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原文・白文
曾子曰、「吾聞諸夫子。人未有自致者也*、必也親喪乎。」
校訂
武内本:(清家本也者に作る。)唐石経・漢石経者也に作る。
書き下し
曾子曰く、吾諸を夫子に聞けり。人未だ自ら致す者あらざる也、必ず也親の喪乎。
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逐語訳
曽子が言った。「私はこういうことを先生から伝え聞いた。人は自分でやり通すということが出来ないものだ。必ず親の喪だろうか。」
意訳
曽子「又聞きだが、先生はこう仰ったそうだ。人は自分でそうしようとしても、限界までやり尽くすことは出来ない。ただ例外があるとすれば、親の喪に服す時だろうね、と。」
従来訳
曾先生がいわれた。――
「私は先生がこんなことをいわれたのをきいたことがある。人間が自己の全部を出しきってしまうということは、先ずないものだが、せめて親の死を悲しむ時ぐらいは、そうありたいものだ、と。」
論語:語釈 →項目を読み飛ばす
曾(曽)子
論語では孔子の若い弟子で、”ウスノロ”と孔子に評された曽参子輿のこと。
吾
(金文)
論語の本章では”私”。中国語は殷の時代まで格変化があり、周の時代ではおそらく言語が変わったのか、格変化は消滅したが、一人称に関してはその名残が残った。一人称主格・所有格では「吾」を用い、目的格では「我」を用いた。
ただしこの区別も、春秋時代の終わりと共に消滅した。その意味では本章が、孔子在世前後の時代までさかのぼる可能性を示している。
聞
(金文)
論語の本章では”伝え聞いた”。直接的、意図的に聞く事を「聴」と言い、間接的・受動的に聞く事を「聞」と言う。聞きたくなくても聞こえてきた場合も「聞」という。詳細は論語語釈「聞」を参照。
本章は曽子が師の孔子から直に聞いたのではなく、又聞きで聞いたことになる。
諸
(金文)
論語の本章では”これ”。『学研漢和大字典』による原義はひと所に大勢が集まったさまだが、音を借りて「これ」という近称の指示詞をあらわす。詳細は論語語釈「諸」を参照。
この事情は「者」も同様で、論語里仁篇6「不仁をにくむ者それ仁を成すなり」は、「者」を人格と捉えている限り読解できない。
夫子
(金文)
論語では”先生”。原義は「夫の子」=”あのお方”であり、師匠に限らない。
致
(金文)
論語の本章では”やり尽くす”。ただし何をやり尽くすのかが書いてないので、古来儒者や漢学者があれこれと個人的感想を言った。古注は以下の通り。

馬融曰言人雖未能自致盡於他事至於親喪必自致盡也
馬融曰く、人は他の事だと自分でやり尽くし通せるものではないが、親の喪なら必ずやり尽くし通すものだ。(『論語集解義疏』)

致極也言人於他行方可有時不得自極然及若親喪則必宜自極其哀
(何晏曰く)致は極のことである。そのこころは、人は他の行いでは時として自分から極めることが出来ないが、もし親の喪ならば、必ず容易に自分で哀しみを極めることになる、ということだ。(『論語集解義疏』)
うまいこと言い逃れた馬融と、あえて「哀しみ」と言ってのけた何晏だった。新注は以下の通り。

致,盡其極也。蓋人之真情所不能自已者。尹氏曰:「親喪固所自盡也,於此不用其誠,惡乎用其誠。」
(朱子曰く)致とは、その極めをやり尽くすことだ。考えて見るに、人の本当の心というものは、自分で始末がつけられない所で現れるものだろう。尹氏曰く、「親の喪とはもとより、自分を尽くして当然の場面である。それなのに誠意を抱こうとしないのは、誠意を抱くことそのものを嫌っているのだ。」(『論語集注』)
うまく言い逃れているばかりか、尹氏のわけが分からぬ話が煙幕になって、一層わけが分からない。論語の翻訳や研究をする者は、古注新注共に参照しないとまともな書き物と認められないのが論語業界の常識だが、こういう結果を見るといちいち参照するのが馬鹿らしくなる。
也
(金文)
論語の本章では、「人未有自致者也」では「なり」と呼んで断定を意味し、「必也親喪乎」では「や」とよみ、文頭の主語・副詞を強調する意を示す。
乎
(金文)
論語の本章では「か」と読み、”~であろうか”という疑問の意を示す。原義は『学研漢和大字典』では息の漏れるさま、『字通』では鳴子という。
論語:解説・付記
論語の本章は、文字的には金文までさかのぼれるし、内容的にも孔子が言いそうなことで、加えて曽子は儒学における親孝行の家元だから、史実と言ってかまわないだろう。