論語074里仁篇第四(8)朝に道を聞かば

論語里仁篇(8)要約:何かを成し遂げるなら、全力で取り組まなくてはいけない。求めるものが手に入ったら、もう死んでもいいと思えるほどに。孔子先生はそうたとえました。それは人格修養でも、政治改革でも同じです、というお話。

論語:原文・書き下し →項目を読み飛ばす

原文

子曰、「朝聞道、夕死可矣。」

書き下し

いはく、あしたみちかば、ゆふべすともなり

論語:現代日本語訳 →項目を読み飛ばす

逐語訳

論語 孔子 切手
朝、正しい道を伝え聞いたなら、その日の夕方に死んでもいい。

意訳

論語 君子 諸君 孔子
同志諸君。革命成功への筋道が分かったら死んでもいい、それぐらいの覚悟で戦ってくれ。

従来訳

 先師がいわれた。――
「朝に真実の道をきき得たら、夕には死んでも思い残すことはない。」

下村湖人『現代訳論語』

論語:語釈 →項目を読み飛ばす

論語 道 金文 論語 レシピ 道
(金文)

論語では”やり方・方法”の意で、道徳的な何かを指すことはほどんどない。「道」の詳細な語釈は、論語語釈「道」を参照。

矣(イ)

論語 矣 金文 論語 見返り美人図 矣
(金文)

論語の本章では、人が後ろを振り返った象形。断定の意味を示す。

論語:解説・付記

論語里仁篇は冒頭から仁について述べた後、しばらく孔子一門の革命運動に関する孔子の発言が続く。論語時代は『春秋左氏伝』の記述によれば、毎年のように諸国間で戦争があり、国内では政権を担う家老同士の私闘・君主の暗殺・政治的重要人物の謀殺が続いた。
論語と算盤 干戈

すでに国政の実権は国君の手を離れ、政治は家老たちの合議や独裁で進められていた。しかもその家老家を執事が支配もし、論語では陽貨がそれで、身分秩序にヒビが入っていた。その重圧に耐えかねて、貴族階級はひたすら淫蕩にふけった。倫理は崩れたか元から無かった。

従って天下の主を名乗る周王の権威もとうに廃れ、王室内部の跡目争いも絶えなかった。この背景には、論語時代より約一世紀前に実用化された鉄器があった。地中にごくわずかしかないスズを必要とする青銅器と比べたら、鉄はそれこそどこでも取れた。それが農具になった。
論語 以 字解

当時は鋼鉄を作る技術が無く、鋳鉄しか作れなかったからだ。鋳鉄は当時悪金と呼ばれ、硬さはあったが脆かった。だから刀剣類には使えない。武器になるはせいぜい鏃で、しかし錆びやすかったから備蓄が利かなかった。しかし工具や農具に使うなら、鋳鉄で十分だった。

それまで木でしかなかった農具のクワ先に鉄片を付ければ、より深く耕せた。切り開ける耕地も広がった。従って、より上の階級が持つ技術に頼らずとも、自活できる人口が増えた。しかしマルサスの法則がここでも当てはまった。生産力以上に人口が増えてしまった。

だから必然的に乱世になった。孔子はそのような社会の底辺に、おそらく私生児として生まれた。だから成長する過程で数多くの理不尽を体験した。それゆえ社会の革命を目指した。孔子は庶民には珍しく字が読めた。当時の文書は十中八九、過去を記した史料の類だった。
論語 黒歴史

孔子はそれら古典の中に、太平の世が過去にあったと知った。そのような社会に引き戻したいと思った言葉が論語にある。だから孔子は復古的な社会革命を唱えた。初期に集まった弟子は、そうした革命を共に目指す同志だった。孔子に学べば貴族になれると思ったのではない。

孔子塾が身分を向上させる公務員予備校としての性格を持ったのは、孔子が政権の枢要な地位に就いてからだった。未経験者が語る●談義に、誰も耳を貸さないのと同じ理屈だった。それ以前からの古い弟子には、孔子は論語の言葉で政権構想と志士にふさわしい教えを説いた。
論語 孔子 説教

同時に孔子は、革命が成就しがたいものであることを論語でも語った。ヒビが入ったとは言え当時の身分秩序は、簡単にひっくり返るほどヤワではなかったからだ。だから孔子は志士には覚悟を求めた。各自で猛烈に革命成就の法を求めることを求めた。それが論語本章の言葉。

なお既存の論語本では吉川本に、従来訳は新注に従った解釈であり、対して古注は「世に道のあるような道徳的な世界の出現を聞いたが最後、自分はもう死んでもいいとさえ思うが、そうした良いたよりを聞かずに、自分は死ぬであろう、という孔子の悲観の言葉」だという。

古注

論語 鄭玄 論語 馬融 古注
注。その日の夕方に死んでもいい、とは、今にも死のうとしているのに、世に正しい道があるという話を聞かない、ということだ。

付け足し。本章は、世の中に道がないことを嘆いたのだ。だからもし朝に、道があるという話を聞いたなら、その日の夕方に死んでも悔いはない、と言ったのだ。だから可=死んでもいい、と言った。

ランチョウいわく、「道が民を救える理由は、聖人がいてその道を行ってくれるからだ。道を用いて民を救うなら、自分の身は救わない。だから本当に道があると朝方に聞いたなら、夕方には死んでもいいと言ったのだ。道がダメになって行われないなら、もう世の終わりは見えていて、やはり世を嘆いて身を保とうとはしないのである。」(『論語集解義疏』)

古注を書いた馬融やジョウ玄の生きた後漢というのはひどい時代で、ひたすら偽善をこととする清流派と、彼らに見下された濁流派が官界で争い、これに宦官や外戚が加わって、些細な発言が処刑につながった。論語の本章を悲観的に解釈するのも、彼らに同情できる点がある。

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