論語の人物:端木賜子貢(たんぼくし・しこう)

弟子中最高の実務能力で中国全土を股にかけた大富豪の弁舌家

至聖先賢半身像「子貢」
国立故宮博物院蔵

略歴

BC520-BC446。姓は端木、名は賜、字は子貢、または同音同義の子贛。ただし「贛」には「貢」にはない、”おろか”の意がある。『史記』によれば衛国出身、孔子より31年少。

弁舌(言語)の才を孔子に評価された、孔門十哲の一人。外交官として、また商人として当時の世に知られ、おそらくは孔子一門の財政をも担った形跡が論語にはある。晩年は斉に移住し、宰相格を務めたという。

論語での扱い

政才商才ともに、弟子の中で抜きん出て優れていることがわかるが、孔子没後に派閥の長になったこともあり、おそらく魯に残った反対派の手によって、孔子からたしなめられる話がしばしば出る。また子路と同じく、孔子をややからかっている風な発言もある。しかし孔子を尊崇することもまた弟子中で抜きん出ており、孔子に対する弟弟子の批判を聞くと、自らたしなめていたことが伺える。

他の典籍での扱い

当時の有名人だけに、大量の言及が諸本にある。儒家では孔子の弟子には概して厳しかった荀子も、子貢の悪口は書いていない。墨子も儒家を大いに批判したが、子貢の人となりについては沈黙している。『荘子』には、貧窮した兄弟弟子の原憲子思を訪ね、世におもねっていると批判されて恥じたとある。『韓非子』では、炊き出しを行う子路を止める話の他、残酷な刑罰を見て廃止を孔子に訴える話が伝わる。

『史記』の記録では、大富豪として弟子列伝の他に貨殖列伝にも名を記されたほか、斉に攻められそうになった魯を助けるため、諸国を飛び回って獅子奮迅の働きをし、呉国に援軍を出させることに成功しているとも書く。その一方で越国をたきつけ、ついには呉を滅ぼす策を伝えたとも言う。孔子死去の際は葬礼を取り仕切り、礼法の倍、六年の間その墓の近くで喪に服したという。

論語 孔子聖蹟図 治任別帰

「孔子聖蹟図」治任別帰。左の苫屋の人物が子貢。

論語での発言

コラ! なんてこと言うんだ。先生は善良だから政権に就いたんだぞ。世の権力亡者とは違うんだ。たぶん。(学而篇)

貧乏でも卑屈でないのと、金持ちで威張らないのと、どっちがましですかね?(学而篇)

ヒツジがもったいない。(八佾篇)

私ってどの程度の出来なんですかね?(公冶長篇)

私ごときが顔回と比べるなんて…顔回は一を聞いて十を知り、私は二がせいぜいです。(公冶長篇)

されたくないことは、人にしたくない。(公冶長篇)

先生の話は、文系はよく聞いたが、理系はあまり聞かなかったし、分からなかったなあ。(公冶長篇)

孔文子どのってあんな人だったのに、なんでいい戒名貰ったんですかね?(公冶長篇)

民を食わせて守ってやれば、それで仁の出来上がり、ですかね?(雍也篇)

10

伯夷叔斉ってどんな人ですかね。…扇動はしくじる飢え死にはする、やるんじゃなかったって、ワラビと一緒に爪を噛んだんですかね?(述而篇)

11

はいはい、そりゃもうウチの先生は万能ですよ。天が味方してるんですな。(子罕篇)

12

この玉売りましょか、隠しましょか?(子罕篇)

13

子張と子夏って、どっちがデキます? …ああ、それじゃあ子張の方が上ですか?(先進篇)

14

緊縮財政には軍備削減? 次はメシを削れですって? ええっ! それじゃあみんな飢え死にしちゃいますよ。(顔淵篇)

15

残念ですなあ、あなたのお話は。君子が一旦言葉を出したら、四頭立ての馬車でも追いつかず、取り消せません。飾りより中身が重要ですって? 違いますね、飾りも中身の一部です。中身だって人に見えてしまえば飾りも同じです。例えばなめし革は、高価な虎や豹のでも、安価な犬や羊のでも、毛を抜いてしまえば同じでしょう?(顔淵篇)

16

世にサムライってほどのお人が居ますかね?(子路篇)

17

村人がみんなけなしてます。…ダメですか。じゃみんな褒めてます。…それもダメですか。(子路篇)

18

管仲って人でなしですかね。主人が殺されても見殺しにし、あまつさえ殺した殿様に仕えましたが。(憲問篇)

19

先生、それって先生のことじゃないですか。(憲問篇)

20

どうして先生が無名だって言うんです?(憲問篇)

21

ええ、ええ、そうです仰る通りですよ。そうじゃないんですか! 先生!(衛霊公篇)

22

生涯守るべきことを、たった一言で教えて下さい。(衛霊公篇)

23

先生がだんまりを決め込むなら、私如きが何を言えるっていうんです?(陽貨篇)

24

君子も人を嫌っていいですか?…ごもっとも。私も話の出鼻をくじいて得意がる奴、図々しさを勇ましさと勘違いした奴、人のいやがる話をして正直がる奴は嫌いです。(陽貨篇)

25

殷の紂王が暴君だったと言っても、世間が言うほど悪かったわけではない。だから君子は、そういうゴミためのような所を避ける。あること無いこと言われるからだ。(子張篇)

26

君子が間違いを起こすということは、日食や月食のようなもので、人は皆見る。改めると、皆が褒めそやす。(子張篇)

27

孔子先生に師匠がいたか、ですって? 師匠なんて要りません。周の開祖文王・武王の示した道は、まだ消え去らずに人の世に残っています。賢者はその中でもすばらしいものに気付けますが、凡人は下らぬものしか気付きません。それでも文王武王の道は、この世の隅々にまで、かすかであっても生き残っているのです。従って明敏な孔子先生は、この世のどこからでも道を学び取れるのです。となれば、決まった師匠がいなくても、全然困りはしないんです。(子張篇)

28

私を宮殿の塀に例えるなら、肩に届く程度の高さです。外から家中が修まっているのが見えるでしょう。しかし先生の高さは人二人分はあるでしょう。きちんと門から入らなければ、祖先祭殿の美しさや官吏たちの居並ぶ姿が見えません。しかしこの門から入ることは難しい。だから叔孫武叔どのが、先生より私が賢いと仰るのも、無理はないでしょうね、うふ。(子張篇)

29

おやめなさい。先生の悪口は言うだけ無駄です。世の賢者とは丘程度で、歩いて越えられますが、先生は月や太陽のようなもの、越える手立てはありません。しかもこちらで縁切りしたくても、相手は天体、痛くもかゆくもありません。悪口を言えば、却ってもの笑いになりますぞ?(子張篇)

30

コラ! なんてこと言うんだ。君子は言葉一つで評価ががらりと変わるぞ? 先生は天のようなもので、はしごの掛けようもないほど高い賢者だ。先生が一国の政治を執れば自由自在。自立させるも、導くも、安心させるも、和ませるも思いのままだ。先生あればこそ国は栄え、亡くなれば人々は悲しむ。私如きの及ぶ所ではない。(子張篇)

論語での記述

  1. 子禽問於子貢曰、「夫子至於是邦也、必聞其政、求之與。抑與之與。」子貢曰、「夫子溫、良、恭、儉、讓以得之。夫子之求之也、其諸異乎人之求之與。」(学而篇)
  2. 子貢曰、「貧而無諂、富而無驕、何如。」子曰、「可也。未若貧而樂、富而好禮者也」。子貢曰、「詩云『如切如磋、如琢如磨。』其斯之謂與。」子曰、「賜也、始可與言詩已矣。吿諸往而知來者。」(学而篇)
  3. 子貢問君子。子曰、「先行其言、而後從之。」(為政篇)
  4. 子貢欲去吿朔之餼羊。子曰、「賜也。爾愛其羊、我愛其禮。」(八佾篇)
  5. 子貢問曰、「賜也何如。」子曰、「女器也」。曰、「何器也。」曰、「瑚璉也。」(公冶長篇)
  6. 子謂子貢曰、「女與回也孰愈。」對曰、「賜也何敢望回。回也聞一以知十、賜也聞一以知二。」子曰、「弗如也。吾與女、弗如也。」(公冶長篇)
  7. 子貢曰、「我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。」子曰、「賜也、非爾所及也。」(公冶長篇)
  8. 子貢曰、「夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道、不可得而聞也。」(公冶長篇)
  9. 子貢問曰、「孔文子、何以謂之文也。」子曰、「敏而好學、不恥下問、是以謂之文也。」(公冶長篇)
  10. 季康子問、「仲由可使從政也與。」子曰、「由也果、於從政乎何有。」曰、「賜也可使從政也與。」曰、「賜也達、於從政乎何有。」曰、「求也可使從政也與。」曰、「求也藝、於從政乎何有。」(雍也篇)
  11. 子貢曰、「如有博施於民、而能濟衆、何如。可謂仁乎。」子曰、「何事於仁、必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已。」(雍也篇)
  12. 冉有曰、「夫子爲衞君乎。」子貢曰、「諾、吾將問之」。入曰、「伯夷叔齊、何人也。」曰、「古之賢人也。」曰、「怨乎。」曰、「求仁而得仁、又何怨。」出、曰、「夫子不爲也。」(述而篇)
  13. 大宰問於子貢曰、「夫子聖者與。何其多能也。」子貢曰、「固天縱之將聖、又多能也。」子聞之曰、「大宰知我乎。吾少也賤、故多能鄙事。君子多乎哉。不多也。」(子罕篇)
  14. 子貢曰、「有美玉於斯、韞櫝而藏諸。求善賈而沽諸。」子曰、「沽之哉。沽之哉。我待賈者也。」(子罕篇)
  15. 子曰、「從我於陳蔡者、皆不及門也。」德行、顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語、宰我、子貢。政事、冉有、季路。文學、子游、子夏。(先進篇)
  16. 閔子侍側、誾誾如也。子路、行行如也。冉有、子貢、侃侃如也。子樂。「若由也、不得其死然。」(先進篇)
  17. 子貢問、「師與商也孰賢。」子曰、「師也過、商也不及。」曰、「然則師愈與。」子曰、「過猶不及。」(先進篇)
  18. 子曰、「回也其庶乎、屢空。賜不受命、而貨殖焉。億則屢中。」(先進篇)
  19. 子貢問「政」。子曰、「足食、足兵、民信之矣。」子貢曰、「必不得已而去、於斯三者何先。」曰、「去兵。」子貢曰、「必不得已而去、於斯二者何先。」曰、「去食。自古皆有死、民無信不立。」(顔淵篇)
  20. 棘子成曰、「君子質而已矣、何以文爲。」子貢曰、「惜乎、夫子之說、君子也、駟不及舌。文猶質也、質猶文也。虎豹之鞹、猶犬羊之鞹。」(顔淵篇)
  21. 子貢問「友」。子曰、「忠吿而善道之、不可則止、毋自辱焉。」(顔淵篇)
  22. 子貢問曰、「何如斯可謂之『士』矣。」子曰、「行己有恥、使於四方、不辱君命。可謂『士』矣。」曰、「敢問其次。」曰、「宗族稱孝焉、鄕黨稱弟焉。」曰、「敢問其次。」曰、「言必信、行必果、硜硜然、小人哉、抑亦可以爲次矣。」曰、「今之從政者何如。」子曰、「噫。斗筲之人、何足算也。」(子路篇)
  23. 子貢問曰、「鄕人皆好之、何如。」子曰、「未可也。」「鄕人皆惡之、何如。」子曰、「未可也。不如鄕人之善者好之、其不善者惡之。」(子路篇)
  24. 子貢曰、「管仲非仁者與。桓公殺公子糾、不能死、又相之。」子曰、「管仲相桓公、霸諸侯、一匡天下、民到于今受其賜。微管仲、吾其被髮左衽矣。豈若匹夫匹婦之爲諒也、自經於溝瀆、而莫之知也。」(憲問篇)
  25. 子曰、「君子道者三、我無能焉、仁者不憂、知者不惑、勇者不懼。」子貢曰、「夫子自道也。」(憲問篇)
  26. 子貢方人。子曰、「賜也、賢乎哉。夫我則不暇。」(憲問篇)
  27. 子曰、「莫我知也夫。」子貢曰、「何爲其莫知子也。」子曰、「不怨天、不尤人、下學而上達、知我者、其天乎。」(憲問篇)
  28. 子曰、「賜也、女以予爲多學而識之者與。」對曰、「然、非與。」曰、「非也、予一以貫之。」(衛霊公篇)
  29. 子貢問爲仁。子曰、「工欲善其事、必先利其器。居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者。」(衛霊公篇)
  30. 子貢問曰、「有一言而可以終身行之者乎。」子曰、「其恕乎。己所不欲、勿施於人。」(衛霊公篇)
  31. 子曰、「予欲無言。」子貢曰、「子如不言、則小子何述焉。」子曰、「天何言哉。四時行焉、百物生焉、天何言哉。」(陽貨篇)
  32. 子貢曰、「君子亦有惡乎。」子曰、「有惡、惡稱人之惡者、惡居下流而訕上者、惡勇而無禮者、惡果敢而窒者。」曰、「賜也亦有惡乎。」「惡徼以爲知者、惡不孫以爲勇者、惡訐以爲直者。」(陽貨篇)
  33. 子貢曰、「紂之不善、不如是之甚也。是以君子惡居下流、天下之惡皆歸焉。」(子張篇)
  34. 子貢曰、「君子之過也、如日月之食焉。過也、人皆見之。更也、人皆仰之。」(子張篇)
  35. 衛公孫朝問於子貢曰、「仲尼焉學。」子貢曰、「文、武之道、未墜於地、在人。賢者識其大者、不賢者識其小者、莫不有文、武之道焉。夫子焉不學。而亦何常師之有。」(子張篇)
  36. 叔孫武叔語大夫於朝、曰、「子貢賢於仲尼。」子服景伯以吿子貢。子貢曰、「譬之宮牆、賜之牆也及肩、闚見室家之好。夫子之牆數仞、不得其門而入、不見宗廟之美、百官之富。得其門者或寡矣。夫子之云、不亦宜乎。」(子張篇)
  37. 叔孫武叔毀仲尼。子貢曰、「無以爲也、仲尼不可毀也。他人之賢者、丘陵也、猶可踰也。仲尼、日月也、無得而踰焉。人雖欲自絕、其何傷於日月乎。多見其不知量也。」(子張篇)
  38. 陳子禽謂子貢曰、「子爲恭也、仲尼豈賢於子乎。」子貢曰、「君子一言以爲知、一言以爲不知、言不可不愼也。夫子之不可及也、猶天之不可階而升也。夫子之得邦家者、所謂『立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和。其生也榮、其死也哀』。如之何其可及也。」(子張篇)

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