論語詳解015学而篇第一(15)貧しくして*

論語学而篇(15)要約:弟子一番のお金持ち、子貢が、弟子一番の出来物、顔回との比較を先生に問う話。しかし「お前は所詮小金持ちだ」とぺしゃんこにされてしまいます。孔子先生は落ち込んだ子貢を、また持ち上げ励ましたのでした。

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論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子貢曰、「貧而無諂、富而無驕、何如。」子曰、「可也、未若貧而樂*、富而好禮者也」。子貢曰、「詩云如切如磋、如琢如磨。其斯之謂與。」子曰、「賜也、始可與言詩已矣。吿諸往而知來者*。」

校訂

武内本

清家本により、楽の下、道を補う。者の下、也を補う。

定州竹簡論語

……樂a,富而好禮者也。子貢 外字b曰:「《詩》云:『如切如磋,如琢如磨』,1……

  1. 皇侃『論語義疏』(以下簡称「皇本」)、高麗本、日本足利本、『史記』仲尼弟子列伝、孔安国注、邢疏、「樂」下皆有「道」字、阮元『十三経注疏』本(以下簡称「阮本」)「樂」下無「道」字。
  2. 貢 外字、今本多作「貢」、漢石経作「贛」。以下同。『説文』云、「貢、献功也。」「贛、賜也。」段注云、「端木賜字子贛、凡作子貢者、亦皆後人所改。貢 外字、貢皆贛之省。」

→子貢 外字曰、「貧而無諂、富而無驕、何如。」子曰、「可也、未若貧而樂、富而好禮者也」。子貢 外字曰、「詩云如切如磋、如琢如磨。其斯之謂與。」子曰、「賜也、始可與言詩已矣。吿諸往而知來者。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文江 金文曰 金文 而 金文無 金文 富 甲骨文而 金文無 金文喬 金文 何 金文如 金文 子 金文曰 金文 可 金文也 金文 未 金文若 金文而 金文楽 金文 富 甲骨文而 金文好 金文礼 金文者 金文也 金文 子 金文江 金文曰 金文 辞 金文云 古文如 金文七 金文如 金文差 金文 如 金文如 金文 其 金文斯 金文之 金文謂 金文与 金文 子 金文曰 金文 賜 金文也 金文 始 金文可 金文与 金文言 金文辞 金文已 金文㠯 以 金文 告 金文者 諸 金文往 金文而 金文智 金文来 金文者 金文

貢 外字→江・富→(甲骨文)・驕→喬・詩→辭・磋→差・矣→以。本章は赤字が論語の時代に存在しない。「何」「如」「也」「未」「云」「其」「之」「與」「始」「已」「諸」「往」「來」の用法に疑問がある。論語の本章は、戦国時代以降、おそらくは後漢末から三国にかけての儒者による捏造である。

書き下し

子貢しこういはく、まづしくしへつらく、おごきは、如何いかんいはく、ろしきなるも、いままづしくしたのしむにごとかざり、れいこのものなり子貢しこういはく、いはく、せつするがごとするがごとく、たくするがごとするがごとしとは、これくのいひいはく、はじめてとも已矣のみこれけるをたるをものなり。

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

子貢 孔子
子貢が言った。「貧しくてへつらわない。富んでおごらない。こういうのはどうでしょう。」
先生が言った。「悪くない。しかし貧しくて楽しむ者には及ばず、富んで礼法を好む者に過ぎない。」

子貢が言った。「『詩経』にあります。切るようにこするように磨くように研ぐように、と。人もそうやって自分を磨くのですか。」
先生が言った。「賜よ。共に詩を語ることが出来るようになったな。お前は過去の事情を告げて、未来を知ったのだな。」

意訳

ニセ子貢 孔子 人形
子貢「世の中には顔回のような、貧乏でもプライドの高い者がいます。でも私のように威張らない金持ちの方が、立派じゃないですかね。」

孔子「威張らぬ金持ちも悪くない、が、顔回のように貧乏を楽しむ貧乏人には及ばない。うわついた金でウチのような礼法教室に通ってくる、お前みたいな小金持ちに過ぎないね。」

子貢「はぁ。顔回は♪原石は~、よ~く磨くと玉になる~。みたいに自分を磨いたんですかね。」

孔子「よしよし。お前も歌ごころが分かるようになったな。あの古い歌の通りに磨くと、お前もそのうち、顔回みたいな立派な人間になれるぞよ。」

従来訳

下村湖人
子貢が先師にたずねた。――
「貧乏でも人にへつらわない、富んでも人に驕らない、というほどでしたら、立派な人物だと思いますが、いかがでしょう。」
先師がこたえられた。――
「先ず一とおりの人物だといえるだろう。だが、貧富を超越し、へつらうまいとか驕るまいとかいうかまえ心からすっかり脱却して、貧乏してもその貧乏の中で心ゆたかに道を楽しみ、富んでもごく自然に礼を愛するというような人には及ばないね。」
すると子貢がいった。――
「なるほど人間の修養には、上には上があるものですね。詩経に、

()るごとく、
()るごとく、
()つごとく、
(みが)くがごとく、
たゆみなく、
道にはげまん。

とありますが、そういうことをいったものでございましょうか。」
先師は、よろこんでいわれた。――
()よ、お前はいいところに気がついた。それでこそ共に詩を談ずる資格があるのだ。君は一つのことがわかると、すぐつぎのことがわかる人物だね。」

現代中国での解釈例

子貢說:「貧窮卻不阿諛奉承,富貴卻不狂妄自大,怎樣?」孔子說:「可以。不如窮得有志氣,富得有涵養的人。」子貢說:「修養的完善,如同玉器的加工:切了再磋,琢了再磨,對吧?」孔子說:「子貢啊,現在可以與你談詩了。說到過去,你就知道未來。」

中国哲学書電子化計画

子貢が言った。「貧乏なのに却っておもねらずご機嫌を取らず、富貴なのに却って自分が偉いと妄想しない。〔こういうのは〕どうでしょうか。」孔子が言った。「悪くは無い。〔だが〕追い詰められて志を保ち、富んで教養のある人には及ばない。」子貢が言った。「修養の完成とは、玉の加工と同じように、切っては磨き、彫っては研ぐ。正しいですか?」孔子が言った。「子貢よ。今、お前と共に詩を語れるようになった。過去について説明すると、お前はすぐに未来を理解する。」

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

、「 。」 、「 」。 、「《、『 。』 。」 、「 。」

子貢(シコウ)

子貢 問い

孔子の弟子。政才・商才にもっともすぐれ、孔子没後は東方の大国・斉の宰相になったとされる。論語の人物:端木賜子貢を参照。「貢」の字は論語の時代に存在しないが、置換候補として「江」などがある。詳細は論語語釈「貢」を参照。

曰(エツ)

曰 甲骨文 曰 字解
(甲骨文)

論語で最も多用される、”言う”を意味する言葉。初出は甲骨文。原義は「𠙵」=「口」から声が出て来るさま。詳細は論語語釈「曰」を参照。なお「曰」を「のたまわく」と読み下す例がある。「言う」→「のたまう」の敬語化だが、漢語の「曰」に敬語の要素は無い。古来、論語業者が世間から金をむしるためのハッタリで、現在の論語読者が従うべき理由はないだろう。詳細は論語と日本儒教史を参照。

貧(ヒン)

貧 楚系戦国文字 曽子
(楚系戦国文字)

論語の本章では”貧しい”。初出は楚系戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。字形は「分」+「貝」で、初出での原義は確認しがたい。「ビン」は呉音。詳細は論語語釈「貧」を参照。

而(ジ)

而 甲骨文 而 解字
(甲骨文)

論語の本章では”それでなお”。初出は甲骨文。原義は”あごひげ”。金文になると、二人称や”そして”の意に転用され、原義では用いられなくなった。英語のandに当たるが、「A而B」は、AとBが分かちがたく一体となっている事を意味し、単なる時間の前後や類似を意味しない。詳細は論語語釈「而」を参照。

無(ブ)

無 甲骨文 無 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…しない”。初出は甲骨文。「ム」は呉音。甲骨文の字形は、ほうきのような飾りを両手に持って舞う姿で、「舞」の原字。その飾を「某」と呼び、「某」の語義が”…でない”だったので、「無」は”ない”を意味するようになった。論語の時代までに、”雨乞い”・”ない”の語義が確認されている。戦国時代以降は、”ない”は多く”毋”と書かれた。詳細は論語語釈「無」を参照。

諂(テン)

諂 隷書 臽 金文
(隷書)/「カン」(金文)

論語の本章では、こびへつらいのうち、”相手を落とし穴にはめるようなへつらい”。初出は前漢の隷書。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補も無い。同音は存在しない。字形は「言」+「カン」”落とし入れる”で、言葉で人を落とし入れること。詳細は論語語釈「諂」を参照。

貧而無諂

顔回
”貧乏だがヘコヘコしない”。古注によれば、子貢は暗に顔淵(顔回)を指している。ところが孔子にとって顔淵は、ただプライドが高いだけの貧乏人ではなく、貧乏そのものを楽しめる、とんでもなく上出来の人物だった。ゆえに「貧而樂」(貧しくして楽しむ)と言った。

孔子 褒める
顔回はえらいなあ。粗食に粗末な住まいの生活だが、常人なら耐えられまいに、顔回は気にも留めずに貧乏生活を楽しんでいる。本当にえらいなあ。(論語雍也篇11)

ただしこの雍也篇の章は後世の偽作で、顔淵神格化を推し進めたのは、おそらく前漢の董仲舒。論語先進篇3付記を参照。

富 甲骨文 富 字解
(甲骨文)

論語の本章では”富む”。初出は甲骨文。字形は「冖」+「酉」”酒壺”で、屋根の下に酒をたくわえたさま。「厚」と同じく「酉」は潤沢の象徴で(→論語語釈「厚」)、原義は”ゆたか”。詳細は論語語釈「富」を参照。

驕(キョウ)

驕 睡虎地秦墓竹簡 驕 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”おごり高ぶる”。現行書体の初出は秦系戦国文字で、論語の時代に存在しない。ただし論語の時代には部品で同音の「喬」と書き分けられていなかった。字形は「馬」+「喬」”たかい”。馬が跳ね上がったさま。詳細は論語語釈「驕」を参照。

富而無驕

論語の本章では、”金持ちだが威張らない”。

古注によれば、子貢は暗に自分を指している。子貢が孔子や塾生たちの経済支援をしつつも驕らない人だったことは、孔子没後反対派閥が後継となったにもかかわらず、「子」という敬称を取り払われず、十哲からも外されなかったことから想像できる。

しかし孔子はそんな子貢を、「カルチャーとかに通ってくる小金持ち(富而好禮者=富みて礼を好む者)のたぐいだ」とやりこめたわけ。

何(カ)

何 甲骨文 何 字解
(甲骨文)

論語の本章では”なに”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「人」+”天秤棒と荷物”または”農具のスキ”で、原義は”になう”。甲骨文から人名に用いられたが、”なに”のような疑問辞での用法は、戦国時代の竹簡まで時代が下る。詳細は論語語釈「何」を参照。

如(ジョ)

如 甲骨文 如 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…のような(もの)”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「口」+「女」。甲骨文の字形には、上下や左右に部品の配置が異なるものもあって一定しない。原義は人の言葉に従うこと。詳細は論語語釈「如」を参照。

何如(いかん)

何如 字解 如何 字解

論語の本章では”どうでしょう”。「何」が「如」=”同じ”か、の意。対して「如何」は”どうしましょう”・”どうして”。

  • なにしたがう」→何が従う→”どうでしょう”
  • したがうなに」→何に従う→”どうしましょう”・”どうして”。

「いかん」と読み下す一連の句形については、漢文読解メモ「いかん」を参照。

子(シ)

子 甲骨文 𠂤賓間 君子 諸君 孔子
(甲骨文)

論語の本章では”(孔子)先生”。初出は甲骨文。貴族や知識人に対する敬称で、論語では多くの場合孔子を指すが、そうでない例外もある。「子」は生まれたばかりの赤ん坊の象形。詳細は論語語釈「子」を参照。

可(カ)

可 甲骨文 可 字解
(甲骨文)

論語の本章では”悪くない”。積極的に認める意味ではない。初出は甲骨文。字形は「口」+「屈曲したかぎ型」で、原義は”やっとものを言う”こと。甲骨文から”…できる”を表した。日本語の「よろし」にあたるが、可能”…できる”・勧誘”…のがよい”・当然”…すべきだ”・認定”…に値する”の語義もある。詳細は論語語釈「可」を参照。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「や」と読んで下の句とつなげる働きと、「なり」と読んで断定の意に用いている。初出は春秋時代の金文。原義は諸説あってはっきりしない。「や」と読み主語を強調する用法は、春秋中期から例があるが、「也」を句末で断定に用いるのは、戦国時代末期以降の用法で、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

未(ビ)

未 甲骨文 未 字解
(甲骨文)

論語の本章では”今までにいない”。初出は甲骨文。「ミ」は呉音。字形は枝の繁った樹木で、原義は”繁る”。ただしこの語義は漢文にほとんど見られず、もっぱら音を借りて否定辞として用いられ、「いまだ…ず」と読む再読文字。ただしその語義が現れるのは戦国末期まで時代が下る。詳細は論語語釈「未」を参照。

若(ジャク)

若 甲骨文 若 字解
(甲骨文)

論語の本章では”同程度になる”。初出は甲骨文。字形はかぶり物または長い髪を伴ったしもべが上を仰ぎ受けるさまで、原義は”従う”。同じ現象を上から目線で言えば”許す”の意となる。甲骨文からその他”…のようだ”の意があるが、”若い”の語釈がいつからかは不詳。詳細は論語語釈「若」を参照。

樂(ラク)

楽 甲骨文 楽 字解
(甲骨文)

論語の本章では”楽しむ”。初出は甲骨文。新字体は「楽」。原義は手鈴の姿で、”音楽”の意の方が先行する。その場合の漢音は「ガク」。ただし春秋時代に”楽しませる”の語義が確認できる。詳細は論語語釈「楽」を参照。

好(コウ)

好 甲骨文 好 字解
(甲骨文)

論語の本章では”好む”。初出は甲骨文。字形は「子」+「母」で、原義は母親が子供を可愛がるさま。春秋時代以前に、すでに”よい”・”好む”・”先祖への奉仕”の語義があった。詳細は論語語釈「好」を参照。

禮(レイ)

礼 甲骨文 礼 字解
(甲骨文)

論語の本章では”礼儀作法”。新字体は「礼」。しめすへんのある現行字体の初出は秦系戦国文字。無い「豊」の字の初出は甲骨文。両者は同音。現行字形は「示」+「豊」で、「示」は先祖の霊を示す位牌。「豊」はたかつきに豊かに供え物を盛ったさま。具体的には「豆」”たかつき”+「牛」+「丰」”穀物”二つで、つまり牛丼大盛りである。詳細は論語語釈「礼」を参照。

者(シャ)

者 諸 金文 者 字解
(金文)

論語の本章では”そういう者”。新字体は「者」。初出は殷代末期の金文。金文の字形は「木」”植物”+「水」+「口」で、”この植物に水をやれ”と言うことだろう。つまり原義は”これ”。漢文では人に限らず事物にも用いる。春秋時代までに「諸」と同様”さまざまな”の語義を持ったが、”…は”の用法は、戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「者」を参照。

未若貧而樂、富而好禮者也

論語本章、この部分の読み方には二種類ある。

従来の読み:未若貧而樂、富而好禮者也。
未だ貧しくして楽しみ、富みて礼を好む者に若かざる也。
貧しくても楽しみ、かつ富んだら礼を好む者、には及ばない。
訳者の読み:未若貧而樂富而好禮者也。
未だ貧しくして楽しむに若かざり、富みて礼を好む者也。
貧しくても楽しむ者に及ばない。富んだら礼を好む者だ。

古注を参照すると、論語の本章は、子貢が自分と顔淵とを比較したものという。しかし上下どちらの読みでそう判断したのかははっきりしない。ただ、もし顔淵との比較とするなら、貧しくても楽しむ顔淵と、富んで礼を好む子貢との対比になると読むには、下しかない。
顔回 子貢 礼

新注は上を支持しているようだ。「子貢はかつて貧しく、金儲けに励んで富んだのだろう」と朱子の個人的感想を言っている。しかしそうするなら、「貧しくても楽しみ、富んだら礼を好む者に」子貢はすでになっているわけで、「及ばない」わけではないから理屈が通らない。

それともあれだろうか、新古の儒者はそろって、子貢は富んだが礼を好まない愚か者だとでも言いたいのだろうか。「人は過去の人物を言いたい放題言う。だから君子はそういうゴミ溜めには近寄らないものだ」(論語子張篇20)と子貢が言った通りの結果になった?

漢文は対句を重んじる言語。五文字五文字で釣り合いを取った読みの方に理がある。いずれにせよ従来の読み下しは、句読は間違っていないが返り点を付け間違っている。これはまるまる中国の儒者のせいではなく、朱子とそれを有り難がった日本の儒者と漢学者の怠慢。
朱子

従来訳がどんな読み下しをして、上記のような現代語訳に至ったかは不明なので、筆者の下村氏が教育を受けた戦前の、論語の権威で東京帝国大学教授・宇野哲人博士の本を参照する。

宇野哲人
「未だ貧しうして楽しみ、富んで礼を好む者に若かざるなり。」
しかし、まだ貧富を超越してはいない。貧乏しても貧乏を忘れて泰然自得して楽しんでおり、富んでも富を忘れて善にり理にしたがって礼を好む者には及ばない。(『論語新釈』)

孔子が言ってもいない超越だの泰然だの善に拠りだのは、新古の注の受け売りだが、上の読みをしている。しかし顔淵は一生貧乏だったから、「富んで礼を好む」者ではない。子貢と顔淵の対比話はどこへ? つまり儒者の受け売りをするにもいいとこ取りをしたということだ。

しかしだからこそ、余計なごてごてを付けざるを得ないハメになった。読者は余計にわけが分からない。おそらくは、江戸儒者あたりの返り点が間違っていたのと、新古注の儒者の個人的感想の間にある断絶を無理に混ぜて、どうにか繕ってみました、ということだろう。

詩 楚系戦国文字 詩 字解
(楚系戦国文字)

論語の本章では”『詩経』”。初出は戦国文字。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は近音の「辞」。字形は「言」+「寺」”役所”のものや、「之」”ゆく”+「口」などさまざまある。原義が字形によって異なり、明瞭でない。詳細は論語語釈「詩」を参照。

云(ウン)

云 甲骨文 云 字解
(甲骨文)

論語の本章では”いう”。何かの文書や、誰それがそう言った、の場合に用いる。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。字形は「一」+”うずまき”で、かなとこ雲(積乱雲)の象形。甲骨文では原義の”雲”に用いた。金文では語義のない助辞としての用例がある。”いう”の語義はいつ現れたか分からないが、分化した「雲」の字形が現れるのが楚系戦国文字からであることから、戦国時代とみるのが妥当。詳細は論語語釈「云」を参照。

切(セツ)

甲骨文 切 字解
(甲骨文)

論語の本章では”宝石を研磨する”。現行字体の初出は前漢の隷書。それ以前は「七」と書き分けられなかった。「七」の初出は甲骨文。同音は無し。字形はたてよこに刻んだ切り目。原義は”切る”。甲骨文から音を借りて「七」を意味した。詳細は論語語釈「切」を参照。

磋(サ)

差 金文 磋 字解
「差」(金文)

論語の本章では”宝石を研磨する”。初出は前漢の定州竹簡論語。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補は近音で部品の「差」。字形は「石」+「差」”こする”。詳細は論語語釈「磋」を参照。

琢(タク)

論語の本章では”宝石を研磨する”。初出は前漢の定州竹簡論語。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。同音に春秋時代以前に存在した文字は無い。字形は「玉」+「豖」。「豖」(チク/チョク・トク:上古音不明)は”行き悩む様”で、”きる・みがく”の語釈は『大漢和辞典』に無い。詳細は論語語釈「琢」を参照。

磨(バ)

磨 楚系戦国文字
(楚系戦国文字)

論語の本章では”宝石を研磨する”。初出は楚系戦国文字または後漢の『説文解字』だが、字体が■(上下に𣏟+石)または「䃺」。現伝字体の初出は漢代の篆書。同音はいずれも春秋時代以前に存在しない。「マ」は呉音。詳細は論語語釈「磨」を参照。

切磋琢磨

『詩経』の「伝」(注釈)によれば、それぞれ、骨、象牙、玉、石の加工。武内本はこれをコピペして「切磋琢磨とは骨象玉石を磨くこと。転じて学問修養により人品を向上せしむる意」と記す。
切磋琢磨

子貢が引用した詩は、現伝の『詩経』によると次の通り。

瞻彼淇奧、綠竹猗猗。
の川の奥を見やれば、みずみずしい竹がうるわしい。

有匪君子、如切如磋、如琢如磨。
教養ある君子というものは、切るように研ぐように、彫るように磨くように

瑟兮僩兮、赫兮咺兮。
おごそかで威厳があり、見栄えがして凛々しい。

有匪君子、終不可諼兮。
ゆえに教養ある君子は、ついぞ誰にも損ない得ない。(『詩経』衛風・淇奧)

つまり文字史からこの詩そのもの成立のが前漢以降ということになり、現伝の『詩経』は論語と同様、後世のマゼモンがたっぷり練り込まれたパチモンということになる。

其(キ)

其 甲骨文 其 解字
(甲骨文)

論語の本章では”その”という指示詞。初出は甲骨文。原義は農具の。ちりとりに用いる。金文になってから、その下に台の形を加えた。のち音を借りて、”それ”の意をあらわすようになった。指示詞に用いられるようになったのは、戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「其」を参照。

斯(シ)

斯 金文 斯 解字
(金文)

論語の本章では「これ」「この」と読み、”…(こそ)は”の意。初出は西周末期の金文。字形は「其」”ちりとり”+「斤」”おの”で、ばらばらに切り裂くさま。同じ「これ」「この」と読んでも、春秋時代までは意味内容の無い語調を整える助字で、”…は”のような助詞の用法は、戦国時代の竹簡にならないと現れない。詳細は論語語釈「斯」を参照。

之(シ)

之 甲骨文 之 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…の”。初出は甲骨文。原義は進むこと。”これ”という指示代名詞に用いるのは、音を借りた仮借文字だが、甲骨文から用例がある。「…の」や、直前の動詞を強調する用法は、戦国時代以降にならないと現れない。詳細は論語語釈「之」を参照。

謂(イ)

謂 金文 謂 字解
(金文)

論語の本章では”…という故事成句”。現行書体の初出は春秋後期の石鼓文。部品で同義の「胃」の初出は春秋早期の金文。『学研漢和大字典』によると、胃は、「まるい胃袋の中に食べたものが点々と入っているさま+肉」で、まるい胃袋のこと。謂は、「言+〔音符〕胃」の会意兼形声文字で、何かをめぐって、ものをいうこと、という。詳細は論語語釈「謂」を参照。

與(ヨ)

与 金文 與 字解
(金文)

論語の本章では、”…か”・”…と(もに)”。新字体は「与」。初出は春秋中期の金文。金文の字形は「牙」”象牙”+「又」”手”四つで、二人の両手で象牙を受け渡す様。初文の字形には「口」が加わる。「口」は臣下を意味し、「與」全体でみごとな奏上を行った臣下に対する、王の象牙の下賜。従って原義は”(褒美を)あたえる”。”…と”・”…か”の用法は、戦国時代まで時代が下る。詳細は論語語釈「与」を参照。

賜(シ)

賜 金文2 子貢 遊説
(金文)

論語の本章では、端木賜子貢の本名。姓は端木タンボク

「賜」の初出は西周早期の金文だが、字形は「易」。現行字体の初出は西周末期の金文。字形は「貝」+「鳥」で、「貝」は宝物、「鳥」は「易」の変形。「易」は甲骨文から、”あたえる”を意味した。詳細は論語語釈「易」を参照。「賜」は戦国早期の金文では人名に用い(越王者旨於賜鐘)、越王家の姓氏名だったという。詳細は論語語釈「賜」を参照。

呉越の抗争に絡んで、呉国は一時孔子一門の住まう魯国を半ば占領したことがある(『春秋左氏伝』哀公八年)。その解決のため孔子は子貢を呉越に派遣して抗争を煽ったのだが、呉からはけんもほろろに断られ、越からは下へも置かないもてなしと賛同を得た。その背景に存外、衛の出身と言われる子貢の氏族と、越王家とのつながりがあるかも知れない。

始(シ)

始 金文 始 字解
(金文)

論語の本章では”はじめて”。初出は殷代末期の金文。ただし字形は「㚸 外字」。字形は「司」+「女」+「㠯」”農具のスキ”。現伝字形の初出は西周末期の金文。ただし部品が左右で入れ替わっている。女性がスキをとって働くさま。原義は不詳。金文で姓氏名に用いられたが、”はじめ(る)”の語義は春秋時代では確認できない。詳細は論語語釈「始」を参照。

言(ゲン)

言 甲骨文 言 字解
(甲骨文)

論語の本章では”かたる”。初出は甲骨文。字形は諸説あってはっきりしない。「口」+「辛」”ハリ・ナイフ”の組み合わせに見えるが、それがなぜ”ことば”へとつながるかは分からない。原義は”言葉・話”。甲骨文で原義と祭礼名の、金文で”宴会”(伯矩鼎・西周早期)の意があるという。詳細は論語語釈「言」を参照。

已 甲骨文 以 字解
(甲骨文)

論語の本章では”…てしまう”。初出は甲骨文。字形と原義は不詳。字形はおそらく農具のスキで、原義は同音の「以」と同じく”手に取る”だったかもしれない。論語の時代の語義は不詳だが、”…てしまう”など断定・完了の意は出土物に確認できない。詳細は論語語釈「已」を参照。

矣(イ)

矣 金文 矣 字解
(金文)

論語の本章では、”(きっと)…である”。初出は戦国末期の金文で、論語の時代に存在しない。同音で同義の「已」が、論語時代の置換候補になる。字形の下部は「矢」だが、上部の由来は明瞭でなく、原義も明瞭でない。初出の金文は”…である”だと解釈されている。詳細は論語語釈「矣」を参照。

告 甲骨文 告 字解
(甲骨文)

論語の本章では”告げる・説明する”。新字体は「告」。初出は甲骨文。字形は「辛」”ハリまたは小刀”+「口」。甲骨文には「辛」が「テツ」”草”や「牛」になっているものもある。字解や原義は、「口」に関わるほかは不詳。甲骨文で祭礼の名、”告げる”、金文では”告発する”(五祀衛鼎・西周)の用例があった。詳細は論語語釈「告」を参照。

諸(ショ)

諸 秦系戦国文字 諸 字解
(秦系戦国文字)

論語の本章では”これ”。論語の時代では、まだ「者」と「諸」は分化していない。「者」の初出は西周末期の金文。ごんべんのある現行字体の初出は秦系戦国文字。「之於」(シヲ)と音が通じるので一字で代用した言葉とされるが、戦前日本漢文業界の根拠無き説に過ぎない。

金文の字形は「言」+「者」で、”さまざまな”の意。「者」も春秋時代までにその用例がある。「者」は”これ”・”…は”の意でも用いられるが、その用例は戦国時代の「中山王鼎」などで、論語の時代の語義ではない。詳細は論語語釈「諸」を参照。

往(オウ)

往 甲骨文 往
(甲骨文)

論語の本章では”過去”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。ただし字形は「㞷」。現行字体の初出は春秋末期の金文。字形は「止」”ゆく”+「王」で、原義は”ゆく”とされる。おそらく上古音で「往」「王」が同音のため、区別のために「止」を付けたとみられる。甲骨文の字形にはけものへんを伴う「狂」の字形があり、「狂」は近音。「狂」は甲骨文では”近づく”の意で用いられた。詳細は論語語釈「往」を参照。

知(チ)

知 智 甲骨文 知 字解
(甲骨文)

論語の本章では”知る”。現行書体の初出は秦系戦国文字。孔子在世当時の金文では「智」と区別せず書かれた。甲骨文で「知」・「智」に比定されている字形には複数の種類があり、原義は明瞭でない。ただし春秋時代までには、すでに”知る”を意味した。”知者”・”管掌する”の用例は、戦国時時代から。詳細は論語語釈「知」を参照。

來(ライ)

来 甲骨文 来 解字
(甲骨文)

論語の本章では”未来”。この語義は春秋時代では確認できない。初出は甲骨文。新字体は「来」。原義は穂がたれて実った”小麦”。西方から伝わった作物だという事で、甲骨文の時代から、小麦を意味すると同時に”来る”も意味した。詳細は論語語釈「来」を参照。

吿諸往而知來者

直訳すると”過去を告げれば、未来を知る者”。

唐突の感があって文脈を繋ぎにくく、従来訳のように苦しい訳をせざるを得ないようだ。ここでは過去=子貢が引用した『詩経』の古いうたにある修行、未来=子貢が目指すべき、『詩経』がうたい、また顔回が実践したあるべき君子の姿、と解した。

論語:解説・付記

論語の本章は、前半は『史記』に再録されるまで誰も引用していない。

子貢問曰:「富而無驕,貧而無諂,何如?」孔子曰:「可也;不如貧而樂道,富而好禮。」(『史記』仲尼弟子列伝)

引用した詩の部分は、戦国末期の荀子が引用しているので、それまでには作られたのだろう。それ以降の部分は、先秦両漢の誰一人引用していない。「貧」のような、「貝」を含んだ漢字は財産と関わりがあるとされるが、論語の時代でもそう言えるかには疑問がある。

中国は一度の例外を除いて、海洋国家シーパワーだったことがないし、貝は取って食うものだった。
バルチック艦隊 Вторая Тихоокеанская эскадра
(→youtube)

論語の本章では、「貧」の置換候補として「イン」を挙げうるが、実は両者は声調こそ同じ平声だが、個別のカールグレン上古音に共通するのはi̯とnだけで、共通率は40%でしかない。こういう判断は50%を超えないと、「共通している」と談じるのが訳者当人すら図々しく思う。

ə n
ɡ w n

ナニ訳者は不逞の輩さ、と開き直る根性は無いから、少し言い訳を書いておこう。

この「貧」に「貝」が入っていることから、漢字の「貝」をタカラガイと解し、古代では貨幣の役割を果たしたと通説は言う。だが訳者は中国貨幣史を専門としないものの、管見の限り孔子の生前、貨幣が存在した話を聞かない。専門家の説明も、極めて歯切れがよろしくない。

「春秋戦国時代」と両時代をひとまとめにして論じても、貨幣史としては立派に通用するのだろうが、論語を読む者には困るのである。孔子の時代、すでに金属のコインがあったオリエントやギリシア、古代インド十六大国と比べて、中国の貨幣経済は心細い。

これは旧大陸の古代文明の中で、他の文明は海によって繋がれて、盛んに他文明圏と交渉を持ったのに対し、古代中華文明は他文明に対して日本人以上の引き籠もりで、沿岸航海はしただろうが、他の文明圏まで出掛けていって商売をした、という話が全く聞こえてこない。

中国のカミサマはギリシアの同業のように、アルゴー船で乗り出したりしないのである。

ただ分かっているのは、西周早期の青銅器「利」に、「易又吏利金」とあり(→銘文)、王の側近だった利という人物に、「金」(春秋時代までは青銅、銅とスズの合金を意味する)を与えた、とある。地殻中に銅は質量で約0.005%しかなく、スズは約0.00022%しかない

鉄が約4%あると言えば、その貴重さが分かるだろうか。だが仮に青銅が貴重であり、通貨「のように」用いられたとしても、それを「貨幣」と言ってよいかどうか。重量や品位を保証するなにがしかの規格と権威が無ければ、貨幣と呼ぶのをためらうしかない。

『史記』によれば、孔子も俸給を穀物で受け取った。おそらく現物支給ではなく、なにがしかの証文のようなものを与えられたと思うが、紙もない時代、木や竹の証文が当時あったとして、現在では全て腐り果ててしまい、ただの一例も出土例を聞かない。

次に論語の本章は、論語学而篇のうち、唯一定州竹簡論語が現存している章で、定州竹簡論語は、現代の発掘前にすでに盗掘による焼損に遭い、発掘後は研究所に紅衛兵が暴れ込んで、滅茶苦茶に壊してしまった。学而篇は論語の第一巻だから、一番破損しやすかったのだろう。

仕舞うにも箱などの一番手前に置いただろうから、墓泥棒が薪代わりに焼いてしまうにも、手に取りやすかったと思われる。結果として学而篇は、定州竹簡論語のふだ1号のみが残った。1枚のみと言う数の少なさの偶然が、紅衛兵の愚かしい所業から免れさせたと思われる。

現物の写真などは公開されていないので、横書きにして図示すれば次の通り。

樂富而好禮者子貢 外字曰詩云如切如磋如琢如磨簡1号

…部分は、欠損を含む解読不能部分で、何か字が書いてあったのか、もはや知ることが出来ない。簡1枚には19-21字が記されていたと言うから、残った19字だけでも1枚を構成しうるが、「…」の記入は簡を綴る部分の欠損を意味し、前後いずれかに字があったことになる。

元の簡の模様については、わずかに版本の表紙に描かれた画像のみ。反時計回りで示す。
定州竹簡論語

恐らく論語雍也篇、「子曰雍也可使南面也…」の部分と思われる。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だし、訳者に連絡のお気遣いも不要だが(ただしネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。

言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。もし長生きしたいなら、悪いことはせぬものだ。朴ったら○すぞ。それでもやるなら、覚悟致せ。



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コメント

  1. […] 未若貧而樂、富而好禮者也。(『論語』学而) 〔未だ貧にし而樂しむに若かざり、富み而禮を好む者也。〕 […]

  2. […] 貧而無諂、富而無驕、何如。(論語学而篇15)* ”貧乏でも卑屈にならず、富んでも威張らないのはどうでしょうね。” […]