論語:原文・白文・書き下し
原文・白文
子貢曰、「紂之不善也*、不如是之甚也。是以君子惡居下流、天下之惡皆歸焉。」
校訂
諸本
- 武内本:清家本により、善の下に也の字を補う。
後漢熹平石経
子贛白紂之善是其…甚也…
- 「其」字:上半分中心に〔丨〕一画あり。
- 其…甚:前半は『漢熹平石經殘字集録』により、後半は『漢石經考異補正』による。間隔なしの可能性あり。
定州竹簡論語
……□□之惡皆歸焉。」585
論語集釋
漢石經「貢」作「贛」,下凡貢字倣此。
復元白文(論語時代での表記)
流
※貢→江・紂→(甲骨文)・惡→亞・焉→安。論語の本章は「流」の字が論語の時代に存在しない。「之」「以」の用法に疑問がある。少なくとも本章の下の句は、戦国時代以降の儒者による創作である。
書き下し
子贛曰く、紂之善からざる也、是之甚しきに如からざる也。是以て君子は下つ流れに居るを惡む、天下之惡しき皆歸り焉ればなり。
論語:現代日本語訳
逐語訳
子貢が言った。「紂王の善くない行いは、これほどひどくはなかったのだ。だから君子は、吹きだまりに居ることをいやがる。天下の悪事の責任が、全て寄ってきてしまうからだ。」
意訳
子貢「紂王がいくら暴君だと言っても、言われているほどひどくはなかった。だから、君子ゴミ溜めに近寄らず、なのだ。そんな所に居たら、あることないこと全て、自分のせいにされてしまうからな。」
従来訳
子貢がいった。――
「殷の紂王の悪行も実際はさほどではなかったらしい。しかし、今では罪悪の溜池ででもあったかのようにいわれている。だから君子は道徳的低地に居って、天下の衆悪が一身に帰せられるのを悪むのだ。」下村湖人先生『現代訳論語』
現代中国での解釈例
子貢說:「紂王的無道,並不象所傳說的那麽厲害。所以君子最討厭自己身上有污點,一旦有污點,人們就會把所有的壞事都集中到他身上。」
子貢が言った。「紂王の無道は、どれも伝えられているほどあんなにひどくない。だから君子が自分自身の汚点をもっとも嫌うのは、ひとたび汚点があれば、人々はすぐさま自分の悪事さえ他人になすりつけかねないからだ。」
論語:語釈
子貢
論語では、孔子の弟子で弁舌の才を評価された孔門十哲の一人。商才にも長けており、孔子在世当時の一門を財政面で支えたのは、おそらく子貢だったと思われる。
紂
(甲骨文)
論語の本章では、殷最後の王の名。論語では本章のみに登場。BC1027ごろに殷を滅ぼした周による他称であり、名は辛または受だったと伝わっている。酒池肉林にふけるなど暴君だったとされるが、史実とはとても思えない。文字は甲骨文から見えるが、金文・戦国文字には見られない。
『学研漢和大字典』によると、肘(チュウ)は、引きしめるようにひじを曲げること。紂は「糸+(音符)肘の略体」の会意兼形声文字でで、ぐっと引きしめるひも。肘・神(チュウ)(ぐっと引きしめる)などと同系のことば、という。詳細は論語語釈「紂」を参照。
語義は馬の尻(シリ)にかけて、くらを引きしめるひもだというが、論語の時代に騎馬の習慣や技術は中国になかったとされている。ただし『大漢和辞典』は熟語として「紂棍」を載せ、車を牽くロバの後ろに掛けた横木だという。引き馬ならば春秋時代にも存在した。
なお紂王は「帝辛」と史書に記されるが、ここでの「帝」は”皇帝”ではなく”王”ぐらいの意味に過ぎない。もともと「帝」は宇宙を取り締まる最高神を意味し、殷末期に王の権威が高まると、王号として用いられるようになった、と『学研漢和大字典』にある。
また「帝辛」は”辛という名の帝”であり、殷の時代までの中国語は、被修飾語→修飾語の順だった。論語の時代の宗主である周王朝が成立して後、「武王」のようにこの順序は逆転する。いわば英語とフランス語の違い程度には、両者の言語は異なっていたとわかる。
之(シ)
(甲骨文)
論語の本章では”~の”。初出は甲骨文。字形は”足”+「一」”地面”で、あしを止めたところ。原義はつま先でつ突くような、”まさにこれ”。殷代末期から”ゆく”の語義を持った可能性があり、春秋末期までに”~の”の語義を獲得した。詳細は論語語釈「之」を参照。
不善
(金文)
論語の本章では”よからぬこと・悪行”。『字通』による「善」の原義は神に嘉せられた羊で、『学研漢和大字典』の言う立派な羊よりも、この字に関しては納得できる。詳細は論語語釈「善」を参照。
『大漢和辞典』による、”わるい”を意味する漢字の一覧は以下の通り。
この中には論語の時代まで遡れる文字もあるのに、なぜ子貢が紂王の”わるい行い”と言わず、あえて”善くない行い”と遠回しに言ったのかははっきりしない。
不如是之甚也
論語の本章では”これほどひどくはなかった”。
読み下しは「是之甚しきに如か不る也」。従来の読み下しでは、「是の如く甚しからず」と読む例があるが、それでは「之」と「也」を無視することになるし、切り分けもおかしい。「是之甚」は”それほどの甚だしさ”という意味であり、意味上切り分けることが出来ない。
以(イ)
(甲骨文)
論語の本章では”それで”。初出は甲骨文。人が手に道具を持った象形。原義は”手に持つ”。論語の時代までに、名詞(人名)、動詞”用いる”、接続詞”そして”の語義があったが、前置詞”~で”に用いる例は確認できない。ただしほとんどの前置詞の例は、”用いる”と動詞に解せば春秋時代の不在を回避できる。詳細は論語語釈「以」を参照。
是以君子惡(悪)居下流
「流」(金文)
論語の本章では”そういうわけで君子は吹きだまりに居るのをいやがる”。ここでの「悪」は”嫌う”の意。「下流」は文字通り”川の下流”で、上流から全てのものが押し寄せてくる場のこと。
「流」の初出は戦国末期の金文。論語の時代に存在しない。詳細は論語語釈「流」を参照。
「以」は本来、前置詞として目的語を後ろに持つが、本章のように、あたかも前に目的語を持っているように見える場合がある。この場合は接続詞で、時間的先後や因果関係を意味する。伝統的にはこれも「もって」と読むが、前置詞と区別するため「もて」と読み替えた。詳細は論語語釈「以」を参照。
天下
論語の本章では”この世の中”。
「天」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、大の字にたった人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示した指事文字で、もと、巓(テン)(いただき)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという。高く平らに広がる意を含む、という。詳細は論語語釈「天」を参照。
「下」の初出は甲骨文。『学研漢和大字典』によると、おおいの下にものがあることを示指事文字で、した、したになるの意をあらわす。上の字の反対の形、という。詳細は論語語釈「下」を参照。
天下之惡皆歸(帰)焉
「帰」(金文)
論語の本章では”天下の悪事が全てそのせいにされてしまう”。句末の「焉」は強い断定。詳細は論語語釈「焉」を参照。
『学研漢和大字典』によると、「帰」は「帚(ほうき)+止(あし)+(音符)𠂤」。あちこち回ったすえ、定位置にもどって落ち着くのを広く「キ」という、とある。
論語:付記
論語の本章は、一門でもっとも政才・商才に長けた子貢が言いそうなことではあるが、「流」の春秋時代における不在は今のところいかんともしがたく、少なくとも下の句は戦国時代以降の加筆と断じるしかない。
『論語集釋』は荻生徂徠の『論語徴』を引いていて、別解として記す。
君子惡居下流,謂紂之爲逋逃藪也。衆惡人歸紂而紂受之,其所自爲惡雖不甚,而衆惡之所爲惡,皆紂之惡也,故曰天下之惡皆歸焉。
「君子は下流に居るをにくむ」とは、紂王が追われて逃げ隠れしたことを言う。もろもろの悪事を、人は全部紂王にかぶせ、紂王は否応なく自分のせいにされた。自分で仕出かしたことを嫌がっても、やりもしないことまでかぶせられたらたまったものではなく、もろもろの悪事の原因は、全部紂王が悪いことにされてしまった。だから「天下の悪事がみな紂王のせいにされた」というのである。(『論語徴』君子悪居下流条)
事の当否は何とも言えないが、大して意味の違いがあるように思えない。荻生徂徠が江戸儒者にしては漢文の読解に長けていたことは認めるが、今となってはトンデモ説をいくらも書き上げているので、無二念に信用することはもとより出来ない。
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