(検証・解説・余話の無い章は未改訂)
論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子曰、「吾猶及史之闕文也。有馬者、借人乘之。今*亡矣夫。」
校訂
武内本
釋文則の字なし、唐石経このところを缺くもその字数によれば又則の字なきに似たり。
定州竹簡論語
[子曰:「吾猶及史之欮a文也。有馬者借人乘之,今]440……
- 欮、今本作”闕”。欮為闕之省。
※欮ki̯wăt(入):闕kʰi̯wăt(入)。
→子曰、「吾猶及史之欮文也。有馬者、借人乘之。今亡矣夫。」
復元白文(論語時代での表記)
借
※論語の本章は借の字が論語の時代に存在しない。「之」の用法に疑問がある。本章は漢帝国の儒者による創作である。
書き下し
子曰く、吾猶ほ史之欮文に及ぶ也。馬有る者は、人を借りて之に乘らしむ。今は亡き矣夫。
論語:現代日本語訳
逐語訳
先生が言った。私もやはり史書の欠文に出くわすことがある。馬を持っている者は、人に貸して乗らせる。今は無くなってしまった。
意訳
私が歴史書を読んでも、歯抜けの部分に出くわすことがある。馬を自分で飼っている人は、人に貸して馬車を引かせるものだ、と言われたが、今はそのようなことはなくなってしまった。
従来訳
先師がいわれた。――
「私の子供のころには、まだ人間が正直で、いいことが行われていた。たとえば、史官が疑わしい点があると、調査研究がすむまでは、そこを空白にしておくとか、馬の所有者は気持よく人に貸して乗らせるとかいうことだ。ところが、今はそういうことがまるでなくなってしまった。」下村湖人『現代訳論語』
現代中国での解釈例
孔子說:「我還能見到史書上因存在懷疑而空缺文字的情況,現在沒這種事了!」
孔子が言った。「私でも歴史書に疑惑を感じて文字が欠けていると判断した部分を見つけることがあったが、今ではそのようなことが無くなった。」
論語:語釈
猶(ユウ)
論語の本章では、”~もまた”。詳細は論語語釈「猶」を参照。
及
論語の本章では”そのような場合に出くわす”。時間の到達の意を示す。詳細は論語語釈「及」を参照。
史
論語の本章では”史書”。漢字の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると会意文字で、「中(竹札を入れる筒)+手のかたち」で、記録をしるした竹札を筒に入れてたてている記録役の姿を示す、という。詳細は論語語釈「史」を参照。
論語の本章では”歴史書”と解する説と、下級役人の”記録官・事務官”と解する説がある。下級役人の語義の方が、漢字=ことばの原義で、歴史書は派生語。論語は中国最古の古典であり、本来ならば”官吏”と解するべきなのだが、本章は後世の作文だから、この制限には当てはまらない。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”…の”・”これ”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
闕(欠)文→欮文
論語の本章では、”歴史書の欠けた部分”。「闕」は”欠ける”で、詳細は論語語釈「闕」を参照。古来、「史の欠文」=”歴史書の文字が欠けた部分”と解する説と、「史の●●」=”歴史書の●●”であり、論語に欠文があるとする説がある。
古注の儒者は論語に欠文はないとし、想像で補っている。
古注
註苞氏曰古之史於書字有凝則闕之以待知者也
包咸「昔の歴史書には、書いてある文字がよく分からない部分がある、そういう時は、その部分は解釈するのをやめて、読める人が出るのを待ったのである。」
新注の儒者は、いくらか合理的になっている。
新注
楊氏曰:「史闕文、馬借人,此二事孔子猶及見之。今亡矣夫,悼時之益偷也。」愚謂此必有為而言。蓋雖細故,而時變之大者可知矣。胡氏曰:「此章義疑,不可強解。」
楊時「歴史書の欠文と馬を人に借りる(貸す)ことは、孔子も体験したことだ。今はなきなり、とあるのは、当時の人間が図々しくなったのを嘆いたのだ。」
私・朱子が思うに、これは孔子の実体験を言ったのだ。個人的感想では、それには複雑な理由があるのだろうが、大きく時世が変わったことがわかる。
胡寅「論語のこの章はよく分からない。無理に解釈すべきではない。」
定州竹簡論語が記す「欮」の音は、欮ki̯wăt(入)に対して闕kʰi̯wăt(入)。『学研漢和大字典』・『字通』に条目が無いので、異体字として取り扱うしかない。
借*(セキ)
(燕系戦国文字)
論語の本章では”貸す”。論語では本章のみに登場。初出は燕系戦国文字。ただし印章の字形であり語義が不明。論語の時代に存在しない。論語時代の置換候補もない。戦国中末期の「郭店楚簡」には「〔辶+昔〕」の字形で見える。「シャク」は呉音。戦国中末期の竹簡の用例は、”真似をする”と解せる。文献時代では論語の本章を除き、『荘子』『荀子』『韓非子』に見え、戦国時代に表れた言葉であることを補強する。『大漢和辞典』の同音同訓に「耤」(藉)、初出は甲骨文。ただし”耕作”の意と人名が確認できるだけで、春秋末期までに”かりる・かす”の用例が無い。詳細は論語語釈「借」を参照。
乘之
論語の本章では、”(馬に引かせて)車に乗る”。「胡服騎射」で有名な趙の武霊王は在位がBC325-BC298で、孔子の没後150年に現れた。それまで中国に騎馬の技術や習慣は無く、馬は車を引かせる役畜だったとされる。
今亡矣夫
「今」「亡」(金文)
論語の本章では、”今は無くなった”。「矣」は断定の語気を示す。詳細は論語語釈「矣」を参照。
論語:付記
論語の本章は、前漢の儒者があえて解読不能な章を論語にねじ込むことにより、利権の拡大を図った悪質な捏造。儒者が利益のためなら何でもする没義道漢だった事例はこれまでいくつも紹介してきたが、本章もまた「わけが知りたかったら金を出せ」と言っているのである。
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