂
”貧乏だがヘコヘコしない”。古注によれば、子貢は暗に顔回を指している。ところが孔子にとって顔回は、ただプライドが高いだけの貧乏人ではなく、貧乏そのものを楽しめる、とんでもなく上出来の人物だった。ゆえに「貧而樂」(貧しくして楽しむ)と言った。
富
(金文・篆書)
論語の本章では”富む”。この文字の初出は戦国時代の金文で、論語の時代に存在しない。カールグレン上古音はpi̯ŭɡ。同音に不、否。部品の畐(カ音・藤音不明)に”満ちる”の語釈を『大漢和辞典』が載せており、甲骨文から存在する。詳細は論語語釈「富」を参照。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字。畐(フク)は、中にいっぱい酒を詰めたとっくりの形を描いた象形文字。富は「宀(いえ)+(音符)畐」で、家の中がいっぱいに満ちること。
驕(キョウ)
(秦系戦国文字)
論語の本章では”おごり高ぶる”。カールグレン上古音はki̯oɡ。同音部品に喬。
この文字は甲骨文・論語時代の金文は未発掘で、戦国時代の秦の国で初めて現れる。論語の時代には「喬」と書き分けられていなかった。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「馬+(音符)喬(キョウ)(高くのびて先が曲がる)」。背の高い馬。また、高く上に出て、他を見さげること。橋(高く曲がったはし)・撟(キョウ)(高くかかげる)と同系のことば、という。詳細は論語語釈「驕」を参照。
富而無驕
論語の本章では、”金持ちだが威張らない”。
古注によれば、子貢は暗に自分を指している。子貢が孔子や塾生たちの経済支援をしつつも驕らない人だったことは、孔子没後反対派閥が後継となったにもかかわらず、「子」という敬称を取り払われず、十哲からも外されなかったことから想像できる。
しかし孔子はそんな子貢を、「カルチャーとかに通ってくる小金持ち(富而好禮者=富みて礼を好む者)のたぐいだ」とやりこめたわけ。
也
論語の本章の句末では、”…である”という断定。これは戦国時代以降の語法。詳細は論語語釈「也」を参照。
未若貧而樂、富而好禮者也
「楽」(金文)
論語本章の読み方には二種類ある。
未だ貧しくして楽しみ、富みて礼を好む者に若かざる也。
貧しくても楽しみ、かつ富んだら礼を好む者、には及ばない。
未だ貧しくして楽しむに若かざり、富みて礼を好む者也。
貧しくても楽しむ者に及ばない。富んだら礼を好む者だ。
古注を参照すると、論語の本章は、子貢が自分と顔回とを比較したものという。しかし上下どちらの読みでそう判断したのかははっきりしない。ただ、もし顔回との比較とするなら、貧しくても楽しむ顔回と、富んで礼を好む子貢との対比になると読むには、下しかない。
新注は上を支持しているようだ。「子貢はかつて貧しく、金儲けに励んで富んだのだろう」と朱子の個人的感想を言っている。しかしそうするなら、「貧しくても楽しみ、富んだら礼を好む者に」子貢はすでになっているわけで、「及ばない」わけではないから理屈が通らない。
それともあれだろうか、新古の儒者はそろって、子貢は富んだが礼を好まない愚か者だとでも言いたいのだろうか。「人は過去の人物を言いたい放題言う。だから君子はそういうゴミ溜めには近寄らないものだ」(論語子張篇20)と子貢が言った通りの結果になった?
漢文は対句を重んじる言語。五文字五文字で釣り合いを取った読みの方に理がある。いずれにせよ従来の読み下しは、句読は間違っていないが返り点を付け間違っている。これはまるまる中国の儒者のせいではなく、朱子とそれを有り難がった日本の儒者と漢学者の怠慢。
従来訳がどんな読み下しをして、上記のような現代語訳に至ったかは不明なので、筆者の下村氏が教育を受けた戦前の、論語の権威で東京帝国大学教授・宇野哲人博士の本を参照する。

「未だ貧しうして楽しみ、富んで礼を好む者に若かざるなり。」
しかし、まだ貧富を超越してはいない。貧乏しても貧乏を忘れて泰然自得して楽しんでおり、富んでも富を忘れて善に拠り理に循って礼を好む者には及ばない。(『論語新釈』)
孔子が言ってもいない超越だの泰然だの善に拠りだのは、新古の注の受け売りだが、上の読みをしている。しかし顔回は一生貧乏だったから、「富んで礼を好む」者ではない。子貢と顔回の対比話はどこへ? つまり儒者の受け売りをするにもいいとこ取りをしたということだ。
しかしだからこそ、余計なごてごてを付けざるを得ないハメになった。読者は余計にわけが分からない。おそらくは、江戸儒者あたりの返り点が間違っていたのと、新古注の儒者の個人的感想の間にある断絶を無理に混ぜて、どうにか繕ってみました、ということだろう。
可
(金文)
論語の本章では”悪くない”。積極的に褒める意味はない。日本古語の「よろし」に相当する。
『学研漢和大字典』によると会意文字で、「屈曲したかぎ型+口」。訶(カ)や呵(カ)の原字で、のどを屈曲させ声をかすらせること。屈曲を経てやっと声を出す意から、転じて、さまざまの曲折を経てどうにか認める意に用いる。
詳細は論語語釈「可」を参照。
詩
(楚系戦国文字)
論語では『詩経』を指すことが多い。詩は眺めるものではなくて歌うもので、”歌詞”と解した方がいい。カールグレン上古音ɕi̯əɡで、同音に邿(国名・山名:金文あり)、始(:金文あり)、試、弒(主君を殺す)、幟。
「詩」の語源は『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、之(シ)(いく)は、止(とまる)と同じく、人の足を描いた象形文字で、直線状に進む、直下に停止する、の意を含む。寺は「寸(手)+〔音符〕之」からなり、手でおし進める、手をじっととめる(持)の両方の意を含む。
詩は「言+〔音符〕寺」で、心の進むままをことばであらわしたもの(叙情詩)、心の中にとまった記憶をことばにしてとどめたもの(叙事詩)の両方の意を含む、という。
その通り、上掲戦国文字がとなっているように、「詩」という文字は論語の時代には無かった。秦漢帝国以降になって現れた文字である。だが言葉はあったに違いない。そうでないと論語も、同時代の資料である『春秋左氏伝』も、最古の古典の一つである『詩経』(『毛詩』)も、一気に崩壊してしまうからだ。そもそも、”うた”の無い人類集団が、ただの一つもあり得るだろうか。
(金文大篆)
恐らく論語の時代頃までは、「詩」は「辭(=辞)」と書かれた。詳細は論語語釈「詩」を参照。
切・磋・琢・磨
切磋琢磨ともに”切る・磨く”の意だが、切の字を除き論語の時代には存在しない。「切」の字が現れるのは後漢の『説文解字』からだが、それ以前は「七」と書き分けられていなかった。七の字は、甲骨文から存在する。
『詩経』の「伝」(注釈)によれば、それぞれ、骨、象牙、玉、石の加工。武内本はこれをコピペして「切磋琢磨とは骨象玉石を磨くこと。転じて学問修養により人品を向上せしむる意」と記す。詳細は論語語釈「切磋琢磨」を参照。
賜(シ)
(金文)
論語の本章では、子貢の本名。姓は端木。
(金文)
「賜」の語源は『字通』によると酒器の爵に注ぐ象形という。
『学研漢和大字典』によると会意兼形声文字で、「貝+〔音符〕易(イ)・(シ)(おしのばす、おしやる)」で、自分の前にある物を相手の前におしやること。転じて、たまわる意となった。
錫(セキ)(うすくおしのばす金属)と同系のことばという。詳細は論語語釈「賜」を参照。
吿/告
(金文)
論語の本章では”告げる・説明する”。
『学研漢和大字典』によると、会意。「牛+囗(わく)」。梏(コク)(しばったかせ)の原字。これを、上位者につげる意に用いるのは、号や叫と同系のことばに当てた仮借字、という。詳細は論語語釈「告」を参照。
吿諸往而知來者
直訳すると”過去を告げれば、未来を知る者”。
「諸」は「之於」を略した言葉で、”…を…に”の意。
唐突の感があって文脈を繋ぎにくく、従来訳のように苦しい訳をせざるを得ないようだ。ここでは過去=子貢が引用した『詩経』の古いうたにある修行、未来=子貢が目指すべき、『詩経』がうたい、また顔回が実践したあるべき君子の姿、と解した。
論語:解説・付記
論語の本章は、文字の新しさからおそらく後世の創作で、「切磋琢磨」で有名ではあるが、史実でないか、相当に潤色された話だと思われる。そして全文が全部とは言わないが、論語の前半は曽子・有若→孟子派の影響が強い。おそらくは彼らによる悪意ある作文だろう。
悪意とは敵対派閥のボスである子貢に対するもので、本章は子貢を貶めるためのフェイクニュースのたぐい。だから始めの子貢の問いに対し、孔子は「可也、未若貧而樂、富而好禮者也」と答えたが、この事情を考えると、従来訳はあまりに脳天気に過ぎる。

先ず一とおりの人物だといえるだろう。だが、貧富を超越し、へつらうまいとか驕るまいとかいうかまえ心からすっかり脱却して、貧乏してもその貧乏の中で心ゆたかに道を楽しみ、富んでもごく自然に礼を愛するというような人には及ばないね。

悪くない、が、貧乏を楽しむ貧乏人の、顔回には及ばない。富んだ金でウチのような礼法教室に通ってくる、お前のような小金持ちに過ぎないね。
子貢は一門きってのアキンドであり、財産家だった。したがって本章は、「私は金持ちですがこうやって、先生の前でへりくだっています。どうでしょうか」というニュアンスを含むと見るべき。それに対して孔子は、「それでは足りぬ」と言った。
これを従来の論語本では、「文化人になれ」という教えだと吉川本は解する。また「吿諸往而知來者」は、”私の教えを聞いて即座にふさわしい詩の引用をしたお前は偉い”と解している。しかし博士は常に断言しない。論語業界は京大教授も口ごもる、怖い世界でもあるらしい。
ところで「プライドの高い貧乏人」として、論語では二人が挙げられる。一人は顔回であり、孔子が感心するほど貧乏暮らしを楽しんだ。もう一人は原憲であり、孔子没後に困窮していた原憲を、子貢が訪ねるエピソードがある。

元 趙孟頫 甕牖図 国立故宮博物院蔵
また論語の本章で、子貢が引用した詩は以下の通り。読み下しは吉川本による。
(彼の淇の川の奧を瞻れば、綠の竹の猗猗と美し)
有匪君子、如切如磋、如琢如磨。
(有にも匪けき君子は、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨くが如し)
『詩経』衛風 淇奧 第一章
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