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論語詳解369憲問篇第十四(37)我を知るなき’

論語憲問篇(37)要約:「あーあ。誰も私を雇ってくれない。」今どきのハロワで聞かれるような嘆きを語る孔子先生。「は? 111億円も年俸貰ってて、何言ってるんですか!」と弟子の子貢。このやりとりを儒者が大げさに仕立てて…。

論語:原文・書き下し

原文

子曰、「莫我知也夫。」子貢曰、「何爲其莫知子也。」子曰、「不怨天、不尤人、下學而上達、知我者、其天乎。」

校訂

定州竹簡論語

曰:「莫□□也夫!」子貢 外字曰:「何為其莫知子[也?」子]曰:「400……人,下學而上達。知我者[其天乎]!」401


→子曰、「莫我知也夫。」子貢 外字曰、「何爲其莫知子也。」子曰、「不怨天、不尤人、下學而上達、知我者、其天乎。」

復元白文(論語時代での表記)

子 金文曰 金文 莫 金文我 金文智 金文也 金文夫 金文 子 金文江 金文曰 金文 何 金文為 金文其 金文莫 金文智 金文子 金文也 金文 子 金文曰 金文 不 金文夗 怨 金文天 金文 不 金文尤 金文人 金文 下 金文学 學 金文而 金文上 金文達 金文 智 金文我 金文者 金文 其 金文天 金文乎 金文

※貢→江・怨→夗。論語の本章は、「其」「也」の用法に疑問がある。

書き下し

いはく、われなるかな貢 外字しこういはく、なんれぞいはく、てんうらまず、ひととがめず。したまなうへいたる。われものは、てん

論語:現代日本語訳

逐語訳

孔子 子貢
先生が言った。「私を知る者がいないな。」子貢が言った。「どうして先生を知る者がいないとするのですか。」先生が言った。「天を恨まない。人をとがめない。目下と学んで目上と並ぶ。私を知る者は天だろうか。」

意訳

孔子 慟哭 子貢 驚き
孔子「ワシは誰にも雇われないな。」
子貢「そんな馬鹿な。霊公さまはどうなんですか。」

孔子「はは、そうだな。誰にでも腰を低くして学び、やっと今の地位に立った。霊公さまというより、ワシは天に雇われたのだな。」

従来訳

下村湖人

先師が歎息していわれた。――
「ああ、とうとう私は人に知られないで世を終りそうだ。」
子貢がおどろいていった。――
「どうして先生のような大徳の方が世に知られないというようなことが、あり得ましょう。」
すると先師は、しばらく沈默したあとでいわれた。――
「私は天を怨もうとも、人をとがめようとも思わぬ。私はただ自分の信ずるところに従って、低いところから学びはじめ、一歩一歩と高いところにのぼって来たのだ。私の心は天だけが知っている。」

下村湖人『現代訳論語』

現代中国での解釈例

孔子說:「沒人瞭解我啊!」子貢說:「怎麽說沒人瞭解您呢?」孔子說:「不埋怨天,不責備人,我學了些平凡的知識,從中領悟了高深的道理。瞭解我的,大概衹有天吧!」

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孔子が言った。「誰も私を理解しないな!」子貢が言った。「どうして誰もあなたを理解しないと言うのですか?」孔子が言った。「こっそり天を恨まず、他人のせいにせず、私が学んだいささかの平凡な知識から、高邁で深遠な道理を悟った。私を理解するのは、おそらくただ天だけだろうな!」

論語:語釈

、「 。」 、「 。」 、「 。」


知(チ)

知 智 甲骨文 知 字解
(甲骨文)

論語の本章では”理解し優遇する”。現行書体の初出は春秋早期の金文。春秋時代までは「智」と区別せず書かれた。甲骨文で「知」・「智」に比定されている字形には複数の種類があり、原義は”誓う”。春秋末期までに、”知る”を意味した。”知者”・”管掌する”の用例は、戦国時時代から。詳細は論語語釈「知」を参照。

いずれかの諸侯が孔子を政治家として採用し、高禄を与えた上でその意見をよく聞くこと。本章のこの解釈に限り、古注も同じ事を言っている。もちろん論拠のない個人的感想に過ぎない。対して訳者の論拠は長くなったので、付記に回した。

古注『論語集觧義疏』
馬融曰孔子不用於世而不怨天人不知己亦不尤人也

馬融
馬融「孔子は当時の諸侯に採用されなかった。それなのに天を恨まず、他人が自分を知らない事をとがめなかった。」

辞書的には論語語釈「知」を参照。

莫我知

莫 金文 我 金文 知 金文
(金文)

論語の本章では”私を知る者が無い”。

「莫」は草原のくさむらに、日が隠れるさまを示す会意文字。暮の原字。隠れて見えない、ないの意。詳細は論語語釈「莫」を参照。

「我知」は”私を知る”で、語順が転倒しているが、上古の中国語では甲骨文の時代から、否定辞の後で、このような倒置が見られる。

也(ヤ)

也 金文 也 字解
(金文)

論語の本章では、「なり」と読んで断定の意に用いている。初出は事実上春秋時代の金文。字形は口から強く語気を放つさまで、原義は”…こそは”。春秋末期までに句中で主格の強調、句末で詠歎、疑問や反語に用いたが、断定の意が明瞭に確認できるのは、戦国時代末期の金文からで、論語の時代には存在しない。詳細は論語語釈「也」を参照。

夫(フ)

夫 金文
(金文)

「かな」。詠嘆の辞と『大漢和辞典』に言う。

子貢→子貢 外字

子貢 問い
孔子一門の年長組で、一門の財政を終生支えたアキンドの弟子。詳細は論語の人物・端木賜子貢を参照。

定州竹簡論語の「貢 外字」は、「貢」の異体字。

其(キ)

其 甲骨文 其 字解
(甲骨文)

論語の本章では”それ”という指示詞。初出は甲骨文。甲骨文の字形は「𠀠」”かご”。かごに盛った、それと指させる事物の意。金文から下に「二」”折敷”または「丌」”机”・”祭壇”を加えた。人称代名詞に用いた例は、殷代末期から、指示代名詞に用いた例は、戦国中期からになる。詳細は論語語釈「其」を参照。

其莫知子也

論語の本章では、”先生を知る者がないだろうか、いやそんなはずはない”。

「其~乎(哉・矣・也)」は、「それ~ならんや」とよみ、「どうして~だろうか(いやそうではない)」と訳す。反語の意を示す。詳細は論語語釈「其」を参照。

怨(エン・オン)

怨 篆書
(篆書)

論語の本章では”うらむ”。

文字の上半分は土下座させられた人で、下は心。「うらみ」の中でも、押さえつけられて晴らせないようなうらみを言う。この文字の初出は戦国文字で、論語の時代に存在しないが、同音の夗を用いて夗心と二文字で書かれた可能性がある。詳細は論語語釈「怨」を参照。

尤(ユウ)

尤 甲骨文 尤 金文
(甲骨文・金文)

論語の本章では”とがめる”。

『大漢和辞典』の第一義は”ことなる”。動詞としては、”とがめる・うらむ・ためらう”の意がある。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「手のひじ+━印」で、手のある部分に、いぼやおできなど、思わぬ事故の生じたことを示す。災いや失敗がおこること、という。詳細は論語語釈「尤」を参照。

下學而上達

下 金文 学 學 金文
「下学」(金文)

論語の本章では、”誰からでも丁寧に学び、その結果高い境地に上った”。

『大漢和辞典』の語釈は、”手近な所から学んでのちに奥義に達する”。”人事を覚って天命を知る”。後者は古注の解釈による。新注は「然るに其の語意に深き味あり」などといって意見をくらましているが、”人事を覚って天命を知る”との解釈は同じ。

古注『論語集觧義疏』
孔安國曰下學人事上知天命也。

孔安国
孔安国「下学とは人の世のことわりを学ぶ事であり、上知とは天の運命をさとることである。」

デタラメである。論語の本章が孔子の肉声だとすると、そんな大げさなことを語ってはいない。上掲のような解釈は、人々にハッタリを掛けて言うことを聞かせる、帝国儒者らしい解釈で、何事も孔子の言葉を引き延ばして、大げさに語り合う大会を開いているだけ。
(論語解説「後漢というふざけた帝国」)

論語の他の章で、孔子はこう言うことを言っている。

子貢問曰、「孔文子、何以謂之文也。」子曰、「敏而好學、不恥下問、是以謂之文也。」(論語公冶長篇14)

これに対する古注は次の通り。

孔安國曰…下問問凡在已下者也。

孔安国「下問とは、自分より下の人に問うことである。」

かようなダブルスタンダードを真に受けるわけにはいかない。「下学」とは、自分より地位や学識が低い人にも、分からない事は腰を低くして質問することだ。

論語:付記

中国歴代王朝年表

中国歴代王朝年表(横幅=800年) クリックで拡大

論語の本章は、通説的には『史記』の記述に従って、孔子が魯国に帰った晩年、聖獣のリンが捕らえられたので世に絶望し、本章のように子貢に愚痴を言ったあとで引き籠もり、史書『春秋』の執筆に取りかかったきっかけだったとされている(『史記』孔子世家)。

つまり司馬遷の筆を真に受けるなら、ある貴族が狩りで変なけものを射てしまい、気味悪がってもの知りとして高名な孔子を呼んだ。出向いた孔子は両手でけものの股ぐらをごそごそまさぐって、「麟じゃな」と断定した。麒麟のメスを麟といい、オスを麒と言うからである。


麒麟は「仁獣」ということになっており、あるものは世の真理を表す八卦図が表に浮き出ており、聖王が現れるとこの世に出て来ることになっている。これは舜王が即位すると、目出度い鳳凰が宮殿に飛んできて、音楽に合わせて舞い踊ったという『史記』の記述と同類である。

つまり全部デタラメだ。アニメや特撮を論拠に過去を語るようなもので、それに疑いを持たせないよう、漢帝国以降の儒者官僚は世間に洗脳の粉を撒き、子供の頃からそれにさらされた中国の識字階級は、これを真に受けた上で本気になって論語を考証した。

『論語集釋』にはそうした頭のおかしな記事が多数載せられているが、今どき怪獣映画の台本にもなりそうにない。

史実として孔子は、その名が経巡った諸国はおろか、はるか南方の呉越にも知られた。もちろん南方の大国・楚でも知られたことは『史記』にも記述がある。西北の大国・晋、西方の大国・秦については記録を見たことが無いが、春秋政界の有名人だったことは間違いない。

「知られない」を儒者がうそ泣きするように、どの諸侯も採用しなかったと言うのもウソである。放浪人の孔子を衛の霊公は、現代換算で111億円もの年俸で雇っている(論語憲問篇20)。孔子が一時は衛国乗っ取りを計ったにもかかわらず、再受入までしている優遇ぶりだ。

衛霊公 孔子 不気味
孔子が霊公を「無道」と言ったのは、政権をごっそり寄こさなかったからで、これは霊公より孔子の方が図々しい。当時の誰より理知的な孔子は、自分の無茶を分かっていたはずである。それゆえ子貢が孔子に「知られないはずが無いじゃないですか」と言ったわけ。

この子貢の問いは重要で、本章の「知」を、孔子の教説を理解しない、と解すると理屈が通らなくなる。

孔子「誰もワシの言うことを理解せん。」
子貢「理解しないわけが無いじゃ無いですか。」

これは成り立たない。簡単には理解できないことを説いたから、孔子は学者として高名になったのであり、アインシュタインやホーキング博士の論文が、足し算引き算や九九だったら、誰が敬意を払うだろうか。その教説が分からないから、不世出の学者と有り難がられたのだ。

孔子「誰もワシの名を知っておらん。」
子貢「そんなわけ無いじゃないですか。みんな知ってますよ。」

これは成り立つ。孔子の言うことが事実に反するから、子貢は言い返すことが出来たのだ。ただし知られた程度について、春秋政界の有名人ではあっても、天下万民まで誰でも孔子を知るかと言えばそうではない。従って次のように解する方が、より理屈が通る。

孔子「誰もワシを雇わんな。」
子貢「そんなことないじゃないですか。霊公さまはどうなんです。」

そしてこのやりとりの後、「下学…。」と孔子はぶつぶつ繰り言を言う。知=知名度と断じると、この繰り言はただのぼやきに過ぎない。だが知=雇うと断じると、「子貢の言うように地位は上がった」を意味し、「結局ワシを雇ったのは天だ」と理解できる。

孔子は高禄は得たが、言う通りになる諸侯には出会えなかった。霊公はやり手の殿様な上、家臣が有能で孔子の付け入る隙が無かったからだ。だから「知」の半分は達成したが、それを霊公からとは「天命を知る」孔子は思わず(論語為政篇4)、天が自分を雇ったと結論したわけ。

『論語』憲問篇:現代語訳・書き下し・原文
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